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22 青き座テングリ

 四つの人影が、険しき山肌を動いていた。

 そこには樹木の姿などどこにも見えず、叩きつける強風が、短い丈の草のみ存在を許す。

 東方世界の、広大な樹林地帯のただ中に、孤高に聳える山がある。

 獣人たちが、テングリと呼ぶ、その独立峰に、彼らは挑んでいた。

 遥か足元には、小さく見える樹林の森が広がる。

西の世界の、何倍もの面積を持つ、木々の波が、風に揺らめいていた。

 大山脈を越えてすぐ、彼らは熊の氏族に出会い、その力を頼った。

ユグラのチョスヴァの名を出すと、熊の者は警戒感を緩め、クラウスのためならと、快く協力を願い出た。

 熊の氏族は、皆体格が非常に大きく、ヴァシリーの身長よりも背の高い者たちで、頭部に熊の耳と、指まで覆う濃い体毛を生やし、そして西の人間の何倍もある筋力を、有していた。

 そんな彼らは、意外にも手先が器用で、川を行き来するお手製の船を巧みに操った。

 大樹林地帯を、網の目のように交錯する無数の河川に、その船を浮かべ、彼らは北の荒野から、東の山地に、そして南の草原へと、縦横無尽に行動した。

 その行動力を元にクラウスを先導し、真冬だというのに凍らない川を遡り、ぬかるむ道なき道を行くこと幾日と。

 熊の者の案内で、それは目の前に、雄大な姿を現わしていた。


「クラウスくん、そろそろ休憩しましょうかー」

 ヴァシリーが、叫んだ。

 山の斜面をめるように吹く風が、彼の衣服を捲り上げる。

「そうだな」

 クラウスが、その足を止め、一行は少し開けた場で、腰を落ち着けた。

「なんだか、苦しいですぅ……」

 サラが喘いだ。顔色はやや青いか。

「空気が薄いようですね、ゆっくり、大きく息をするようにしてください」

 ヴァシリーの助言に、サラはうなずく。

そんな彼女の背中を、ツァガンが優しくさすった。

 彼らの遥か眼下では、山の麓から、一筋の煙がたなびいて見える。

 その煙は、熊の者たちが、クラウスのためにと、目印になるように狼煙を焚いているものだった。

「だいぶ、登ったな」

 クラウスは、天を仰ぐ。

 目線の先には、先が見えないほどの山肌が続き、それは雲の中へと消えている。

「もう半分は来たのか?」

「いいえ、まだ半分も到達していないでしょう」

 ヴァシリーが、首を振った。

 時折、強い風が吹き付け、それは吠えるような音をたてつつ、山腹を通り過ぎる。

その風を、ヴァシリーは魔法で弱めて、一行を護った。

「世界って、広いな」

 彼方に霞む、丸みを帯びた地平のてを眺めて、クラウスは呟く。

「あっちの世界も広かったが、こっちはもっと広い。見渡す限り緑の海だ」

 深緑の大樹林地帯を、彼は海と評した。

 その大海が、風に吹かれて波立っている。幾筋も、幾筋も、吠える風はうねりを伴って、緑の海を渡る。

 どこまでも碧い波濤が、見えていた。

「でも、緑、消えた」

 ツァガンが、故郷のある、南の方角を見ていた。

「オイラの故郷、森、燃えた。緑が、白に、なった」

 遥か南の森林に、白い場所が見えていた。

 それは、この広い大樹林地帯からすれば、ほんの一部分に過ぎないが、そこで生きる、彼ら狼の氏族にとって、命を左右する、出来事だった。

 獣人は、各自の森の領域を厳しく守り、お互いの縄張りを侵さないよう、生活をしている。

 氏族のシャマンさえいれば、森は蘇る。

 だが、彼らはそのすべを知らない。

 シャマンを持たない彼らが、己の領分を捨て移動したところで、氏族の血は薄れ、消えゆく運命が待ち構えている。

