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空の子  作者: そうじ
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ガンザン

 陽はとっぷりと暮れた。

 命がけの闘いが始まる。


 ムラはすでに廃墟同然であった。

 その男は、一軒の粗末な家のまえに立って呆然としていた。昨日までここにいた仲間が家族ごと、いない。

 度重なる「やみ」による「呑み込み」の恐怖に疲れ果て、闘う気力は微塵もなかった。

 次々と「ムラ抜け」をする人も増え、残った人々は病気や怪我、そして「やみ」への恐怖で動けない者が多い。しかし、数人の指導者がいて、なんとか励まし合いながらいままで留まってきた。

 しかし、昨日共に励まし合った仲間の家が、今日はもぬけの殻である。

 それが呑み込みなのかムラ抜けなのか、追求する気持ちも起こらない。私の妻も息子も呑み込みに合った。絶望と疲れとで、怒る気力も泣く気力もなかった。

 なぜ、こういうことになったのか。

 我々はただ「お空さま」を信じ、つましく生活をしていただけではないか。

 海に面し、三方は高い山に囲まれ、漁、狩、農業も営み、大雨、日照り、台風などの災害はあったが、ムラは温暖で自然に恵まれ、皆、幸せだった。

 突然、得体の知れないモノに襲われはじめた。

 やみ。

 夜に出現し、人、動物、物を呑み込むので、我々はそれを「やみ」と呼んだ。

 やみといっても、暗い所に存在する闇とは別モノであった。

 やみが出現すると水のなかに入っているようであり、霧がかかったように世界が一変する。その世界に触れるだけで全身が恐怖の塊になる。人も物も、同じ位置に存在したまま、異界が入り込む。この世と異界の境が曖昧になり、異次元空間が生じる。異界の向こうにやみひとが存在し、それらが「こちら」の世界の形あるモノを「あちら」に引き込んでいく。

 やみは次第に強大化していった。やみひとは実体がなく、その正体は不明であるだけに皆の恐怖は底知れない。

 光や火を持っていれば、少しは呑み込みを防げることがわかり、常に家の前に松明を灯しておくよう、皆に伝えてはいるが、強大化するやみの前では気休めにしかならない。


 道でつんざくような悲鳴が上がり、はっと我に返った。

 やみがまたムラ人を飲み込もうとしている。気力も体力も限界ながら、体が反射的に通りに飛び出した。

 やみが、母と子に近づいていた。母は子をしっかりと抱き、ぶるぶると震えている。

 男は、最後の一本である松明を咄嗟に掴み、大声で叫びながら投げつけた。やみは火をよけ、一瞬の隙ができた。

 「早く、今のうちに逃げて!」

 叫びながら、母子の前に飛び込んだ。

 転がった松明の火が、消えた。

 むなしく煙が上がっている。やみは、私を嘲笑うようにして襲ってきた。もう私にはすべがない。

 とうとう呑まれるか。

 もう、いいな。フユウ、タイシ、もう、おまえたちの所に行くよ。私はできるだけのことはやった。もう、いいだろう、許してくれるな?

 目を閉じ、全身の力を抜いた。

 これでやっと静かに眠ることができる。

 どれぐらい時間が経ったろう。一瞬であったかも知れない。

 瞼の裏に光が当たった。目を開けると、男はまだそこにいる。やみは既に祓われていた。誰が助けてくれたのかとまわりをみると、人々が唖然として上を見ている。


 奇妙な少女が空から降りてきた。

 白い着物らしきものを纏っているが、ぼろぼろでひどく汚れている。

 手には数珠を掲げ、伸び放題の黒髪は固まったまま靡いている。

 顔は浅黒く、さらに泥と汗で汚れている。きりりとした太い眉につり上がった切れ長の目。瞳は深い青。

 少女の目ばかりがぎらぎらと輝き、油断をすれば食いつかれそうだ。からだ中から力をほとばしらせ、一度その姿を目にすると視線が吸いついたように離れない。

 少女はひとりではなかった。

 身の丈十尺ほどの白い獣に乗っていた。毛の長いオオカミのようで、その目は鋭い。

 獣は光を放っていた。長い白い毛から光の粒子を放ち、そこに存在するだけで、四方八方のやみを消している。汚れた少女とは対照的に神々しく美しかった。大きな体をゆっくりと漂わせ、静かな視線で我々を見ていた。


 村人は皆、あんぐりと口を開けて見守った。

 少女は一通り見渡すと、目を剥いて大きく息を吸った。頬骨がぐっと上がり、笑っているように見える。

 それから、体の穴という穴を全開にして、吠えた。そう、吠えたのである。

 人の声ではなかった。さながら天から降る声であった。その声は村中に響き、隠れていたものも家の外に出た。

 少女は大声で呼ばわった。目から涙を溢れさせながら。

 「聞け! 私は空の神より力を授かったものである! やみを祓い、おまえたちを助ける! 信じる者はあとにつけ! 信じない者は己で身を守れ! 呑まれたくなければ諦めるな!」

 少女はそういい続けて村の空中を闊歩した。

 人々は信じるも信じないもなかった。

 白い獣の近くにいるだけで光の粉がまかれ、近くのやみが祓われる。近くにいるのが一番安全である。強大なやみにはやみひとがいて、少々の光では祓えないが、少女は簡単に祓っていく。

