↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/40

20 カザンの草原にて

 日が、じりじりと照っていた。

クラウス、ヴァシリー、サラ、ツァガンの四人は、真夏のような突き刺す陽射しの中を、ひたすらに歩いていた。

 ユグラの村を発ち、それからすぐに年が明け、季節は真冬でなければいけないのだが、それを表す白いものは、未だ姿を見せなかった。

――今年の冬は、厳しい。

 ユグラのチョスヴァの言葉が、胸に引っかかる。

その言葉には、色々な意味が含まれていた。

 天候、災害、飢餓、戦争。

 そのうちの、戦争は、既に起きている状態であった。

 皇帝ツァーリ親衛隊オプリーチニキの暴虐と、異民族への侵略だ。

 災害も、ある意味で起きている、真っ最中であった。

 ヴァシリーの兄の、放浪と狂乱である。

 残る二つは、足音を立てずに、忍び寄っていた。

 雪の降らない、冬だった。

冬なのに、冬でない、今のありさまは、明らかに異常であった。

 雪が無ければ、春の洪水は起きず、肥沃な土地は、もたらされはしない。

土は痩せ衰え、植物は立ち枯れ、作物は実りを忘れる。

 待ち受けるは、飢饉という地獄だ。

 大地が、黒きもので覆われるのも、時間の問題だった。


 草原。

 カラカラに乾いた風が、大地を吹き抜ける。

北方諸民族が居住する、樹林地帯を抜けた先は、どこまでも広がる、無限の草原だった。

「ねえねえ、ヴァシリー」

 目印らしい目印もない、茫漠と広がる大地を眺めつつ、ツァガンは言った。

 地平の彼方では、馬に乗った者たちが、土煙を上げて疾走している。

「なんですか、ツァガンくん」

「オイラ、相談、ある」

「相談?」

「うん、オイラの、氏族のこと」

 彼は、語り出した。

 ある秋の日のこと、ツァガンの故郷である、東方世界の大樹林で、火事が起きた。

火は、瞬く間に燃え広がり、広大な森は灰燼と帰した。

 森が死んだことで、食料が取れなくなった。

 木の実は減り、獣は姿を見せなくなり、その日、その日の食事にも、事欠くような有様になった。

 森を蘇らせないと、我ら狼の氏族が死に絶えてしまう。

 父はそう言った。

 ツァガンたちは、東方世界の獣人なのだが、なぜか自分たちのシャマンを持っていない。

森の周囲に住む、他の獣人氏族たちは、自らのシャマンの力で、なんとか森を蘇らせようとしている。それが出来ないのは、ツァガンたちだけ。

 こうなったら、西の世界にいるという、春の呪術師ヴィスナーシャマンに頼むしか無い。

 そう言われて、ツァガンは西の世界へと来たのだという。

「ヴァシリーは、シャマン。春の呪術師の子供。魔法、使える、森を蘇らせる」

「でも、それは……」

 無理だと、彼は言った。

彼も、彼の父である、春の呪術師も、そんな芸当は出来るわけが無かった。

 各シャマンは、自身の氏族のためにしか、祈ることは許されない。

 世界の命運を託された、勇者に祈ることは可能でも、それはあくまで世界のため。

 いつ敵に回るやも知れない、他の氏族に祈りを分け与えるなど、言語道断であった。

「じゃ、じゃあ、よそのシャマンを、オイラの氏族にするの、どう?」

「どうって……、それも無理な話ですよ」

「ええー」

「シャマンは、誕生した氏族に属しています。途中で氏族を変えるなんて、まずありえません」

「そ、そんなあ」

「あとは……、うーん」

 ヴァシリーは唸っていた。

「女のシャマン」

 そう呟いて、頭を振った。

この世界、シャマンは数多く存在すれど、それは存在しないと、言われていた。

