第47話:狂った楽園と慈愛の定義
悪夢の森「生命の揺りかご」の探索は、これまでのどの冒険よりも、私たちの精神を苛むものだった。
一歩足を踏み出すたびに、新たな脅威が、その美しい牙を剥く。甘い香りで獲物をおびき寄せ、幻覚を見せて破滅させる妖しい花。獲物が近づくと、地面から無数の鋭い根を突き出して串刺しにする、巨大なキノコ。私たちの行く手を阻むように、鞭のようにしなる蔦が、縦横無尽に襲いかかってくる。
「皆様、お気をつけください! この胞子を吸い込むと、全身の力が抜けていきますぞ!」
この狂った生態系の中で、レオナルドの神聖魔法が、私たちの生命線となっていた。彼が唱える浄化の祈りは、毒の胞子や幻覚作用を中和し、私たちの周囲に、かろうじて安全な空間を作り出してくれる。
「これは、歪められてしまった哀れな生命たちへの、せめてもの鎮魂の祈りです……」
彼は、苦痛に顔を歪ませながらも、その神聖な使命を、懸命に果たし続けていた。
物理的な脅威は、アレンの独壇場だった。
「うおおおっ!」
巨大な食人植物の顎も、鋼鉄のように硬い樹皮を持つ動く大木も、彼の「力のレガリア」を宿した大剣の前では、なすすべもなく薙ぎ払われていく。
そして、私は、「知恵のレガリア」の力を最大限に活用し、この複雑怪奇な生態系の法則性や、植物たちの弱点を、瞬時に見抜いていった。
「アレン、あの蔦は、根元にある発光する瘤が弱点よ!」「レオナルド、その幻覚の花は、特定の高周波の音に弱いはず。あなたの聖歌で、対抗できるやもしれません!」
私たちの三位一体の連携は、この死の森を進む上での、唯一の道標だった。
だが、森の奥深くへと進むにつれて、私たちは、さらに胸を痛める光景に遭遇することになる。
もはや、元の生物が何だったのかさえ、判別できないほどに、複数の動物や植物が、ぐちゃぐちゃに融合してしまった、おぞましいキメラ生物たち。
鹿の体から、蛇の首が何本も生え、その背中には蝶の翅がついている。魚の鱗を持つ狼が、植物の根のような足で、ぎこちなく歩いている。
彼らは、その瞳に、絶え間ない苦痛の色を浮かべながらも、生存本能だけに従い、私たちを見つけるなり、見境なく襲いかかってきた。
「……こいつら……なんだか、すごく苦しそうだ……」
アレンが、大剣を構えながら、躊躇いの声を漏らした。
「戦いたくねえな、こんな……」
「ええ……」とレオナルドも、悲痛な表情で頷く。「彼らは、悪意があって、私たちを襲っているのではない。ただ、生きるために、この歪んでしまった法則に従っているだけなのです……」
仲間たちの優しさが、足枷となる。感傷に浸っていれば、私たち自身が、この森の新たな養分となるだけだ。
私は、心を鬼にして、非情とも思える決断を下した。
「感傷に浸っている場合ではありませんわ。わたくしたちが、この森の奥へ進むためには、彼らを『救済』するしかないのです」
「救済……?」
アレンが、訝しげに私を見る。
「ええ。この終わらない苦しみから、解放して差し上げること。……それが、今のわたくしたちにできる、唯一の『慈愛』です」
私の言葉の、本当の意味を、二人はすぐに理解したようだった。
「レオナルド。あなたの聖なる祈りで、彼らの歪められた魂に、せめてもの安らぎを与えてくださいまし」
「……はい」
「アレン。あなたのその力で、彼らの肉体を、できるだけ速やかに、苦しむ間もなく、大地へと還して差し上げなさい。手加減は、不要です。それこそが、彼らに対する、最大の優しさとなるのですから」
私の、冷徹にも聞こえる、しかし、深い思慮に基づいた言葉に、アレンとレオナルドは、覚悟を決めたように、強く頷いた。
アレンが、大剣を構え直し、苦しみの声を上げるキメラ生物に、まっすぐ向き合う。
その瞳には、深い悲しみと、そして、断固たる決意が宿っていた。
「……ごめんな」
彼は、小さく、そう呟いた。
「すぐに、楽にしてやるからな」
歪められた生命の輪廻を、その手で断ち切るために。
勇者の、あまりに悲しい一撃が、振り下ろされた。
この森の試練は、単なる戦闘能力や知恵ではない。私たちの、「命」そのものに対する向き合い方、その覚悟を、厳しく、そして静かに、問いかけていた。




