16.幼年期の終わりに
――旅行から帰って来てから、平穏な日々が続いていた。
ベルトランが、旅行の最終日に言ったことについて、言及したのはただ一度だけ。
「君が僕に何を隠していて、どうして言いたくないかは知らないし、話したくなければ話さなくていい。でも覚えてて。僕は君を大切に思ってるし、ずっと君の……フランの味方で居ることを誓うよ」
それはお母様やお父様が私に言ってくれたのと同じ言葉で、とても安心出来るものだった。
「ありがとうベルン。わたくしも、貴方を大切に思っていますわ」
私の返答をベルトランは嬉しそうに聞いて私の手を強く握り、しばし無言で見詰め合っていたのだった。
そこから更に五年の月日が過ぎた。
私とベルトランはそれぞれ中等部の二年と三年に進学し、勉学に励む日々を送っていた。
ベルトランはああ言っていたが私は勉強を止める気にはなれず、手当たり次第に何かを学ぶことを続けていた。ただ、その合間に物語を読む時間を増やしてはいた。
勉強以外のことをしても誰も咎めないと、私は旅行の時に初めて実感していた。それでも本の形をしたものを求めてしまうのはやはり、多少なりとも勉強している風に見られたいからかも知れない。屋敷でベルトランと共に竜の子と遊んでいる時も、やはり落ち着かない気分を味わっていたものだ。
それでも、何年も勉強や読書を続けていると、自分の好みのようなものは見えてくる。特に興味を惹かれたのは、魔法と歴史だった。
元の世界では有り得ない、魔の理に沿った不可思議な現象は、強いイメージに依って具現化される。具現化出来る量が多ければ魔力が多く、質が良ければ魔力が高いと呼ばれる。
仮にも公爵令嬢である私の魔力は、二色持ちであるとは言え質量共に一級品。丸二日間規模の大きな魔法を行使しても、尽きない程度の魔力は兼ね備えている。ただ、四色持ちであるマクシミリアン殿下は一週間不眠不休で魔法を使ったとしても尚余裕である程の魔力らしいが。……まぁ、王族は何かと規格外なので、比べるのか間違いだけど。
しかし私は前世の知識で少ない魔力ながらかなり破壊力の高い効率の良い魔法を編み出すことに成功していた。
水を圧縮して打つことで硬い岩も両断したり、岩で作った弾丸に溝を付け回転を加えて打ち出すことで破壊力を増したり。それから、この世界に地震は存在しないので、地面を揺らしたらかなり驚かれ、恐怖されたりもした。地面を揺らして更に割ることで敵の足止めが出来るかも知れない。と言ったら感心された。
侵略者の多くは空から来るが、魔物は空が飛べないものが多いので有効となるだろうと言われ、自分の知識が生かせることに満足出来た。
歴史もまた、大変に興味を惹かれる学問だった。知らない世界の成り立ちは気分を高揚させてくれる。
この世界に竜王が降りてくる前のことは語られていない。分かったのはこの世界が停滞していたこと。竜王は自らこの世界の大陸となることを決め、自らの伴侶となった女性との間に産まれた12人の子を王と定め12の国を作り、昼夜の無かったこの世界にそれらを作り、伴侶と共に永い眠りに付いたと歴史書には記されている。数多の民と共にこの地に住まうことにした12の王は仲良く国土を分け、それぞれ統治したのだという。
元は兄弟とは言え12も王がいて国があって、戦争が無いのが不思議であったのだが、その理由は外敵にあった。
言い付けもあり、まずは国土を安定させるべしと奔走する12の王の前に現れた、外の世界からの侵略者。彼らは自分達とは異なり、竜の大陸を支配してこの地に君臨しようとしたのだ。そして始まる侵略者との戦争。どうにか勝利し追い返したところでまた新たな脅威が襲ってくる。これでは国家間で争うなど具の骨頂。かくして侵略者に対抗する為に国家である程度の役割を分け、それぞれ運営する方針にしたらしい。
この世界の歴史は侵略者との戦争の歴史でもある。それが堪らなく面白かった。
とまぁ、こんな調子で日々を過ごし、来年はベルトランもいよいよ高等部に進学するのかという話になった時のことだった。
