第26話 巫女頭
「へぇ。あれが聖地ロロか……」
シェムルが指差す先を眺めた蒼馬は感嘆の声を上げた。
ゾアンの聖地ロロは、大きな赤い岩山だ。
その幅は最大で約百九十メルト(一メルトは約一メートル)、高さは地表から約八十二メルトにもなる、それひとつが一枚の巨大な岩である。
しかし、特筆すべきは、その大きさではない。
世界を見渡せば、この聖地ロロの数倍もの大きさを誇る巨大な一枚岩がいくつも存在する。その中にあって聖地ロロが人々を驚かせるのは、その形状にあった。
その形を言葉で言い表すとしたならば、それは平原と言う広大な皿の上に置かれた丸いホールケーキだろう。また、近代の有名な冒険家ヘンリー・ゴスは、聖地ロロを「世界樹の切り株の化石」と例えている。
真上から見下ろせば真円に近い形と、地面とほぼ垂直になった側面を持つ聖地ロロは、まさに巨大なホールケーキか切り株のような姿なのだ。
この聖地ロロの正体は、はるか古代に存在した火山の火道内で溶岩が固まってできた岩頸や岩栓と呼ばれる岩だ。山は長い年月をかけて風雨の浸食により削られてなくなってしまったが、堅い玄武岩でできた聖地ロロだけがこうして姿を留めているのである。
まさに、それは自然が偶然生み出した奇跡の造形だ。
また、この聖地ロロの岩には鉄が多く含まれ、それの酸化によって岩が赤い色を帯びている。それが夏の新緑の草に覆われる平原にそそり立つ姿や茜色の夕日によって鮮やかな赤に染まる光景は、見る者の心を激しく揺さぶるだろう。
ロロを古代のゾアンたちが聖地としたのも大きくうなずける。
そして今、その神秘の巨岩ロロの周囲には、それを祝福するように色とりどりの刺繍が施されたゾアンの天幕がぐるりと周囲を埋め尽くしていた。
「ずいぶんと気の早い連中が多いな」
まだ大祭ボロロまで日があるというのに、すでに多くのゾアンが集まっている光景に、ズーグは呆れたように言う。それに、ガラムも苦笑で応える。
「無理もあるまい。ボロロが開かれるのは、三十年ぶりにもなる。多くの者は、父祖らの口から語られるものしか知らぬのだ」
そう言うガラムやズーグとて、自分らが生まれてから一度も開かれたことがないゾアンの大祭ボロロには強い憧れを感じている。その大祭ボロロを開けるようになったのには、感慨深いものを感じずにはいられなかった。
しかし、感動ばかりしてはいられない。
ガラムとズーグは、はるか手前で皆の足を止めさせた。
これより先は、聖地ロロのお膝元である。そこへいきなり、ゾアンたちが見たこともない巨大な生物に曳かせた荷車で乗り入れ、ドワーフたちを引き連れていけば、無用な騒動を引き起こしかねない。
そう判断したふたりは、まずは先触れの戦士を走らせると、安全を確認するために荷車やドワーフたちをその場に留めたまま、自らも先に聖地ロロへと歩き出した。
そうして聖地ロロを囲んでいる天幕の輪の外周近くまで来ると、自分らを待ち構える数えきれないほどの群衆の姿が見て取れた。
やはり見慣れぬ荷車とドワーフの姿に、思った以上に警戒されている。
そう思ったふたりは、不埒な真似をする輩が出ないとも限らないと警戒の念を強めた。
そして、群衆から指呼の距離まで来たところで、ふたりは足を止める。
「俺はゾアン十二支族がひとつ〈爪の氏族〉が族長、ビナガの息子、ズーグ! 字は《怒れる爪》だ!」
まずは、ズーグが名乗りを上げた。
「我はゾアン十二支族がひとつ〈牙の氏族〉が族長、ガルグズの息子、ガラム! 字は、《猛き牙》」
次いで名乗りを上げたガラムは、さらに叫ぶ。
「我らは巫女頭様の招きにより、聖地ロロに参上した! 道を開けられよ!」
そして、ふたりは不埒な真似をする気ならば、ただではすまさぬぞと全身に気迫をみなぎらせ、群衆らを睨みつける。
ところが、群衆から上がったのはガラムの大音声すらかき消すほどの巨大な歓声だった。
「おお! 《猛き牙》と《怒れる爪》だ!」
