21 聖剣クォデネンツ
「うーん」
目の前の怪物を、一刀両断しつつ、クラウスは首を傾いだ。
返す刀で、もう一匹を屠る。
異形の怪物どもは、黒い粉と化し、渦の中へと消えていく。
「どうしました、クラウスくん」
ヴァシリーが、太鼓を叩き、穢れた場を浄めていた。
ここは、モスクワ大公国の東のはずれにある。カザンから北に行った、フルィノフという町近郊だ。
緑濃い針葉樹林と、淡き碧の草原が入り交じる、気候の境目に位置する。
空はどこまでも澄み渡り、不安を孕んだ風が、時折吹き抜けている。
街道には、人々の姿はほとんど見えず、黒い渦だけが、鼓動をするように蠢いていた。
大山脈山中にて、聖剣クォデネンツを手に入れたクラウスだったが、どうも様子がおかしい。
「うーん?」
銀色の、錆一つ無い聖剣を眺め、彼はしきりに唸っている。
剣を持ち、構える。
そのまま腕を振り上げて、何も無い空間を切り下げる。
そして、また、首を傾げる。
この繰り返しであった。
「クラウスさん、どうしたんでしょうね」
サラが、そう言った。
「さあ?」
ヴァシリーも、首を傾げる。
「何もない、ところ、切ってる」
ツァガンが、手を剣に見立てて、腕を振った。
「おかしい」
クラウスが、呟いた。
「何か、気になりますか?」
黒い渦を消し去ったヴァシリーが、問いかけた。
「この剣、本当に聖剣なのか?」
「えっ」
「どうも変だぞ、俺はこれが聖剣だとは思えない」
「何を言っているんですか、クラウスくん。これは聖剣で間違いないですよ」
慌てるヴァシリー。
「そうですよ、これは聖剣なんですぅ」
サラの頬が、少し膨らんでいた。
「本当かあ?」
「本当ですよ、どうして疑う必要があるんですか」
ヴァシリーの言葉に、クラウスの眉間にしわが寄った。
「これ、手応えがよくない、切れ味がすごく悪いぞ」
聖剣を傾けて、彼は刃先を確認する。
輝く刀身に、砥石で磨き上げられたような、鋭い刃先が見えるのだが、どうにもそれは切った手応えと一致していない感じがしていた。
「見えない鞘が被っているみたいで、重いし鈍い」
クラウスはそう言って、聖剣を鞘に収めると、次いで水の王からもらった、ニシンの剣を手に取った。
「まだ、こっちの剣の方が、切れ味いいな」
片手で、ニシンの酢漬け剣を振り回す。
酸っぱい臭いが、辺りに立ちこめた。
「それ、しまってください、臭いますから」
ヴァシリーが、顔をそむけた。
サラは、鼻をつまんでいる。
ツァガンは、脳天気に尻尾を振っていた。
街道沿いの木陰で、一行は休憩していた。
光射し込む、木々の合間に、小さな野の花が咲き乱れる。
狂い咲き、とも言うべきこの状態は、世界の歯車が少しずつ、ずれているのを表してもいた。
季節は冬なのだが、相も変わらず雪の降る気配は、ない。
冬を忘れてしまった世界は、このまま死へと進んでいるかのようであった。
「そうしたらクラウスくん、ちょっと聖剣と対話しましょうか」
芝の上に腰を下ろし、ヴァシリーは太鼓を持つ。
「対話?なんだそれ」
クラウスが、不思議そうな目で、聞き返した。
「聞くのです」
「聞く?」
「はい、聖剣自身に聞いてみます、どうして手応えが悪いのか、直接聞きます」
「おいおい、これはただの剣……」
「ただの剣ではありません、これは聖剣クォデネンツです」
ヴァシリーの目が、黄金色に輝いた。
彼は、シャマンとしての職能で、剣と対話を試みようとしていた。
ようやく手に入れた、世界を救う鍵となる聖剣。しかし、その聖剣の様子がおかしい。
それが、所有者に問題があるのか、それとも聖剣にあるのか、彼は考えた。
所有者に何かがあるのなら、言葉を交わせば分かる。所有者は人間、会話が出来る、れっきとした人間である。
だが、聖剣にあるとすれば、それはものを言わない。何が悪いのか、語ることの無い聖剣である。
語らなければ、直接精神で探ればいい。精神世界では、万物は語り合える。何が原因なのか、判明する。
「ヴァシリーの言うこと、オイラ、分かる」
ツァガンが、大きくうなずいた。
「なぁにが分かるーだ、この」
クラウスは、冷やかす。
「もの、全部、心ある。獣人、獣、人間、みんな同じ、みんな一緒」
「同じなんですか?」
サラの首が傾いだ。
「うん、一緒。もの壊れたら、ありがとうって、感謝して、火にくべる。そうすると、ものの心は次のものに行く、大事にすれば、ものは長持ちする」
