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異界の境界施設  作者:
Case-M

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Case-M #4


「今日は、週次のチーム審査(簡易)ね」


朝の廊下は、昨日より“生活”の匂いが濃かった。

湯気の気配。乾いた紙。薬草の甘苦さ。足音が増えるだけで、ここが「人が働く場所」だって分かってしまうのが嫌だ。


俺は窓のある部屋のカーテンに触れずに出てきた。


外は“どこでもない”。短く見ただけで足場が薄くなる感じがする。昨日、レイヴが「長く見ると引っ張られる」って言った意味が、少しだけ分かる。


そのレイヴが、いつも通りの軽い笑顔で俺の隣を歩いている。


――いや、今日はほんの少し違う。


「審査って、俺がテストされるやつ?」


「テストって言うと怖いから。点検。週イチの体調チェック」


言い方が、やけに砕けてる。昨日までより、少しだけ“人”っぽい。


「……今日、テンション変じゃない?」


俺が言うと、レイヴはあっさり笑った。


「バレた? 上から言われたの。保護対象には、もう少し肩の力抜けって」


「本部こわ……」


「怖くないよ。緊張をほぐせってだけ。俺もその方が楽」


“楽”がさらっと落ちる。こっちが身構える前に、肩の力だけ抜かれる。

上手すぎて、逆に不安になる。


「帰れるの?」


つい、真っ直ぐ聞いてしまった。

言った瞬間、自分の声の子どもっぽさにちょっと恥ずかしくなる。


レイヴは軽いまま、でも誤魔化さずに言う。


「帰還は制度。今日は“先が見える日”にはなる。……でも、今すぐじゃない」


希望と現実を同じ手で渡される。俺は笑って受け取るしかない。


「先が見える、ね。良い言い方すんな」


「言葉選ぶのが得意なだけ。仕事柄」


“だけ”が軽い。軽いのに、線はちゃんと引かれる。


「……仕事って便利な言い訳だな」


「便利だよ。ミナトが潰れないで済むなら、なおさら」


さらっと言うくせに、目だけは真面目で。そのギャップがいちばん困る。


胸元のタグに指が触れそうになって、俺は慌てて手を下ろした。

外せない。外さない。ルール。表示はいつも「ミナト」。その文字が今日も喉元で静かに光っている。


「質問していいって言ってたよな」


「うん。何でも聞いて。分かんないの、普通」


「じゃあ聞く。週次とかさ、ほんと会社みたいだな」


「似てる。定期で状態を見るだけ。必要なら上に回す」


“上”の単語だけで、空気が少し固くなる。


「委員会って……俺の“帰るかどうか”決めるんだろ」


「決めるっていうより、通すか止めるか。条件が揃えば通る。揃ってなければ止まる」


止める。優しい口調のまま、道を塞ぐ言い方。


俺は笑って頷く。


「じゃあ俺、揃えるわ。条件」


言った瞬間、自分の声が“良い子”のそれになっているのに気づく。

良い子にしてれば褒められる。守られる。先へ進める。そういう癖が、俺の中にまだ残ってる。


(帰れるなら、なおさら)


レイヴが俺を見た。笑顔のまま、ほんの一瞬だけ目が“確認”になる。


「揃えようとしすぎなくていい。今日の目的は、“今のミナト”を見ること」


“今の”って言葉に、長さが混じる。俺はその長さを笑ってごまかした。


「了解。じゃあ今日だけ良い子する。今日だけな」


「うん。今日だけ。……って言えるの、偉い」


「褒めるな」


「褒めたいから褒める」


砕けた言い方なのに、逃げ道が増えるわけじゃない。

ただ、息がしやすくなる。



審査室は、検査室より少しだけ“人”の気配があった。

椅子が二脚、机が一つ。机の上には魔具と台帳と、薄い板みたいな端末。


先に居たのはリュカだった。姿勢が正しくて、視線が余計なものを入れない。


「ああ、来たか。……ミナト」


名前を呼ぶ音が事務的で、助かる。優しすぎると、俺は変に期待してしまうから。


もう一人――ドアの外から、派手な足音と香りが来た。


「はぁい、みんな! 週次よぉ〜! ミナト、元気? ……元気な顔してるだけ?」


ゴルド。

マッチョ。圧。なのに語尾が艶っぽいおねぇ。でかいのに動きが軽いのが、逆に怖い。


「元気な顔してるだけ、ってなんだよ!」


「いいのよぉ。そういうの、分かるからぁ。水、持った?」


「持った!」


「よし。水は正義。じゃ、始めるわよぉ。簡易だからね。怖がらないでね」


「怖がってないって!」


「怖がってもいいのよぉ」


その“許可”が妙に刺さるから、やめてほしい。でも言えない。言えないから、俺は笑う。


レイヴは最後に入ってきた。軽薄な顔。なのに手にはチェックシート。


「じゃ、いこっか。ミナト、座って」


命令じゃない。案内。俺は椅子に座って、背筋を伸ばした。


(良い子)