「平原の二大英雄の到着だぞ!」
「大族長《猛き牙》に、獣の神の誉れあれ!」
その叫びを皮切りにして、群衆がふたりを押し包むようにして殺到した。
男たちが周囲で拳を振り上げて歓声を上げる中で、子供たちに身体中を触られまくる。そして、乳呑児を抱く母親たちに「ぜひ、この子を抱いてくれ」と我が子を差し出され、ふたりは目を白黒させながら次々と赤子を抱いていく。
「まったく、あのふたりは何をやっているのだ……」
長旅で疲れた蒼馬を一刻も早く休ませてやりたいというのに、一向に埒が明かない様子を遠目で見ていたシェムルは舌打ちをひとつ洩らすと、もみくちゃにされているふたりの許へ駆けて行った。
「おいっ! 道を開けてくれ! 通れぬではないかっ!!」
シェムルは、群衆の上げる大音声にも負けじと声を張り上げる。
すると、シェムルに気づいた人から徐々に静まって行く。まるで潮が引くように静かになって行くゾアンたちだったが、それに代わって無言の熱意が高まって行くのをシェムルは感じた。
「ば、馬鹿! おまえが顔を出すな!」
周囲が静まったのに、ようやくシェムルが来ていたのに気づいたガラムは焦りを浮かべる。
しかし、そのガラムの警告の声は遅かった。
「御子様だぞぉー!」
その絶叫を皮切りに、ガラムやズーグの時よりもさらに熱狂的な叫びが群衆の中からほとばしる。
「え? は? な、なんだ?!」
戸惑うシェムルの前で、男たちは歓喜の絶叫を上げ、女たちは感涙にむせび泣く。そればかりか多感な少女たちの中には感極まって卒倒する者が続出し、信心深い老人らはシェムルに向けてその場で両膝をついて礼拝を始めてしまう。
これは、まずい。
そう思ったシェムルは、急ぎ踵を返すと四つ足となって蒼馬の乗る幌馬車へと逃げ出した。
しかし、それで治まる群衆ではない。
平原のゾアンにとって三十年来の悲願である平原奪還を成し遂げた両雄ばかりか、めったにお目にかかれない偉大なる獣の神の御子の登場である。もはや興奮のあまり我を忘れた群衆は、目を血走らせてシェムルを追いかけ始めた。
このときのことをシェムルは、後にこう語っている。
「あいつらの目は、飢えた狼の目だった」と。
幌馬車の中に飛び込んだシェムルが、後ろ手で幌を固く握りしめて閉じてすぐに、幌馬車は興奮した群衆に取り囲まれてしまう。同行していたゾアンの戦士たちが幌馬車を守るために慌てて壁を作るが、今にも押し破られそうだ。興奮する群衆を鎮めようと戦士らは叫ぶが、何とかその姿を一目見ようとシェムルの名前を連呼する大歓声の前には焼け石に水である。
「すごい人気だね、シェムル!」
割れんばかりの大音声に蒼馬は両手で耳をふさぎながらシェムルに向けて叫んだ。そうしなければならないほど、幌馬車を取り囲んだ群衆は大きな声を張り上げている。
「じょ、冗談ではない。あいつら、私を取って食うつもりか?!」
後ろ手に幌を固く合わせるシェムルは、全身の毛がぶわりと逆立っていた。
◆◇◆◇◆
その騒動は、押っ取り刀で駆けつけてきた〈目の氏族〉の戦士らによって何とか鎮められた。
「皆様の到着のために道を開けようとしたところ、かえって到着が知れ渡り、このような騒ぎになってしまい、まことに申し訳ない」
ひたすら頭を下げる〈目の氏族〉の戦士に先導され、蒼馬たちと荷馬車は聖地ロロの間近まで通された。聖地ロロの近くは族長や巫女たちなどの重要人物のために確保された区画で、さすがにそこまでは群衆もやって来られない。それに蒼馬たちは、ようやくホッと安堵の息をついた。
「さすがに驚いた」
豪胆で知られるガラムとは言え、先程の群衆の熱狂には度肝を抜かれた。ズーグも「まったくだ」と強くうなずく。
「俺なんぞ、何人かに毛を抜かれたぞ」
大英雄にあやかりたい人によって引き抜かれた毛の痕がヒリヒリとするのか、先ほどからズーグは身体中をまさぐっていた。