「ツァガンくんの言うとおりです」
万物に心は宿る。
それは、人間であり、獣人であり、獣であっても、全ては同じであった。
大自然の木々や岩、川や湖。果ては人々が踏みしめる大地までも、心は宿るとされていた。
だが、そう考える者は、西の世界にはほとんどいない。
西には、物が溢れすぎているためか、人はそこまで気が回らなくなっているのが、現状だった。
「分からないな、物は物だ、心なんかあるわけがない」
「頭が固いですね、クラウスくん。もっと柔らかくしてみてください」
「なんだよそれ」
「クォデネンツは、君にしか触れることを許さないのです。私やツァガンくん、サラちゃんは、触ろうという気すら起きません、不思議なことに」
ヴァシリーの説明に、クラウスの表情が理解不能という動きをした。
「聖剣には、心があります、意思があります。その意思で君を選び、私たちには触れないよう暗示をかけているのです。心が無ければこんな事は有り得ません」
その言葉に、クラウスは聖剣を手に取る。
有り得ない。というヴァシリーの指摘に応えるように、聖剣はキラリと輝いてみせた。
「そこまで言うなら、聞こうじゃないか。こいつに心があるなら、問い詰めてやろう」
クラウスが、聖剣を彼の前に突き出す。
ヴァシリーは、うなずき、大きく息を吸い、吐いた。
「では――」
太鼓が叩かれ、クラウスの持つ聖剣を正面に、ヴァシリーは祈りの文言を口にした。
白い空間がある。
果ての無い、上下左右の区別無い、ただただ広がる茫漠のそこには、聖剣クォデネンツの姿だけがあった。
銀色、かつ細やかな飾り彫刻のあるそれは、鋭い音を奏でている。
ヴァシリーが、問いかける。
剣に。心に。
何が不満なのか。力を阻害しているのは、なぜなのか。
根気強く、ヴァシリーは問い続ける。
長い、長い時間の後に、ふと言葉が、彼の心に飛び込んだ。
――テングリ。
聞いたことも無い、それが何を表すのか、それさえも分からない言葉だ。
彼は、その言葉の意味を問うも、クォデネンツは、何も語らない。
やがて、白い空間が、縮みだした。
聖剣クォデネンツが、ヴァシリーを拒絶し始めたのだ。
強大すぎるその力に、彼は為す術もなく、そこから弾き出された。
ヴァシリーの身体が、揺れていた。
太鼓を胸に抱き、額から大粒の汗を流しつつ、彼はうなされていた。
「ヴァシリー、苦しそう」
ツァガンが、心配そうに彼を見る。
「どうしたのでしょうか?」
サラも、不安げにそれを見守る。
「うまくいったのか?まさか失敗したんじゃ……」
クラウスの顔が、青ざめた。
その時、ヴァシリーが顔を上げた。
「クラウスくん、テングリです!」
大声で、彼にそう言った。
「はあ?」
「どういう意味かは分かりません、でも、テングリなんです!」
素っ頓狂な言葉に、クラウスの顔が歪んだ。
「なんだ、それ?」
「だから、テングリなんですよ」
クラウスは、分からないという顔である。
しかし、その言葉に、一人反応をしている者がいた。
ツァガンだ。
「オイラ、テングリ、知ってる」
「本当、ですかっ」
ヴァシリーが、食いかかった。
「う、うん。テングリ、山のてっぺん、大きな山に、ある」
それはどこにあるのか、ヴァシリーは問う。
「オイラの、故郷にある」
「まさか……」
「東の、森の中」
一同は、驚いていた。
「オイラたち、獣人、山のてっぺん、テングリ言う。天の神様が住む、高い山の上」
「神の座……」
ヴァシリーの身体が、震えた。
師匠であり、父でもある、春の呪術師から、それは存在していると聞かされていた。
神々は、大きな高い山の上に座している。
そこは、人が立ち入ることのない、神聖で穢れ無き場所とされ、この地上と神々のおわす天上とを繋ぐ、世界樹と呼ばれる巨木が中心に聳えているという。
まだ世界が、混沌とした海だった頃、海底が盛り上がり、大地が産まれ、その大地の中心に山が出来上がった。
世界を創造した神々は、その山を棲家と定め、世界樹の梢から、地上を見守っていると言われていた。
「それで、そのテングリとやらに、行けばいいのか?」
クラウスは、聖剣クォデネンツに語りかけた。
クォデネンツは、そうだと言わんばかりに、甲高い音を立てる。
「でも、私やクラウスさんが行っても、いいものでしょうか」
サラの声が、おののく。
