番外編 女騎士の恋(セシル視点)
王太子ギルバートの従姉妹であり、王妃の護衛騎士としてその名を馳せたセシル。 剣を愛し、誇り高く生きてきた彼女に下されたのは、王太子の婚約者リリアーナの「筆頭侍女」への配置換えという、あまりにも不本意な命。 なぜ自分が? なぜ「平民育ちの娘」の世話を? 反発する彼女を繋ぎ止めたのは、ギルバートが仕掛けた卑劣で甘い罠。侍女となることを選んだ女性騎士の、葛藤と覚醒のエピソードです。
鏡の中に立つ自分を、私は冷めた目で見つめた。 金糸の刺繍が施された侍女の制服。颯爽と剣を帯び、叔母である王妃様の護衛騎士として生きてきた私にとって、このひらひらとしたスカートは、自尊心を削り取る象徴でしかなかった。
「お、なかなか似合っているな」
背後から声をかけてきたのは、幼馴染の侍従、アランだ。 彼は元メイドのハンナの息子で、幼い頃から私の剣の稽古相手であり、常に影のように寄り添ってくれた唯一無二の理解者。女性らしい恰好をアランに見せたのは初めてなので、なんだかむず痒い。
「ドレスというものは窮屈で息がしにくいな。足元から風が入ってきて寒い。慣れるまで時間がかかりそうだ」
「……俺のために、おまえの信念を曲げる必要はない。侍女なんて柄じゃないだろう。やりたいことをやれ。俺はどこまでもおまえについていく」
◇
事の始まりは、ギルバート殿下からの突然の命だった。
『母上の護衛から、私の婚約者の筆頭侍女へ移ってくれるか』
あまりにも不条理な配置換えだった。
私が反発しようとした瞬間、殿下は冷たく笑って言った。
『引き受けるなら、君の忠実な従僕を、近衛隊の正騎士に取り立てよう。アランは有能だが、身分が足かせになっている。セシルが首を縦に振るだけで、彼の未来は拓ける』
……殿下は知っていたのだ。今まで無私無欲で私に尽くしてくれたアランに報いたいという、私の渇望を。
そうして私は、不本意ながらリリアーナ様の部屋を訪れた。初めて見る彼女は、息を呑むほどの美貌の持ち主だった。だが、美しさと教養は別物だ。私は基本的な作法から教え直すつもりで厳しく接しようとした。
「リリアーナ様、まずはお辞儀の角度から――」
「こうでしょうか、セシル?」
完璧だった。指先の動き、視線の落とし方、さらには歴史や語学の知識に至るまで。彼女はすでに、高位貴族の令嬢として完成されていたのだ。驚きを隠せず問い詰めると、彼女はふわりと微笑んだ。
「母様が、すべて教えてくださったわ。いつか私が、誰にも恥じないようにって」
彼女を育てた「アンナ・ベルグマン」。旧姓アンナ・クレメンス。その名を聞いた瞬間、私は納得した。かつて王都の学園で「稀代の才女」と謳われながら、卒業と同時に王都から姿を消した伝説の女性……。リリアーナ様の気品は、血筋だけでなく、その深い愛と教育によって形作られたものだったのだ。
その日の夕刻、私は訓練を終えたアランに、今日目にしたリリアーナ様の驚くべき教養について打ち明けた。
「そうか……」
アランは夕日に照らされた顔を上げ、感慨深げに頷いた。
「ただ守られるだけの弱々しい令嬢かと思っていたが、それほどの研鑽を積んでこられたのか。……ならば、彼女は俺たちが命を懸けて仕えるに値するお方だな、セシル」
アランのその言葉に、私の胸のつかえがスッと降りるのを感じた。ただ殿下に命じられたからではない。私たち自身の意志で、この気高く孤独な姫君の盾になろうと、そう決めた瞬間だった。
翌日、王宮から支給された仕立ての良い騎士服に身を包んだ彼は、いつもの侍従姿とは見違えるほど凛々しく、逞しかった。
(なんだ……? この、胸の奥が騒ぐような感覚は……)
不意に、アランが私に気づいて歩み寄ってきた。彼は私の手を取り、熱を帯びた瞳で真っ直ぐに見つめてくる。
「セシル。俺は、お前にふさわしい男になってみせる。そうしたら、お前を……」
力強く抱き寄せられ、唇に触れる程度の軽いキスを落とされた。 全身の血が逆流したかのように、顔が火を吹くほど熱くなる。私は何も言えず、真っ赤になって固まってしまった。
その時。 遠く離れた回廊の柱の陰で、ギルバート殿下がこちらを眺めているのが見えた。 殿下は、リリアーナ様を手に入れた時と同じ、満足げで冷酷な笑みを浮かべていた。
(……ああ、そうか。私たちは、最初からあの人の手のひらの上だったのだ)
アランを騎士にしたのも、私をリリアーナ様の側に置いたのも、すべては私たちの「絆」を人質にするため。
けれど、私はもう後悔しない。この檻の中で、アランと、そしてあの孤独なリリアーナ様を守り抜くこと。それが、私が選んだ新しい道なのだから。
最後までお読みいただきありがとうございます。 今回は、物語の「檻」を盤石なものにしている侍女セシルの視点をお届けしました。




