第23話 老獅子
蒼馬がジェボアを出立する日。わざわざオルガとテーテュースの名代としてアドメテー姫がジェボアの郊外まで見送りに来てくれた。
いまだ世間では蒼馬は反乱奴隷の頭目か、どんなにひいき目で見てもたかが地方領主である。それをマーマンの姫が陸の上まで見送りに来るのは破格の待遇であった。それだけにマーマンの蒼馬への感謝の大きさが知れる。
「しかし、これで本当によろしかったのでしょうか?」
オルガが申し訳なさそうに尋ねるのは、商人ギルドからの賠償金の分配についてである。
ジューダの私財はすべて没収されて、蒼馬とマーマンたちへの賠償へと充てられたのだが、蒼馬はそのほとんどの権利をマーマンに譲ってしまったのだ。その金で奴隷として売り払われてしまった子供らをひとりでも多く買い戻せればという考えからである。
当初は固辞していたオルガたちも、蒼馬の意志が固いとわかると感謝の言葉とともに受け取ったのだが、やはり気が咎めているらしい。
それに蒼馬は、気にしないでとばかりに笑いながら言う。
「僕は奴隷を譲っていただきましたから大丈夫ですよ」
ジューダが所有していた多くの奴隷だけは、優先的に蒼馬が引き取らせてもらっていた。もちろん、それは彼らを奴隷の身分から解放するためである。
ところが、蒼馬の予想に反して、奴隷だった者たちの大半は奴隷のままジェボアに残留することを望んだ。
マーマンにあれほど非道なまねをしたジューダだったが、自分の店の使用人や奴隷などには慈悲深い主人だったようだ。彼らは自身の境遇に不満を持っておらず、知らない土地へ不安を抱いて行くより、このままジェボアに奴隷として留まるのを希望したのである。
そうした奴隷たちはシャピロ商会を通じて新しい主人を探してもらうように手配した。
それ以外の解放を望んだわずかな奴隷たちは、いったんボルニスの街へ連れ帰り、そこで働き口を世話するつもりである。
そんな奴隷たちが集まる方を見やると、そこには人間の奴隷に交じってひと際大きなディノサウリアンの奴隷の姿があった。
蒼馬は、そのディノサウリアンの奴隷と初めて会った時のことを思い出す。
◆◇◆◇◆
「うわぁ……」
蒼馬はあんぐりと口を開けて、目の前の大きなディノサウリアンを見上げた。
ディノサウリアンを見慣れていたはずの蒼馬も、これほど背の高いディノサウリアンは初めて見た。何しろジャハーンギルよりも優に頭ひとつ分は背が高いのだ。こうして目の前に立つと、まさに絶壁を見上げるようである。
しかし、その目はどこかのんびりと草をはむ牛のような穏やかな目をしていた。その顔もジャハーンギルたちのような見るからに肉食恐竜といった鋭い顔ではなく、丸みを帯びたものである。
このディノサウリアンは、ボルニスの街の南にある道を使ってマーマンを運ぶときのためにジューダが譲り受けた奴隷だという。元はガレー船の漕ぎ手として使われていたらしく、その腕力は同じディノサウリアンの中でもずば抜けているそうだ。
確かに、見るからに怪力の持ち主だった。腕の太さなど、蒼馬の胴体ほどもある。これならば大きな樽も難なく持ち上げられることだろう。
「あなたの名前は?」
「……モラード」巨大なディノサウリアンは、ボソッと答えた。「モラード・カヴェラ……」
そこでモラードと名乗ったディノサウリアンは口を閉じてしまった。
それに蒼馬は、首をかしげた。蒼馬の知識では、ディノサウリアンの名前は「個人名+種族姓+生まれた地域」の三つで成り立っているはずである。しかし、モラードは最後の地域名を名乗らなかったのだ。
それを指摘すると、モラードはまたもやボソッと答える。
「オラはただの石喰いだ」
それは蒼馬の知らない表現だ。
しかし、モラードはもうそれで十分説明したとでも言うように口を閉ざしてしまう。
そんなやり取りを見るに見かねたジャハーンギルの末っ子のパールシャーが、口を挟む。
「ソーマ殿。こいつはカマラ種――生まれついての奴隷の種族なんですよ」
ディノサウリアンは、ジャハーンギルたちティラノ種を代表とする戦士種と呼ばれる貴族に相当する種族の他にも司祭種や平民種などといった姿かたちも異なる種族からなる混成種族である。そして、このモラードはディノサウリアンにおいては最底辺に位置する奴隷種と呼ばれるカマラ種という種族のディノサウリアンだった。
