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虹の道  作者: 鈴本恭一
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前編(南の戦争〜イリス誕生)




(ワイバーン・レースで最も栄誉あるレース、大陸横断レースにて、空前絶後の記録を刻んだワイバーンがいた)



(……そのワイバーンのオーナーは、大陸横断レースでのゴールと同時に自ら毒を仰ぎ、死んだ)





(伝説のワイバーンの名は、イリス)









*** *** ***



―――イリスが生まれて、全部がぶっ壊れた。

俺達の築いた全てが。


(彼女の誕生を知る人物、牧場長マルコスは語る)



*** *** ***



最初から?

最初から話そうとするとそれなりに長くなる。



だが、そうだな…俺とホセが、まだ腹を空かせた洟垂れ小僧だった頃。

俺たちの頭上を、数え切れないワイバーンたちが競って飛んでいった事件があった。


大陸横断ワイバーン・レース。

100頭以上のワイバーンが、大陸を端から端まで繋げる、大空の行列。


俺達は目を奪われて、ずっと見ていた。

今にして思えば、

目だけじゃなく、脳みそとか魂とか、そういったのが奪われていたんだろう。



最初、というものを当てはめるなら、きっとあの光景だ。



*** *** ***



南の戦争は、心底くだらなかった。誰もが知ってる通り。

だが得るものもあった。少なくとも金に困って兵隊になるしかなかった俺達には。

例えば俺達のいた部隊は、本部に内緒でこっそり商売をした。

俺やホセも商売上手な隊長の下で金勘定のあれこれを学べた。武器の扱いよりずっと役に立った。


隊長は、敵のはずの森林部族と取引していた。

この大陸の南に住む森林部族が秘祭で使う、特別な薬草による霊薬。それを、軍の武器と交換していた。


この霊薬は、まあ、いわゆる麻薬だ。

だからよく売れた。


隊長が霊薬を売っていた相手は兵隊仲間だった。ある街を占領した部隊に霊薬を売ったら、街にいる間はなんでもタダで使えた。酒も飯も女も。


だが結局、隊長や仲間は戦死した。その商売は俺とホセが引き継いだ。戦争は終わり掛けてた。隊長には悪いがいいタイミングだった。


『なあマルコス、この薬はどこでも売れる。兵隊相手に終わっていい代物じゃない』

『ああ。きっと稼げる』


俺はホセに頷いた。

俺達は、食い詰め者も同然だった。

人生を逆転するには、あの霊薬で勝負するしか無かった。





………まぁ、その後の細かいことは端折るが、結論をいうと俺達の商売は順調だった。


 霊薬はどの街でも爆発的に売れた。

 呆れるくらいに売れた。


売上の札束で、家の中は足の踏み場もないくらいだった。札束の中で暮らす羽目になった。馬鹿みたいな話だった。


『ホセ、これ以上は無理だ。寝られやしない。札束で窒息する。銀行に預けないと』

『無理だ、分かってるだろ。こんな額をいっぺんに口座に入れてみろ、銀行の監視ゴーレムがチクって役人がすっ飛んでくる』


食い詰め者みたいな兵隊あがりが、いきなり大金の口座を作れば、武装した徴税人が装甲ゴーレムや回転翼飛空艇を引き連れて押し寄せてくる。よく知ってるだろう?


