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神を喰らって神剣になった私と冷徹な死神~妹に裏切られ神の贄にされた令嬢は帝都の軍人に溺愛される~  作者: あさづき ゆう
序章

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2/16

神に食われる女と神を屠る男2

 深夜。

 美しい月が下界を照らす。冬に向かう寒空の下、結衣は辰見に先導され歩く。この日のための引き振袖は先代が用意してくれた。美しい白地に、金糸で模られた牡丹の花が咲き誇る。裾を引きながら、呼吸を整えた。

 継承の儀式の手順は簡単だ。神を祀る社に赴き、継承の祝詞を上げるだけ。


(落ち着くのよ。冷静であれば、決してこれは牙をむかない)


 次第に近づく社をまっすぐに見据える。これからは自分が当主なのだ。この先何十年も、次の後継者に引き継ぐまで自分の中で飼いならす。

 怖いと思う、恐ろしいとも思う。でも、祖父に教育されたすべてを使い、その責務を果たしていくだけ。


「七条結衣様。神への宣誓を」


 辰見が横に控え、そう促す。結衣は小さく頷いて、社へと手を伸ばした。その瞬間、目の前が真っ赤に染まった。どろりとした赤黒い何かが頭上から落ちてくる。生臭い臭いが、鼻を突く。同時に、がらんと石畳の上を転がる音が響く。


「あら、綺麗な赤ね。ふふ、お姉様は生臭い方がお似合いだわ」


 厳かな場にふさわしくない、明るい声に結衣は振り返った。そこには結衣と同じ白い引き振袖を着た美結が立っていた。


「なんてことを!」

「うるさい! すべて同じなのに、少し早く生まれただけで当主に選ばれるなんて私は認めない! さっさと譲らないお姉様が悪いのよ」

「そうじゃないのよ。当主の条件は」


 結衣は祖父から聞いた美結では駄目な理由を話そうと口を開いた。だが、最後まで言えない。赤黒く汚された祭壇から、ミシリ、と何かが壊れる嫌な音が響いたのだ。


「なんの音?」

「ほら、お姉様、神が顕現するわ!」


 どこかはしゃいだ様子で、美結は祭壇を指さした。祭壇から節くれだった黒い手が現れた。結衣はその手に見覚えがあった。


「このままでは神は血で穢れて、眠りから覚めてしまう。止めないと」

「お姉様は後継者なんだから、どんな神でも飼いならせるはずよね? できなかったらどうなるのかしら?」


 結衣は揶揄する美結を無視し、祝詞を上げようと息を吸った。その瞬間、地が割れるような地響きが走る。祠が内側から押し潰され、崩れた。祖父を喰らった異形の神が姿を現した。

 あの時と違い、今は実体だ。その姿に動けなかった。ゆっくりと腕が向かってくる。


「結衣様、逃げてください!」


 我に返った辰見が、結衣を突き飛ばした。そして、懐から小刀を取り出し、簡易の神封じを行う。


「穢れし神よ、封じられたまえ」


 だが、それをあざ笑かのように神の手が辰見の持つ小刀を破壊する。同時に、彼を掴み上げ、そのまま握りつぶした。辰見の体が一瞬震え、目の光が消える。


「辰見……?」


 泣いていた時にいつも慰めてくれた優しい手が、そこに落ちている。結衣は辰見を助けようと、震える足で立ち上がった。

 結衣の目の前で異形の神はゆっくりと辰見の手を拾い上げると、そのまま口の中に放り込んだ。目の前で、辰見が物言わぬ肉塊となって転がっている。祖父が死に、さらに良い理解者である辰見まで。結衣は現実を受け入れられず、茫然とした。


「あーあ、辰見ったら馬鹿ね。神の動きを邪魔したら、殺されるに決まっているじゃない」


 恐ろしさを感じないのか、美結はきゃらきゃらと鈴の音のような声を立てて笑う。その異常さに、ようやく結衣は気付いた。これは本当に自分の知っている妹なのだろうか、と凝視する。


「……あなたは、異形の神を荒神にしてしまったのよ!? どうして笑っていられるの!」


 結衣の声が、自分でも驚くほど低く響いた。悲しみは、一瞬でどろりとした殺意に変わる。


「私が当主にならないなんて、おかしいからよ。変えられないっていうから、こうして正しているんじゃない」


 美結は軽やかに結衣に近づき、その細い指先で結衣の胸元に触れた。


「――神宿る器の証、血の導きを我が元へ。『依り代』」


 その呪詛を聞いて、慌てて美結を押しのけた。だが、その程度では呪詛は振り払えない。当主の座を奪うために両親と美結が裏で用意していたのであろう卑劣な略奪の呪詛は狙いを定めて、結衣に襲い掛かる。祖父から受け継いだ力がぱつんと断ち切られ、美結の方へと強制的に流れ込んでいく。突然の喪失感に、愕然とする。