モラードの言った「石喰い」とは、奴隷種である彼らの先祖が草ばかりを食べていて、その消化を助けるために石を飲んでいたという言い伝えに由来する奴隷種に対する蔑称だという。
そして、奴隷種の場合には地域名の代わりに主人の名前が入るのだが、主人であったジューダが破産した今、モラードは名前を失っている状態だとパールシャーは説明した。
「ですから、ソーマ殿がもらうとなれば、こいつはソーミという名になります」
「でも、僕は奴隷なんていらない」
自分が奴隷を作るとでも思っているのかと、やや不機嫌そうに蒼馬は言った。
「それでしたなら、いったんこいつを奴隷として受け入れた後に解放したとすれば良いでしょう。その場合、解放奴隷を意味する『ジャバード』の姓を名乗ることになります」
それで良いかというようにパールシャーが視線を向けると、モラードはこくりとうなずいた。
「わかっただ。オラの名前は、モラード・ジャバード・ソーミだ」
◆◇◆◇◆
今も黙々と荷物を運んでいるモラードは納得しているようだったが、蒼馬は少し不安を覚えた。
どうにも、このモラードというディノサウリアンからは自主性が感じられないのだ。長く奴隷だったためそれも仕方ないのだろうが、奴隷からの解放を望んだのも蒼馬が解放を勧めたからに思える。
それと、もうひとつ気になるのが、ジャハーンギルだ。
ジューダの隊商からマーマンの子供を見つける時に先走ったのを反省したのか、ここ最近やけにおとなしいのである。ジェボアの商人ギルドに乗り込んだ時もわざわざ自らの手でアドメテー姫を入れた樽を運んだのも、普段のジャハーンギルからは考えられないことだった。
そんなジャハーンギルだが、なぜかモラードに対しては露骨に不機嫌な態度を示すのだ。
その表情からは感情が推し量りにくいディノサウリアンだというのに、当初は同じディノサウリアンなのでモラードを預けようと思っていた蒼馬が、それを言い出せなくなるほど不機嫌なのがわかったぐらいなのだから、その程度が知れよう。
ジャハーンギルの長男であるメルフザードなどは、モラードが近寄ろうものならば、牙を剥いて威嚇するのだから決して蒼馬の勘違いではあるまい。
これは後で末弟のパールシャーにでも理由を問い質しておいた方が良いかなと心にとどめておく。
「では、僕らはこれで失礼します」
名残惜しいが、このままではいつになっても出立できない。蒼馬は踏ん切りをつけると、馬にまたがろうと鐙に足をかける。そこにオルガが声をかけてきた。
「ソーマ殿。テーテュース陛下から、これを……」
そう言ってオルガが差し出したのは、蝋で封がされた書状である。蒼馬は封蝋をはがして書状を開いてみるが、当然読めない。蒼馬はそれをシェムルへと手渡した。
「ソーマを正式にマーマンの真の友と認める、とある。いついかなる時でもソーマの来訪を歓迎し、たとえ約束がなくとも女王への謁見を認めるとも」
シェムルが読み上げた内容に、蒼馬は驚いた。
これは、単に友好を結ぶだけではなく、蒼馬個人をマーマンにとって重要な人物だと認めるという望外の内容だ。
「テーテュース陛下からお言葉を託っております。『遠慮なく、思うようにお使いなさい』と」
マーマンにとっての重要人物という立場は、間違いなくジェボアに対する切り札となる。
そして、この書状は切り札として使われると承知した上で、したためられたものだ。
言葉としては書かれてはいないテーテュースの配慮に、蒼馬はしばし目を閉じて感謝した。
そんな蒼馬の姿に、シェムルは満足げに大きな鼻息をひとつ洩らす。
「十人委員どもめ。ソーマと友好を結ばれないようにしたのに無駄だったな」
我が「臍下の君」の妨害をしようとしても無駄なのだと言わんばかりの態度で得意げに胸を張るシェムルに、オルガは眉をひそめた。
「失礼ですが、勘違いをなされているようですね」
どういうことだと視線で問うシェムルと蒼馬に、オルガは言った。
「書状であなたがたと友好を結ばぬように我々を牽制したのは、ジェボアの商人ギルドではありません。それどころか、おそらくはジェボアの商人ギルドも同じ書状を受け取っていたと思います」
蒼馬とシェムルは小さく目を見張る。
しかし、すぐに蒼馬は、そういえばと思い出す。
山賊退治後に自分との友好条約を否決されたのに、ヨアシュとメナヘムはまるでそうなるのがわかっていたようだった。それは商人ギルドにも、マーマンと同様の書状が届けられていたからではないだろうか?