 大昔、カマスという氏族が、シャマンを失い、淡雪の如く消えたように。

「父さんたち、元気かな」

 ツァガンは、目を細めて、呟いた。

 風が、渦を巻いてく。


 東から昇る朝日が、山肌を赤く染め上げた。

四人は僅かばかりの隙間に、身を横たえて、夜を明かした。

 お互いに手を繋ぎ、斜面を落ちないように、支え合いながら仮眠を取る。

 そして目覚めると共に、再び山登りを開始する。

 道中、腹が減れば、水の王にもらったニシンの酢漬け剣を囓り、高山病に苦しめられながらも、その足は休むことなく歩き続ける。

 そうして、短い昼の時間は終わりを告げ、漆黒の闇が、彼らを包む。

 永い夜の時間を、彼らはひたすらに耐え、朝日が昇る頃に、また行動を始める。

 周囲には、草の存在すら認められず、剥き出しの岩盤が、寒々しく佇んでいた。

「雲に入るぞ、これで互いに身体を縛り付けろ」

 濃い灰色の雲に入る前、クラウスはそう言って、皆を縄で繋いだ。

 この先、視界は限りなくゼロとなる。

自身の足元ですらおぼつかない、混濁の雲の中を突き進むこととなる。

 先頭をクラウスが行き、二番手をサラが。三番手をヴァシリーが受け持ち、しんがりを体力のあるツァガンが引き受ける。

 何かあったら、クラウスかツァガンが支えに回るという布陣であった。

「いいか、何でもいい、とにかく声を出せ。自分はここにいるって、皆に知らせるんだ。そうすれば、お互いに安心する、足を止めなくても、分かるからな」

「分かりました、クラウスくん」

「はーい、クラウスさん」

「うん、分かったー」

 しっかり返事をする者、脳天気に答える者。反応は三者三様だが、声には元気が感じられる。

「いくぞ!」

 クラウスの身体が、ゆっくりと雲の渦にまれていった。


 灰色の、泥水のように濁った雲間を、四つの影が動く。

影は声を出し、足を一歩一歩、着実に前へと進めている。

 前は、淀んだ色が支配し、背後は、泥濘の渦が巻く。横に目を向ければ、たゆたう雲が泳いでいる。

 視界はほぼ無く、前後左右に、上下の違いは、無いも同然だった。

 この雲を押しのけようと、ヴァシリーが魔法を繰り出すも、それはなんの力も発揮しない。

 纏わり付く雲が、魔法を全て飲み込んでいるようだった。

 クラウスは、歩きながら思い出していた。

旅立つきっかけになった、故郷プロシアでの、あの出来事を。

 立ち上る炎と、町に充満する煙の中で、人々は逃げ惑い、命を落としていったことを。

 渦を巻く雲は、熱こそ感じられないが、あの時と同じであった。

 クラウスの双眸が、雲を睨んだ。

この分厚い雲の向こうから、今にも奴が顔を出しそうな気がする。

 炎を自在に操り、赤い髪を振り乱して、踊り狂う異教徒の男の顔が。

 暗くよどんだ、漆黒の悪意を、落ち窪んだ眼窩にたたえた、忌まわしき男だ。

 町という町、道という道、奴は神出鬼没に動き回り、世界を滅亡せんとばかりに、異形の怪物を喚びだしている。それは、今、この瞬間にも。

 雲が、ぬめりを帯び、クラウスの身体にまとわり付いた。

 鼻腔に、微かな香ばしい臭いが、感じられた。

 幻覚だと、頭で分かってはいるものの、連想して思われる男の姿を見たような気がして、クラウスの顔が険しくなる。

 頭を振った。臭いも、男の姿も、瞬く間に消え失せた。

 どれほどの時が経っただろうか。長い間、彼らは歩き続け、やがて頭上が明るくなったのに気づく。

 先頭のクラウスが、顔を上げた。

 茶色の髪が、ポコリと雲海から飛び出していた。


 山の頂に、四人は立っていた。

