第22話 友好
「この方は、テーテュース女王陛下の第三王女アドメテー様だぞ! この方の言葉を嘘だと、貴様らはぬかすのかっ?!」
オルガの怒声に、さすがの海千山千の商人である十人委員たちも、しばし茫然としてしまった。
ジェボア商人ギルドを代表する十人委員のひとりが、友好関係を結んでいたマーマンの子供を誘拐して奴隷として売り払っていたというだけでも、とんでもない醜聞である。しかも、その被害者のひとりが王女ともなれば、もはやそれは醜聞どころの話ではすまない。
しかし、驚いたのは彼らだけではなかった。アドメテーを救出した蒼馬にとっても、それは初めて耳にする話だ。それまでの怒りも吹き飛び、きょとんとした面持ちでオルガに尋ねる。
「ご、ごめんなさい、オルガさん。その人――じゃなくて、その方はあなたの妹じゃ? もしかして、あなたもお姫様だったの?」
「いえ。私は王配だった父が女戦士のひとりに産ませた子です。ですが、この方はテーテュース陛下のお産みになられた、れっきとした王位継承者なのです」
つまりは異母姉妹である。家は女子が継ぐ女系主義のマーマンにおいては父親が同じであっても、女戦士の母から生まれたオルガには王位継承権はないのだ。
蒼馬に対しては穏やかな物言いだったオルガだったが、十人委員へと向き直ると、再びそのまなじりを吊り上げて烈火のごとく吠える。
「貴様ら! 民の子供らばかりではなく、アドメテー様までかどわかし、奴隷として売ろうとしたな! それが、どういうことになるか理解しているのだろうなっ!」
このオルガの怒声に、十人委員たちはそろってジューダと同様に顔色が蒼白を通り越して土気色に変わった。
一族の姫である娘に対して狼藉を働いたのである。それは、その一族すべての者を侮辱したに等しい。もはや、マーマンに絶縁と宣戦布告を突きつけたようなものだった。
もしマーマンと全面戦争にでもなれば、海洋交易が立ち行かなくなってしまう。それによって生じる莫大な損失は、商人ギルドの屋台骨を傾かせかねないものだ。
しかし、今回ばかりはそれだけに収まらない。
戦争のきっかけとなるのは、商人ギルドのマーマンに対する背信行為である。それは信用を何よりも重んじる商人ギルドにとって、金銭などでは計り知れない損失となってしまう。
それ故に、十人委員たちは震え上がったのだ。
それはシャピロ商会のメナヘムも例外ではない。当初から蒼馬寄りの立場を取っていたメナヘムは、さほど慌てずにことの成り行きを傍観していた。むしろ、ジューダを責め立てる蒼馬に取り成す態を取って、商人ギルドでのシャピロ商会の権限を強めようとすら考えていたのだ。
ところが事態はメナヘムの予想をはるかに超えた最悪のものとなってしまった。
とんでもないことをしてくれたものだ。
ちらりとジューダを見やると、彼はほとんど気を失う寸前といった有様である。おそらくジューダも、まさかかどわかしたのがマーマンの姫だったとは知らなかったのだろう。
しかし、だからと言って問題が解決するわけではない。
このままではマーマンとの対立は避けられないばかりか、商人ギルドの信頼は失墜してしまう。
もはや怒り狂うオルガを鎮められるのは、この場において蒼馬しかいない。
そう思ったメナヘムは蒼馬へ仲裁を求める。
「ソーマ様。何卒お口添えを願えないでしょうか?」
この頃にはマーマンの子供たちの扱いに憤慨していた蒼馬も、自分よりも激しく怒り狂うオルガを前にして、ようやく冷静になっていた。
激怒するオルガの心情は理解できるが、さすがにこれはまずい事態である。
テーテュースが自分の娘がさらわれたかも知れないというのに事を荒立てないようにしていたのは、ジェボアとの対立を避けるためだ。
このことが公になれば商人ギルドは、世間から批難されるだろう。だが、それと同時に、テーテュースもまた種族と女王としての威信を保つために、その怒りを明確な形で公に示さなければならなくなる。ましてや自分の姫が被害を受けたとなれば、それは生半可なものではすまされない。最悪の場合、ジェボアへの宣戦布告をせざるを得なくなってしまう。