「……高等部に、平民が編入してくる?」
私の家の応接間で、お茶を楽しみつつもベルトランはその言葉にこくりと頷いた。
「ああ、地方の学校で優秀な成績を修めたからということで、中央の学園に編入することになったらしい」
「……でもそれって、特に珍しいことでもないのでは?」
高等部への進学が義務となっている貴族とは異なり、平民は進学するかしないかは本人の希望次第である。ただし、初等部中等部では全額免除となっていた学費は、自分で工面する必要がある。その学費はかなりのもので、平民が四人家族であるならば、平均年齢三年程は暮らせる程度の金額にはなるという。
貴族は初等部から全て学費を自分達で払う必要があり、どうしても支払えない場合は国から補助金が出るがそれは恥とされている。将来的に返却出来れば良いので、卒業してからの職次第だったりもするが。
私達公爵家はもちろん、支払った上で多額の寄付金まで出資している。それが、初等部中等部における平民達の学費となるのだ。
ということで、費用の面に難が有れどそれさえクリア出来るなら平民が高等部に進学するのは何ら問題はない。毎年十人前後はいる筈だが、それが何か問題でも有ったのだろうか。
「……その平民の子なんだけどね、金髪に赤い目の二色持ちなんだ」
「金髪……?」
私は驚いてベルトランの顔をまじまじと見詰めた。金髪、または黒髪の平民というのはまず有り得ない。何故なら、光と闇の属性を産まれながらに持つのはドラゴン、或いはドラゴンと人の間の子だけであり、竜と婚姻していない平民にその特徴が出るのは考えられないことだったからだ。
「もしかして……貴族のご落胤?」
「もしくは先祖返りか、だ。わたしが聞いたところ、今回はそちらだそうだよ」
声変わりを終えた頃から、ベルトランの一人称は「わたし」となっていた。背は伸びて、体つきも逞しく変わりつつある。まだ15歳だし、今後も伸びるであろうことは想像に難くない。
私もまぁ、それなりには成長している。
「先祖返り……その平民の先祖が、元は貴族だったということですか?」
竜の血族の魔力を保つ為に、貴族間での婚姻を求められるものの、限界はある。時として、貴族とはとても言えない程に魔力が低下してしまうことが有るのだ。
具体的に言えば一色しか魔力を持たずして産まれて来たもの。仮に二色でも、それぞれまたは片方が非常に魔力が少なければ貴族とは見なされない。その場合、その貴族は爵位を取り上げられ、平民へと落とされる。
しかし稀に、その血脈に身を潜めていた竜の魔力が目覚め、身体的特徴に現れることがある。それを先祖返りと言うのだ。
「その通り。五代前までは小さな領地を持つ男爵家だったそうだよ。しかし平民に落ちてから何だか何をしてもパッとしなくて、今は小さい町でパン屋を営んでいるらしい。その子どもが産まれた時、その家ではそりゃあ大騒ぎだったそうだよ」
「まぁ、そうなりますよね……自分と全く髪の色が違う子が産まれたんですもの。不貞を疑われてもしょうがないですよね」
「ご名答。自分の子どもじゃないのか、と青ざめる夫と、浮気なんてしてないって涙ながらに訴える妻……まぁ、領主である貴族の家に幸い記録が残っていたことから、先祖返りじゃないかってことで浮気疑惑は晴れたようだけど」
「なるほど……で、それがベルンと何の関係が有るんですか? 平民でも先祖返りで魔力優秀な例がある、というのは確かに珍しい話ですが……それでも、こうして話す程のことでしょうか?」
私が首を傾けると、ベルトランはやや苦い顔で紅茶のカップを口にし、飲み干した。
「それがね……その彼女、ああ女の子なんだけどね……優れた魔力を持っているし成績も上位だからそれ相応の仕事に就かせて、貴族との縁談を持たせようって話が出たんだけど……」
ベルトランはまるで親の仇でも見るかのような目で虚空を睨み、菓子を摘まんで噛み砕く。
