第53話 都ヴァレンツァに到着、都にひそむ危機
オドアケルの追っ手を警戒しながら、行き先のさだかでない旅路をひたあるく。
途中で見つけた村や民家で道をたずね、都ヴァレンツァを目ざした。
だが、あの滅びた集落で怖い目に遭ったため、おとずれた村で宿をとる気にはなれなかった。
「ヴァレンツァなんかに行って、だいじょうぶなのか?」
滅びた集落を経ってから三日目となった。
けわしい山道を歩きながら、ウバルドが不安そうに言った。
「俺も都にちかづきたくないが、馬がなければ帰れないだろう」
「そうだが……他に方法はないのか?」
そんな難題を突きつけられても困る。
「ヴァレンツァには知り合いがいる。その方から馬をかりるのだ」
「知り合いだと? 元ギルメンか?」
「いや。勇者の館のギルメンでもいいが、宮殿の人間の方がいいだろう」
ウバルドの左肩が、ぴくりと反応した。
「そんな人間が、いるのか」
「政務官のネグリ殿か、祭司長のジェズアルド殿なら、俺たちをたすけてくれる。それまでの辛抱だ」
ウバルドは反応しない。口をかたく閉ざしたままだ。
「ふたりとも、俺たちの事情を把握しておられる。ウバルドと宰輔のことも存じ上げているから、おそれることはない」
「おそれてなど、いないっ」
「とくにジェズアルド殿は、宰輔と明確に対立しておられる方だ。お前はむしろ、ジェズアルド殿の庇護を受けた方がよいかもしれない」
ジェズアルド殿に事情をはなせば、ウバルドをまもってくれるだろう。
「祭司長だかなんだか知らんが、宮廷の人間など信用できん」
「そうか」
「やつらは、都合が悪くなればすぐに魂を宰輔に受けわたす。いつくずれ落ちるかわからない床の上になど、立っていたくはないだろう?」
ウバルドは用心深い。常人の数倍以上も。
だが、用心深いからこそ、こんな危ない橋をわたってこられたのだろう。
「それなら、ずっと俺のそばにいるか? 俺はまだ騎士になったばかりだから、宮廷で大した力はもっていないぞ」
「それでいい。信用できん人間のもとにいるより、ずっとマシだ」
ウバルドは、俺を信じてくれるようになったのだな。
「わかった。ならば全身全霊をかけて、お前をまもろう」
山のふもとで寄った民家で、捨てる予定だった衣服をいただく。
農夫に変装して、歩くこと二日。やっと、ヴァレンツァが遠くに見えてきた。
「ウバルド、あそこだ!」
土とほこりで顔を汚したウバルドも、目をわずかにひらかせた。
「お、おお……」
「もうすぐ、サルンに帰れるぞ!」
アダルジーザに、会いたい。
彼女は元気にしているだろうか。
シルヴィオは、まだ実家で弟や妹の面倒をみているか。
ジルダは……フォレトにはやくむかえに行かねばな。
「宮殿に行けばいいのか?」
「そうだな。政務官のネグリ殿に面会してみよう」
ヴァレンツァのけわしい門をくぐる。
門の前で守衛に職務質問をされたが、俺がドラゴンスレイヤーであることは気づかれなかった。
ヴァレンツァの黄金の街並みは、今日もうつくしい。
規則的に建てられた軒並みに、黄金色の屋根。
メインストリートはおしゃれなレンガで舗装されて、交差点のまんなかには絵が彫られている。描かれているのは、天使か。
大きな商団馬車が俺たちのわきを通りすぎる。馬車の後を、五歳くらいの子どもたちが追いかけまわしていた。
「ヴァレンツァは、今日も平和なようだな」
「何を感動している。この街のどこかに、宰輔の私兵がたくさんひそんでるんだぞ」
なにっ、そうなのか?
