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朝の河原で妖艶デジャヴ

 空が白み始めてから、草や川面や人々が朝日に照らされるまであっという間だった。一気に気温が上昇し、蘭治も体が汗ばんでくるのを感じていた。


「ねむー。もう上がりますー」


「あたしも!日焼けしちゃうから帰る」


 明るくなったのが合図であるかのように、何人かが帰り支度を始めた。今井が送り組の女子のために立ち上がって、


「一便出るよー。乗ってく人は準備して」


 と周りに声をかける。

 

「三雲くん、念のため、そろそろうどんとかき氷のセッティングし始めた方がいいかも」


 今井は出掛けに蘭治にそう告げた。そしてチラッと課長の方を見た。帰る人たちを見送りながら蘭治は、課長に急き立てられる前にやっちまおう、と素早くとりかかった。


「あちいー!」


 突然会長が叫びながら服を脱ぎだした。と、弾かれたように課長と店長が会長に走り寄り、タスキのようなものをその肩に結わえ付ける。


店長「命綱」

課長「O・K!」


 その叫びが合図かのように会長は走り出し川に飛び込んだ。酔っ払ったレミたちの歓声が上がる。課長と店長は長い紐の先をしっかり握っている。


「まったく、これホントに苦肉の策だよな、“命綱”って」


「酔った会長を止めるってのは不可能ですからね。でも事故が起こるのは絶対まずいし。こんなんしか方法ないですよ」


 課長と店長の冷静な会話を聞いた蘭治は、そう言えば本日男子スタッフは誰一人酒を飲んでいないのだな、と改めて気付いた。シラフで花火の打ち合いは、どんな気分だろうか?


 しばらくするとひと泳ぎした会長が河原に上がってきた。


「ねーねーあんちゃん」


 会長はごきげんな様子で蘭治に声を掛けてきた。


「名前なんだっけ?」


「……三雲です」


 岸逃亡に関する冤罪の件を会長が覚えているのかいないのか?蘭治には分からなかった。が、どうでもよいか、と、思う。


「うん、あんちゃん、おで〜ん!おでん買ってきて!これで」


 名前を聞いた意味があるのだろうか、と思いながら蘭治は会長の差し出す財布を受け取った。


「大根とハンペンとジャガイモが入ってれば、あとはなんでも、いーよーん」


 会長はそう告げてすぐに回れ右して再び河原へ向かって走り出した。課長たちも急いで紐を握る。それから、店長が振り向いて蘭治の目を見て頷いた。蘭治は渡された財布を持って駐車場へと向かう。


 おでんなんて、今時期売ってたっけ?というか泳いで体が冷えてる会長以外みんな食べたくないんじゃないか?


 蘭治はそんな風に考えながら車を解錠しようとポケットを探った。


「ランくん」


 突然女性に名前を呼ばれ、声のした右前方を見やった蘭治は息を呑んだ。


「楓さん」


 木の影から現れたのは楓だった。

 店ではすっかり過去の人になっていた彼女。しかし妖艶さは変わらなかった。しっとりした黒髪と華奢でまっすぐな鼻筋。なんでこの人が岸なんぞと、と蘭治は何回思ったことか。


「元気?」


 そう、この楓の絶妙20%スマイル、吸引力は変わらず。蘭治は呆けた顔で頷く。

 しかし事が理解できない。何故彼女がここに?


「元気そうで良かったよ」


 楓は穏やかに微笑んだ。ただのよくありすぎる社交辞令の一つなのに、蘭治はじんわり嬉しくなる。こんな上質な女性に社交辞令を言ってもらえたことだけで高等な男になった気がしてしまうのが不思議だ。


「ランくん……」


 楓は一転して困り顔で蘭治を見上げた。蘭治の胸はざわめいた。


「電車賃、貸してくれないかな?」


「え?……」


 全く予測していなかった言葉が楓の口から出てきたので、蘭治は戸惑った。


「地元に帰りたいんだけど、お金なくって」


 蘭治の何倍も稼いでいた楓。なぜ、そんな金がないのだろう。しかしそんなことは聞けない、蘭治は何を言っていいのか分からず口をつぐんだ。


「そう、いっぱい持ってたんだけどさ、色々あって……それで一人で実家帰ろうと思って」


 一人で?蘭治はハッとした。岸に持ち逃げされたのだろうか?そうだ、岸ならやりかねない。


「いくらですか」


 蘭治が問うと楓は伏せていた顔を上げた。


「6000円……」


 そんな金額も持っていないのか、岸の奴め、根こそぎやりやがったのか?蘭治は怒りさえ感じながらトートバッグを探り財布を取り出した。

 なんだろうこの感じ、と蘭治は不思議な感覚に襲われる。デジャヴというやつか?岸に腹を立てる、これはなぜかエキサイティングな気持ちを蘭治に湧かせる。

 給料日から間もない財布にはまだ万札すら数枚入っていた。その中で千円札を数え始めてから蘭治は首を横に振り、一万円札を一枚すっと抜いた。


「これ……」


 と、蘭治は抜き出したものを楓に差し出す。楓は細い指でそれを受け取ると、にこっとした。その目線が蘭治の顔を通り過ぎその肩越しに遠くへ投げられていることに蘭治が訝しがった瞬間、


「はーい、ランくんよくできましたー」


 背後から聞き覚えのある男の声が聞こえた。デジャヴ?ではない。

 振り返ると、公衆トイレの脇に彼が立っていた。


「岸さん……!」


 店のバーベキュー会場から数十メートル地点。前には岸。後ろには楓。以上、今把握できる蘭治の状況。

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