第46話:叡智の果実と生命の揺りかご
「知恵のレガリア」が、私の額に収まった瞬間、世界は、その姿を変えた。
いや、世界が変わったのではない。世界を認識する、私の「脳」そのものが、変質したのだ。
目の前にある、大図書館「真理の間」。そこに満ちる、数千年分の膨大な知識と情報が、もはや文字や記録媒体という形ではなく、純粋な「概念」として、私の頭脳に流れ込んでくる。一つ一つの情報を読み解くのではない。全体の構造と体系を、一瞬で、直感的に、理解できてしまう。
「すげえ……。イザベラの周りの空気が、なんか、キラキラして見えるぜ……」
「なんと……! これが、レガリアの力……! 彼女の知性が、さらに研ぎ澄まされていくのが、わたくしの魂にも感じられます……!」
アレンとレオナルドが、驚嘆の声を上げる。
私は、その新たなる力を使って、この図書館のデータベースの深層に、意識をアクセスさせた。目的は、残る五つのレガリアの在り処。
ほんの数分後。私は、全ての答えを得ていた。
「見つけましたわ」
私は、仲間たちに向き直り、告げた。
「三番目のレガリアは、『慈愛のレガリア』。かつて、この都市の医療と、生命科学研究の中心であった、『生命の揺りかご(ライフ・クレイドル)』と呼ばれる、巨大な植物ドームに安置されています」
だが、私の声に、喜びの色はなかった。同時に、その場所に関する、あまりに不穏な記録も、見つけてしまったからだ。
「……ただし、その場所は、魔王の襲撃によって、内部の生命維持システムが暴走。あらゆる生命体を、無差別に融合させ、変質させてしまう、悪夢の森へと、その姿を変えてしまった、とも記されています」
「生命を弄んだ、成れの果て……。なんという、神への冒涜……」
レオナルドが、悲痛な表情で胸の前で十字を切る。
「よくわかんねえけど、やばい森になってるってことか! なら、俺たちが行って、なんとかしてやろうぜ!」
アレンの、どこまでも前向きな言葉が、重くなった空気を少しだけ、軽くしてくれた。
私たちは、再び飛空艇「ホープウィング号」に乗り込み、大図書館アルケイアを後にした。
眼下に広がる、壮絶な滅びの都。その遥か南西。
やがて、私たちの視界の先に、一際異質なエリアが見えてきた。巨大なガラスドームに覆われた、広大な区画。だが、そのガラスは、あちこちが衝撃で砕け散っている。
そして、ドームの内部は、異常なまでに、色とりどりの植物が、まるでジャングルのように、鬱蒼と繁茂していた。
「……なんて、禍々しい気配」
魔王の残滓とは、また質の違う、歪んだ生命力の奔流が、そのドームから、溢れ出してきている。
私は、ホープウィング号を、ドームの大きく破損した部分から、慎重に内部へと侵入させ、比較的開けた場所に、なんとか着陸させた。
飛空艇から降りた瞬間、むせ返るような、甘く、そして腐臭の混じった植物の匂いと、じっとりとした湿度の高い空気が、私たちの体にまとわりついた。
そこは、一見すると、美しい楽園のようだった。見たこともないような、色鮮やかな花々が咲き乱れ、奇妙な形の果実が、たわわに実っている。
だが、その美しさは、どこまでも、不自然で、歪んでいた。
私たちが、息を呑んでその光景を見つめている、その時だった。
私たちの目の前で、宝石のように美しく咲いていた一輪の花が、突如として、その花弁を、肉食獣のような鋭い牙へと変質させた。そして、近くを歩いていた、ウサギとトカゲを融合させたかのような、奇妙な小動物に、目にも留まらぬ速さで襲いかかり、一呑みにしてしまったのだ。
「……ッ!」
あまりにグロテスクで、生命の理を無視した光景に、私たちは言葉を失う。
ここは、楽園などではない。
生命が、無秩序に、悪意なく、ただ、互いを喰らい合う、地獄の実験場だ。
「……どうやら、次の試練は」
私は、この歪んだ生命の森を前に、静かに、そして、冷たく、呟いた。
「わたくしたちの『倫理観』そのものを、試してくるようですわね」
第三のレガリア、「慈愛のレガリア」。
その名とは、あまりにかけ離れた、この狂った森の奥で、一体、何が、私たちを待っているというのか。