「そんな、ばかなことが……」
「前にも言っただろう。宰輔がヴァレダ・アレシアに対して反逆をくわだててると。いつでも蜂起できるように、宮殿の近くに兵をひそませているのだ」
そんな事実は、とても信じられないが……。
「兵はおそらく、街の人間に化けている。いや、街に溶け込むように、街の人間たちと変わらない生活を送っていることだろう。だから、俺たちが警戒しても、やつらを判別できんさ」
これは、衝撃の事実だ。
いちはやく陛下に知らせたいが、不安をかき立てるようなことをするのも気が引ける。
「グラート。俺がこんなことを言っても、信じられんだろう。俺の言葉なんて、そんなものだ。証拠がなければ、ヴァレダ・アレシアの騎士はおろか、下級の役人すら動かせん。
だからこそ、宰輔が私兵をかかえて軍事蜂起をくわだててるという、決定的な証拠が必要なのだ」
「そうだな。だが、俺はお前の言葉を信じるぞ」
ヴァレダ・アレシアの宮殿は、街の中央に存在する。
宮殿はヴァレダ・アレシアの政務をとりしきる要所であるとともに、陛下の荘厳な住まいになっている。
地方から訪問した騎士たちの庁舎や、位の低い召使いの宿舎も宮殿の中にあるのだという。
「ここにまた、来ることになろうとは……」
ウバルドが宮殿の黄金の門の前に立ちつくす。
「俺たちは変装している。正体は気づかれないさ」
「ここは敵地のどまんなかなんだぞ。お前はどうして、そうやって平然としていられるんだ」
平然としているわけではないのだが。
「おとずれる必要があれば、敵地のどまんなかでも足をはこぶ。危なくなったら逃げる。それだけだ」
「お前みたいなバカに、俺もなりたいよ……」
門の左右で、屈強な守衛が長槍を立てている。
「止まれ。何用か」
「わたし……へぇ。あ、あっしは、アブルから来た者です。ここではたらいてる知り合いに、会いにきた次第でして」
ふたりの守衛の表情が、みるみるけわしくなる。
「あやしいやつめ。お前のようにでかい農民がいるかっ」
「そ、そんな! あんまりですっ。身体がでかいのは、生まれつきでしてっ」
「うそつくなっ。ここは、お前のような者が入れる場所ではない。さっさと立ち去れ!」
宮殿の門のむこうは、大きな広場となっている。
宮殿の広場は大きな噴水がうごき、いろとりどりの花が地面を埋めつくしているが……。
「ふむ。では、レテ川で発生した氾濫は――」
広場の左から歩いてくるのは、宮廷の官吏たちだ。
彼らの先頭で貴族服に身をつつんでいるのは、宰輔サルヴァオーネ!
サルヴァオーネは、黒いハットをかぶり、長い裾をふたりの従者にもたせている。
遠くから見ただけでわかる。とてつもない威圧感だ。
「おい、お前たち。聞いてるのか!?」
守衛たちが、槍の先をうごかす。
腰を落として、槍を俺たちにむけた。
「は! も、もうしわけ、ございません……」
「これ以上ここに居座るというのなら、陛下にたてつく者と断定して地下牢にぶちこむぞ」
「それだけはっ、ひらに、ご容赦を……」
まずいぞ。舌先三寸で他者を言いくるめるのは、苦手だ。
「あ、あっしたちは、政務官のネグリ様に、どうしても会いたいのですっ」
兵たちの前で平伏しだしたのは、ウバルドかっ。
「なんだとっ」
「あっしたちは、ネグリ様の、古い知り合いです。こんなもんしか、手持ちはありませんけども、これで、どうか、おゆるしを……」
ウバルドが頭を下げながら両手でさし出したのは、赤いリンゴだ。
そんなものを、いつのまに盗んだんだ……。
「なにぃ。あやしいやつらだなぁ」
兵たちはあいかわらず怖い顔をしているが、リンゴをちらちらと見ている。
「まぁ、まぁ。ちょっとくらい、いいじゃないか」
右側にいる兵が、槍を地面に下ろした。
「おい、いいのかっ」
「平気さ。だって、こいつら、みすぼらしいだろう? こんな連中が宮殿に入ったって、何もできやしないさ」
「そ、そうだが……」
左の兵も、槍を地面に下ろした。
ウバルド、すごいぞ!
「おい、お前。そのリンゴは、もうひとつあるんだろうな」
「は、はい! もちろんっ」
「ようし。政務官のネグリ殿だな。宮殿にいるだろうから、呼んできてやろう」
「ははっ。ありがたき、しあわせでございます」
ウバルドが平伏しながら、ちらりと俺を見た。
俺もすぐに額を地面にこすりつけた。
* * *
「まったく、だれがたずねて来たのかと思ったら、とんでもない訪問客だったわね」
ネグリ殿は昼すぎに顔を出してくれた。
農夫に変装した俺たちを見て、状況を瞬時に理解してくれたようだ。
守衛を適当にごまかして、宮殿のすみへと案内してくれた。
「巨人みたいな面会者だっていうから、嫌な予感がしたのよね。不必要にあたしをおどろかせないでほしいわ」
「すみません。こうでもしないと、俺たちはヴァレンツァにちかづけないのです」
ネグリ殿は今日もうすい化粧で着飾っている。
白い肌に、紅い唇。指先から踵まで、傷ひとつ見あたらない。
「おひさしぶりですね、ネグリ殿。何日ぶりでしょうか」
「ふふ。そうね。あなたがサルンに行く前に会ったのが最後だったから、もう二ヶ月以上は経ってるんじゃないかしら」
宮殿の裏門のそばの公園で、腰を落ちつかせる。
おもての公園ほど広くないが、裏門は警備がうすい。
「この前は冒険者の坊やを急によこしてくるし、ヴァレンツァであなたがさわぎをおこしたときも、一回もあたしに会いにきてくれないんだもん。あなたのこと、宰輔にちくってやろうかと思ったわ」
「勘弁してください。俺もヴァレンツァにうかつにちかづけない事情があるのです。すべてがかたづいたら、あらためて食事の誘いをしますので」
「ふふ、わかってるわよ。サルンでの食事会、今からたのしみにしてるわ」
ネグリ殿が黒い扇子で口もとをかくして、「おほほ」と笑った。