騎士マウリッツ 3σ
必死で走ってきたのだろう、健脚のマウリッツが肩で息をしている。嫌な予感がした。
「アデレード、なぜ・・・」
私よりも勇壮なマウリッツの顔が、悲嘆でねじまがっていた。そこにあったのは秘密をばらしたことへの怒りではなく、裏切られたものの悲痛な叫び。
「お兄様、お兄様のためだと思ったの。それで・・・」
そうだ、アデレードの兄依存を私に知らせることは、アデレードが兄離れをする上で重要だ。避けては通れず、私はアデレードのためにも、マウリッツのためにも彼女の選択を支持する。
だがしかし、アデレードをかわいがってきたマウリッツの心中はつらいものがあるに違いない。かける言葉が見つからない。アデレードを見ると、兄の様子に動揺したようだった。
「私、私、この後もお兄様の服を着ていきたい。ずっと。そうしたら、殿下に秘密にし続けるわけには行かないでしょう。」
「アディ・・・」
まずい。
兄のやつれた姿にうろたえてしまったのか、アデレードはすっかり自立の決意を捨ててしまった。先程まで、私をマウリッツに無断でこの部屋に連れてくるまでの大きな決意だったのに、いまや3人で暮らすような論調になってしまった。なんということだ。
それなのにマウリッツは歓喜するどころか落ち込んでいる。まったく解せない。まさか婚約を破棄して二人で暮らすつもりだったのだろうか。
少し咳払いする。
「アデレード、気持ちはわかる。だが兄上に頼りすぎるのも、周りから見てあまり好ましくないだろう。私としては秘密にしておいても構わないし、王室御用達の仕立屋から選んでくれれば問題は露見しないかもしれないけどね。しかしずっとというわけには・・・」
いや違う、いいたいのはもっと根本的なことだった。
だが慌てふためくアデレードは、なぜか餌が見つからないシマリスを連想させて妙に愛おしく、責めるのが憚られた。
シマリスはなかなかなつかないものだ。
「分かったわ、でも特に部屋着と下着はお兄様のがいいの。いや、えっと、いいのです。」
ちょっと調子が狂ったのか、または兄がいるせいか、いつもより素が出ているアデレードが新鮮だった。普段よりよほど肩の力が張っているのに、皮肉なものだ。
でも兄が選んだ下着と部屋着とは・・・夫婦となる段になってもそのままでは、なんというか、寝室までマウリッツに見張られているような、奴がアデレードの体を防護しているような感覚を持ちそうで、気が滅入ってしまう。
主に私が、その、見るわけだし、私に選ぶ権利があるのではないのか。センスはマウリッツに及ばないかもしれないが、他に見る者はいないのだ。女性の下着の形状は詳しくないが、せめて部屋着なら大丈夫なはずだ。
私が選んだ部屋着を着るアデレード。いい。そしてこの贅沢をまさかマウリッツが味わっていたとは許しがたい。
「かしこまらなくていいんだ、アデレード。それに凝ったドレスなどは分からないが、部屋着くらいなら、私が見るのだし、私が・・・」
なぜか困惑した表情を見せたアデレードだったが、決意したように首を振った。
「ダメなの、特に部屋着はお兄様のものがいいの。」
「アデレード・・・」
「アディー・・・」
なぜ、なぜだ、アデレード。さすがに無理があると思ったのか、当のマウリッツさえ呆れてしまっている。
私は思わず立ちくらみそうになって、もはやその場に立っているだけで精一杯だった。