第10話:血を流さない革命
新鉱脈発見の祝宴の熱気が、まだ町を包んでいる翌朝。
私は、ギルドマスターのボルガの目を避け、現場監督のゲルドと、彼が全幅の信頼を置く数名のベテラン鉱夫たちを、宿の一室に集めていた。
「昨夜はよく眠れましたか?」
私の穏やかな問いかけに、男たちは興奮冷めやらぬといった様子で頷く。
「当たりめえよ、嬢ちゃん! あんな宝の山を見つけたんだ、眠れるわけがねえ!」
「これで俺たちの暮らしも、ずっと楽になる……」
その楽観的な言葉に、私は静かに首を横に振った。
「いいえ。このままでは、何も変わりません」
私の言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「どういうことだ?」と、ゲルドが訝しげに尋ねた。
「考えてもみてください。新鉱脈から得られる莫大な利益は、現在のギルドの規則では、そのほとんどがギルドマスターであるボルガ氏の懐に入ります。彼はその富で、これまで以上に贅沢な暮らしをし、皆さんには、ほんの少しばかりの賃金を上乗せして与えるだけでしょう。そして、また安全管理を怠り、皆さんを危険に晒すかもしれない。喉元過ぎれば、熱さを忘れる。それが人間というものですわ」
男たちの顔から、血の気が引いていく。私の指摘が、寸分違わぬ未来であることを、彼ら自身が誰よりもよく理解していたからだ。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ……」
絶望的な声が漏れる。私は、その言葉を待っていた。
「新しいギルドを、設立するのです」
その提案は、爆弾のようだった。
「皆さん、労働者自身が組合員となり、鉱山の運営を行う。そして、そこから得られた利益は、働いた者たちで公正に分配する。町のインフラ整備や、未来への投資にも使う。そんな、新しい形の『鉱山労働者協同組合』を、このアイアンロックに作るのです」
それは、革命の提案だった。ゲルドが、ゴクリと喉を鳴らす。
「……本気か、嬢ちゃん。ボルガに、真っ向から逆らうってことだぞ。奴には、金で雇った町の衛兵もついている」
「ええ、本気ですわ。ですが、ご安心を。剣も槍も使いません。わたくしたちが使う武器は、二つ。――『法』と、『民意』です」
私は、この数日で宿屋に取り寄せ、読み込んでいた自由都市連邦ガレリアの法律書をテーブルに広げた。
「この国の法では、ギルドの新規設立は、基本的に自由とされています。そして、ここを見てください。『既存ギルドによる不当な市場の独占、及び、労働者への不当な搾取が認められた場合、連邦は新たなるギルドの活動を保護する』とあります」
私はゲルドたちに、具体的な計画を授けた。
第一に、民意の掌握。ゲルドを中心に、町の人々一人一人に新しい組合の構想を語り、賛同者を集める。ボルガを糾弾するのではなく、皆で豊かになるという夢を語るのだ。
第二に、法的武装。私が、連邦法に則った完璧なギルド設立趣意書と規約を作成する。
第三に、切り札の準備。ボルガがこれまで行ってきた不正の証拠を、労働者たちの署名付きの証言録として集めておく。
男たちの目に、再び闘志の火が灯った。それは、絶望からではなく、明確な希望に基づいた、力強い光だった。
計画は、水面下で迅速に進められた。ゲルドたちの人望は厚く、そして私への信頼は絶対的なものとなっていた。町のほぼ全ての住民が、新組合の設立に賛同するまでに、三日とかからなかった。
そして、運命の日。
町の広場に、私とゲルド、そして仕事を終えた労働者たちが全員、集結していた。その数は、家族も含めれば数百人にのぼる。
私は壇上に立つと、集まった人々を見渡し、高らかに宣言した。
「本日、この時をもって、『アイアンロック鉱山協同組合』の設立を、ここに宣言いたします!」
割れんばかりの拍手と歓声が、空に響き渡る。
その時だった。
「貴様ら、何を企んでいる! 全員、反逆罪で捕らえろ!」
血相を変えたボルガが、十数名の衛兵を引き連れて現れた。
「ボルガ様、これは反逆ではございません。連邦法に則った、正当なギルドの設立ですわ」
私は冷静に、衛兵隊長に設立趣意書と、町の住民の九割以上が署名した嘆願書を手渡した。法律と、圧倒的な民意を前に、隊長は剣を抜くことができない。
「だ、だが、鉱山の所有権は俺にある!」とボルガが叫ぶ。
「いいえ。鉱山は町の共有財産。あなたが持っているのは、旧ギルドの運営権だけ。そして、わたくしたち新組合は、旧ギルドのあなたとは、今後一切取引をするつもりはございません。組合員である町の皆が掘り出した魔力鉄鉱は、全て、新組合を通してのみ、市場に流通します」
私の言葉に、ボルガは全てを悟った。彼は、金の卵を産むガチョウそのものを、失ったのだ。
「ボルガ様。あなたは今後、旧ギルドの資産を持つ、ただの一商人に過ぎません。この町で商売を続けたければ、わたくしたちが作った、公正なルールの中で行っていただくことになりますわ」
それは、彼に対する、最大の慈悲であり、最大の屈辱だった。
ボルガは、その場にがくりと膝から崩れ落ちた。彼の時代が、一滴の血も流れることなく、完全に終わった瞬間だった。
アイアンロックに、住民たちの手による、新しい時代が訪れた。ゲルドが初代組合長に選出され、私は顧問として、利益の分配システムや、学校、病院の建設計画の基礎を築いた。
数週間後。
すっかり活気を取り戻した町の門で、私たちは盛大な見送りを受けていた。
「イリスの嬢ちゃん! アレックの兄貴! レオナルド先生! 本当に、ありがとうな!」
「いつでも帰ってこいよ!」
人々の感謝の声に送られながら、私たちは次の目的地へと歩き出す。
私たちの懐には、ボルガから正当に受け取った莫大な成功報酬。そして、背中には「錆びついた町を蘇らせ、革命を成し遂げた伝説の一行」という、金では買えない大きな名声があった。
「なあイザベラ。俺、なんだかよくわかんなかったけど、すっげえことしたんだな!」
「ええ、そうね。少しだけ、世界を良くしましたのよ」
私は微笑んで答えた。
悪役令嬢が目指した、ささやかな革命。それは、確かにこの地に、希望という名の種を蒔いた。
私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。