 眩しいほどの光が、そこを支配し、どこかからか流れてくる水が、轟音を立てて山肌を滑り落ちていく。

 人跡未踏の山を、彼らはその足で制覇していた。

「ここが、テングリか……」

 腰に下げた聖剣クォデネンツが、チリチリと細かく震えている。

 暑くもなく、寒くもないこの場所は、一行を優しい空気で包み込んでいた。

「本当に、山の上にあったんだな」

 先ほどまであった、重い疲労感は瞬時に消え失せ、感嘆の言葉だけが、クラウスの口から漏れ出でる。

「山の上なのに、すごい広く見えますね」

 サラが、辺りを忙しなく見回す。

「神々の座……、なんと恐ろしく、美しいのでしょうか」

 ヴァシリーの身体が震える。

「テングリ、言い伝え、本当だった……」

 ツァガンの頭の耳が、尻尾が、目まぐるしく動いていた。

「さて、これからどこに向かえばいいんだ?」

 クラウスが、聖剣クォデネンツを持つ。

 剣は、微細な振動を続けていたが、やがてその方向を指し示すと、ピタリと震えを止めた。

「あっちか」

 彼らの足が、動き始めた。

 目指すは、白き頂の中心部にある、巨大な樹が生える場所だ。


 岩が折り重なる隙間を、水が流れていた。

 流れはせせらぎとなり、せせらぎは幾筋もの流れを集めて、やがて小川となる。小川はさらに流れを集め、山の頂を潤す大河となる。

 水の湧き出でる泉は、水草と花が咲き乱れ、陽の光を乱反射して、キラキラと輝いていた。

「キレイなところだな」

 クラウスが、言った。

「こんなに緑豊かなところが、山の頂上にあるんだな」

「でも、よく見てください」

 ヴァシリーが、そこを指さす。

 泉の水が重く澱み、木々から落ちた葉が、積み重なって腐臭を放っていた。

「それと、向こう」

 次に泉の向こう側の森を見る。

若々しい緑の萌芽の森だが、ところどころ、茶色になった木がある。

「ここ、鳥とか、獣、見えない」

 ツァガンの耳が、動く。

森の奥深くから、微かに小鳥のさえずりが聞こえるのだが、鳥の姿はどこにも、ない。

「こんなに明るいのに、どこか暗い感じですね」

 サラの手が、八端十字架の杖を握りしめた。

「……あれ?」

 不意に、ツァガンの足が止まった。

 彼の双眸は、彼方の森を凝視している。

「何だろう?」

 木々の陰で、白い何かが動いた。

「おーい、ツァガン。置いて行くぞー」

「あ、ま、待って、クラウス!」

 走りながら、再び森を見る。

 白い何かは、見えなくなっていた。


――よく、来た。

 巨大な樹が見えた時、四人の頭に声が、した。

 樹は、大人の男が十人がかりで抱えても、一周もできないほどの太さを有し、堅い樹皮には、小さな地衣類がその幹を覆っていた。

 緑の枝葉は幾重にも広がり、その根は樹上の梢よりも広大に這っていた。

 根を覆う岩の周囲には、こんこんと清水湧き出でる泉があり、凜とした冷たい空気が、一帯に漂う。

――勇者クラウス。我らは待っていた。

 腹に響く、重く低い声がする。

 それは、目の前の樹ではなく、さらにその向こうから、聞こえていた。

 ヴァシリーが、一番に膝をついた。

続いて、クラウスが。サラとツァガンも、言葉を交わすこと無く、彼らに続く。

 聖剣クォデネンツが、再び震えていた。

 誰も、声を発しなかった。

 発しようという気すら、起きなかった。

 押し潰されそうな、恐ろしい空気が、四人を支配していた。

――我らは、知っている。この世界樹を通じて、地上で起きたことを、知っている。

――地の底のものが、目覚めた。解けた凍土の隙間から、それらは這い出た。