「美結っ……!」

「あはっ、これで神様はお姉様を贄として認識するわ。じゃあね、お姉様。お役目、ちゃんと果たしてね」


 美結は笑いながら、結衣を力いっぱい異形の神の前に突き飛ばした。力を奪われた衝撃で、ふらついた体を維持できない。あっと思った時には遅く。結衣の頭と体が異形の神に掴まれた。


(喰われる……!)


 痛みを覚悟して目を固く閉ざした。ドスッ、と鈍い肉音と、異形の神の空気を引き裂く恐ろしい叫び声が響いた。恐る恐る目を開ければ、異形の神の手に短剣が刺さっている。


「誰っ! 余計なことを!」


 美結が舌打ちしたのと同時に、再び呪詛を投げつけた。力を増幅された異形の神は結衣の肩に噛みつく。

 食いちぎる勢いで噛みつかれ、結衣は目を見開いた。祖父が遺してくれた美しい白い引き振袖が、結衣自身の鮮血で汚れていく。助けを求め、視線を美結に向ければ、彼女は楽しそうに目を細めただけだった。

 儀式は簡単なはずだった。それが今、この場所は血の匂いで溢れかえっている。


「お姉様の当主への熱意って、その程度なのね。もうちょっと抵抗するかと思っていたのに。でも、これで私が当主だわ」


 美結は無抵抗に喰われ始めた結衣にがっかりした表情を浮かべた。それをぼんやりと眺めることしかできない。振り払うこともできず、体を動かすこともできない。ただ、異形の息遣いだけが耳に入ってくる。不思議と痛みはあまり感じなかった。ただすべての感覚が遠のいていく。


「うわ、間に合わなかった! 荒神に変貌しているじゃないか!」

「……継承の儀式は失敗だ。これより、神を屠る」


 その声の主が、ゆっくりと結衣の視界に入った。黒の詰襟にズボン、そして黒の外套。腰には特徴的な一振りの刀が差してある。


(帝直属……死神。こんなことになるなら彼を待つべきだった)


 継承がうまくいかなかった事実に唇を噛みしめる。だが、彼らがいれば助かるかもしれない。ほんのわずかだけ目に生きる光がともる。


「えええ、失敗って! 真人、その子、早く助けないと」


 割り込んだ声を辿れば、暴れる美結の腕をがっちりと掴んでいる男がもうひとりいる。彼が短剣を投げた人のようだ。真人は結衣を見たまま言った。


「助ける必要があるのか? 継承に失敗した者に価値はない」

「いや、見捨てるのはちょっと心にくるというかさぁ」


 男が歯切れの悪い言葉を返す。結衣にしても、自分が当事者でなければ頷くしかない話だった。


「ちょっと、あんたたち誰よ! 余計なことをしないで!」


 美結の怒鳴り声が響いてくる。


(ああ、誰も……助ける気がない)


 胸の奥がひどく重くなる。何のために八年も当主になるための勉強をしてきたのか。こんな最期を迎えるためではない。

 ここで死んでしまったら、美結が継承者となる。それは絶対に許せなかった。

 だが、そんな彼女の気持ちなど知らずに、どんどんと神が侵食してくる。自分を喰らっている神を支配しなくては、そう思うのにうまくできない。


「この家を破壊した美結を継承者にするなんて、冗談じゃないわ」


 せめてこの神の勢いを弱める方法がないか、必死に考えていると、男の腰にある刀が目に入った。少しでも浸食を止めるために、結衣は最後の力を振り絞って男の刀に手を伸ばした。鞘から刀を引き抜き、そのまま自分ごと神を貫いた。中に入っていた神が声にならない悲鳴を上げる。

 その声ならぬ声に、結衣はこの刀が神を滅ぼすものだと気づく。


「うわっ、思い切りよすぎ」


 喉を逆流した熱い血が口から溢れ、視界が星でも散ったかのように爆ぜる。同時に、自分の中で神が暴れ始めた。結衣を取り込もうと必死に抵抗してくる。


(――このまま喰われるくらいなら、喰らってやる。大人しくし従いなさい!)