しかし、そのような書状をいったい誰が出したのか?
それを蒼馬に尋ねられたオルガは、少し困った顔になる。しかし、それはわずかな間だけであった。
「本来ならば、たかがその者の書状ひとつで種族の方向性を左右されたなど口にできるものではありませんが、あなたには大きな恩義がございます」
そう言って、オルガはある名前を告げた。
その途端、蒼馬たちの間に落雷のような衝撃が走る。
しかし、それに気づかぬオルガは、その人は今は失脚しているが隣国との緊張感が高まる中で再び台頭してくる可能性もあり、その書状を無視できなかったなどと言い訳を口にしていた。
だが、それを蒼馬はほとんど聞いていなかった。小さく目を見開いた蒼馬は半ば茫然と、唇から震える声を洩らす。
「まさか、あの人が……!」
◆◇◆◇◆
ホルメア国首都ホルメニアにある大きな邸宅で、ふたりの老人が茶を飲んでいた。
ひとりは小柄な老人である。多少なりともホルメア宮廷に通じている者ならば、それがワリウス王に破壊の御子討伐を上奏し、それを認めさせた元宰相のポンピウスであると気づくだろう。
そして、そのポンピウスと向かい合うように座るのは、彼とは逆に大柄な体躯の老人である。
この対照的なふたりが無言で茶を飲んでいたところに、屋敷の家令がやってきた。家令は大柄な老人に何やら耳打ちすると、持ってきた書状を手渡す。
「どうした? 何か、善からぬ報せ?」
書状を読むにつれて顔をしかめた老人に、ポンピウスが尋ねた。
「ああ。悪い報せだ。――怪物めが、後ろ脚につけておいた鎖を引きちぎりおった……」
読み終えた書状をポンピウスへ手渡す。
「遠からずジェボアをどうにかするとは思っておったが、まさかマーマンまで巻き込み、それらを味方につけるとはな。――相変わらず、わしの予測の上を行きおるわ」
手渡された手紙に目を通し、「ほう」と驚きの声を洩らすポンピウスを前に、老人は深いため息を洩らすと背もたれに背中を預けた。ぎしりっと椅子の背もたれが軋む音が、やけに部屋の中に響き渡る。
「五年――」
老人の唇から洩れたのは、たった一言だけである。だが、それは百万の言葉より重いものだった。
「――たかが亜人類奴隷の反乱と見下す陛下や諸侯らに、あやつを敵と見なさせるのに五年もかかってしまった」
自分の不甲斐なさに、何度歯噛みをしたことだろう。何度悔し涙を流したことだろう。
「しかし、それもようやく報われた。今や我がホルメア国は、破壊の御子を倒すべき敵だと、喰らうべき獲物と認めて動いておる。これもすべて、おぬしのおかげだ。感謝するぞ」
ポンピウスは大したことではないとばかりに、首を小さく左右に振る。
「なに、古い友の頼みよ。それに、わしもそうせねばならぬと思えばこそ。さあ、これからどうするのだ――」
ポンピウスは、古い友の名を呼ぶ。
「――ダリウスよ」
自分の名を呼んだポンピウスに、ダリウスは獰猛な笑みを浮かべて見せた。
かつてはホルメア最高の将軍と呼ばれた老将ダリウス・ブルトゥス。
傷つき老いた獅子なれど、その牙を失ってはいなかった。
初登場のモラードは、初期設定ではブラキオサウルスやアパトサウルス(ブロントサウルス)でした。
ですが、ブラキオサウルスのような特殊な形状やディプロドクス系の馬っぽい細長い顔ではなく丸っこい顔がモラードの顔のイメージだったので、それに近いカマラサウルスに変更。でも、竜脚類の中では小柄なカマラサウルスだと登場人物中もっとも大きく力が強いという設定には合わない。
アルゼンチノサウルスやらマメンチノサウルスなど巨大な竜脚類の候補もありましたが、名前の響きが悪い。
結局は語感が良いという要因でカマラ種となりましたが、もしかしたら変更するかも。
どれだって変わらないじゃんと言われそうですが、恐竜好きにとっては大変重要な問題なのです。
ちなみにアパトサウルスのwikiページに頭部比較画像がありますので、そのカマラサウルスの頭部がモラードのイメージに近いです。