――あれらは、地上を求めている。

――生命溢れる大地を、我が物にしようと、している。

 高い声、低い声、男の声、女の声と、様々な声が、四方から聞こえた。

――あれらを率いている、巨悪がある。

 聖剣が、甲高い音を立てた。

――巨悪は、人間に取り憑き、人間を使って地上を荒廃させた。

――そして今、さらなる混乱を引き起こしている。

 世界樹の周囲を巡る泉に、幾重にも波紋が広がった。

 聖剣の震えが、一段と激しくなる。

――勇者、クラウスよ。

 聖剣が、輝きだした。

――巨悪を、滅せよ。

 輝きは、さらに強さを増し、目も開けていられないほどの光が、溢れる。

 溢れ、零れ、やがて光は一本の束へと収縮し、聖剣の刀身に吸い込まれていた。

――その力で、世界を救え。

 聖剣が、銀色に煌めいた。

――その力で、巨悪を倒すのだ。

 銀色に輝く聖剣が、透明な音を立てていた。


 しばらく、四人は呆然としていた。

世界樹と呼ばれる、巨大なそれの前で、皆、腰が抜けたようになっていた。

「クラウス、剣」

 ツァガンの黄金色の尻尾が、揺れる。

 クラウスは聖剣を見つめた。

聖剣は、地上で出会った時よりも、冷たく輝いていた。

「この力で、倒す……」

「巨悪という、ものですね」

 サラが、喉の奥から、声を絞り出した。

「人間に、取り憑いている、巨悪」

 ヴァシリーの声が、おののいていた。

――兄さん。

 言葉は、声に出来なかった。

それが、今誰に取り憑いているのか、考えただけでも恐ろしい気持ちになる。

 四人は、ふらふらと立ち上がり、再び地上へと戻ろうとした。

――待て。

 またも、重い声がした。

 一行は世界樹を見る。

――お前たちに、力を貸そう。

――天に舞う、白鳥の力。

 枝葉が、揺れている。

――その力は、聖剣をさらに強固なものにするだろう。

――来るがよい。

 透き通る風が、吹き抜けた。

 樹の根元にある泉のほとりの、苔むす岩に、女が一人立っていた。

女はこちらを見ると、にこりと微笑んだように、見えた。

 女の背中の白いものが広がった。白いものは、大きな翼だった。

 翼を広げて、女はこちらへと飛んできた。

 ふわり。と、重さを感じさせないように、女は地に足をつけた。

そして、深々と頭を下げた。

「私は、神々の従者。テングリの白鳥、エルージュと申します」

 頭を上げた。笑顔が、眩しかった。

 長い、腰まである、漆黒の髪が、風に揺れる。

 ヴァシリーが、膝をつき、うやうやしく頭を下げた。

「この方は、我らの祖。太初のシャマン、偉大なる白鳥です」

 彼女を見て、直感でそうさとった。

 肩を震わせ、彼は仮面の下で、涙を流していた。

「はじめまして、勇者様」

「勇者なんて、照れるな。名前でいいよ」

 クラウスの頬が、少し紅くなった。

「俺は、クラウス。こっちの女の子は、サラ。仮面をしているのが、ヴァシリーで、金髪の狼耳が生えているのが、ツァガンだ」

 そう言って、クラウスの手が、エルージュの手を握った。

「はじめまして、エルージュさん」

 サラの小さな手が、差し出され、彼女はそれを優しく握った。

「はじめまして、サラ」

「太初のシャマンよ、白鳥よ、私は――」

「ヴァシリー、ですね。はじめまして」

「はっ、はい。はじめまして」

 声を詰まらせながら、ヴァシリーは返答し、尊敬と畏怖の目で彼女を見つめる。

そんな彼の手を、エルージュはそっと握る。

「ツァガン」

 エルージュが、微笑んだ。

 しかし、声をかけられた彼は、なぜか返事をしなかった。

「おい、ツァガン。どうした」