 だが、暴れる神を抑えておくには力が足りず、今にも意識が飛びそうになる。必死に剣を持つ手に力を入れるが徐々に弱くなっていった。


(もう少し、もう少しだけでいい、持って!)


「お前、その化け物を喰うつもりか」

「真人、早く神剣を抜け! 取り返しがつかなくなるぞ」

「あいつはそう言っているが、お前、どうしたい?」


 対照的な男たちの会話が耳に届く。こちらを覗き込む男の目をきつく睨む。そうでもしないと、意識が保てない。


「美結にだけは、絶対にこの力を渡さない。そのために私は……生きる。人ではない何かになったとしても」


 苦しさを滲ませて言葉を吐き出せば、真人の目から値踏みする色が消えた。代わりに、仄暗い歓喜が静かに灯る。その変化を、結衣は見逃さなかった。真人をまっすぐ見返す。


「上等だ。生き残りたいなら、その覚悟を見せろ」


 真人は薄く笑みを浮かべた。彼は結衣が剣を握る手の上から手を重ねて、一気に結衣の胸へと刃を押し込む。全身の力を込めて、大きな体が覆いかぶさる。


「かはっ」


 真人の言葉を認識する前に、ぐっと何かが体に入り込んできた。抗えないほどの熱の塊に、息が詰まる。目を大きく見開くと、真人の目と交わった。無関心な先ほどの目とは違い、ほの暗い執着を宿している。顔が触れてしまいそうなほど覗き込まれ、彼の長めの黒い前髪が結衣の白い額に触れる。

 ただただ彼を見つめれば、体の奥でぱきりと何かが折れた。そして、一気に熱が暴れ始める。


(熱い、熱い、熱い……!)


 脳髄まで焼け焦げそうな、圧倒的な暴力的質量。

 先ほどの神に喰われるときに感じた、冷たい死の恐怖じゃない。全身の血管に灼熱の溶岩を流し込まれているかのような、燃える紅い火。それが、結衣の輪郭を、内側からじっくりと確かめるように舐め削り、作り変えていく。

 痛い。死ぬほど痛いのに、不思議と心地よさが混ざり合う。これは、この男の持つ、魂の色そのものだ。それが不思議と、嫌じゃなかった。

 体がばらばらになるほどの炙られる痛みに耐え、唇を嚙みしめる。


「生き残るつもりなら耐えろ」

「おい、真人! そんなにお前の神力を注いだら、マジで人でなくなるぞ!」


 真人をもうひとりの男が止めようとするが、止まらず結衣の中へと流し込む。

 限界を感じつつも結衣はこれでは足りないと、直感的に悟った。このままではただ死ぬだけ。それでは駄目なのだ。結衣の願いはかなえられない。


「足りない……もっと……神力をちょうだい」

「苦しいぞ。だが、お前にはできるはずだ」


 ぐっと男の燃える火が襲い掛かってきた。先ほど以上の恐ろしいほどの熱量に、この男は何だろうかと疑問が脳裏によぎった。だがそれも一瞬ですぐに神力を受け止めるだけで精いっぱいになる。

 美結の思い通りにはさせない。そして、この男の狂気に、絶対に負けたくない。

 結衣は強く願い、こちらを試す目を向ける真人に美しい笑みを返した。




 どのくらいたっただろうか。

 ふっと、体が突然楽になった。意識が遠くなっていく。だけど、自分が死んだとは思わなかった。そう、生を勝ち取ったのだ。そのことに安堵しながらも、心の底は冷え切っていた。

 継承の儀式は失敗した。建国以来、神を祀る家としてその力を誇っていた名家が地に落ち、異形の神は力を失った。結衣が生き残ったことで、美結は次期当主にはなれず、継承は途絶える。


(祖父も死んだ。辰見も死んだ。……これで、いいのよ)


 そう強く思った瞬間、悲しそうな祖父の顔が見えた気がした。


「よくやった。ゆっくり休め」


 意識が完全に落ちる前に、男の大きな手が頬に触れた。ひどく熱い手のひらがとても心地いい。ほっと力を抜くと、ゆっくりと体が持ち上がった。

 薄く目を開ければ、死神の顔が見える。そのまま祠の方へ視線をやれば、そこには穢れが目に入った。もうひとりの黒曜の男に抑え込まれている美結は先ほどと変わらぬ様子だ。それだけ確認して、結衣は唇の端を持ち上げた。

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