「ご到着早々に申し訳ございませんが、ロロの上で巫女頭様がお待ちになっております。――ですが、ロロはゾアンの聖地。その上に登れるのは、《猛き牙》と《怒れる爪》と御子様。そして、族王となられる人間の方だけでございます」
その戦士の言葉をドヴァーリンとジャハーンギルに伝えると、ドヴァーリンは「わしはかまわん」と一言で返し、ジャハーンギルは興味なさそうにあくびをしただけであった。
他のドワーフたちとともに、割り当てられた場所へ幌馬車と荷車を運んでもらうようにふたりにお願いした蒼馬は、いよいよロロ登頂への登山道に案内される。
「これを登るの……?」
そう蒼馬が救いを求めるように確認したのも無理はない。
蒼馬が案内された登山道の入り口で見たのは、登山道とは名ばかりで、ほとんど断崖絶壁と言っても良いロロの側壁をぐるりと螺旋を描くようにして階段状に打ち込まれた丸太の杭であった。当然だが、手すりなどはない。万が一、木の杭が折れたり、風で飛ばされたりして落ちれば一巻の終わりである。
上を見上げれば、ロロの頂上ははるか彼方だ。高さ八十二メートルと言えば、現代日本ならば二十五階から三十階もあるビルの高さともなる。そんなところへこんな丸太だけを足場にして登らなければならないのだから、蒼馬が尻込みするのも無理はない。
「ソーマ、後がつかえている。早く登れ」
シェムルにせっつかれた蒼馬は、泣きそうな顔で振り返る。すると、シェムルは情けないと呆れ返った。
「おまえは恩寵のおかげで足場が折れる心配がないから良いではないか」
いや、あの性悪な女神は「杭が抜けるぐらいは、壊れるって言わないから」って平気で言う奴だ。
そう思ったが口には出さず、蒼馬は半泣きの表情でロロを登り始めた。
「お待ちしておりました。《猛き牙》、《怒れる爪》、《気高き牙》、そしてソーマ様」
登り始めてから半刻(約一時間)もかけて、ようやくロロの上に立った蒼馬たちを迎えたのは、巫女頭の妹であるシュヌパだった。緊張と疲労で、その場で手をついて息を荒げ、返事もままならない様子の蒼馬に、シュヌパはクスッと笑いを洩らす。
「大丈夫ですか? これでも今日は風が弱く、登りやすいのですよ」
今も耳元では、びゅうびゅうと風がうなっているのに、これのどこが弱いんだと蒼馬は文句を言ってやりたかったが、とてもそんな気力は残っていなかった。
いい加減にしっかりしてくれとシェムルに尻を叩かれ、ようやく蒼馬が立ち上がると、シュヌパは蒼馬たちを巫女頭のところへ案内すると言って歩き出した。
ロロの頂上は、まるで人の手で丁寧に削られたように平らであった。そこは、強風のために植物が根付かないのか、わずかな地衣類を除けば植物の姿はなく、赤い岩肌が剥き出しのままのである。
そんなロロの頭頂を見回しながら、先に立って歩くシュヌパに蒼馬は尋ねた。
「巫女頭様って、どのような方なんですか?」
シェムルたちに尋ねても、普段は〈目の氏族〉の聖地にこもっている巫女頭を直接知る者はいなかった。これから顔を合わせるのに、多少なりとも予備知識が欲しかったのだが、その質問にシュヌパがピタリと足を止める。
「……そういえば、皆様は巫女頭様にお会いするのは初めてでいらっしゃいましたね」
何だかおかしな口振りに、蒼馬はシェムルと顔を見合わせる。
シュヌパは再び歩き出しながら、ずいぶんと言葉を選びながら語り始めた。
「巫女頭様は、とうてい言葉では言い尽くせない方です。大胆と言うか、勝手気ままと言うか、身勝手と言うか……」
何だか、どんどんと表現が悪くなっている。
「皆さま、巫女頭というものに幻想を抱いてはいけません。巫女頭という地位と、その人格とは、決して比例しないのです。なぜ、あのような人を先代の巫女頭様が後継に任じたのか、私は理解に苦しみます」
シュヌパの口ぶりに不穏なものを感じ取った蒼馬たちは不安になる。
いったい巫女頭とは、いかなる人物なのか?