 女のシャマンとは、その氏族に属しながら、異なる氏族の男と結ばれることで、両の氏族に祈りを捧げることが出来る者だ。

 だが、その者は、長いシャマンの歴史の中でも、ただ一人しか、確認されていなかった。

 太初のシャマンは、この世界に初めて存在したシャマンであり、遥か昔に消えた女である。

その女が、実際に両の氏族を祈ったかは、分からないが、男しかいなかったシャマンたちは、こぞってその女を、そうと決めつけた。

「なーにを、話し合っているんだー?」

 クラウスが、無造作にツァガンの頭から、キノコをむしり取った。

「い、い、いたい!」

 不意の痛みに、ツァガンが転げ回った。

「悩み事か?」

「まぁ、それに近いものです」

 ヴァシリーは、かいつまんで説明をした。

「つまり、ツァガンの氏族とやらは、シャマンを必要としているのに、ヴァシリーにはどうすることもできないのか」

「う、うん」

 頭をさすりつつ、ツァガンが答えた。

 クラウスは、少しだけ考えた。

北方諸民族のシャマンの祈りは、現在、彼にかけられている。

世界を救うという、命運を託された勇者の、その歩みを支えるために、彼らは日夜、祈り続けている。

 そして、水底の王が言った、全てを解決する者という言葉だ。

 もしかしたら、これらが合わされば、ツァガンの件は解決できるのでは、あるまいかと、彼は思いついていた。

 あるいは、解決まではいかなくとも、それを解きほぐす糸口になれば――。

 そう、結論づけた。

「おい、ツァガン」

 黄金色の頭をさする、彼を見る。

「ヴァシリーの代わりに、俺がなんとかしてやるよ。俺は勇者だからな」

 その言葉に、ツァガンの尻尾が、激しく振られていた。

「ほ、本当?」

「ああ、嬉しいだろ?」

「う、うん、オイラ、嬉しい!」

 屈託の無い、笑顔だった。


 カザンの草原。

突き刺す陽射しが、焼けるように暑い。

 クラウスは、流れる汗を拭いつつ、遠くに見える陽炎を追っている。

 大きく開いた口から舌を出し、ツァガンは喘ぐような息づかいである。

 ヴァシリーは、丈の長い衣服を捲り上げて、少しでも涼しい風を中に取り込み、サラは、ヴァシリーの掲げる、太鼓の影に身を寄せていた。

「おーい、少し休まないか?」

 クラウスが、限界だとばかりに、声を出した。

「賛成です……」

「オ、オイラも……」

「異議ないですぅ……」

 一行は、岩が無造作に転がる、その場所で、休憩を取り始めた。

 岩が作る僅かな日陰に、皆は腰を下ろし、しばらく遠くをぼんやりと眺める。

草原と砂漠の合間だろうか、そこには、駆け抜ける騎馬の姿があった。

「ここ、どこなんだ」

 クラウスが、喘ぐような声で、誰とも無しに聞く。

「カザンの領域に入ったようですね、走っているのは、タタールどもですよ」

 ヴァシリーが、地平の向こうの騎馬を指した。

――月と星が支配する、ところ、か。

 それが意味するものに気づいて、ヴァシリーは緊張した。

「大丈夫なんですか、こんなところ」

 サラが、少し怯えていた。

「馬、まだ遠く、いる、こっちには、気づいて、いない」

 ツァガンは、額の汗を拭った。

 四人はしばらく押し黙り、消耗した体力を取り戻そうと、大きく深く呼吸を続ける。

 やがて汗も引き始め、クラウスは情報を整理しようと、もちかけた。

「まず、天に向かう鹿、ですね」

 ヴァシリーが、サーミのヤッパに言われた言葉を出した。

「それから、右にさかずき、胸に掲げ、夜明けに向かえ、です」

 サラが、ヴェプサのヤコフの言葉を継ぐ。

「それと、うた」

 クラウスが、ネネツのギィダンのそれを言う。