『……仕方ない。買おう』

『買う? 何を?』

『牧場だ』


だから、俺は決めたんだ。



『――――――ワイバーンの牧場を、買う』



*** *** ***



『…これが、俺達の牧場か?』


万事手配し終えた俺に連れられて、その牧場に初めて足を踏み入れたホセは、目を丸くしていたよ。


『広いな…いや、ほんとに広いな』

『牧場主の息子たちが全員戦死して、牧場を畳もうとしてたらしい。現金払いで土地も設備もワイバーンもまとめて買えた。渡りに船だった』

『ワイバーンも?』

『ああ。働く連中も雇ってある。牧場としては特に問題なく機能する』

『……ワイバーンも、もっと買うのか?』

『ああ、霊薬の売上はこうしてる間にも増えていく。現金で。ワイバーンは現金で買える。金が必要になったら土地もワイバーンも売ればいい。ま、しばらくは普通の牧場だな』


ワイバーン牧場は昔から現金で土地やワイバーンを売り買いする。

俺達の溢れんばかりの札束を財産に変換するのに打って付けだった。


『そうか、もっと増やすのか…』


 だが、俺の説明を聞いている時のホセの顔は、そういった商売とは別のものを見ている顔だった。


『俺達の、牧場か…』


 ……今思えば、あのときのホセの危うさに、気付くべきだったな。


 ホセは、まるで子供みたいな貌で、いつまでも牧場を眺めていたよ。

 大陸一の麻薬王になる男とは思えない顔で。


 いつまでも。




*** *** ***



(こうして広大な牧場を、彼らは手に入れた)


(後に、イリスの生まれる牧場である)



(それは、イリスの参加した大陸横断レースの、針路上に位置していた)



*** *** ***




ワイバーンの牧場は順調に拡大した。

金さえ弾めば牧場の業界人は新参の俺達に様々なアドバイスをくれたし、人や物の融通も効かせてくれた。

……その頃のワイバーン業界は、運搬業の領分を飛空艇に取って代わられていた。


激動の時代だった。ワイバーンの実用的な用途は先細りの一途を辿っていた。

金に困った牧場の人間は大勢いた。

大量の現金を積まれて困る人間は少なかった。

驚くほど俺達に都合が良かった。

俺もホセも、この業界が気に入っていた。


『なぁマルコス、なんで3つも牧場を作ったんだ? 最初の牧場、まだまだ飼える余裕あるだろ?』

『それだと俺達に関係ない牧場に種付け料を払うことになる。もちろん生まれた子を売って回収するが、それなら俺達が種付け料を受け取る側になる方が都合がいい。もちろん外からは関係ない別々の牧場に見えるようにした』

『……スタッド・ワイバーン? 交配を俺達でやろうってのか?』

『良い値で売るためには良い種、オスが必要だ。そっちを買わなければならないが』

『任せろ任せろ、霊薬の仕事は順調だ、資金ならたんまりある』

『そっちが順調すぎて苦労してるんだがな…』


ホセはめきめきと頭角を現していた。ある種の才能だったんだろうな。人間たちに霊薬を売り捌くのになんら躊躇いがなかった。

そうやって生まれる夥しい現金は、最初に牧場を買った時よりもずっと多く膨れ上がっていた。

これに抗うため、涙ぐましい努力をした。


例えばあるワイバーンを牧場1が牧場2に売り、その同じワイバーンを牧場3が買った後に牧場1へ売るとかだ。

金とワイバーンがぐるぐる回るだけだが、帳簿上は真っ当な商売だ。大手を振って銀行に預けられる。銀行に預けるために努力してたんだ。


……だが、ホセの稼ぎは俺の努力を嘲笑うように膨れ上がっていった。

飼料トラックいっぱいに乗せられて夜に牧場へ運ばれてくる箱詰めの札束は増える一方で、単にワイバーンを買って集めるだけでは追いつかなくなった。


そこで、ホセが言ったんだ。


『なあ………レースに出さないか?』

『うちのワイバーンをか?』

『ああ』

『レースに出すために買うオーナーは今でもいるだろう?』


俺はあまり乗り気じゃなかった。

銀行に入れられない金を、銀行に入れられる金にするこの仕事の鉄則は、目立たないことだ。

オーナーになれば人目に触れる機会が増える。徴税局の役人に目を付けられたくない。

だがホセは粘った。


『うちのワイバーンを買うオーナーはたしかにいるさ。けどな、俺自身がオーナーになってレースに出るようになれば、使う費用は跳ね上がる。レース事業会社を作ればいい。審査はザルだ』

『……確かにな』


ホセの言い分には一理あった。

レースに関連する人間たちを抱え込めば、レース事業会社の支出と言い張って現金を注ぎ込める。レースで賞金が稼げればなおいい。価格も上がる。

だが目立つことは避けたかった。


『心配すんな、ワイバーン・レースはそう簡単には勝てない。知ってるだろ? 支出先を増やす口実にはなってもレースで勝てるとは限らない』

『…………まあ、そうだな、確かに、そうだ』

『だろ!? 決まりだ!』


ホセは歓声をあげて祝った。

レース事業会社"コンパーニャ"が出来たのは、そういう経緯だった。金の使う先を増やしたかっただけなんだ。



それだけの、はずだった




*** *** ***



(コンパーニャ。後のイリスのオーナー)


