第94話 預言士の末裔たち
「預言士はかつて、その貴重な能力で人間たちの力を引き出し、高度な文明を築いたのだという。神からあたえられたというその能力を使って、何もなかった地上を繁栄させていったのだ」
ヒルデブランドが空を見上げながら、たからかに演説する。
「この国で使われる技術や魔法は、すべて預言士たちがもたらしたものだったのだ。人間たちは、預言士たちからあたえられたものを、ただ行使しているだけにすぎない。預言士たちとくらべれば、人間など、とるにたらない生き物だったのだよ」
この男は、こんな妄想をどうやって考えぬいたのか。
「ドラゴンスレイヤー、きみは知らないだろう。この地上には、預言士たちの築いた黄金時代が繁栄していたのだ。超文明という、すばらしい時代がな」
「くだらない。だから、なんだというのだ」
「ドラゴンスレイヤー、きみにはロマンというものがないのか? 神の力をあたえられた者たちが築いた、理想の世界。天上にあるといわれている楽園が、この地上にかつて創造されていたのだ!
こんなすばらしい世界がかつてあったのだと知った途端、わたしの体内をめぐる血液は沸騰しそうなほど熱くなっていたのだよ。その崇高なる一族の血が、わたしの体内にもながれているのだと!」
さっきから、何を言っているのだ。この男は。
自分の体内にながれているものが、崇高なものだと?
俺の体内にながれている血は、アダルジーザやシルヴィオの血とおなじものだ。
こんな、浅ましい選民思想の成れの果てに付き合う必要はない。
「ドラゴンスレイヤー、きみはどうやら、わたしと預言士の話に興味をしめしてくれないようだ」
「くだらない。その預言士とやらが神の一族だったとして、それがなんだというのだ。俺とお前が、神の末裔だとでも言いたいのか? 浅ましい。とるにたらない話だ」
「かなしいな。きみはどうやら、下等な者たちと暮らすことに慣れすぎてしまったようだ。預言士たちがきみを見たら、さぞ、かなしむことだろう」
どうとでも言うがいい。
「かなしみたければ、勝手にかなしめばいい。そんな、傲慢な先祖がどう思おうと、俺は何も感じない。おのれの繁栄しかかんがえられない者など、えらくもなんともない」
ヒルデブランドは、冷たい目で俺をじっと見おろしていた。
顔はわずかにこわばり、唇がかすかにふるえているように感じたが、すぐに笑い声が返ってきた。
「残念だよ。おなじ血を引く一族だというのに、すばらしい思想をひとつも共感してもらえないのだからな。だが、きみはきっと、わたしのかんがえに共感しないだろうと、わたしは予見していた」
ならば、話すことはもうないだろう。
「きみは民たちからドラゴンスレイヤーだともてはやされ、人間の王国から領地をもらうことに生きがいを感じる、やすっぽい男にすぎないのだからな。それでは、王国の薄汚い小者たちとおなじ。言わば、猿山の大将だっ」
「猿山の大将でけっこう。俺は、心をかよわす者たちと暮らすことを、何よりも大切なことだと思っている。
この国を平和にし、皆が笑ってくらせる世の中を築く。それが、預言士の先祖とやらに伝える、俺の理想だ」
「ふ、まるでかみ合わないな。預言士の血を引く者とは思えん。預言士の末裔だと思わせておいて、きみはただの人間の末裔だったのかもしれない」
だれの末裔だと、絵空事のような話は、もう飽きた。
「長話は、これでおわりか? そろそろ、お前を倒させてもらおう」
ヴァールアクスをもちあげる。
ヒルデブランドの表情が、人をあざけるような顔にもどった。
「きみはもう理解していると思うが、潜在力というものは、ありとあらゆるものに備わっているのだよ。この、何もない空の下にもな」
「前に炎から悪魔をつくりだしたから、今度は空気を悪魔に変える気か?」
「ふ、そういうことだ。厳密には、少し違うがな」
ヒルデブランドが配下の者から受けとったのは、預言石かっ。
城門に重くのしかかっていた空気が、さらにどす黒いものへと変貌していく。
「何が、起きるというのだ……?」
預言石が消失し、黒い魔力が彼方へ発せられている。
どんな魔物を出現させる気だっ!