「……高等部に通う為の資金なんて、先祖が貴族とは言え当然一介のパン屋が出せる筈もない。だからまぁ、高位貴族が学費を立て替えて、将来的に返却すれば良いって話になったんだがね……」
ベルトランは額を抑え、大きく息を吐き出した。
「その出資した貴族っていうのが……グリエット公爵家なんだ……」
どんよりと暗いオーラを漂わせるベルトランの姿に、私はまたも首を傾けた。
ちなみに、国から補助金が出るのはあくまで貴族のみである。平民が高等部に進学する際、優秀な人材を引き入れたい貴族が学費を立て替えるのもよくある話だったりする。
「話は分かりましたけど……それでどうしてベルンが嘆く必要が有るのですか?」
それだけならば別に、ベルトランが嘆く要素は特に見当たらない。しかし彼は幼さが薄れ、精悍になりつつある顔立ちに苦悩の色を濃く浮かべている。一体何がそんなに嫌なのかと、彼の目を覗き込んだ。
「……貴族と縁談を結ぶに当たり、彼女に相応しい相手を見繕うのと、貴族の礼儀作法を教えてやれって父上から命ぜられたんだ……婚約者がいるから嫌だって言ったのに! ただでさえ一年間フラン不足になるって言うのに、知らないお嬢さんの結婚相手の斡旋なんて冗談じゃない! まぁこちらとしても出資した以上は無関係でないから、百歩譲って礼儀作法やら勉強やらを教えるのはまぁ良い! でも、学園で彼女の相手探しってそれ明らかにわたしの仕事じゃないだろう!」
「ど、どうどう……落ち着いてください、ベルン……」
ベルトランがこんなにも激昂するのは珍しい。余程その、来年学園に来る彼女の相手探しが嫌なんだろう。まぁ確かに、学生に頼むのはどうかと思うような内容の仕事だが。
「はー……どうして王都の学園は、中等部と高等部が離れて建っているんだ……いや、以前中等部の平民の子が高等部に無断で潜り込もうとして大騒ぎになったことから、引き離されたんだったな……くっ……初等部と中等部くらいに近ければ……休み時間でも会いに行くのに……」
「まぁ、中等部に進学してから昼休みに毎日初等部の校舎にまで押し掛けてくれましたよね……お陰で私も、昼休みになると同時に中庭まで走るのが日課になりましたが」
「おまけに授業時間が長くなるから、登下校も一緒に出来なくなるんだ……わたしの都合でフランを待たせるのも悪いし……そうでなければ、今のように毎日登下校を共にするのだけどなぁ」
「まぁ一年間の辛抱じゃないですか。どうせ、光の日や長期休暇にでもなればまた、わたくしの家に来て入り浸るのでしょう?」
だから寂しいことなんてない。少しだけ、会う頻度が減るだけだ。私はその時、こんな風に軽く考えていた。
「そうだね。その時はまたこうして、わたし好みの紅茶を用意してくれるのだろう?」
「勿論です。いつでも、待ってますから」
和やかな雰囲気でいつもの通りにお茶会を終え、帰宅するベルトランを見送って玄関ホールへと向かう。
「それにしてもあっという間ですね。もう来年……いいえ、三ヶ月も経てばベルンも高等部ですか」
「ああ。学ぶ範囲もより広がるし、高度な知識も増えてくる。実にやりがいが有るね。……フランは、歴史に興味が有るんだっけ」
「歴史と魔法です」
「そうだったそうだった。兄上が貴重な歴史書を取り寄せたから、今度見に来ないかって言ってたよ」
「ありがとうございます。……ベルンは、国ごとの特色や文化に特に関心を寄せてるのでしたっけ」
「覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ。そうそう、今度またドラゴベリーに行くから、お土産期待してて」
「ええ。わたくしも、ドラゴネックの特産品で面白いものを見付けたので、今度来た時に渡しますね」
「本当? 楽しみにしてるよ」
いつも通りの会話。何度でも繰り返し、これからもきっと飽きる程に続いていくのだと何の疑いもなく思っていた日々。
それが実は、とても危うく、時に容易く壊れてしまうものだと言うことを、私もベルトランも、この時は知る由もなかったのだ……。