(イリスの大陸横断レース後、消滅した)



*** *** ***




ワイバーン・レースへ参画したコンパーニャは、俺の心配をよそに、けっこう良い具合に動いた。

いや、けっこうどころじゃなく、かなり、ものすごく…そう、出来すぎなくらいに。


ホセが言ったように、レースに勝つのは簡単じゃない。

それなりに良いワイバーンを買っていたが、それだけで勝てるほど甘くはない。

賞金が入る成績は取れても、1位になることは稀だった。

それが良かった。

目立たないことが大事だった。

目立つことはないがそれなりに賞金を稼いでくれた。


ワイバーン・レースには様々なルールのものがあった。

 短距離から長距離、

ドライバーを背に乗せるだけのもの、

積み荷を運ぶもの、

両方を組み合わせるもの、

リレー形式のもの等々。


面白いもので、どんなワイバーンでもひとつくらいは得意なルール、つまり適性があった。

あとはその適性と実力が噛み合うレースを探して出してやれば、勝てはしなくても賞金は稼いでくれる。


もちろん俺も最初はうまくいくはずがないと思ってた。いくら金があったところでこっちは新参だしな。まあ別にレースに勝つのが目的じゃないしな…と深くは考えなかった。

だが、あいつらは賞金を稼いだ。

それも理想的な目立たなさで。





レースに出すためにはいろんな人間に金を出す。

もちろん彼らは俺達が抱き込んだ人間だ。

彼らに現金で支払うと、その現金は彼らの口座に振り込まれる。

そしてその口座は、俺やホセが自由に使えるような契約にしてある。使うたびに口座の主には手数料としていくらか払った。そういう契約だ。


こういった契約相手を、レースに出るワイバーンが増えるごとに増やした。

札束の使い道がかなり増えた。

俺の仕事も。


『牧場長、ヒルンドの出るレースでトレーナーが相談したいそうです』

『分かった。"相談料"を送っておけ』

『いえ、本当に会って相談したいらしくて』

『ああ…分かった。日程は俺から伝えておく。いつも通り相談料は送っておけ………そうだ、おい、パルスの装具は届いたのか?』

『まだです』

『まだ? パルスの出場審査会は来週だぞ? パルスがレースに出られなかったら豚の餌にしてやるとサドラーの連中に伝えろ』

『牧場長、大変です、コルンブスが出れなくなりました! 後から申請したヤツの方が賞金稼いでるからって!』

『くそ、やっぱりか…待ってろ、出せそうなレースを探す。コルンブスは準備を続けておけ。目星は付けてある、絶対に出すからな』


……いつの間にか、俺は牧場長でありながらレースマネージャーみたいなことをしていた。

俺の仕事は現金の変換で、それにはワイバーンが絶対に必要だった。

だからワイバーンに関することは俺が責任者だった。オーナー代理というやつだ。


嵐のように忙しかった。

レースに出せば出すほど、霊薬の作る大量の現金が真っ当な金に変換されて、銀行口座に振り込まれた。

コンパーニャはその使命を忠実に全うしていた。




*** *** ***




その頃、ホセの方は、霊薬の商売を巡って色んな商売敵と戦っていた。


兵隊あがりのグループは俺たち以外にもいて、最終的にはそいつらが昔からの連中を押し退けてのし上がり、そして兵隊あがり同士で殺し合った。

あの馬鹿みたいな戦争から生きて帰ってきた連中同士で殺し合ったんだ。馬鹿みたいにくだらないと、あれだけ思ってたのにな…


とにかくホセは勝った。全員を殺して回った。ホセは王者になった。ホセの商売を止める連中は裏社会にはいなかった。


幸か不幸か、その頃の俺は抗争にはほぼ顔を出さずワイバーン係に没頭できた。そうホセが差配してくれた。

ホセが牧場に顔を出して俺と話すのは、金と、ワイバーンのことだけだった。