「男が、いる、男は、上を向く、鹿は、夕陽に向かい、男は凍れる地へ、歩く」

 ツァガンが、一つ一つ、ペチェラのソランダーの言葉を、丁寧に思い出す。

「男は剣を持つ、倒れることのない、不滅の男、うたが、それを目覚めさせる……」

 ヴァシリーが、最後の手がかり、ユグラのチョスヴァのそれを、言った。

「分からないな」

 クラウスが、息を吐いた。

「天に向かう鹿って、何なんだ。鹿が空を飛ぶとでも、いうのか」

「鹿って、大きく跳びますよ。それじゃないんですか?」

 サラの言葉に、ヴァシリーは首を振る。

「そうではないんです。ないんですが、うーん」

 悩む三人を横目に、ツァガンがもぞもぞと動いていた。

腕を組み、頭を何度もぐるぐると巡らす。

 暑さで、ついに気が狂ったのかと、クラウスは思っていた。その時。

「あ、あ!お、思い出したっ!」

 大声と共に、彼は立ち上がった。

「天に向かう鹿、オイラ、見た!こっちの世界、来る途中、見た!」

「ほ、本当か!」

 三人は、一斉に声を上げた。

「あれ、鹿石!鹿石のこと、言ってる!」

「鹿石?」

「そ、そ、そう、背の高い、大きな石に、鹿が、彫られてる、やつ!」

 それは、何なのか、クラウスは問うた。

「あ、あのね、こんな感じの、石で……」

 ツァガンは、自分の背後にある、細長い石を叩いた。

「え、それ……」

 ヴァシリーが、指をさす。

 ツァガンは、振り向いた。

 そして、驚いた。彼が触っているもの、それこそが、鹿石であった。

 四人で最も背の高い、ヴァシリーの身長を遥かに凌駕するそれは、地面を穿ち、そこに永遠に立ち続ける、一種のしるし、ともいうべきものであった。

「み、見て!鹿!鹿がある!」

「これは……、また見事な紋様の……」

 鹿石の表面を優しく撫でながら、ヴァシリーは息を吐く。

 表面には、鹿のように見える、大分デフォルメされた動物紋様が刻まれており、大きな角と、天に向かって駆け上がる、躍動的な鹿の動きが、いくつも見受けられた。

 鹿の目玉は、大きく丸く描かれ、鼻っ面は鳥のクチバシの如く細く伸びてはいるが、それを見た誰もが、これは鹿である、と思わせる強烈な印象を放っていた。

 鹿石の周囲の、一見無造作に転がっている岩は、よくよく見れば規則正しく並んでいるのが分かり、それは鹿石と同列か、少しずれた位置に平行して続いていた。

「鹿は夕陽に向かい……って、ここから西に向かうのか?」

「どうやらそうですね、この鹿は、動かないものですし」

「西……」

 四人の双眸が、地平の彼方を見つめていた。


 日が、正面の地平に向けて傾き始めている。

薄い筋雲が空に描かれ、厳しい陽射しも少しは柔らいだ様子だった。

 遥か彼方に見えた、それを目指して、一行は歩き続け、ようやくそこに辿り着いていた。

「これが、次のしるしか?」

 クラウスは、開いた口がふさがらなかった。

「確かに、上、ですけども……」

 ヴァシリーが、少し目を反らす。

「あはは、こいつ、すごい」

 ツァガンは、ただ笑うばかり。

「男の人、ですか?これ?」

 サラは、不思議そうに、それを見ていた。

 四人の目の前には、人の形をした、石の像――石人があった。

風貌は、口ひげを蓄えた、丸い顔の男になっており、鹿石と同じく、デフォルメされたデザインが特徴的なものだった。

 石人は、きちんと両腕までが彫り込まれ、その手には棒だろうか、細長いものが握られている。

 そして、何よりも目を引くのが、股間に彫り込まれた巨大な男根で、明らかに胴体とそれのバランスが合っていなかったうえに、屹然と怒り立っている状態であった。

――うそだろ、ルーシ人は皆こうなのか?