二人は教義こそ違えど、教会に属する者なのだ。
異民族の信じる、異教の神々の元に行くと聞いて、急に怯えが来たようであった。
「サラ、平気。オイラの故郷、そんなに怖くない、オイラがついてる」
そうではない。
サラの目が、訴えていた。
ユグラにほど近い、小さな町。
四人は、今夜の宿をこの町と定め、まだ日のあるうちに夕食を取ろうとしていた。
ところが。
「クラウス、またぁ?」
ツァガンが、うんざりした声を出す。
「文句言うな、いくぞ!」
クラウスが、剣を抜き、走り出す。
「サラちゃん、夕飯は少し待ってくださいね」
「はぁい……」
サラの声が、元気なく発された。
それもそのはず、酒場に入ろうとした一行の背後に、異形の怪物が、姿を見せていたからだった。
「オイラ、腹減ってるからな!」
空腹で苛立つツァガンが、吼えた。
怪物は、岩のような鱗を身にまとった、人よりも遥かに大きな四つ足鳥だった。
両の翼を大きく広げ、鱗の隙間から生える羽毛が、青白く光った。
人々は、その怪異を目の当たりにして、散り散りに逃げ惑い、家々の窓や扉を固く閉ざしていた。
「サラ、魔法を頼む!」
クラウスの言葉に、サラは八端十字架の杖を、くるりと翻す。
素早く詠唱を終え、狙うは四つ足鳥の鱗だ。
かけ声と共に、魔法はその杖から放たれ、ゴツゴツとした鱗を何枚も引きはがす。
剥き出しになったその部分に、クラウスの剣が突き立てられ、翼の一つが、ツァガンの手によって、引きちぎられた。
四つ足鳥は、身体に纏わり付く二人目がけて、青白い炎を吐く。
「わ、わ、あっ、熱い!」
ツァガンが、転がる。
「この野郎!」
剣を引き抜き、クラウスは、鳥の頭目がけて、それを振り下ろす。
「ツァガンくん、大丈夫ですかっ」
ヴァシリーが、ツァガンの傷を癒やし、サラが追撃の魔法を放つ。
治りかけた傷をものともせず、ツァガンは再び駆け出す。
魔法で装甲が薄くなった頭部を、クラウスの剣が切り裂いた。
そしてその頭部をツァガンが掴み、己の体重をかけて捩り切った。
町の宿。
ヴァシリーを除いた三人は、泥のように重い身体を、寝台に横たわらせていた。
「疲れました」
サラが、声を絞り出した。
「それは、俺らも同じだよ」
クラウスも、天井を眺めつつ、ぼやく。
「腹、減った」
ぐう、と、ツァガンの腹が鳴く。
「なんで、怪物、こんなに、出る?」
「そーですよ、これではゆっくり休めないですぅ」
ツァガンが、サラが、不満を漏らす。
「知るかよ、そんなの。俺だって知りたいよ」
クラウスが聖剣を手に入れてから、異形の怪物どもは、その出現頻度を増していた。
ある時は、町中で。ある時は、街道で。またある時は、食事の最中に。
草原、森、川、湖、ありとあらゆる場所で、奴らは湧き、魔法で人々を傷つけた。
「でも、オイラたち、狙われてる、気がする」
考えてみれば、そうであった。
行く先々で待ち構える、怪物らは皆、クラウスを狙っていた。
彼の持つ聖剣が恐ろしいのか、しつこいぐらいに、剣を破壊しようと襲いかかった。
それは休憩している時ですら、例外ではなかった。
「勘弁してくれよ、どうしたらいいんだ」
ため息が、漏れた。
その時、ツァガンが跳ね起きた。
「クラウス、外っ!」
「外……?」
そちらを向く。
陽の光が射し込む、明るい窓辺だが、いやにそこだけ暗い気がする。
ぬめりを帯びた、丸い何かが忙しなく動き、窓を覆っている。
丸い何かの動きが止まった。
じっと動かず、クラウスの方を向く。そして丸いものが、ぐりんとひっくり返った。
「いっ、いやああああ!」
それに気づいたサラが、悲鳴を上げた。
丸いものが遠ざかり、それが何であるか、ツァガンとクラウスも、ようやく理解した。
丸いものは二つある。黒いのっぺりしたものに張り付き、その下には三日月様の裂け目が見えている。
「な、何これ、大きい、顔!」
ツァガンが、叫ぶのを合図として、黒い巨大な顔は、窓から侵入を開始した。
「う、うわ、ま、まずいぞ!」
黒い顔が窓枠に引っかかり、みちみちと黒い肉が伸びる。
三日月の裂けた口から、淀んだ生臭い風が吹いてきた。
慌てて逃げようとするクラウスだが、身体が重く、その自由はきかない。
黒い顔が、クラウスを粘つく丸い双眸で捕らえた。その時。
「間に合った!」
突如、部屋の扉が開け放たれ、ヴァシリーが飛び込んで来た。
「立ち去れ!」
