第49話 宰輔サルヴァオーネをたおす秘策とは
馬に飛び乗り、その日のうちにラグサからはなれた。
サルンにもどるまで、街や村には入れない。
オドアケルの者たちが、いつどこからあらわれるのか、わからない。
目に見えない恐怖が、俺の心を少しずつ蝕んでいった。
「ここは、どの辺なんだ」
どこかもわからない森の中で、ねむれない夜をすごす。
日の出とともに馬を走らせたが、寝不足の身体は鉛のように重い。
「さあな」
「お前がもつ土地には、いつになったら着くんだっ。ちんたらしてたら、オドアケルの連中にまた見つかるぞ!」
ウバルドがヒステリックな声をあげるのは、もはや日常と化してしまったな。
「落ちつくのだ。連中とて万能ではない。俺たちをすぐには見つけられんさ」
「お前はどうして、そうやってのんきにかまえていられるんだ! 昨日おそわれたばかりなんだぞっ」
俺は考えても埒が明かないことを、考えないようにしているだけなのだが。
「そんなことを言っても、やつらがいつどこに潜んでいるのか、俺たちにわかるすべはないのだ。無意味な心配をしても、しかたあるまい」
「ふん。お前はいつもそうだ。自分が処理できない問題を、すぐにそうやって放棄する。だから嫌なのだ」
ウバルドに罵られるのも、日常の一部と化した。サルンに着くまで、ずっとこの調子だろう。
「もうじき、ヴァレンツァが見えてくる頃だ。ヴァレンツァをすぎれば、サルンは目の前だ」
とはいえ、ヴァレンツァにはちかづけない。
ヴァレンツァを西へ迂回するか――。
何かが、俺の右肩をかすめたっ。
「矢か!」
ふりかえると、オドアケルの連中とおもわしき者たちが、馬上で弓矢をかまえていた。
「グ、グラートっ!」
「おちつけっ」
敵は、三人。対処するのは簡単だ。
「このまま逃げるぞ。馬上からはなつ矢など、そう簡単には当たらん!」
敵は馬術と弓術の心得がある者たちだろうが、矢は俺の左右の空を貫くだけだ。
矢がつきれば、やつらは追撃をあきらめていく。それまでの辛抱だ――。
「なにっ」
馬が突然、あばれだした。
上下にはげしくゆさぶられて、手綱をつかんでいることができなくなった。
視界が縦に高速で回転して、地面のかたい衝撃が俺の肩と背中を打った。
「グラート!」
敵のはなつ矢が、馬の尻を射抜いたか。
すばやく起き上がる俺の前に、馬上で剣をぬいた者たちが突撃してくる――!
「しねっ」
ヴァールアクスをかまえる時間はない。
前に地面をけって、先頭を走る馬の前で身体を横に旋回させた。
「なんだとっ」
「はっ!」
ヴァールアクスを使うまでもないっ。
跳びげりで馬ごと敵をけり落とす!
「ぐっ」
踵から、馬をける強い感触がつたわった。
「だいじょうぶかぁ!」
「お、おのれぇ」
先頭を走っていた者は、落馬して左の森の中で倒れた。
後ろのふたりがすぐに馬を止めて、馬の首を俺にむけてくる。
「その程度で俺を殺せると思ったか! かかってこいっ」
「な、なにをぉ!」
オドアケルの者たちが剣先をひからせてくる。
左右に展開して、ふたりとも剣を突きさしてきた。
右と左には跳べない。なら、上に跳躍してかわすっ。
「なにっ」
宙で縦に回転して、地面に着地する。
敵が転回する前に、ヴァールアクスをぬいた。
「くそっ」
「こしゃくな!」
俺は右利きだ。ゆえに右の敵が倒しやすい。
やつらが突撃する前に、右へ寄ってヴァールアクスで倒す!