 彼女は数珠をじゃらと振り、なにやら唱えて手をかざすと空から一筋の光が降りる。その手を上から激しく振り下ろしながら、

 ヒュッ

 と一気に息を強く吹きかける。

 美しかった。

 感動と喜びの声が挙がり、すべてが夢のようであった。そうなると我々も力百倍であり、手に持っている松明を振り回し、やみひとに対抗した。

 そうして一晩中、少女と獣は村じゅうを駆け回り、やみを祓った。

 村人も全員で後につき、歩き回った。


 山の稜線がくっきりと見えはじめ、長かった夜が終わろうとしている。

 少女は獣の背に騎乗したまま我々を振り返る。

 朝陽が姿を表し、一筋の光が少女を照らし出す。陽の光を背に受けながら、少女はいった。

 「これで安心するな! 昨夜のやみは祓った、というだけだ。今夜にはまた動く。みな、からだを休めておけ。いいな!」

 いい終えると、にっと笑った。

 その顔はただの汚い子供のようであり、普通の少女のようであり、少年のようであり、深い慈愛に満ちた仏像のようであった。

 少女はゆっくりと目を閉じ、そのまま獣の背からふわりと離れ、地上に倒れ込んだ。

 獣の尻尾が彼女をすくい上げ、そのまま獣も一緒に地上に降りてくる。四つ足が、

 ずしーん

 と大きく静かな音を立てて地につく。おお、と皆からどよめきが起こった。

 少女は動かなかった。

 人々はしんとして見守るしかなかった。

 男は近寄り、おそるおそる聞いてみた。

 「なあ、おい、大丈夫なのか」

 返事があるとは思わなかったのだが、獣は意外にもことばを発した。

 「ああ。死んではいない。眠っているだけだ」

 恐ろしく低い声で背中から響くようだ。が、声を聞くとひどく安心した。

 村人は皆、同じ気持ちだったのだろう。堰を切ったように次々と話しかけた。

 「なにか飲み物や食べ物がいるか?」

 「大したもんはないけど、腹一杯食わしてやるよ」

 「そうだ、寝る場所はあるのか?」

 「うちに連れて来なよ。広い部屋がある」

 「あたしんとこは風呂が広いんだ。・・・でも、あんたは無理かな」

 獣の目が笑ったように思えた。

 「いまはこのままでいい。こいつが起きたら食べ物でも飲み物でもあげてくれ」

 人々はその場を離れなかった。場を離れることができなかった。だが、なにをどうすればいいのかわからない。なにもかも突然であった。

 男は思い切って一歩前に出た。

 「助かりました。このムラを助けてもらった。ありがたい。本当にありがとうございます」

 そういって頭を下げたら、頭が深く深く下がっていった。そのまま頭を上げることができなかった。その格好で男は泣き出していた。

 つらかった日々が報われた。本当につらかった。助かった、ムラを助けてくれてありがとう、ありがとう、と嗚咽しながら小声で呟いていた。

 すると、からだが温かいもので包まれた。

 獣の光であった。

 男は、はっとして顔を上げた。村人全員が自分に倣って深々と頭を下げていた。泣いている者もたくさんいた。彼らもまた、獣の光に包まれていた。

 そこらじゅうが美しく光っている。ムラ全体がいま、神に讃えられているようであった。

 獣を見ると、目が潤んでいる。泣いている?

 「あ、礼はこいつにいってやってくれ。オレは無理矢理引っぱり出されたんだ」

 男の視線に気づくと、獣は顔をふいと逸らしてそういった。

 その照れた顔がひょうきんで、その神々しい姿とは矛盾していておかしかった。近しい気がしてやっと落ち着いて話ができた。

 「私はこのムラの長でガンザンと申します。あなたの名前と、この少女の名前を教えていただけませんか」

 「ああ、そうだな。オレは『ゲン』と呼ばれている。こいつは・・・」


 はっと目を覚ました。

 まただ。

 ゲンさまがこの地に来られてからというもの、この夢を繰り返し見ている。

 伝説の仙獣ゲンさまが、遠い昔この地に降りて来られた時の話だと理解はできる。しかしなぜ私がそこにいる? 考えられるのは私の前世だということだ。はじめは信じられなかったが、何度も同じ夢を見ているうちに確信を持った。

 目を覚ましてしまうと少女の顔がどうしても思い出せない。それに少女の名前も最後に聞いているはずなのだが、思い出せない。きっとあの少女が巫女の始祖さま。

 空人に対するガンザンの思いは並ではなかった。守らねばならないと常に思っていた。もう皆をやみに飲まれるのはたくさんだ。ひとりでも守れるのであればどんなことだってやる。

 ウルクはそんなガンザンを、

 「なにかがおまえに取り憑いてるのか?」

 と揶揄して笑う。

 そうかもしれないと思っていたが、この夢のおかげでやっとわかってきた。

 私は前世で空人を守れなかった。巫女の始祖さまとゲンさまがおいでになって、どうやら助けられたようだが、私の力不足でたくさんの空人がやみに飲まれてしまったのだ。悔しくて情けなくて哀しかった思いだけが残っている。

 お空さまが私に再び生を与えて下さったのだ。必ず、空の国からやみを消す。そして皆に平和と繁栄を与えるのだ。


 「父さん、コウさまからお達しです! 父さん!」

 部屋の外でミノの焦った声がした。

 「慌てるな。すぐに行く」

 数珠を身につけ、祈った。祈りがはじまると場は確かな護りを得る。ガンザンの両腕にかけられているその数珠は、夢で見た少女の数珠と同じ形であった。

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