太鼓を叩き、鋭い清涼な空気が、黒い顔へと襲いかかる。
丸い目玉に、無数のひび割れが生じ、粘つく水が、床に垂れ落ちた。
黒い顔は、両の目を破壊され、得体の知れない咆吼を放ちつつ、窓の外へと消えていった。
「はぁ、はぁ、危なかった……」
ヴァシリーの額から、汗が流れた。
「あっ、う、うあっ、わああん」
「サラちゃん、もう大丈夫ですよ。怖いのは消えましたから」
汗を拭い、彼は腰を抜かして泣きじゃくるサラを慰める。
優しく、落ち着かせるように、何度も小さな背を撫でつける。
涙と鼻水で顔を真っ赤にしたサラは、ヴァシリーの広い胸に抱かれ、肩を震わせていた。
「な、なんだったんだ、今のは」
クラウスが、よろけつつ立ち上がった。
「か、顔、すごい、大きい」
ツァガンの尻尾が、逆立っている。
生ぬるい汗が、頭皮を滑り落ちる。背中を滴る。
心臓が、有り得ない速さで、鼓動していた。
「二人とも、ケガはないですか」
「ああ、俺も、ツァガンも平気だ。それよりヴァシリーは、どうだったんだ」
「はい、それなんですが、少し面倒なことになっています」
彼は語り出した。
酒場の前で現われたもの。それの元を断とうと、ヴァシリーは単身で町中を捜索したのだが、黒い渦など、どこにも見当たらなかった。
それどころか、どこからかやって来た異形の怪物どもは、一直線にクラウスを狙うべく動いていたとのこと。
宿へ戻る道中、何匹かは倒したのだが、一匹だけ取り逃してしまい、こういうことになったらしい。
「え、えええ、どうしたらいいんだ、おい」
「分かりません。聖剣が、その力を発揮していないのも関係あるでしょうね」
このままでは、休息を取ることなど、不可能だ。
四六時中、追われ、襲われる恐怖に、彼らは晒され続ける。
これを打開するのは、ただ一つ。
「一刻も早く、テングリに行くしかない。か」
「それしか、ないでしょう」
ヴァシリーの声が、重い。
何日か後、彼らは再びそこに立っていた。
この世界に身を横たえる、巨大な大地の隆起だ。
大山脈と呼ばれる、その頂に、四人は立っていた。
険しい峰々が連なる山脈は、岩と雪、そして薄い空気が、人の往来を阻害する。
しかし、その厳しい山の、ほんの一ヶ所にだけ、なだらかな丘陵地帯が存在していた。
そこは、大山脈西側山麓を根城にする、ユグラの領域であり、その向こうの東側山麓との、数少ない交易路として、ユグラの民が支配していた。
「この先、オイラの故郷」
雲一つない青空の向こうに広がる、緑濃き大樹林地帯を指さして、ツァガンは言った。
空気は薄いが、空の色は果てしなく濃く、青い。
クラウスは、東の世界を、眺める。
開拓されてもいない、穢れなき処女の地が見える。
あの森の下では、ツァガンのような、獣人。そして多種多様な獣たちが、駆け回っているのだろう。
サーミ、ヴェプサ、ネネツ、ペチェラ、ユグラ。その他、今はもういない北方諸民族を生み育んだ、民族揺籃の地がある。
遥か古代、人々が未だ明るくなかった昔から、大自然の中で、人は神を身近に感じ、巡る季節に感謝しながら、懸命に生きていた。
人の手では、どうにもならない災害もあれど、自然はそれに勝るほどの恵みを、もたらしもした。
その世界が、危機を迎えている。
これを救えるのは、勇者であるクラウスと、聖剣クォデネンツだけだ。
「ここの麓、犬の氏族と、熊の氏族、いる。船、使うなら、熊の奴に頼もう」
ツァガンが、そう言った。
「ユグラのチョスヴァ、何かあったら、熊の奴ら頼れって、言ってた」
ここに辿り着く前に、山を越えることを、クラウスはチョスヴァに告げた。
チョスヴァは、一行を労い、山向こうの熊の氏族は、ユグラの縁戚にあたる者らだと言った。
そして、何かあれば、俺の名を出せ。熊の奴らはそれで分かる。元は同じ氏族であり、同じ獣人だ。勇者を手助けするだろう。と、彼らに伝えた。
不意に、背後から、生ぬるい空気が忍び寄った。
それは、クラウスを狙う、悪しきものどもの気配だ。
「行こう、みんな」
その空気を振り切るように、クラウスの足が動いた。
足が、前へ出た瞬間、背後のそれは霧散した。
そして、身体を覆うのは、ひんやりとした、冷たい空気になる。
――ここからが、東の世界か。
真冬の最も寒い日の、張り詰めた緊張感が、一行を包んでいた。
大樹林地帯の遙か向こうには、微かに山の稜線が、見える。