 頭の耳が、忙しなく動き、臀部の尻尾が、ピンと立っている。

双眸は、彼女を捕らえて離さなかった。

 漆黒の髪に、透けるような白さの肌と、桃色の艶めきを含んだ唇に、髪と同じ吸い込まれそうな黒さの瞳が魅力的に見えた。

 白い、大きな翼は、自分と同じ異形の姿をしている。東の世界に住む、獣人の姿だ。

 衣服は、素朴な麻と毛織物を重ね着したもので、その手には、ヴァシリーと同じ片面張りの円形太鼓が、握られていた。

「ツァガン」

 エルージュの手が、動かないツァガンの手を握る。

「はじめまして」

 そう、微笑みかけられて、ツァガンの顔から火が吹き出た。


 山肌を、一行は滑るように駆け下りていた。

「このまま麓まで、行きます!」

 エルージュが、空に身体を浮かべて、叫んだ。

「わ、私の魔法よりも、効き目が強い!」

 ヴァシリーが、モスクワ脱出に使った魔法に似てはいるが、その強さは段違いであった。

 彼女が用いた魔法によって、四人の身体は瞬く間に地上へと突き進む。

 土煙を上げて疾走する彼らを、エルージュは空を飛びながら見守った。

「はっ、早すぎて、目、まわ、る」

 ふらふらと、ツァガンの身体が大きく揺れ、彼はそのまま空中へと飛び出していた。

「わっ、バカ!」

「あっ!」

「ツァガンくん!」

 気がついた時には、支えもなにも無い。

 慌てて戻ろうとするも、どだい無理な話であった。

――お、ちる。

 そう思った。

 だが、柔らかいものが、背中に当たった。

「危ないところでしたね」

 女の声が、聞こえた。

「じっとしていてください、一緒に麓まで行きましょう」

「エルージュ?」

 彼女の細い腕が、己の背中から胸へと伸びている。

「あっ、え、も、もしか、して」

 背中の柔らかな感触に、ツァガンは慌てた。

「だめです、動かないでください、ツァガン」

「で、で、でもっ」

「動かないで」

「う、うん……」

 女の胸に抱かれて、ツァガンは渋々おとなしくした。

 クラウスたち三人は、既に遥か下まで進んでおり、エルージュとツァガンもその後を追う。

 胸の鼓動が、激しい。


 山の麓。

 ツァガンは、伸びていた。

急激な下山での目眩と、死にかけた衝撃に、エルージュと密着していたという事実もあってか、頭が混乱しきっていた。

 クラウスは、狼煙を焚いていた熊の氏族に礼を言い、すぐにでも西の世界に戻る、と伝えた。

「ツァガン、起きろ。出発するぞ」

 ヴァシリーとサラは、早くも支度をととのえ、エルージュは心配そうに、ツァガンの顔を覗き込む。

 一向に起きる気配を見せない彼に、クラウスの苛立ちがつのった。

「起きろ!いつまで寝てるつもりだ!」

 蹴り飛ばそうと、足を振るうが、その足を止める手が見えた。

「もう少し、待ってください」

 そう言って、エルージュはツァガンの上体を起こす。

 しばらくは、ぼんやりとしていたツァガンだったが、次第に目の焦点が合いつつある。

「ツァガン」

 優しく、呼ぶ。

 それを契機として、彼の目は覚めていた。

「あっ、オ、オイラ、あれ?」

「ようやく、お目覚めか」

 クラウスが、鼻から息を吐いた。

「西の世界に帰るぞ。聖剣の力で、あいつを倒さなきゃならない」

 クラウスは、踵を返した。

 ツァガンは、よろよろと立ち上がる。

 先に行くクラウスの後を、エルージュが寄り添うように歩く。

 山から吹き下ろす冷たい風が、ツァガンの身体を通り抜けた。

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