自分で自分に言う。良い子にしてれば、帰れる。

そう思った瞬間、喉の奥が少し渇く。


リュカが輪っか状の魔具を机に置いた。前に手首でやったのと似ている。


「手、出せ」


「はい」


返事が反射みたいで、自分で嫌になる。


輪が手首をなぞる。冷たい。

光が一瞬走って、すぐ収まる。


リュカが淡々と読み上げる。


「適応値、前回と大差なし。暴走リスク低。……ただし、夜間の不安が強い」


「えっ」


なんで分かるんだ。俺、隠してたつもりなのに。


レイヴが軽く肩をすくめた。


「記録」


「記録ってこわ……」


「怖いって言っていい。君を守るためのやつだから」


“守るため”って言い方が、いちばん逃げにくい。


ゴルドが机に肘をついて覗き込んでくる。


「ミナト、夜ねぇ。ちゃんと眠れてる?」


「……眠れてる、っちゃ眠れてる。途中で起きるけど」


「ほらぁ、やっぱりギリねぇ」


ギリ、と言われると、自分が崩れかけてるみたいで焦る。


俺は慌てて笑った。


「でも大丈夫! 俺、慣れるの早いから」


言った瞬間、レイヴの視線が一瞬だけ鋭くなる。笑顔は変わらないのに、目だけが“止める”になる。


「慣れるのは、急がなくていい」


軽い声のまま止められる。止められると安心してしまうのが怖い。


リュカが次の魔具

――薄い板を出した。台帳の代わりみたいなやつ。


「タグ。確認」


「……確認って、どうすんの」


レイヴが横から、砕けた声で助け舟を出す。


「ちょい反応を見るだけ。痛くない。君の“今”が出る」


“出る”が怖い。

でも俺は頷く。良い子だから。


胸元の札に指を当てる。金属が冷たい。なのに指先が妙に熱い。

息を整えるみたいに、ほんの少しだけ力を込めた。


札が、薄く光った。


レイヴが板に視線を落とす。


「うん、安定。……ミナト、今、息が浅くなる手前だった」


「え、嘘」


「嘘じゃない。ほら、肩」


言われて初めて気づく。俺、肩が上がってる。


ゴルドが大げさに頷いた。


「ほぉらぁ。良い子しすぎよぉ。肩、カチカチ」


「良い子しないと帰れないだろ……」


ぽろっと出た。出た瞬間、部屋の空気が一拍だけ静かになる。


リュカは視線を落としたまま言った。


「帰還は手続きだ。良い子かどうかじゃない」


レイヴが俺の方を見て、軽い口調で続ける。


「でも、そう思うの、普通。……協力してくれて助かってる」


助かってる。言われると、また“頑張れる”方に寄ってしまう。

寄ってしまう自分が嫌で、俺は話題をずらすためにスマホを取り出した。


「これさ、スマホ。端末機能だけ使えるって言ったよな」


「うん。写真と動画とメモ。外とは繋がらない」


「動画、見てもいい?」


「いいよ」


“いいよ”が軽い。軽いから、俺は“許可”をもらった気になってしまう。


俺は動画を開いた。去年の夏。圭介が笑って、翔太がふざけて、健二が変顔してる。

俺がカメラを揺らしながら笑ってる。


音量を上げる。


……音が、小さい。


耳を近づけると聞こえる。でもどこか途切れる。ノイズが混じる。

笑い声の高いところだけが削れてるみたいに、薄い。


「なにこれ……」


俺は画面をもう一度再生した。


圭介が俺の名前を呼んだ、はずのところ。

口は動いてるのに――音が抜ける。名前だけが、無音になる。


背筋がぞくっとした。


「……今の、聞こえた?」


俺がレイヴを見ると、レイヴは一瞬だけ目を細めた。笑顔のまま、仕事の目。


「聞こえた。……境界の癖。外の“固いもの”が、たまに削れる」


説明じゃない言い方。癖、って軽い単語で重い現象を包む。


ゴルドが眉を下げる。


「やだぁ、ムカつくわねぇ、それ。ミナト、胸にくるでしょ」


「ムカつく……っていうか、刺さる」


俺は笑えなかった。見られるのに、繋がらない。聞けるのに、肝心なところだけ欠ける。

未練が、形を変えて刺さる。


リュカが淡々と締める。


「今週の所見。安定。ただし夜間不安あり。私物の記録に反応強。……呼吸手順、継続」


“呼吸手順”が処置みたいに並ぶのが嫌なのに、助かるのも事実だ。