黒い力が雲のない空へとはなたれる。
何もないはずの場所に、クラゲのような物体があらわれた。
なんだ、あれは。
クラゲのような物体は、カーテン……いや、黒いオーロラのように揺らめいている。
クラゲの上部に黄色くかがやく円がふたつ、あやしく浮かび上がる。
左右にはカーテンにかくした手のようなものが形成されて、黄色の円の下に赤い口が、がばっと開かれた。
これは、亡霊か!?
「行け。レイスどもよ。あの愚か者を殺害するのだ」
ヒルデブランドの指示に、レイスと呼ばれた者たちが一斉に動き出した。
レイスたちは、何匹いるのだっ。空をおおいかくすほどだぞ。
「きゃぁ!」
「なんだ、あれはっ」
後方で俺を見まもっていたビビアナと兵たちから、悲鳴が上がった。
レイスたちは叫び声のようなものを発しながら、俺に体当たりをしかけてくる。
「くっ」
体当たりは遅いから、よけるのは簡単だ。
だが、なぜだ。足が思うように動かない。
「この者たちは、ここで死んだ者たちから抜け出たものだ。くくっ、手ごわかろう」
戦死者の浮かばれない魂だというのかっ。
「ここで死んでいった者たちの中には、反乱を起こした民兵もいたはず。そんな者たちの魂まで、もてあそぶというのか!」
「ふ。兵は死してなお戦い続けるのだ。大いなる戦いのためにその命をさし出したのだから、名誉なことではないか」
ヒルデブランドが目をほそめて嘲弄する。
彼のまわりにいる兵たちの顔は、真っ青だった。
一匹のレイスが空へと上がり、おどろおどろしい声を出し――ぐっ、なんだこれは。耳に大きな針が突きささるような衝撃だ!
コウモリの魔物であるクルガと、おなじ攻撃か。
数が多いだけ、こちらの方が厄介――しまった! 他のレイスが目前にせまっていた。
「くっ!」
亡霊なのに、強い衝撃をあたえてくるっ。
獣の体当たりに引けをとらない強さだ。レイスたちが、こんな力を秘めているとは……。
「ふ。ドラゴンスレイヤー、きみの力は、その程度かね。力を出し惜しんでいると、あらぬところから寝首をかかれるぞ」
このレイスたちは、民兵や正規兵の浮かばれない魂なのだ。
この者たちに悪意はない。
しかし、ここでたじろいでいたら、俺が倒されてしまうっ。
「戦いの犠牲になった者たちよ、すまぬ!」
ヴァールアクスで、一匹のレイスを一閃する。
レイスのうすい身体が、布切れのように斬り裂かれた。
レイスたちのあざける態度が、一変する。
レイスたちが目をつり上げて、俺にしきりと突撃をしかけてきた。
ストラの突撃のように、速い……くっ。よけきれないっ。
はげしい突撃をヴァールアクスで受け止めながら、レイスたちを一刀のもとに斬りはらう。
一部のレイスたちは俺からはなれて、叫び声をあげる攻撃をしかけてきた。
「ぐわぁ!」
「あ、あたまがっ」
あの叫び声は、後ろにいる兵士たちにもダメージをあたえるかっ。
叫ぶ攻撃は耳に激痛をあたえてくるが、それ以上に感覚をにぶらせる効果があるようだ。
耳からつたわる痛みが頭にまで達し、思考をにぶらせて――。
「ドラスレさまぁ!」
ビビアナの大きな声が聞こえて、はっとした。
上空に、何かが浮かんでいる。
紫色の大剣のようなものが、何本だ……ヒルデブランドが具現化した幻影剣かっ。
「死ぬのだ、ドラゴンスレイヤー」
するどく尖った剣先が、眼前にせまる。
氷柱のように落下するそれを、俺はよけることができなかった。