しかし、それはマーマンとジェボア商人ギルド双方にとって望まぬものだ。
また、そればかりではない。仮にも姫が誘拐されたと広まれば、テーテュースはアドメテーの周囲にいた者たちを処罰しなければならなくなる。もしかすれば、そこにオルガが含まれる可能性もあった。
震え上がるヤコブなどに対しては、正直「ざまーみろ」という気持ちはないではない。だが、ここは騒ぎ立てずにジューダひとりの責として収めた方がマーマンにとっても良い気がした。
「オルガさん。決してジューダは許せませんが、他の方はこの件に関与されていません。どうか僕の顔に免じて許してやってはもらえないでしょうか?」
怒り狂っていたオルガであったが、アドメテーを救出してくれた蒼馬の言葉は無視できない。それでも胸中で暴れる感情を抑えきれずにいたが、自分の腕の中にいるアドメテーもまた商人ギルドを擁護する。
「お姉様。――いえ、戦士オルガ。ここはソーマ様のおっしゃるとおりにしましょう」
おそらくは姫として、オルガ以上に外交を叩きこまれていたのだろう。ここで自分のせいで商人ギルドと決定的な対立を招くわけにはいかないとアドメテーはオルガを諭した。
ふたりからそう言われてしまえば、オルガも怒りを突き通せない。しばらく、ぐむむっと唸っていたが、観念したようにため息を洩らす。
「わかりました。――アドメテー様はさらわれてなどいない。他の子供らをさらったのも、すべてはジューダひとりに責がある。これでよろしいでしょうか?」
「はい、お姉様。それで良いです」
「ですが、アドメテー様。陛下には包み隠さず報告いたさねばなりませんからね」
「もちろんです。陛下ならば、同じように判断してくださいます」
オルガも折れてくれたのに、蒼馬もホッとする。
テーテュースならば、商人ギルドとの戦争は望まないだろう。これでマーマンと商人ギルドとの戦争も回避できたことになる。もっとも、戦争は回避できたが、あのしたたかなテーテュース女王のことだ。事をジューダひとりの責任にする代わりに、商人ギルドから様々な賠償や譲歩を引き出すだろう。しかし、それもテーテュースと十人委員との交渉次第である。もはや蒼馬が口を挟むことではない。
そんなことを考えていた蒼馬のところに、メナヘムが他の十人委員たち数名を引き連れてやってきた。
「ソーマ様。この度は大変ご迷惑をおかけした上に、御恩情までかけていただき、感謝の言葉もございません」
メナヘムらはいっせいに頭を下げる。
「ジューダは十人委員の資格のはく奪はもちろん、ギルドからの追放。その私財は没収してマーマンとソーマ様への謝罪と賠償に充てさせていただきます」
魂が抜けたように呆けていたジューダも自分の名前が出たのに、ビクッと顔をメナヘムへと向ける。しかし、酸欠状態の魚のように口をパクパクと開閉させただけで、すぐにうなだれてしまった。
命こそ奪われはしなかったものの商人ギルドから追放されてしまえば、もはや西域で商売はやっていけない。また、私財もすべて没収されてしまえば、他の地で再起するのもかなわなくなる。もはやジューダは終わりだった。
「さらに、ソーマ様がかねてより望んでおりました我ら商人ギルドとの友好条約を結ばせていただきたいと思います。その詳細は、また後日に詰めさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
メナヘムの提案に、謝罪を受けたことで、それまで張り詰めていた気が途切れてしまっていた蒼馬は、いつもの彼に戻っていた。
「え? いや、僕は大したことをやっていませんよ。――ねえ、シェムル」
これまで誰もわからなかったマーマン密輸のからくりを暴いたというのに、それを誇るどころか逆に謙遜する「臍下の君」に、シェムルはやれやれとため息をつく。それに自分が何か失敗をしたのかと勘違いし、蒼馬はおろおろとし始める。
「メナヘムさん。そんなに大げさなことをしなくても大丈夫です。えっと、僕らと友好関係にありますって表明してくれるだけでも十分ですよ、うん」