『だいぶ増えたな、俺達のワイバーンも』

『増えすぎた。手狭だ。繁殖と休養とレース準備中のを同じ牧場で遣り繰りしたこともある』

『トレーナーの牧場は?』

『そっちがもう満杯だからこうなってる』

『そうか…どうにかしないとな、金はあるんだ、どうにかならないか?』

『………よし、土地を買おう』


俺は思い切ってホセに言った。


『レース調教専門の、トレーニングセンターってやつ、それを作ろう』

『トレーニングセンター?』

『そもそも今の牧場は繁殖と育成しかしない予定だった。もう無理がある。トレーナーに預けるのも限界だ。レースに出るワイバーン専用の土地が要る』


ホセの商売の規模が膨れ上がるにつれ、必然的に俺が手掛けるワイバーンの仕事もでかくなっていった。

途方もなく増えていく霊薬の売上を銀行口座に変換するのが、俺の仕事だった。

そのために、新しい土地が必要だった。


『……そうだな、お前の言う通りだな、マルコス。任せる、金に糸目はつけなくていい、とびきり広いのを作ってくれ』

『ああ、任せてくれ』




そうして、俺は作った。

ホセの望むように、他のトレーニングセンターとは比べ物にならない、ずっとずっと大きなやつを。

当時、いや今でも、あれより広くて豪華なトレーニングセンターは大陸にない。



俺の人生で、一番の大仕事だった。

集大成ってやつだったんだな、その時は気付かなかったが…




*** *** ***




『マルコス………これ、全部、そうなのか?』

『ああ、全部だ』


呆然、という掠れた声で言うホセに、俺は柄にもなく自慢げに言った。流石にそう言ってもいいだろうよ。


雄大、と呼ぶしかなかったからな。


いくつも連なる逞しい山々、

その谷間を流れる長大な川、

麓からどこまでも広がる青々とした草原…


見渡す限り、いや、山や草原の向こうまで、全て、俺達の土地、ワイバーン用のトレーニングセンターだった。


『ワイバーンのトレーニングだ。馬とは違う。広ければ広いほどいい。ワイバーンの厩舎もかなり作った。俺達の牧場の連中全員引っ越しても全然余裕がある』


手狭になって苦労した反省から、俺はできるだけ広い土地が欲しかった。

だが、まあ、その時は俺も熱くなってたんだろうな、気づけば自然公園並の広大な土地を購入してしまった。


目立ってはいけない、という掟を自分に課していた俺が、唯一自分で破ってしまったのが、あのトレーニングセンターの件だった。


『すげえな…すげえよマルコス、お前はすげえよ!』


だがホセは満足してくれた。

報われた気持ちだったよ。

食い詰め者の文無し兵隊あがりだった俺達が、これを手に入れたんだからな。


『お前の金で作ったんだ。俺はただの使いっ走りだ。お前が稼いでこれを作った。お前のものだよ』

『馬鹿言うなよ、ここに来る前トレーナー連中が褒めまくってるぜ、こんなとこが欲しかったって。お前がいたから出来たんだ』

『分かった、分かったよ、じゃあ俺達のものだ』

『そうさ、俺達のものさ』


ホセはそう言った。笑って。

俺のよく知る、まだ故郷にいた頃、ワイバーンが頭の上を通るたびに俺の肩を叩いて『見ろよマルコス! おい見ろって!』ってはしゃいでたのと、同じ顔で。


あいつは笑ってた。

視界に収まらない、山と川と草原と、そこに移住する大勢のワイバーンの群れを見て。










あれが、


きっと、俺達の、

絶頂期、

って、やつ、だったんだろう、な…









*** *** ***




(かつてイリスが最も長く過ごした、この大陸最大のワイバーン・レース・トレーニングセンターは、オーナーの死後に競り落とされ、名前を変える)



(このトレーニングセンターのかつての名前を公式に使うことは、もうない)




