番外編 側近の溜息(エリオット視点)
今回は少し趣向を変えて、ギルバート王子の側近・エリオットの視点からお届けします。
僕が仕える主君、アストルム王国の王太子、ギルバート・フォン・アストルム殿下――。僕にとっては1歳年下の従兄弟であり、幼い頃から共に育ってきた幼馴染でもある。彼は昔から完璧な男だった。
思えば、僕の家、ケルルス家が子爵から伯爵へと陞爵し、今の繁栄があるのもすべて彼のおかげだった。
僕の父の妹……つまり、ギルにとっての母上である叔母様は、もともとは国王陛下の側室に過ぎなかった。それをギルは、その若さに似合わぬ冷徹な知略で、暗殺を企てていた先代の正妃を幽閉に追い込み、自分の母を正妃の座へと押し上げたのだ。
公式の場では「殿下」と呼び、一歩下がって控える僕だが、二人きりの時は今でも「ギル」と呼び、砕けた口調で話す。だからこそ、僕は知っていた。その完璧な仮面の裏側に、恐ろしい執着心が眠っていることを。
その「兆し」を初めて目にしたのは、まだ彼が11歳の頃、正妃派の刺客から逃れるために我が家(ケルルス家)のタウンハウスに滞在していた時のことだ。
「……ギル、本当に行くのか? バレたら父上に殺されるのは僕なんだけど」
「こんな機会でもないと、街の様子は見られないからね。エリオット、頼むよ」
そう言って、彼は生まれて初めて見せるような、少年らしい必死な顔で僕に訴えてきた。……今思えば、あれが彼の最高の演技だったのだ。
僕たちは家族に内緒で服を着替え、二人だけで下町へ繰り出した。そこでギルは、なんの変哲もないパン屋の前で足を止めた。店先には、一生懸命にパンを並べる一人の少女。
いつも完璧で、誰に対しても礼儀正しいギルが、彼女を前にして放った第一声は最悪だった。
「労働者は大変だね、ふふっ。僕はそんな野蛮な真似、一度もしたことがないよ」
(え……!?)
僕は耳を疑った。女の子は顔を真っ赤にして言い返してきたけれど、ギルは鼻で笑ってさらに酷い言葉を重ねていた。
「レディにあんなことを言ってはダメだ、明日謝りに行こう!」
僕は帰りの道中、彼を厳しく叱りつけた。けれど、翌日パン屋へ向かった彼は、また彼女を馬鹿にして泣かせたのだ。
滞在期間中、僕は毎日彼をパン屋へ連れて行く羽目になった。でも、ギルは謝るどころか、さらに彼女に酷い言葉を浴びせる。僕は毎回、涙を溜めて怒る彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ところがギルは、彼女に罵倒されるたびに、見たこともないような愉悦の表情を浮かべていた。
そんな彼の様子を見て、当時の僕はあきれながらも「なんだ、ギルも年相応に幼いところがあるじゃないか」と、どこか呑気に構えていた。少年期によくある、好きな女の子をいじめてしまう現象――。鉄仮面な天才王子の「初恋」なのだろうと、勝手に解釈していたのだ。
(こんな優等生でも、好きな子を前にすると素直になれないなんて、可愛いところがあるもんだ。これも青春の1ページだよな……まあ、相手の子には同情するけど…)
なんて、今思えば自分の首を絞めてやりたいほど、能天気な感想を抱いていたものだ。あれが「青春」などという爽やかなものではなく、狙った獲物を執拗に追い詰める「狩りの下見」であったことに、当時の僕はまだ気づいていなかった。
その後、王宮に戻ってすぐのこと。ギルの恐るべき知能が牙を剥いた。正妃を失脚させて叔母様を守り抜いたのだ。彼の手腕を間近で見て、「この方に一生仕えていく」と心に決めた。一族の英雄となった彼からの頼みなら、どんなことでも聞くつもりだった。
……ただ一つ、「唯一の任務」を除いては。
「エリオット。あのパン屋の女の子の様子を、毎日欠かさず報告して」
その言葉を聞いた時、僕は(ああ、まだ初恋を引きずっているんだな)と、苦笑いした。確かにあのパン屋の娘は愛らしかった。だが、ギルは次期王位継承者。相手は街の平民。いくら執着したところで、身分が違いすぎるのは明白だ。
(まあ、どうせ時が経てば、もっと相応しい貴族の令嬢が現れて、彼女のことなんて忘れるさ。それまでの気休めなら、報告くらいおやすい御用だ)