その言葉に、不満たらたらで頭を下げていたヤコブが過剰反応を示す。
「そ、それは困る!」
彼ばかりではない。他の十人委員ばかりか蒼馬寄りのメナヘムですら、快諾しかねるといった雰囲気であった。
それを見咎めたのは、オルガである。
「ソーマ殿にこれだけの迷惑をかけておいて、その態度はどういうことですか?! ソーマ殿との友好関係を結べぬというのならば、我らマーマンが黙ってはいません!」
強烈な横槍に、十人委員らは苦しげな表情を浮かべて沈黙する。
しばらくして、ようやく口を開いたのはメナヘムであった。
「我らジェボアの商人ギルドは十人委員の名で正式にソーマ様との友好関係を表明いたしましょう。――それで、よろしいか?」
最後の言葉は自分の後ろにいる他の十人委員たちに向けたものだ。この場に及んでも数名の十人委員から不服の言葉が洩れるが、メナヘムは厳しい声で言う。
「これほどの大事をこの程度に収めていただけたのは、ソーマ様とマーマンの方々のご厚意なのですぞ。それとも諸兄らは、マーマンとの戦争をお望みか?」
メナヘムの言葉に、十人委員らはぐうの音も出せずに承諾するしかなかった。
そんなやり取りに、自分はそんなに難しいことを要求したかなと首をひねっている蒼馬の姿に、やはり気づいていなかったのだなとメナヘムは胸の中でひとりごちる。
実は、きちんと明文化された友好条約を結んだ方が、商人ギルドにとって損は少なかったのだ。
それがどんなに細かな取り決めだろうと、海千山千のしたたかな商人である彼らにとっては、取り決めの穴を見つけ、その裏をかくなど日常茶飯事のことである。
ところが、漠然とした友好関係となると難しい。特に今回は蒼馬に対して大きな借りを作ってしまっているのだ。ただ価格交渉においても蒼馬が「それは友好的ではない」と言い出せば、商人ギルドは借りがある以上は退かねばならなくなってしまう。しかも、それに程度も期限が定められていないのだからたちが悪い。
もう少し強欲であった方が扱いやすいのにと、悔やみつつもメナヘムの口許には微笑が浮かぶ。
自分が扱いやすい程度の器では、自分の息子を生贄に出した甲斐がない。また、そこからシャピロ商会が得られる利益もたかが知れているのだから、と。
メナヘムは微笑を隠すために、再び蒼馬へ深く頭を下げたのだった。
◆◇◆◇◆
それからしばらく後のホルメア国の王宮に、王宮御用達の奴隷商人のピレモンの姿があった。
「お召しにより参上いたしましたが、今日はいかなる御用でしょうか?」
何の前触れもなく、いきなり王宮に召し出されたピレモンは、何か起きたのではないかと、それなりの覚悟を決めてきていた。しかし、そのピレモンが決めてきた覚悟以上に、事態は悪いようである。
玉座に座るワリウス王は、隠す気のない不機嫌さが身体中からにじみ出していた。そればかりか、左右に居並ぶ重臣らが自分を見る目も怒りと侮蔑の念にぎらついている。商売の便宜を図ってもらうために重臣らには常日頃から付け届けは欠かしていなかっただけに、このような目で見られるのは初めてであった。
「今朝ほど、ジェボア王より親書が届けられた」
ワリウス王は放り捨てるように、ピレモンへ親書を投げてよこした。
商人ギルドの傀儡となっているジェボア王からの親書である。親書をしたためたのはジェボア王だろうが、その内容は商人ギルドの意向によるものと見て間違いない。
ピレモンは嫌な予感を覚えながらも親書を拾い上げた。
そんなピレモンをワリウス王は玉座の上から軽蔑し切った目で見下ろしながら言う。
「貴様はジューダなる商人と結託し、マーマンの子供をかどわかしては奴隷として売り払っていたそうだな。これはジェボアとマーマンの間を引き裂かんとするホルメア国の差し金かと、ジェボア王は余に言うて来ておるのだ」
震える手で親書を読むピレモンの顔が、しだいに青くなっていく。
それは親書とは名ばかりで、厳しい文調でワリウス王に問い質す詰問状であったのだ。
この親書の意図は明白である。