そんな懸念を抱く蒼馬たちが案内されたのは、ロロの東端であった。そこには山から切り出した巨木を丸々一本使って彫り出した大きな祖霊の柱が建てられており、一番上に彫られた獣の神の顔がはるか頭上から蒼馬たちを睥睨しているようである。
そんな祖霊の柱の根元には、大きな天幕が張られていた。〈牙の氏族〉の村においてガラムが寝起きしていた族長用の天幕と同じくらい大きな天幕には、きらびやかな刺繍が施され、住居と言うより祭祀の場として使われているのを察せられる。
その天幕の入り口に垂らされた二枚の毛織物の前でシュヌパが咳払いをすると、中から「誰だい?」と気だるげな女の声が聞こえてきた。
「〈牙の氏族〉と〈爪の氏族〉の両族長と、偉大なる獣の神が御子《気高き牙》、そして族王となられる、彼の女神の御子様が参られました」
「……ああ、待ってたよ。入っておくれな」
その返事にシュヌパが手を二度打つと、天幕の入り口の両脇に控えていた巫女たちが一礼をしてから、入り口を覆っていた二枚の毛織物を左右に開いていく。
前に立つシュヌパの脇から垣間見える天幕の中には、果実や狩った牛や兎などが捧げられた祭壇が設えられており、その向こうには獣の神を象った木像が安置されていた。
そして、祭壇の前には、宝玉や動物の牙や骨で作られた無数の装飾品を自前の毛皮の上に直接飾りつけたひとりのゾアンの女性が、敷き詰められた敷布の上でしどけない格好で寝転んでいる。
シュヌパの姉なのだから、おそらくは三十歳半ば以上過ぎた年齢だろう。穏やかで理知的なシュヌパの姉であり、巫女たちを束ねる頭というので、蒼馬は巫女頭に中年貴婦人のようなイメージを持っていた。
ところが実際に見た巫女頭は、いまだに顔だけではゾアンの性別も見分けられない蒼馬にも熟れた色気のようなものが感じられる妖艶な雰囲気のゾアンの女である。
巫女頭はジャラジャラと身体中の装飾品を鳴らしながら、日本の煙管によく似たパイプから吸った紫煙をすぼめた口で吐き出した。
「良く来たね。――今、ちょうど奉納の舞いを終えたところでね。こんな格好で失礼するよ」
しかし、次の瞬間、シュヌパが血相を変えて叫ぶ。
「巫女頭様! 大事な客人の前で、何て恰好をしていらっしゃるのですかっ?!」
いつもは穏やかな印象しかないシュヌパが、声を荒げるのに蒼馬はびっくりした。
しかし、そんなにシュヌパが慌てふためいている理由がわからずに蒼馬が困惑していると、その頭を後ろからシェムルがいきなり両手で挟み込むと、強引に顔を横に向けさせる。
いったいどういうことだと驚いた蒼馬だったが、ガラムとズーグが気まずそうに顔を逸らしているのに、ようやく思い当たる。
毛皮のせいで人間の蒼馬にはわかりにくいが、巫女頭の今の姿はゾアンにとっては全裸に当たるのだろう。
「皆の者、早く巫女頭様の御召し物を用意して!」
シュヌパの叫びに、周囲に控えていた巫女たちが慌ただしく動き回る気配がする。
「え~。どうせ、また儀式になれば脱ぐんだし、このままで良いじゃないか。それに重いし、動きにくいし……」
「巫女頭様は、お黙りくださいっ!」
まるで拗ねた子供と、その戯言を叱りつける母親のようなやり取りを背中で聞きながら、蒼馬たちはどう反応して良いのやら困り果ててしまう。
しばらくして、ごほんっとシュヌパの咳払いが聞こえた。
「大変お見苦しい姿をご覧に入れ、申し訳ございませんでした。改めて巫女頭様を紹介いたします」
それにようやく蒼馬たちが振り返ると、そこでは「あたしの裸のどこが見苦しいんだい?」と茶々を入れ、またもやシュヌパに牙を剥いて威嚇されている巫女頭が着飾った姿で座っていた。
巫女頭が着ているのは、他の巫女たちが白い装束なのに対し、赤い糸で精緻な刺繍をびっしりと施した衣装である。頭に被るのも頭巾ではなく、金魚鉢か宇宙服のヘルメットのような大きな丸い帽子だ。服と同じく赤い刺繍で埋め尽くされた帽子には金や銀の鎖や瑪瑙や瑠璃のような貴石、そして突き立てられた鳥の羽根で飾られている。
巫女頭は、装飾品をジャラジャラと鳴らしながら両手を大きく開いて歓迎を表す。
「あたしが、巫女頭さね。あいにくと俗世の名前は捨てちまったんで、巫女頭か大巫女と呼んでおくれ」
巫女頭が告げたのは、憎き人間である蒼馬が族王となるのを快く思わない一部のゾアンの存在であった。彼らは聖地ロロの近くに集まり、蒼馬が族王を襲名するのならば大祭ボロロを台無しにするのもやむなしと言う強硬に主張していたのである。
その中心にいるのは――。
巫女頭「《荒ぶるたてがみ》メヌイン・ヌルガ・マンバハさね」
それは、かつて平原最強の戦士と呼ばれた男。
そして、ガラムと深い因縁を持つ男だった。
次話「荒ぶるたてがみ」
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聖地ロロ=ウルル(エアーズロック)+デビルスタワー