*** *** ***





――――――その日は、何もかもがおかしかった。



牧場の上に、雨雲が思い切り豪雨を降らせたかと思えば、いきなり暑いくらいに晴れて、そうかと思ったら夜みたいに真っ暗になって雷と雹が降った。昼のはずなのに。


厩舎に退避させたワイバーンたちが、どいつもこいつも唸りを上げた。普段は大人しい連中すら、何かに怯えたみたいに吠えるのをやめない。


俺は事務所にいて、山崩れを心配してあちこちに問い合わせてた。

そこに、従業員のひとりが駆け込んできて、


『牧場長、エレクトラが!』


真っ青な顔で、叫んだ。

妊娠中のワイバーンの名前だった。

そいつは言った。


『産まれます!』


俺は耳を疑った。


『馬鹿言うな、まだ3ヶ月は先のはずだ!』

『とにかく来てください!』


雷鳴と豪雨がますます酷くなる中、俺はエレクトラのいる房へいった。

そして、今度は目を疑った。


そのワイバーン、エレクトラの腹部が、昨日よりずっと大きく膨れていた。

たった1日で変わるサイズじゃなかった。

しかも、その腹は、あきらかに裡で蠢いていた。動いてたんだ。


『……卵が、孵った?』


ワイバーンは卵を産んでそれを孵化させる。

だから、母親の胎内で孵化することはあり得ない。

あり得るのは、


『卵が割れたんだ…まずいッ』


かなり危険な状況だった。

卵の中の子供は未熟児の状態かもしれないし、殻が邪魔して総排出孔を塞ぐかもしれない。母親も危うい。


『担当医を呼べ! すぐに!』

『もう呼んでます!』

『状況も正確に伝えろ! 切開するかもしれない!』


その時はまだ出産チームが待機する時期じゃなかった。もしそうなら泊まり込んでもらっていた。そのための設備もしっかりあった。

だがエレクトラはあまりに早すぎた。

命を落とすかもしれなかった。



その時だった





空が、晴れた





『!?』


叩き付けるような豪雨が、突然、消えた。

房の窓から、燦々とした日差しが入った。

厩舎の入口に覗く黒々とした雲に、青い裂け目があった。雲が2つに割れてたんだ。


その裂け目、雲と雲の間に……虹が、掛かっていた。


無音だった。

俺も、他の人間も、ワイバーンたちも、みんな黙って、その虹を見ていた。

意識も思考も、きえて、ただ、みていた


―――――エレクトラの叫びが、俺達を引き戻した。


はっと我に返ってエレクトラの巨体に目を戻すと、俺は悲鳴を上げそうになった。



………腹の膨らみが、移動していた。

ひとりで、どんどん、どんどん、エレクトラの尻に向かって。


『自分で……動いてる、のか…?』


思わず俺は呟いた。

けど、そんなはずはないんだ。

人間もそうだが、子供は母親が息んで産む。自力で動けるわけがない。エレクトラが本能的に産卵してるに違いなかったんだ。

その、はずなんだが、


『牧場長…!』


従業員が悲鳴のように言って、指をさした。

俺はそれを見た。

尻尾の付け根、総排出孔。


そこに、頭が、出ていた。


『…ッ!』


卵で産まれるワイバーンが、まるで牛や馬みたいに、頭から顔を出していたんだ。

まるで、ワイバーンの産まれ方が分かってないみたいに。

息を呑んで見ることしか出来ない俺達をよそに、その頭、つまり赤ん坊は、一気に孔から這い出た。


産まれたんだ。



……その途端、黒い雲は嘘みたいにどこかに消えた。



ワイバーンたちも吠えなくなった。

鳥の囀りも、小さい獣の啼き声も聞こえた。

ただの穏やかな、なんてことない昼間に戻った。

戻れないのは、俺たち人間だけだった。


『……おい、こいつは…』


粘液にまみれた、一頭のワイバーンの赤ん坊が、寝藁の上にいた。

目も開けられない、いかにも孵化したばかりって感じの、どこにでもいそうな子供。

けど、そいつは、開けたんだ。


目を。



虹色の、眼を。



『――――――』


衝撃、と、呼ぶしかないものが、俺を貫いた。

どう説明するのがいいのか、今でも分からない。

あの眼を見た人間にしか分からない、と言うのは、ずるいと思うか?

でもそうなんだ。


普通じゃなかった。何もかも。


眼を開けて、母親に舐められて、労るみたいに母親を舐め返してる赤ん坊は。






………連絡を受けて牧場に来たホセも、同じことを思ったんだろうな。


いつもなら慎重に名前を決めるのに、あの赤ん坊の眼を見て、すぐに名付けた。



あいつの名前は――――――






*** *** ***






(イリス、誕生)







*** *** ***

*** *** ***

(中編に続く)

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