11 帰路
帰りの車の中、後部座席では、そよそよの膝の上にベコナが鎮座し、そよそよによりかかるようにしておまるが座り、三にんがくっつきあって眠っていた。相当はしゃいだし疲れたのだろう。帰ったらすぐに風呂を沸かして湯船に浸かろう。海に入っていない俺でも、潮風にあたっているだけで疲れたし、髪の毛がごわごわして肌もなんだかべたべたする。
アキはというと、一日いっぱい子供の相手をして疲れただろうに、眠そうな様子を少しも見せずに、朝と寸分も変わらぬ調子でハンドルを握っている。
「久々に楽しかったわ」
前を向いたままで彼女はそう言った。
「そうだな、今日はありがとう。今度はオマタも休みの日に行こうぜ」
「そうね。……どう? あの人は今回一緒に行きたがっていた?」
「うん、焦ってた。お前の水着姿を他の男に見せたくないご様子で、ずっとぶつぶつ言ってた」
俺の言葉にアキは少しはにかんだ。こいつでも照れることってあるのか、とその横顔を不思議な面もちで眺めた。ハンドルを握る彼女はどこか嬉しそうでもあった。
「あの人、最近楽しそうで見ていて嬉しい」
最近、との言葉に俺は疑問を覚えた。ということは、最近以前は楽しそうではなかったということだろうか。その疑問に気がついたのか、彼女は「あ」と小さく口を開いた。
「最近、特に」
「そっか」
「あなたが現れてから」
「俺が?」
「あの人、いつもどこかしら寂しそうだったから」
「ふうん」
「ねえ」
「あん?」
「すごく長く生きるって、何かの比喩かしら」
一瞬なんのことか本気でわからず、昨日見たテレビの話題でもいきなり持ち出したのかといぶかしんだ。だが横顔を見て、その疑問もすぐに解けた。おそらく以前、オマタが言ったことだ。
「ひゆ」
肯定するでも否定するでもなく俺はオウムのように言葉を返した。どう答えていいのかわからなかったからだ。困惑した俺の様子に気がついたのか、アキは即座に答えを促しはせずに、次に俺が口を開くまで待ってくれているようだった。
車ではラジオがかかっていて、俺の知らない歌が流れている。彼氏でも友達でもない人間を隣に乗せて沈黙の続くこの状況で、ラジオという選択肢は正しいと思った。
車の揺れが心地よいゆりかごになっているのか、後部座席のそよそよたちは気持ちよさそうに寝息を立てて、起きる気配はない。
「逆じゃねぇの。あいつが長生きとかじゃなくて、アンタの顔に夭折の相でもでてたとか」
窓の外を眺めながら思ってもいないことを言った。俺の見立てではこいつは百歳まで生きる。
「私はいたって健康よ。顔色もいいわ」
バックミラーをちらりと見てふんと鼻をならした彼女の顔色は確かに良い。適度に日焼けした肌は健康そのものだ。
「自殺もしそうにねぇしな」
「事故や天災の可能性ならあるけれど。いくら気をつけてもなにが起こるかわからない世の中だから」
「アンタなら地震が起こっても平然と立っていそうだけどな」
「あなた、私をなんだと思っているのよ」
アキがむっとしたように口をへの字に曲げた。
「いや、他意はねぇよ。とても健康で足腰強そうだから」
「いいことじゃないの」
「だから他意はねぇって。アンタとオマタの子供なら、ガンダムみたいなすごい健康そうな子供が産まれそう」
「……ヒトトセもその鳥みたいにロボットなのかしら。だとしたら長く生きるの意味もわかるのだけれど」
「あいつがロボットなら、双子の俺もロボットかよ」
「やっぱりそれはないわね。こんな弱そうなロボットをわざわざ作る必要なんてないものね」
斬新じゃねぇかよ、と思ったが、それが「弱そう」との言葉を否定するものではないことに気がついて、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「クライチさん、あなたも長く生きるの?」
「俺は普通だよ」
