第74話:真の聖者の奇跡
王都の中央広場は、混沌の坩堝と化していた。
偽りの聖女の失墜。王太子の狂乱。民衆の、希望から裏切りへと転化した、爆発寸前の、怒りのエネルギー。
まさに、その、一触即発の、極限状態の中に、レオナルドとアレンは、静かに、足を踏み入れた。
「裏切り者め! あの悪女の、手先だな! 衛兵、何をぼやぼやしている! あの者どもを、捕えよ! 殺してしまえ!」
王太子が、バルコニーの上から、金切り声を上げる。
彼の、狂信的な、一部の、近衛兵たちが、剣を抜き、二人へと、向かおうとした。
だが。
彼らの前に、立ちはだかったのは、アレンの大剣ではなかった。
名もなき、民衆だった。
西の地から、彼らを、信じ、ついてきた、何千という人々が。そして、今、この場で、全てを、目の当たりにした、王都の、市民たちが。
武器も持たずに、ただ、その身一つで、固い、人間の壁を作り、衛兵たちの、行く手を、阻んだのだ。
彼らは、もう、偽りの権力には、屈しない。
自らの、意志で、本物の希望を、守ることを、選んだのだ。
アレンは、その、民衆の盾の、さらに前に立ち、ただ、静かに、レオナルドを、守っている。
そして、当の、レオナルドは、その、全ての、政治的な、混沌には、一切、目を、くれなかった。
彼の、慈愛に満ちた瞳が見つめていたのは、ただ、一つ。
広場の中央で、黒く、死んでいる、大地だけだった。
彼は、ゆっくりと、その場所へと、歩みを進める。
民衆の壁が、モーセの海のように、彼のために、道を開けた。
レオナルドは、呪われた、土の上に、静かに、膝をついた。
彼は、天に、派手な、祈りは、捧げない。
ただ、その両手を、黒い、大地に、置き、「慈愛のレガリア」の、温かな光を、輝かせた。
そして、祈り始めた。
それは、奇跡を、求める、祈りではない。
大地、そのものへの、謝罪と、鎮魂の、祈りだった。
「おお、母なる、大地よ。我ら、愚かなる、人間の、傲慢が、貴女を、深く、傷つけました。……どうか、お許しください。この、ささやかなる、我が身を、器として、貴女自身の、癒しの力が、再び、この地に、満ちることを」
彼から、溢れ出した、神聖な力は、呪いを、無理やり、浄化するのではない。
大地が、本来、持っていた、生命力を、癒し、そして、呼び覚ましていく。
すると、奇跡が、起こった。
黒く、死んでいた、土が、その呪いを、解き放たれ、柔らかな、生命力に満ちた、本来の、色を、取り戻していく。
そして、そこから。
リリアーナが、見せた、哀れな、数本の、芽ではない。
力強い、生命力に、満ち溢れた、生き生きとした、緑の若草が、まるで、美しい、絨毯のように、みるみるうちに、広場、一面に、広がっていったのだ。
それだけではない。
草の間からは、色とりどりの、可憐な、野の花々が、次々と、その花を、咲かせていく。
ほんの、数分前まで、死と、絶望の、象徴だった場所が、今、生命と、希望に、満ち溢れた、美しい、花畑へと、生まれ変わっていた。
それは、誰の目にも、明らかな、ごまかしようのない、本物の、そして、あまりに、美しい、奇跡だった。
広場は、一瞬の、静寂の後、割れんばかりの、歓声に、包まれた。
それは、もはや、怒りではない。
純粋な、喜びと、信仰の、熱狂だった。人々は、その場に、膝をつき、涙を流しながら、新しい、本物の聖者の名を、讃えた。
王太子は、その光景を、ただ、呆然と、見つめていた。彼の、世界が、完全に、終わった瞬間だった。
その時、アーサー殿下と、老将軍が、一歩、前に出た。
「アルビオンの、兵士たちよ! 汝らの、忠誠は、どこにある!」
将軍の、声が、響き渡る。
「民を、飢えさせ、偽りに、固執する、狂った、王子か! あるいは、この、王国と、その、輝かしき、未来か!」
衛兵たちは、もう、迷わなかった。
彼らは、その剣の矛先を、翻し、王太子のいる、バルコニーを、包囲した。
それは、一滴の、血も、流れない、完璧な、政変の、瞬間だった。
私は、宿屋の窓から、その、全てを、見届けていた。
王太子は、捕らえられた。リリアーナは、もはや、聖女ではなく、ただの、哀れな、一人の、少女として、保護された。アーサー殿下が、国の、実質的な、最高指導者となった。
私の、描いた、脚本通り。完璧な、勝利。
胸が、すくような、思いがした。
だが、同時に、私の心には、奇妙な、虚しさが、広がっていた。
復讐は、終わった。名誉は、回復されるだろう。家族も、救われる。国も、救われた。
私の、全ての、目的は、達成されたのだ。
――では、この先、わたくしは、何を、目指せば、いいのだろうか。
悪役令嬢の、最後の戦いは、終わった。
残されたのは、その、あまりに、広すぎる、未来だけだった。




