14 いつか見たマンボウ
朝目覚めてもなんだかだるく調子が悪い。たっぷり寝たのに海での疲れが抜けていないのだろうか。泳いでもいないのに、体力なさ過ぎな自分が恨めしくも情けない。だが、動けないほどの具合の悪さでもないし、大腕振って買い物に行くしかない。命の水がそろそろ底をつく。
買い物前にアキんとこに寄って髪も切って貰おうか。めんどくさいからと放置して数カ月が過ぎ、さすがに髪の毛も伸びすぎた。
このまま伸ばす手もあるが、オマタにだらしないからやめろと言われた。ニポンの男は特殊な場合をのぞいて、髪を伸ばすことはあまりしないらしい。女はいいけど男はダメ、変なの。
「昨日はどうも」
「こちらこそありがとう。それで、アフロでよろしかったかしら」
「よろしくなかったです。担当変えてくんねぇ?」
美容室につくなり、先日のお礼もそこそこに、俺の要求を無視してアキがさっさと準備を始めた。首にタオルを巻いて、体の上から照る照る坊主の服みたいな半透明ビニールでおおい、首もとのマジックテープを止める。正面の鏡を見ると、俺の背後でアキがハサミに手をかけ、口元にうっすらと怪しい笑みを浮かべている。なんだか拘束された気分。
もういいや、アフロでもなんでも。案外似合うかもしれねぇし。今ならまな板の上の鯉の気持ちがわかる、とか思っていたら、検分するように髪を触っていたアキが、ねえ、とくぐもった声をあげた。
「もしかしてこれ、地毛なの?」
なんだいきなり。
収納上手奥様紹介のオレンジページから顔を上げて、俺は鏡越しに見つめてくる美容師を見た。昨日の疲れを感じさせない健康的な顔色と表情だ。
「ジゲですけど」
「染めているのかと思ってたわ」
「はぁ」
鏡越しのアキが何か言いたげに鏡に映った俺を見る。
「あなたたち双子よね。ヒトトセの髪は黒いのにどうして? もしかしてご両親はどちらか日本人じゃないとか。二卵生双生児のハーフ?」
「おぉ」
まずい。考えてなかった。
鏡越しに見つめ合っていた目をさっとそらして、再びオレンジページに目を落とす。隠し事をしている典型の仕草だが、突発的にしてしまった以上もうどうすることもできない。
ぺらぺらページをめくって、特段の興味もないやせるおかず特集に目を走らせてみるも、うまい理由が見つからない。
「あの、恐怖で」
バカみたいないいわけが頭に浮かび、それにすがって俺は口を開いた。もうどうにでもなれってなもんだ。
案の定、彼女は鳩時計みたいに首を前につきだすことで、言葉もなしに疑問を呈した。
「その、幼いころとてもひどい恐怖体験をしてですね、それでストレスのあまり白髪になってしまい、今日に至るまで恐怖を忘れられない毛根はメラニン色素を作るのを放棄したらしく」
我ながら苦しい。だがもうイノシシのように突き進むしかない。
「ふうん。恐怖で総白髪になるって話は聞いたことあるけど……」
まだ疑いの目を向けてくるが、それ以上つっこんだ質問はしてこなかった。俺の話を信じたのかは疑わしいが、オマタに突然兄弟が現れた時点でどこかしらなにか訳ありっぽいし、これ以上踏み込んではいけないのかと思ったのかもしれない。
すっかりおとなしくなったアキにわずかばかりの申し訳なさを感じつつ、こちらも下手に話題を提供することをやめた。色々ややこしくなっても困る。
それにしても、オレンジページの痩せるおかず特集ってなんなんだろう。モノを食べて痩せるなんて毒が入っているのではなかろうか。痩せたいなら食べなきゃいいのに、なんで痩せるために食べるんだ。なんならエンピレオにでも入ればいいのに。ニポン人の考えることはわかんねぇな。
オレンジページやら、女性自身だとかいうどう考えても女性器の隠語でしかない雑誌やらなんやらのページを読むでもなくめくり、四冊目の雑誌にも飽きたころ、長く気まずい沈黙を越えて、ようやく散髪が終わった。アフロにはなってない。お礼と勘定を済ませそそくさと店を出て、整いすぎた髪の毛をがしがしと掻く。髪が短くなった分首筋が涼しい。
それにしてもすげぇ肩凝った。次からは最初から会話のない散髪屋に行こう。
さっぱりしたところで改めてスーパーに向かっていると、通りを歩く人の中に、明らかに怪しく違和感を感じる人物が目に入った。誰かを捜すようにすれ違う人々にせわしなく視線をさまよわせている男。
