30話
自信なさげなフォルク様の言葉を私は不思議に思った。
だけど、それをどう返していいのか分からずに頭の中で反芻して、返しを考えていた。
─らしい、らしい、約束していたらしい─
「⋯⋯ホリシオン、と呼んでも?」
「えっ!えぇ大丈夫ですフォルク様」
唐突に名前呼びを乞われて了承していたけれど、よく考えれば今更な話題だった。
「ありがとう、君に婚姻前に話さなかったのは申し訳なかったのだが、私には君に言っていないことがある」
「⋯⋯」
「本当ならこの事を話してこの婚姻は辞退すべきだったのかもしれないのだが、王妃命でもあって話す事を躊躇ってしまった。それに交流は短い物だったが私には楽しかったんだ」
「えっ?楽しかったんですか?」
確かに本当に短い期間ではあったけど何度か誘って頂いた。
だけどそれは婚約者の義務を果たして下さってると思っていたから、まさかフォルク様が楽しんでいたなんて思っていなかった。
私は⋯⋯どうだったかしら?
メイナを邸に住まわせていた事を知っていたし、何故か使用人経由でその事が市井でも噂になっていると聞いていた。
その割には蔑ろにされずにホッとしていただけだった。
よく考えたら姉様のお願いで始まり、フォルク様を立派なサッセルン侯爵にすることばかりを考えて、悪を排除することに専念してしまった。
途中、ゴウダハル様という思いもかけない方との出会いで自分の趣味を優先していた。
私はフォルク様個人を全く見ていなかったことに今更ながら気付いた。
もっと彼の為人を見るべきだった。
「あの、でも心に決めた方というのはメイナ嬢の事で間違いないのですよね」
「それが⋯⋯わからなくなっているんだ。私は僕は俺は⋯⋯」
フォルク様が頭を抱えながら一人称を変えながら話しているんだけど、様子が可怪しい。
そのうちに真っ赤な目をしながら此方を見つめた。
「私は所々記憶が途切れる時があって⋯あぁ!」
それだけ言うとまたもや頭を抱えだした。
「誰か!誰か来て!ケトナー卿居ないの?」
蹲り始めたフォルク様を前にして私は慌ててしまった。
私の声に反応したのは騎士ではあったけどケトナー卿ではなかった。
ただ入ってきた彼には見覚えがあった。
「お嬢様!どうされました」
蹴破るように扉を開けて入ってきた騎士がフォルク様の様子を見て、駆け寄って彼の前に膝を落とした。
肩を叩いたり背中を擦ったりしてから「運びます」と言ってベッドに寝かせてくれたけど、そういえば此処は夫婦の寝室だった。
医者を呼んでくると言って騎士は出ていった。
私はフォルク様を見つめる。
既に目を瞑った状態で額には汗が噴き出すように滲んでる。
ベッドサイドには水差ししか置いていない。
侍女を呼んでタオルと水を用意してもらおうと思って、テーブルの上のベルを鳴らそうと手に持った所で止めた。
この邸の侍女は信用できない。
私が連れてきた侍女達の所在が分からないから呼ぶのを止めた。
私はソォっと部屋を出た、廊下には誰も居ない事にホッとした。
先程の侍女はフォルク様の叱責で何処かに行ったみたいだ。
少し急ぎ目で宛てがわれた自室に戻った。
自分のハンカチを何枚か手に持ちバスルームに入る。
やはりかけ湯用の湯が残っていた。
触ると冷たい水になっていたのでこれを代用することにした。
桶とハンカチを持ち夫婦の寝室まで戻る。
ハンカチを桶に浸してフォルク様の汗を拭いた。
湯浴みの時のかけ湯が冷たいと思っていたから侍女達の嫌がらせだと感じていた。
湯浴みなのにどんどんお湯の温度が下がるのも感じていたから。
でも今回はそれが功を奏した、侍女達があまり働かない人だったのもよかったのかもしれない。
案の定湯浴み後は片付けをしていなかったから。
上級の侍女はそんな事有り得ないから悪侍女も役立つ事があったのだと考えた。
フォルク様は何を仰りたかったのだろう。
彼の様子とメイナの事、ゴウダハル様の事。
考えることは沢山あるのだけど⋯⋯。
フォルク様の汗と呼吸が落ち着いたのは、駆けつけた医者から与えられた鎮静の注射を打たれてからだった。