レイヴがチェックシートにペンを走らせながら、砕けた声で言った。


「ミナト、今日は問題なし。……って言うとまた嫌か」


「嫌っていうか、俺、機械かよ」


「機械じゃない。……でも壊れそうなら止める。止めるのが俺の仕事」


さらっと言う。優しいのに、管理の匂いがする。


俺は笑って誤魔化した。


「じゃあ俺、壊れないように適当にやるわ」


「うん、それ。適当でいい」


“適当でいい”が、今の俺には救いになるのが悔しい。



夕方、部屋に戻る頃には、頭が熱を持っていた。

身体じゃない。思考が疲れている。


良い子で、協力して、笑って。

その全部が“帰れる”に繋がるはずなのに、帰れる実感は増えない。


窓の外は相変わらず“どこでもない”。

短く見るだけで足場が薄くなる気がするから、俺はカーテンに触れない。


代わりにスマホを握る。


圏外。通知なし。送れない。位置情報も出ない。


動画を再生して、名前が抜けるところで止めた。


口は動いてる。音だけが無い。


俺は笑ってみる。


「……俺、消えてるみたい」


声が軽く震えた。笑いが笑いにならない。


喉が渇く。水を飲んでも、渇きの位置が違う。胸の奥が渇いてる。


タグに指が伸びる。金属の冷たさが指先に返って、俺は反射で握り込んだ。


呼べば来る。来ると楽になる。楽になるのが怖い。


でも今日は、怖さより先に、息が浅い。


俺は息を吸って、吐いた。吐いた息が震えて、自分で笑いそうになる。笑ったら壊れる。


タグを握って、言う。


「……レイヴ」


少し間があって、ノックが二回。

間がある。急かさない間。


「はーい。呼ばれた」


扉が開いて、レイヴが入ってくる。今日も軽薄な笑顔。今日も仕事の足音。

だけど、さっきより口調がさらに砕けてる。


「顔、やばい。……無理してた?」


無理してた、の一言が胸の奥を突く。

俺は笑って誤魔化そうとして、誤魔化しきれなかった。


「……ちょっと。動画がさ、変で」


「あー……名前、抜けた?」


当てられて、俺は一瞬固まる。


「え、なんで分かるの」


「よくある。……よくあるって言うのも最悪だけど。ミナトだけじゃない」


“だけじゃない”が救いになってしまう。救いになるほど、俺は弱ってる。


レイヴは俺の前にしゃがむ。

距離が近い。近いのに触れない。触れないから余計に、喉の奥が渇く。


「今日はそれだけでいい。息、合わせよ」


命令じゃない。提案。提案なのに、俺は頷いてしまう。


「……うん。お願い」


「目、閉じて。数、俺が言う」


俺は目を閉じた。


レイヴの声が少しだけ近くなる。耳元じゃない。耳元にしない配慮。

でも近い。声が喉の奥を撫でるみたいに入ってくる。


「吸って……吐いて」


俺は言われた通りにする。

最初は浅くて、途中で引っかかって、喉が鳴る。


恥ずかしい。でも笑えない。


レイヴは数を数える。


「……いち。に。さん」


その数が、俺の思考を短くする。

圏外とか、委員会とか、帰還とか。全部の言葉が遠くなる。


残るのは、喉の渇きと、上気と、声の近さ。


息が深くなる。肩が落ちる。指先の震えが、少しずつ引く。


――楽。


楽が来た瞬間、俺は自分が“覚えてしまった”ことを知った。

この手順があれば、戻れる。戻れるなら、ここでも生きられる。


それが怖いのに、身体が正直だ。胸の奥がふっとほどけて、熱がじわっと上がる。


「……はい。おしまい」


レイヴの声で区切られて、俺は目を開けた。


視界が少し澄んでいる。涙は出ていない。出さなかった。

出したら“外”が遠くなる気がしたから。


「戻った?」


レイヴが聞く。確認みたいに。優しく。


「……戻った」


俺が言うと、レイヴは笑う。

その笑い方が軽いのが助かる。重い優しさは、俺を潰す。


「ミナト、えらい」


「えらいってなに……子どもじゃない」


「えらいは、えらい。……今日、頑張りすぎた分」


砕けた言い方のくせに、ちゃんと見てるのがずるい。


レイヴが立ち上がる。帰る気配。