人波の中で頭一つ分程度背が高いので目についただけかもしれないが、背が高いだけならニポン人にもいないわけではない。つまり、違和感は身長だけのせいではない。どこかで会ったことがあるような……、喉につっかえたようなすっきりしない感覚がある。
もしかしてアスガルドでか? いや、そうじゃないな。どこか最近、身近で……。じろじろ見ていたから視線を感じたのかふと男がこちらを見た。視線がかち合う。俺は慌てて目をそらす。一秒、いや、その十分の一の長さだったかもしれない。まさに一瞬、鼻息で消し飛んでしまうような短い時間の中で、俺は全てを理解した。
モルモルだ。
どことなーくモルモルに似ているのだ。モルモルの中の人じゃなくて、今のモルモルに。一生懸命ヒマワリの種を食べていそうな顔つきとか、手を胸の前に出して所在なげにしてそうな雰囲気とか。
たまにテレビ見ててもあるよな。この人どこかで見たことあると思ったら、水族館でみたマンボウだったとかな。
あーすっきりした。
そういえば、モルモルとぴーちゃんのご飯も買わなくちゃ。最近なついて可愛いんだあいつら。人間の時の姿はもちろん記憶から排除してある。
皮付きのシードは飼い主が定期的に殻を吹いてあげる必要があるが、皮むきよりも栄養が豊富なので、彼らの健康を考えると殻付きにすべきだ。ひまわりは食べ過ぎたら肥満になるのでよくないが、モルモルが好きなのでたまにおやつであげることにしている。ひまわりで頬をいっぱいにしたモルモルの顔を思い、人間の時もひまわり好きだったのかなとか考えながら通りを行く。
彼らの顔を思い浮かべたら自然と顔がほころんで、我ながら気持ち悪いなとか思いつつも、にやにやは止められなかった。
確認のためにもう一度先ほどの男に視線を向けると、意外なことに男はまだこちらを見ていて、再び俺と目が合うと歩みを止めた。
瞬間、心臓が大きく脈打ち、思考が一時停止した。
あ、まずい。ひとりでにやにやしているところ見られた。じゃなくて、この瞬間に思い出した。
こいつ、ただのモルモル似じゃない。海にいたやつだ。
「お前」
男がずんずんとこちらに近づいてきた。俺を見る確信に満ちた目、間違いない、モルモルたちの仲間、アスガルドからの追っ手だ。善良そうな顔をしやがってこいつめ騙したな。
突然の接近で緊張に脳味噌の芯が冷たくなり、体が硬直する。灰色の髪に灰色の目。いつもなら前髪は長くして目を隠しているところだが、今はちょうど散髪帰りで前髪がさっぱりして視界もすっきり。こりゃばれるよな。やはり変装すべきだったか。
やられる前にやれ。そう思って懐に手を差し込み、隠し持っていた銃に手を添える。しかし、ここは町中だ。ぶっぱなすわけにはいかない。としたら、能力を使うしか……。ほんの一瞬、相手をひるませる程度ならば、辺りにはばれないだろうか。幸い人気はまばらだ。そう思ううちに男はだんだんとこちらに近づいてくる。その距離が五メートルになり、四メートルになり、もう限界だと悟り、能力を発動させようと意識を集中した瞬間、男の視線の先がややずれていることに気がつく。
「ん?」
身構えたままでいる俺の横を、男はあっさりと通り過ぎていった。
なんだ。どういうことだ。
「お前、銀眼人種だな」
いくつもの疑問符たちが頭の中で手を取り合い踊り狂っている中、声に導かれるがまま後ろを振り向くと、そこには、背中の曲がった白髪のじいさんがいた。齢七十は越えていそうなのにまだまだ豊富な髪の持ち主。もちろん、さすがに若かかりし頃の黒髪は見る影もなく、見事な白髪だ。
そんな白髪ふさふさのじいさんに、白服の男がすごんでいる。
「なんだべさ?」
「しらばくれても無駄だ。その白髪、細い体、探し求めている銀眼人種の特徴そのままだ。さらに、背中を丸めてまるで逃げ隠れるように歩く仕草、まさに指名手配犯といったところだな」
「あい?」
爺様が片耳に手を当てつつ、男に向かってわずかに顔を近づける。
「あくまでシラを切るつもりか。まあいい。裸にすればわかることだからな」
その言葉で全身にある烙印に痛みが走った。見られまいとする意識からか、反射的に手がわき腹に向かう。烙印のことを知っているこいつ、やはりアスガルド軍なのか?