マーマンの密輸の責はあくまでジューダとピレモンにあり、商人ギルドとは無関係。そればかりか、むしろ自分らは被害者なのだという商人ギルドの主張を広めるためのものであった。
「のう、ピレモンよ。余の王宮に出入りを許しているそなたが、このようなまねをすればジェボアがそう疑うのも無理はない。しかし、そのような記憶はないのだが、余はおぬしにこのような謀略を命じたであろうか?」
口調は穏やかであった。しかし、ワリウス王の顔を見ればまぶたや口許が押さえ込まれた激情にピクピクと痙攣している。これは癇癪を爆発させる寸前の形相だ。
そのピレモンの予想は的中していた。商人ギルドの後ろ盾さえなければ、地べたを這いずる蟻のように簡単に踏み潰せると見下しているジェボア王に、これほど無礼な書状を送られたのだ。西域の雄と呼ばれたホルメアの王であることを自負するワリウスは腹立たしいを通り越して、腸が煮えくり返る思いであった。
「へ、陛下! これはとんでもない濡れ衣でございます!」
何とか言い逃れようとするピレモンをワリウス王は怒鳴りつける。
「黙れっ! そのような疑いをかけられるだけ、やましいことがあるのであろう!」
不意にワリウス王は、ひとりで得心した顔になる。
「ああ。なるほど、そういうことであったか……」
猜疑心の強いワリウス王は、感情が高ぶると無茶苦茶な理由をつけて臣下にあらぬ疑いをかける悪癖がある。そして、今まさにその悪癖を発揮しようとしていた。
「マーマンを運んできても、余の国には帝国へ向かう船が寄れるような大きな港がない。そんな港があるとすれば、隣国ロマニアであろうなぁ」
独り言のように呟くワリウス王が言うとおり、ピレモンはホルメアまで運んだマーマンを帝国に向かう船に載せるため、さらに隣国のロマニアまで運んでいた。
それがいったいどうかしたのかとピレモンが思った次の瞬間、ワリウス王が吠える。
「さては貴様! 目をかけてやった余への恩も忘れてロマニアと通じ、ホルメアとジェボアの間に亀裂を入れんとしたのかっ?!」
「め、め、滅相もございません!」
ピレモンは床に額をこすりつけてワリウス王の勘気をかわそうとした。しかし、その程度で治まるワリウス王ではない。
「見苦しいわ、この恩知らずめがっ! 私財はすべて没収した上で、国外に叩き出してくれる! 命を取らぬのが、余の慈悲と心得よ!」
小さく悲鳴を上げたピレモンは何度もワリウス王に許しを乞うた。だが、ワリウス王は考えを改めることはなく、衛兵に命じてピレモンを王宮の外へと叩き出してしまう。
それでも怒りが治まらないワリウス王は、両手でがっしりと玉座の肘かけを握り締めたまま肩を大きく上下させて荒い息をついていた。
「陛下。これをお飲みになられて、お気を落ち着かされてくださいませ」
そこに侍従長が水で割った葡萄酒を満たした金杯をワリウス王へと捧げた。ワリウス王はいまだ興奮に震える手で金杯を掴み取ると、ひと口だけ葡萄酒を口にする。
「……なんだ、この葡萄酒は。もっと良いものを持ってまいれ」
水で割った葡萄酒は飲料水の代わりに飲まれるものだが、それにしても香りがない。それに不満を言うと、侍従長は顔を曇らせた。
「それが、新しい葡萄酒が入る予定だったのですが……」
保存する技術が拙い時代の葡萄酒は、現代などよりはるかに傷みやすいものだった。そのため、ホルメア王宮では定期的に質の良い葡萄酒を商人に納入させていたのだが、それが滞ってしまったのだ。そのため、このような香りも飛んだ古い葡萄酒しかないと侍従は説明した。
それにワリウス王が、なぜ葡萄酒の納入が滞ったのかと尋ねると、侍従はしばし口ごもってから、ある事情を説明する。
すると、ワリウス王はぎょっと目を剥いたかと思うと、次いで全身をプルプルと震わせ始めた。
「おのれ! 奴隷ばかりか、今度は葡萄酒まで余から奪うだと……」
そして、ついにワリウス王は癇癪を爆発させる。
「どこまで余の神経を逆なでするつもりだ、破壊の御子めっ!!」
耳に障るような甲高い声で言葉にならない罵詈雑言をわめき散らすワリウス王に、その場に居合わせた重臣や侍従らは、そろって背を縮こまらせたのだった。