そう思っていた。この「気休め」になるはずの報告は、数ヶ月どころか、数年の長きにわたって続くことになるのだが…
ギルから依頼を受けた僕は、さっそくタウンハウスに毎日配達してくれている牛乳屋のハンナに声をかけた。ハンナは長年、ケルルス家のメイドとして仕えてくれていた気心の知れた人物で、今はパン屋の隣でご主人の店を手伝っている。
「あらあらまあまあ、ぼっちゃんたら……! いいですよ、ほかでもない、ぼっちゃんの頼みなら引き受けましょう!」
……何か誤解があるように思えたが、そのあたりは無視して、僕はハンナに毎月、口止め料を含めた十分な報酬を渡し、彼女の日常を監視させた。
「リリアちゃん、今日は小麦粉を運んで転んでいたよ」
「今日は隣の家の息子と楽しそうに話していたよ」
始めは他愛もないような話ばかりだったが、毎日報告を受けていく中で、僕はほんの少し不自然さを感じるようになった。
「あそこの店主夫婦、時々ふとした時に、聞いたこともないような北の方の訛りが出るんですよ。」
「価格はお手頃なのに、使っている小麦粉が上等なものなんですよ!そりゃあもう、おいしくって。利益が出てるのか不思議だわ~。」
「リリアちゃんは、ご両親どちらにも似てないんですよ。ご先祖様似なのかねぇ。色白で髪の毛なんかもフワフワで可愛いでしょう~。」
(……はっきりとはわからないが、何かがおかしいような……)
北方の訛り、高級な小麦、そして、血の繋がりを感じさせない娘……。気になった僕は、休日、折を見ては自身もパン屋を覗きに行くようになった。
そして、側近候補としての僕の目は、ハンナの違和感を「確信」へと変えた。
まず、小麦だ。袋の端に押された特級印――それは下町ではまず出回らない、最北部・ヴァレンタイン領の希少品だった。次に、店を訪れる商人の男だ。荷下ろしを手伝う彼の無駄のない身のこなしに、僕は息が止まりそうになった。かつて王命で辺境伯領を訪れた際、僕を案内した辺境伯直属の精鋭騎士の一人が、商人に身をやつしてそこにいた。店主の無駄のない動きも、パン職人のそれというよりは、高度な訓練を受けた騎士の所作に近い。
極めつけは、辺境伯本人が店を訪れ、リリア嬢を愛おしそうに、そしてどこか申し訳なさそうに眺めているのを目撃したことだ。裕福な平民風に変装していたが、間違いない。僕は物陰から、リリア嬢と辺境伯の姿を交互に見比べた。独特な色味の髪、吸い込まれるような瞳の色、そして鼻筋から口元にかけての造作。二人の顔立ちは、誰が見ても疑いようがないほどに似ていたのだった。
(間違いない。リリア嬢は、あの夫婦の娘ではない。ヴァレンタイン辺境伯の……公にはできない事情を抱えた愛娘だ)
「ギル、あのパン屋の娘は……ヴァレンタイン辺境伯の、公にはできない事情を抱えた娘か何かだ。深入りすれば問題になるぞ」
「……そうだね。僕もそう思うよ、エリオット」
ギルは報告書を眺めながら、美しい微笑を浮かべた。
そして、数年越しの監視が終わりを告げたのは、数日前のことだった。
「エリオット、もう報告はいい。……目的のものは手に入った。」
ギルは微笑みながら僕に言った。
一瞬、何のことかと思った。だが、彼の私室に入った瞬間、僕の思考は停止した。天蓋付きの豪奢なベッドの上に、気を失ったリリア嬢が横たわっていた。
「うそだろ……ッ!?」
衝撃のあまり、抱えていた重要書類を床にバサバサとぶちまけてしまった。拾う気にもなれない僕は、震える指で彼女を指さし、ギルを問い詰めた。
「ギ、ギル! なぜ、どうやって彼女をここに連れてきたッ!?正当な手続きは踏んだのか!?」
僕の必死の剣幕に、ギルは紅茶を優雅に啜りながら、小首を傾げてこうのたまった。
「手続き? ……自分のものを、自分の部屋に持って帰ってきただけだ。何かおかしいか?」
おかしい。おかしすぎて頭が痛い。僕は気を取り直し、いつもの側近の顔ではなく、年長者として彼に指を突きつけた。
「いいか、ギル! 彼女はお前のものじゃない! よその大事なお嬢さんだ! 今すぐ謝って、元の場所へ返してきなさい!」
よし、言った。これで少しは正気に戻るか――と思ったその時、部屋の扉が激しく叩かれた。