俺がそわそわしている間にも、爺様は小刻みにかたかた震えつつ小首を傾げるばかりだ。
「お前……裸にされたいのか」
「はばか……あい?」
「っ……!」
いらいらしたように、男がじいさんの肩を掴んだ。
まずい、と思ったが、ここで割ってはいると俺が本物だとばれる危険がある。この距離でこれならばれない可能性も高そうだけど。
逡巡しているうちに、若い男と爺様のただならぬ様子に、遠巻きながら周囲に人が集まってきた。人が集まるにつれ、辺りがざわめきだし、警察を呼んだ方がいいのでは、との声も聞こえる。
「なにをするんじゃあ~」
周りに気を取られている間に、爺様の悲鳴が青空いっぱいに響いた。
はっと顔を上げると、男が爺様の服のボタンをはずし、脱がせにかかっていた。周りのざわざわがどよどよに、そしてはらはらに、さらに一部がどきどきに変わる。
「い、いやじゃああ~」
「黙れ。おとなしくその証拠を見せればいいことだ」
「しぇきにん……しぇきにん取ってくれるんかあ~……」
「しぇ?」
おじいさんが赤い顔でいやいやと首を振りながら、服を脱がそうと奮闘する男に抵抗するともなくしている。
「くそっ。大人しくしろ。……仕方がない。一般人にはあまり使いたくはないがこれも仕事だ。必殺技をお見舞いしてやろう」
これはすごまれているというのだろうか。なんとなく着替えを手伝う介護人と、無駄に抵抗する要介護人のやりとりみたいで、色々対応に困る。狙われているのは俺なわけだし、ここは逃げた方がいいのだろうが、もうちょっと眺めていたい気もする。若い男の方が必殺技とか危ないこと言っているし。
「あの、どうかしましたか」
成り行きを見ていた観衆から一人の中年女性が、不安げに駆け寄り声を駆けたそのときだった。男が懐に手をやったかと思うと、次の瞬間、手にはナイフが握られていた。
まずい。
「きゃあっ」
凶器を目の当たりにした女性が腰を抜かし、その場にへたり込んだ。たくさんの悲鳴とともに蜘蛛の巣を散らしたように一斉に観衆が逃げ出す。
さすがにもう見て見ぬ振りはしていられない。もともとは俺のせいでこの爺様は絡まれてしまったのだ。俺は隠し持っていた拳銃を取り出し、銃口を男に向けようとしたその時だった。
「喰らえ必殺……体は傷つけないけど服だけ綺麗にびりびり裂いてしまうのルネ!」
「はい?」
「う、うひゃああ」
甲高い爺さんの悲鳴が辺り一面に響く。光り出す白服男の体。直後、哀れ爺さんの服はあっという間にびりびりに裂かれ、ふんどし一枚さえ残さずに綺麗にひんむかれてしまった。
はらはらと花びらのように散るじいさんの服。凍る俺。固まる女性。恥じらう爺様。
「ははは。どうだ。俺の必殺技は。驚きに声も出ないようだな。さあ、身体検査だ。腕を広げてその体に刻まれた烙印を見せろ」
俺は慌てて銃をしまい、何事もなかったようにいち観衆に戻った。
「いや……いやじゃああ~」
必死に肌を隠そうとする爺様の腕を外しにかかる若い男。地獄絵図。阿鼻叫喚。これ以上見ていられない。
こんなドリフのような雰囲気なら、爺さんが殺されるとかいう展開にはならないだろうと俺は踏んだ。
許せ、爺様。俺は後ろ足でゆっくりと現場から離れ、気づかれていないのを確認すると、一気に駆けだした。




