第96話:冬の日の手紙と勇者の答え
ポート・ソレイユの友人たちが帰ってから、季節は、ゆっくりと、その姿を変えていった。
燃えるような、秋が過ぎ、アイアンロックの山々には、静かな、冬が、訪れる。
丘の上の、私たちの家にも、初めての、冬。暖炉に、赤々と、火が燃え、外では、しんしんと、雪が、降り積もる。
アレンは、子供たちと、巨大な、雪合戦に、興じている。レオナルドは、冬の、保存食を使った、温かい、シチューの、完成に、心血を、注いでいる。そして私は、暖炉の、そばの、椅子に、深く、腰掛け、これまでの、旅の、記録を、一冊の、本へと、まとめる、作業に、没頭していた。
これ以上、望むものなど、何もない。
完璧な、までに、穏やかで、幸福な、時間だった。
そんな、ある日の、午後。
吹雪の中を、ものともせず、一人の、屈強な、配達人が、私たちの、家を、訪れた。彼が、差し出したのは、魔法で、防水加工された、一通の、巻物。
そこに、押されていたのは、エルドリア王立アカデミーの、賢者の、杖の、紋章。
私たちの、旧友、オルダス卿からの、手紙だった。
私は、その封を、切り、記された、古代文字を、ゆっくりと、読み解いていった。
手紙には、まず、喜ばしい、報せが、綴られていた。
エルドリアの、改革は、順調に進み、アカデミーは、今や、世界中から、学者を、受け入れる、開かれた、学問の、府として、生まれ変わりつつあること。私たちが、救った、陽の落ちない街、エセルバーグからも、科学者の一団が、訪れ、魔法と、科学の、共同研究が、始まったこと。
世界は、私たちが、繋いだ、絆によって、確かに、一つに、なろうとしていた。
だが、手紙の、後半。
そこには、私の、心を、大きく、揺さぶる、一つの、新たな、謎が、記されていた。
オルダス卿は、ヴェリタスの、反逆の後、禁術「勇者召喚」に関する、全ての、資料を、封印するのではなく、その、危険性を、完全に、解明するための、研究を、続けていたのだという。
そして、彼は、発見したのだ。
勇者召喚を、行った、大魔術師ゼノンが、その、晩年、密かに、研究していたという、一つの、対なる、禁術を。
『――それは、「帰還の道」と呼ばれている』
オルダス卿は、書いていた。
『ゼノン師は、自らが、犯した、神の領域への、介入を、深く、悔いていたようだ。彼の、最後の日誌には、召喚した、勇者の魂を、もし、本人が、望むのであれば、安全に、元の世界へと、送り返すための、儀式の、研究が、記されていた』
『だが、その、研究は、未完成だ。儀式には、「共鳴の水晶」と呼ばれる、特殊な、触媒が、必要不可欠だが、その、在り処が、記されていない。ただ、「空と、大地が、交わる、眠れる、巨人の、地にて」という、謎めいた、言葉が、残されているだけだ』
私は、その、手紙を、読み終え、暖炉の、前で、うたた寝を、していた、アレンを、見つめた。
彼が、元の世界へ、帰るための、道。
その、可能性が、今、示されたのだ。
私は、レオナルドも、呼び寄せ、手紙の、内容を、二人に、話して聞かせた。
レオナルドは、ただ、静かに、その、言葉の、意味を、噛みしめている。
そして、アレンは。
彼は、生まれて初めて、聞かされた、自らの、「帰郷」の、可能性に、ただ、呆然と、していた。
彼が、いた、世界。彼の、本当の、故郷。友人。家族。
それらが、彼の、脳裏を、よぎっているのが、私には、分かった。
長い、長い、沈黙の後。
アレンは、ふっと、息を、吐き、そして、いつものように、笑った。
それは、無理した、笑顔ではない。心の底からの、穏やかで、そして、吹っ切れたような、笑顔だった。
「そっか。俺、帰れるんだな。……考えても、みなかったぜ」
彼は、そう言った後、私の、目を、まっすぐに、見て、続けた。
「でもさ、イザベラ」
「俺の、家は、もう、ここにあるんだ。あんたたちが、いる、この場所が、俺の、帰る場所なんだ。……今更、他の、どこへ、帰れって言うんだよ」
それは、選択ではない。
彼にとって、それは、もはや、揺るぐことのない、ただ一つの、真実だった。
彼の、魂は、完全に、この世界に、根を下ろし、そして、私たちの、隣に、いることを、選んだのだ。
この、最後の、自己決定によって、彼は、「召喚された兵器」という、最後の、呪縛からも、完全に、解き放たれた。
私の、瞳から、涙が、溢れた。
私が、ずっと、聞きたくて、しかし、怖くて、聞けなかった、その、答え。
彼は、それを、あまりに、あっさりと、そして、温かく、私に、告げてくれた。
「……そうですわね。ですが」
私は、涙を、拭い、策略家の、顔に、戻って、言った。
「『共鳴の水晶』などという、危険な、力を持つ、アーティファクトを、野放しに、しておくのは、問題ですわ。『眠れる巨人の地』というのも、なかなかに、興味を、そそられる場所ですし」
私は、オルダス卿への、返信を、書き始めた。
『その、場所、心当たりが、ございます。春になり、雪が、解けましたら、我らが、調査へと、向かいましょう。帰還の道を、探すためでは、ありません。その、扉が、二度と、開かれぬよう、この手で、確実な、鍵を、かけるために』
私たちの、穏やかな、引退生活は、どうやら、もう一つだけ、小さな、冒険を、残しているようだった。
それは、誰かに、与えられた、使命ではない。
私たちが、自らの、意志で、選び取った、世界の、後始末の、ための、最後の、旅。