全宇宙から見れば。地球人が短すぎるだけ。
「今何歳?」
「オマタと一緒だよ」
そう、と呟いて、それきりどちらも無言になった。車内ではとぎれることなく、ラジオパーソナリティー男女二人のおしゃべりが続いている。
若い頃の武勇伝を語るトラック運転手のメール、交通マナーの悪い車がいたと怒りをわめき散らすタクシードライバーからの電話メッセージ、甲高い女パーソナリティーの「おハガキで頂きました」から続く、西区に住む七十四歳主婦ラジオネームまな板ホルスタインさんの孫自慢、今日のプレゼントはカワモリ牧場ご提供のチーズのセット。
地球人の生活。ニポンの人々。平和な世界。文明の程度は低いが豊かな星だ。ここで育ったアキもそのおっぱいと同様に、きっと心も豊かな人間なのだろう。
「クライチさん、あなた」
しばしの沈黙ののち、アキが口を開いた。
「なんだ」
しばし待っても次の言葉が紡がれなかったので、沈黙が居心地悪くなり、こちらから続きを促した。
「女性に興味がないのかしら」
やや低めに発せられたその声は至極まじめだった。
「はっ?」
「私の体を見ても、つまらなさそうにしてたでしょ」
「そりゃあんたの体だからだ」
「どういう意味よ」
心なしか体にかかるGが増した気がする。通り過ぎる風景が先ほどより幾分早い。50と書かれた看板が矢のように過ぎ去る。
「弟の女の体なんかに興味はねぇよ」
「体への興味とその人本人への興味は違うでしょう」
「ふうん。そういうもんなのかな。だとしたら体に興味がないと言っておく」
「それは」
「だからといって特に男に興味があるわけじゃねぇよ」
「そう。別にあなたが男に興味があったからといって、偏見の目で見るつもりはないの。ただ、あなたは男とか女以前に、他人に興味がなさすぎるような感じがして、少し気になっただけ」
「そっか」
「じゃあ……」
「ん?」
「人を好きになったことはあるの」
「アンタ、失礼だな」
「あらそ。申し訳ないわね」
「あんに決まってんだろ」
「そ。意外だわ」
そっけなく言い放ってアキはふふ、と笑った。
空が夜に向けて眠る支度を始めている。太陽も黄色が濃くなり海の中に深く沈んでいく前の色に変わってきた。
昼は炭火焼きを食べ過ぎた。だらだら飲んでいたビールのせいもあり、まだおなかは空いていないが、夕方にはオマタがおなかを空かせて帰ってくるだろう。オマタ一人分なら、買い置きしていた冷麺でいいかな。キュウリもトマトもあるし。卵は半熟にゆでて。
「あなたが他人と距離を置こうとしていること、これまで歩んできた人生のせいもあるかもしれない。それに対して私がどうこう言える立場にはないのはわかってるわ。けれど、私に対して少しでも心を開いてくれたら嬉しい。せっかくこうして巡り会えたのだから」
「うん、そうだな。ありがとう」
俺の言葉にアキが少しだけ寂しそうに唇を結んだ。
「なにかあったら頼ってね。ヒトトセだけでなく私も。ヒトトセの兄弟なら、私にとっても家族だわ」
「はは」
結婚してもいないのにすごいことを言う。そう言うと彼女は前を見据えたまま、それもそうねと笑った。
それでも密かに、その言葉に救われたと言うよりは衝撃を受けた。このチキウにおいて、チキウ人とのつながりは作りたくない、守るべきひとは作りたくない、未練ができてしまう。そう思っていた。いつか離れていく星だから。
それを考えたら自然とため息が出そうになった。はっとして漏れかけた二酸化炭素をぐっと口の中にとどめる。そっと隣にいるアキの横顔をのぞき込むと、彼女は前を向いたまま何か言いたげに口を開きかけて、そして少し悲しそうに唇を結んだ。
ラジオのパーソナリティーが、また来週と言うと同時に、バックミュージックが大きくなった。聞いたことのない音楽がしばし騒がしく流れた後、なんの前触れもなく突然ぷつりと途切れて、番組は終了した。