「エリオット様! 経理官から至急の呼び出しです! 昨年度の決算報告に重大な不整合が……!」
最悪のタイミングだった。よりにもよって、僕の計算ミスで膨大な書類の書き直しが発生したのだ。各部署への謝罪と根回しに奔走せねばならず、僕はギルを睨みつけながら叫んだ。
「 僕が戻るまで彼女に指一本触れるなよ! いいな?!」
僕は部屋を飛び出し、全力で廊下を走った。そこでたまたますれ違ったのは、騎士団の制服に身を包んだ妹のセシルだった。彼女はちょうど王太子に呼び出され、このあと「リリアの侍女兼護衛兼監視」という地獄の任務に任命されるのだが、この時の僕はそんな事情など知る由もない。
「セシル! ちょうどいいところで会った! 大変だ、あいつが……ギルが女の子をどこからか攫ってきた! 僕が戻るまで、あいつが変なことをしないよう絶対に見張っててくれ!」
僕はそれだけを早口でまくし立てると、返事も待たずに経理局へと急いだ。
そこからの数日間は、文字通りの地獄だった。僕の計算ミス――あるいは、なぜか数字が書き換えられていたかのような不自然なミス――のせいで、決算報告に重大な欠陥が見つかったのだ。僕は不眠不休で各部署を飛び回り、必死に頭を下げて回った。
「本当に申し訳ない! この埋め合わせは必ずするから、この書類だけ先に通させてくれ!」
幸いなことに、僕は自分でも言うのもなんだが、普段からよく働き面倒見もいい方だ。他部署の役人たちも「あのエリオットがこれほど必死なら、よほどのことだろう」と、苦笑しながらも協力してくれた。僕は彼らの善意に感謝しつつ、心の中では焦燥に駆られていた。
(待っててくれリリア嬢、これが終わったらすぐ助けの手を回すからな!)
そして数日後。予想以上に時間がかかったが、ようやくすべての計算が合い、書類の山を片付けた早朝。僕は経理局のデスクで、冷え切った茶を啜りながら一息ついていた。そこへ、セシルからの使いが僕に一通の文を届けた。
「……え、なに? 『リリア様の身元保証および戸籍の確認が完了』……? 辺境伯……令嬢……?」
文字を目にした瞬間、あまりの衝撃に啜っていた茶を盛大に噴き出した。
「はあぁぁあ!?!? 『今日の午後、聖堂で辺境伯令嬢リリアーナ様と王太子殿下の婚約の儀が行われる』だと?!?!」
そこには、彼女が「行方不明だったヴァレンタイン辺境伯の愛娘」として正式に公表されたことが記されていた。確かに彼女はその血筋だったかもしれない。だが、誘拐からわずか数日でその証拠を揃え、辺境伯を納得(……脅迫か?)させ、貴族院の承認を力技で通すなど、通常なら一年はかかる大仕事だ。
それを、僕を事務仕事の泥沼に沈めているわずかな間に、ギルは独力ですべて終わらせたというのか。一体どれだけの数の官僚を脅し、あるいは抱き込んだのか、想像するだけで血の気が引く。
「あいつ……。国政の時より必死に働いてんじゃないか……!」
恐らく、僕の計算ミスも奴が仕組んだトラップだったのだろう。僕が他部署で頭を下げ、数字と格闘している間に、奴は神速の事務処理能力をすべて「リリアを手に入れるための工作」に注ぎ込んでいたのだ。
僕は震える手で、返信の紙に殴り書きをした。『せめて正式な婚礼までは、あいつが手を出さないように全力で阻止してくれ! ケルルス伯爵家の名誉にかけて!』
だが、その日の夕刻。セシルから戻ってきた返信は、あまりにも無慈悲だった。
『無理よ、兄様。殿下は笑顔で「侍女は全員、部屋の外で待機だ」とおっしゃったわ。……あの方のあんな声、初めて聞いた。もう、手遅れよ』
僕は、王太子の執務室で書類の整理をしながら深いため息をつく。主寝室から聞こえてくる、かすかな嗚咽。
悪魔の片棒を担いでしまった僕にできるのは、あの執着変態男から少しでも彼女を守るために策を練り、セシル経由で手配することだけだろう……。
最後までお読みいただきありがとうございます。
牛乳屋のハンナさんの鋭い観察眼と、エリオットの側近としての知識が、結果的にギルバートに「獲物の正体」を教える形となってしまいました。
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