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老いらくの恋

 ――あのね、河原に桜並木があるの! 春になったらお花見に行きたいね! 私、お弁当作るよ! ジョナサンは食が細いから、ジョナサンが一口でいろいろ食べれるオカズをいっぱい作るんだ!


 冬の青空の下で、春を待つ顔で笑った少女。

 明るい笑顔を持っていても辛酸を舐めてきた少女だ。聞けば腹立たしい限りの扱いを受けてきたはずなのに、それでも懸命に生きようと頑張っていた。

 その姿はアジア圏に多い若竹のようだと感心したものだ。

 真っ直ぐにすくすくと、空を目指して伸びていく。


 それが微笑ましいとも、眩いとも、うらやましいとも、悲しいとも思った。


 悲しいのは自分に時間がないからだ。

 彼女と同じ時間を生きることが叶わない。


 もとからの年齢差もある。彼女が生まれた自分には自分はとうに不惑を過ぎていたほどの年齢差。

 だがそれを差し引いても、自分には時間が残されていなかった。

 病による命の期限は、年齢を差し引いても無情に少ない。

 

 十分に生きたし、十分に働いたし、義理とは言え、四人もの優れた息子たちに出会えた。

 もういい。もういいだろう。延命処置はたくさんだ。チューブに繋がれ人工的に呼吸をさせられるよりも、余計な手を加えずに心穏やかに神の御許に旅立とう。

 そう思って体の自由が効く間に大好きな日本で、自由な生活をしばらく楽しみ、ゆったりと過ごせばいい。


 病に侵されたジョナサン・フォスターは、自分の運命を受け入れる覚悟をする。その判断に息子たちは何も言わなかった。言わないことが優しさであり、家族としても気づかいだ。

 そうしてジョナサンは秋の終わりに訪日し、自分のために作らせたアパートで心穏やかにしばらくの猶予を楽しんでいた。


 義理の息子たちには迷惑をかけたと思う。

 事業を引き継いだ長男は日本と本国を行き来する羽目になったし、世話役の次兄、警護の三男は一緒に日本へと着いてきてくれた。

 末っ子の四男は学業があるため、渋るのを口説き落として本国に置いてきたのが可哀そうだったが。


 彼女の祖父の代から、フォスター家専任の医師として仕えてくれたエミリーにそうだろう。


 誰もが自分のついのわがままによく付き合ってくれたと思う。

 余命は冬いっぱいだと言われている。

 日本で有名な桜を見るまでは生き残れないだろうが、それでも日本に来てよかった。

 なにも悔いはない、なにも心残りはない。


 そう、覚悟していたのに――。


 ――ジョナサン、落ち葉で焼き芋は無理だよ……。

 ――甘酒飲む人はマグカップもって整列! あ、ジョナサンは並ばなくても一番ね!


 もういいと、十分だと、大人の分別を盾に先細りの暗い道を歩んだ自分に、それはあまりにも明るく暖かい輝きだった。


 笑顔で先細りの道を切り広げてくれた少女。

 不遇な生活でも生きることをあきらめない少女。

 諦めた世界にまだ見るものも聞くものもあるのだと、教えてくれた少女に。


 老いらくの、恋をした。

 


 それは情欲を伴わない恋だ。触れることも、キスすらも求めない、恋。

 彼女には、ただ笑ってほしい。ただ幸せになってほしい。ただ健やかであってほしい。

 親が子に向ける情愛にも似ているようで違う思い。


 息子たちは愛している。血が繋がっていなくても彼らは自慢の息子だ。

 だが同時に、息子である以上、何かしらの成果を残し、自分自身の力を世に知らしめろと教育してきた厳しい部分もある。

 時に厳しさも伴う、子供を育てるとはそういうことだ。

 

 だが少女は違う。

 ただ、ただ、ただ、幸せになってほしい。

 たとえ彼女の未来に自分がいなくても、幸せでいてほしかった。


 そんな恋の形があるなど、笑顔の少女に教えられるまでずっと知らなかった。有能さと同時に、厳しいことでも有名だった自分は、仕事も恋にも対価は必ず求めてきた。

 仕事の対価は説明の必要すらないだろう。

 恋で在れば、愛してほしい、見てほしい、こちらも幸せにしてほしい、誰でも思うであろう対価。――そんな対価を少女には求めていなかった。


 何十年生きてもわからない事がある。何十年生きて教えられた事だった。


 ああ、こんなにも真っ直ぐな愛があったのかと。

 純愛と呼ぶなら、これがそうなのかと。



 「……ねえ、テディ、ジン、エミリー。ボクは欲が出てきたよ。もう生きることには十分だと覚悟していたけど、一分一秒長く生きて、アミの笑顔を見ていたいんだ」


 ベッドに横たわりながら言った言葉に、息子たちと娘同然に育ってきたエミリーは涙を浮かべて笑っていた。彼らは暗い道に入ったジョナサンが、明るい道で人生を終えようとした気持ちが嬉しかったのだ。

 春まで持たない。冬の間にすべてをあきらめて神の御許に行く。

 そう諦観していた男に生きる欲が湧き出る。


「桜、アミと見たいね。彼女の作る料理はどれも美味しいよ。胃がなくても食べれるくらいに」



 ジョナサン・フォスターが神の御許に旅立ったのは、初夏――。



 愛した少女と愛する息子たちと、満開の桜並木で撮ったジョナサンのフォトグラフは、今でもアパートの壁に笑顔と愛を残して貼り付けてある。

 

活動報告の小ネタを集めれば連載にといわれ、その手があったか!と目から鱗でした。

ジョナサン視点は書き下ろしです。

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