「くらえ!」
ヴァールアクスを力まかせにふりまわす。
左足をふみ込んで、ヴァールアクスの重たい刃を馬の腹に打ちつけた。
「ぐお!」
右にいた敵を、馬ごとふき飛ばす。
左にいた敵をそのまま巻き込んで、オドアケルの追跡者をまとめて撃退することができた。
「悪名高い地下ギルドとのことだが、実力はそれほどでもないな」
俺が乗っていた白馬は、どこかへ走り去ってしまった。
一番目に倒した追っ手が乗っていた馬は、まだ使えそうだ。
倒れた馬を落ちつかせて、ひょいと飛び乗ってみる。
うむ。問題ない。
「やつらは、倒したのか?」
遠くでおびえていたウバルドがもどってきた。
「ああ。大したことはなかった」
「怪力は、あいかわらずか」
それは、誉め言葉と受けとっておこう。
「こんな時代だ。力があるに越したことはない」
「お前は、力がありすぎるのだっ」
ウバルドがしぶい顔で言った。
* * *
街や村に入れないと、現在地が特定できなくなる。
ヴァレダ・アレシアの国土は、そのほとんどが森だ。交通の要衝は道でつながっているが、道は幾重にも枝分かれしている。
ひとつの道でも間違えてしまえば、目的地に着くのは困難になる。追っ手につけられていたら、なおさらだ。
森の道なき道を、陽が落ちるまで走る。
幸運の女神にまもられているのか、オドアケルの追っ手はあれからあらわれない。
「グラート。もう前が見えん。今日はこのあたりで野宿しよう」
どこまでもひろがる森の暗闇。左手には泉が見える。
泉には魚が棲息していないのか。水面が少しも動かない。
「そうだな。馬も休めなければならん」
泉のほとりに、一軒の建物らしき影が見えた。
近づくと、木製のあばら家のようだ。プルチアで借りていた空き家に似ている。
「木こりの家か?」
「もう寝てるんじゃないのか?」
だれか住んでいるか、確認してみよう。
「夜に押しかけてすまない。俺は冒険者のグレコという。このたび、ヴァレンツァの北へ向かうために旅をしている。一晩だけ、宿を借りたい」
扉をノックしてみるが、住人からの反応はない。
その後も何度か扉をノックしてみたが、家の中から物音ひとつしなかった。
「空き家か?」
「そうかもしれない」
ドアノブに手をまわしてみる。
「扉は、開いている?」
おそるおそる、扉を開ける。
家の中は、荒れはてていた。
玄関から入ってすぐ目につくリビングには、こわれたテーブルや椅子が散乱している。床も砂ぼこりでよごれている。
窓もとりはずされているようだ。竈などの金になりそうなものは、なくなっていた。
「だれも住んでいないようだ。ここで一晩をすごすことにしよう」
「そうだな。外にいるよりはいい」
リビングの散らかったゴミをどかして、床に腰をおろす。
ざらざらした床が気になるが、贅沢は言えないだろう。
「お前の土地はサルンにあるようだが、サルンに帰ってから、どうするつもりだ」
ウバルドが倒れた椅子を立てなおす。
「そうだな。俺に無実の罪を着せたのが宰輔だという、お前の言葉を信じて、打って出るつもりだ」
「俺を盾にして、宰輔を陥れようというのか?」
宰輔を陥れる気はないが……。
「語弊はあるが、おおむね、そういうことになる。宰輔が無実の罪の国民をプルチアへ流していた、何よりの証拠となる」
「証拠ではなく、この場合は証人だろう。だが、俺ひとりが証人になったところで、宰輔に白を切られるだけだぞ」
なにっ。
「そうなのか?」
「考えてみろ。俺はたしかに宰輔の言いなりになったが、宰輔が俺に指示したという、たしかな証拠がない。そうなれば、宰輔はどうこたえるか」
「お前に指示などしていない、と言うのか」
ウバルドがこくりとうなずいた。
「宰輔はずるがしこい人間だ。お前のような、バカ正直な人間とは性質が根本的にちがうんだ。俺を証人を立てたところで、うまくかわされるのがオチだ」
ウバルドの言葉は、至言だ。俺はどこかで、宰輔をあまくみている。
「そうだな。ウバルドの言う通りだ」
「俺は責任を負いたくないから、こんなことを言うんじゃないぞ。グラート、今のお前では宰輔に勝てる見込みがないから、証人になりたくないんだ。
だから、やつを確実に追い込める悪事をさがし出せばいいんだ」
やつを確実に追い込める悪事?
「そんなものがあるのか?」
「ある。やつの反逆の証拠をつかむんだ」
反逆の、証拠だと!?
「では、やはり宰輔は王位の簒奪をくわだてているのかっ」
「待てっ。声が大きい。他のやつに聞かれるぞ」
ウバルドが余裕のない顔で言う。
「ここなら、聞き耳を立てる者はいないだろう」
「あまいな。だからお前は、お人よしから卒業できんのだ。オドアケルのような影の者たちにおそわれたばっかりなんだぞ」
こうやって、ウバルドはオドアケルの連中から逃れてきたのだな。
「そうだな。その忠言も聞き入れよう」
「くわしいことは俺も知らんが、宰輔がクーデターのために私兵をあつめてるという、宮廷のもっぱらのうわさだ。やつが巨万の富をほしがるのは、兵をやしなうためだというが」
巨万の富、か。俺には想像できないものだが……。
――サルヴァオーネがプルチアで発見した金の一部を盗み出しているようなのだ。
「金! 宰輔は、プルチアで発見した金の一部を盗み出しているっ」
「なんだと!? それは本当かっ」
「ああ。俺が陛――宮廷の役人からたのまれて、宰輔が不正をはたらいたという証拠をさがしていたのだが、見つけられなかったのだ」
「なんと。そんな、ことが……」
ウバルドが力をうしなって、椅子にもたれかかった。
「話がつながりすぎて、鳥肌すら感じる。あの男は、やはり危険だ……」
「そうだな。だからこそ、俺たちで宰輔の悪事を止めなければならん」
かなりの難敵ではあるが、俺とウバルドが力をあわせれば、宰輔を止めることはできるだろう――。
「それにしても、変なにおいがしないか?」
「変な、におい?」
「ああ。何かが焦げるような、嫌なにおいだ」
においが発せられているのは、扉の隙間からじゃないのか!?
「まずいぞ、ウバルド!」
「な、なにっ」
俺はすぐに起き上がって、扉を蹴破った。