 ちらりと、クラウスはヴァシリーを窺う。

――男根は生命力を表すと言いますが、さすがに巨大すぎますね……。

 ヴァシリーは、ツァガンを見る。

 ツァガンは、腹を抱えて笑っている。

「クラウスさん、これ……」

 何も知らないサラが、指を差したのに、二人は慌てていた。

「ヴァ、ヴァシリー、どっちに行けばいいんだ?」

「お、男は、凍れる地、ですから、北ではないですかね」

「だっ、だよなー、行くぞー」

 なるべくそれに目を向けないよう、二人は笑うツァガンとサラの手を引いて、北へと向かう。

 道中、それについて言ったツァガンの頭をひっぱたき、もうそれのことは口にするな、とクラウスは念を押す。

 ヴァシリーも、逆らうな、としか言わなかった。


 北へと向かうこと数日、またも目の前に石人が、現われていた。

今度のそれは、周囲に石列バルバルを伴い、何かここで祭式が行われていた。そういう空気を醸し出していた。

「今度のやつは、手に何か持っているな」

 ものを言わないそれは、胸のあたりにさかずきを一つ、掲げていた。

「右手に杯……ですね」

「夜明けというと……」

 サラの言葉に、皆がその方角を見た。

 そこには、峻険なる峰々が座す、大山脈がある。

「本当に、こっちでいいのか?」

 クラウスの声が、不安の色を帯びる。

「信じるしか、ないでしょう」

 力のない、ヴァシリーの返答。

「オイラ、ここ、越えた。余裕、余裕」

 脳天気な、彼の言葉に、クラウスはますます不安になった。


 山の中を、一行は歩いていた。

雪の無い山道は登りやすく、お互いに手を取り肩を貸しあい、どこかにあるであろうしるしを目指して突き進む。

 あらかじめ麓で仕留めた獣を保存食にし、彼らは山中を探し回る。

ゴツゴツとした岩が重なる、草木も生えない荒れた地を通り、強風吹き荒れる谷筋を、這うように歩く。

 横を流れる川は、飛沫の激しさを増し、それが傾斜の厳しさを物語るようであった。

視界の両側に聳える、断崖絶壁からは、時折、落石が起き、一歩間違えば、それが死に繋がりかねない危険をも孕んでいた。

 やがて川は姿を消し、礫の目立つ底が見えるようになる。

水の絶えた沢を越え、不安定な足場を、懸命に進む。

 本来であれば、ここは雪で閉ざされ、来る者を拒む、白き壁となる。

 だが、そうならなかったのは、クラウスにかけられたシャマンの祈りのお陰なのか、はたまた世界の終わりの気候変動による影響なのか、それは誰にも分からなかった。

 ただ一つ、言えることは、これはそういう運命だ、という事だけであった。

「あ、あれ……」

 誰かが、声を出した。

 険しき山の頂上近くに、大小様々な岩が転がっている。それらの隙間に、石の男が立っていた。

虚空を見つめる、石人の手には、大きな剣らしきものが彫られている。

「男は、剣を持つ――」

 クラウスが、肩で息をしつつ呟いた。

「ここで、うたを、歌う……」

 仮面の下の、ヴァシリーの声が荒い。

 彼は、太鼓を構えた。

 サラとツァガンは、その様子を、黙って見届けた。


 タン、タン、タン――。


 ヴァシリーの口から、ネネツの、カマスを称える歌が、紡がれる。

紡ぎ織られた言葉は、目の前の石人に向けられ、そして永遠なる天へと広がっていく。

 澄み切った、雲一つない青空の彼方に、今もいるであろう、カマスへ向けて、うたは飛ぶ。

 彼らは聖剣を守護し、北方諸民族や、ひいては東方の獣人と溶け合った、幻の氏族クランだ。

 半ば、伝説となったそれを、目覚めさせようと、ヴァシリーは太鼓を叩き続ける。

 偉大なる、氏族。

 原郷にいた、者たち。

 皆、いずこへと散らばり、今は、孤児みなしごとして、聖剣を護る。

 ただ、独りの――。


「ヴァシリー」

 クラウスが、喉から絞り出すように、声を発した。

 彼と、ヴァシリーの目の前に、銀色の大きな剣が、浮かんでいた。

錆一つ無い、顔が映り込みそうに、鋭く磨き上げられた、剣があった。

「クォデネンツ……」

 剣は、その言葉に応えるように、短く甲高い音を立てた。

 これが、聖剣だ。

 これこそが、大地を割る聖剣である。かつて赤毛の勇者が所有していた、剣なのだ。

 クラウスの、身体が震えていた。

寒い訳ではない、ただただ純粋に、恐ろしくも神々しい、その姿に自然と震えが起きていた。

「クラウスくん」

 ヴァシリーが、彼を見つめる。

仮面の下の双眸が、彼に取れと訴えかける。

 あれは、君にしか触れることを許さない。

 手を伸ばして、掴み取れ、世界を救う勇者クラウスと、そう目で語りかけた。

 クラウスは、静かに歩み出し、ゆっくりと手を伸ばす。

 震えは、ない。

破裂しそうな、心臓の鼓動が、体内に響く。

 だが、指が、それに触れそうな距離に迫った時、彼はその鼓動の音が聞こえていない事に気づいた。

 音はどこかへ消え失せ、白い静寂が彼と聖剣を包む。

 剣を掴んだ。

 それと同時に、白い静寂は弾けた。

 弾けた後、何かが視界の隅をふわりと飛んだ。

――雪?

 そう思った時には、それは影も形も消えていた。

「クラウスさん」

「クラウスくん」

「クラウス!」

 皆が、彼の名を呼んだ。

 手には、銀色の剣がある。

「や、やった……、ついに……」

 クラウスの身体を、熱い血が、駆け巡っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。