俺は反射でタグに触れた。触れたことに気づいて、すぐ手を引っ込めた。


――増やすな、手順を。


でも、もう遅い。


「……来週も、審査あるんだろ」


「あるよ。週次。ルーティン」


「ルーティン……」


その言葉が日常の匂いを連れてくる。


レイヴは軽く言う。


「来週も同じでいこう。点検して、しんどかったら息合わせ。……それで保つ」


“保つ”が胸に落ちた。外とは繋がらないのに、ここでは保てる。


俺は笑ってしまう。


「……じゃあ俺、来週も良い子しちゃうかも」


「良い子禁止。適当でいい」


「それ、さっきも言ったな」


「言わないと忘れそうだから」


冗談みたいに言うくせに、目だけは真面目だ。


レイヴが「はい。おしまい」と言って立ち上がった、その声の余韻だけが、まだ俺の喉の奥に残っていた。


呼吸は戻ったはずなのに、身体の内側だけが少し熱い。

胸の奥がふわふわして、指先がわずかに震える。――落ち着いた、というより、落ち着かされてる、みたいな。


俺は誤魔化すように「水、飲んでくる」と言って、洗面の鏡の前に立った。


照明の白が妙に冷たい。

鏡に映った自分はいつも通りの顔をしているのに、首元だけが、違う。


利き側の首筋。喉元と鎖骨の間、少し外。

そこに、小さな痕が浮いていた。


黒い。なのに角度を変えると、青紫みたいな偏光が走る。

線は三本――爪で引っかいたみたいに、先だけがわずかに鉤になっている。


(……鴉の)


言葉にする前に、息が止まった。


息を止めた瞬間、痕は薄くなる。

焦って息を吸うと、今度は耳の裏――髪の生え際の奥が、ちり、と熱を返した。

見えない場所で、何かが起点みたいに反応する。


俺は反射で首筋に触れてしまった。


冷たいはずの金属タグより先に、皮膚が熱を返した。

触れた指先だけが、じり、と焼けるみたいに温かい。痕はもう曖昧なのに、熱だけが残っている。


(……なにこれ)


声にすると崩れそうで、俺は言葉を飲み込んだ。

鏡の中で、首筋の肌だけが、ほんの少し上気して見える。


背後で気配が動いた。

振り返る前に、レイヴの声が落ちてくる。


「ミナト、大丈夫?」


軽いはずの声が、今はやけに近い。

俺は鏡から目を離せないまま、笑ってしまった。


「……うん。たぶん。俺、ちょっと、熱いだけ」


嘘じゃない。ただ、“どこが熱いか”だけは言えなかった。


レイヴが一歩だけ近づく。近づいた瞬間、体温がずれる。

冷たい、みたいなのに、手の気配だけが熱い。


「……じゃあ今日は寝よ。明日、また確認」


“確認”が仕事のはずなのに、今は優しさみたいに聞こえるのが嫌だ。


「うん。寝る」


「偉い」


「だから褒めるなって」


「褒めたくなるから」


また砕けた口調。

それが“上の指示”から始まったとしても、今この瞬間だけは、俺の胸の奥にすっと入ってきてしまう。


レイヴはそれ以上は踏み込まず、扉の方へ下がった。

照明の加減で、瞳の黒が深すぎる。虹彩の端に、羽みたいな偏光が一瞬だけ走る。


俺が瞬きする間に、普通の笑顔に戻った。


「おやすみ、ミナト」


「……おやすみ」


扉が閉まる。静けさが戻る。


俺はベッドに仰向けになって、タグを指で押さえた。

冷たい。冷たいのに、今はそれが“ここにいる証拠”みたいで嫌だ。


表示は、ミナト。


スマホの画面がまだ点いていた。昼の動画のサムネイル。圭介、翔太、健二。笑ってる俺。


音は変で、名前は抜ける。見られるのに、繋がらない。


それでも、画面の中の俺は“外”にいる。

こっちの俺は、タグの文字でしか確かめられない。


――ミナト。


俺の名前が、ここでだけ正しく光っている。


俺はスマホを胸の上に置いた。画面の熱が、さっき鏡で残った熱と重なる。


(帰りたい)

(でも、今は……息ができる)


その事実がいちばん怖いまま、俺は目を閉じた。


来週も週次。来週も息合わせ。来週も“同じ手順”。


日常の匂いが、静かに近づいてきていた。

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