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オヤジ太閤記  作者: 芭音


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#8 西尾・東条の戦い 其のニ

◼︎永禄三年九月 三河国 東条城 裏山


「えいえい、おー。えいえい、おー。」


 鬨の声が、東条城へ届くかのように裏山に響き渡る。


 声の出元となる部隊は、三つ葉葵紋を印した旗を掲げ、目立たぬ甲冑に身を包んでいた。三つ葉葵といえば松平家――だが実際は、それを騙る木下藤吉郎と前田孫四郎利家の一隊である。


 藤吉郎が率いるのは、遁尾衆五十名に、銭で雇った日雇い浪人二十名余を加えた、計七十名余。

 彼らの役目は、三つ葉葵紋を掲げ、鬨の声を上げ、数を多く見せることにあった。


 一方、孫四郎が率いるのは、自ら連れてきた前田家の供のわずか五名。

 鬨の声に引き寄せられ、偵察や追い払いに現れる敵から藤吉郎たちを守るのが、その任である。


「ったく、相手が弱すぎて話にならんぞ。藤吉郎、もっと声を出して敵を集めろ。」


「おっ父からの指示は、とにかく捕まらんよう、場所を変えながら数を多く見せることじゃ。

 わしらの安全のために犬千代はおる。敵を倒すことが目的ではないわ!」


 この二人、こう見えて仲が良い。

 藤吉郎が織田に仕え始めた頃から住まいも近く、年も同じ。信長からは“猿”と“犬”と渾名されていることもあって、互いに妙な親近感を抱いていた。


 生まれてこのかた、天真爛漫に周囲を振り回してきた藤吉郎が、初めて振り回される側に回った相手――それが前田孫四郎である。


「分かったよ。この部隊の隊長は藤吉郎だ。ちゃんと着いていくさ。

 だが――こんな弱い敵ばかりじゃ、信長様から許しを得るなど到底無理だろ。お主の父を、信じて良いのか?」


 これまで少人数とはいえ、襲いかかってきた敵はすでに十人以上を斬り伏せている。それでも孫四郎の顔に、納得の色はない。


「大丈夫じゃ。機会があれば、おいらも手を貸してやる。

 猿だけじゃ、信長さまも怒り足りない顔をしておるでな。」


 移動の途中、木々の合間から視界が開け、東条城が見えた。

 本丸の一角が、赤々と燃え上がっている。


「ほらの! おっ父が成功したんじゃ!」


 唾を飛ばし、興奮気味に藤吉郎が叫ぶ。

 孫四郎は顔を拭い、不満げに息を吐いた。


「それはめでたいが……俺の活躍の場がまだねぇ。何とかしろ藤吉郎。総大将の息子だろ。」


「うるさいのう。黙ってついてこい。

 指示通り、見つからんように西尾の城へ急ぐぞ。河尻の与四郎殿が、孤立無援になるやもしれんからな。」


「分かったよ……。」


 孫四郎は、藤吉郎の部隊に混じる一人の百姓へと目を向けた。そしてその者に声をかける。


「道案内は頼むぞ……たんまり銭を渡した成果、見せてもらおうじゃねぇか。」


 銭で雇った者の一人で、西尾周辺の地形に精通している地元の男である。


 西尾は川が入り乱れる湿地帯だ。浅瀬の見極め一つが、そのまま移動の速さを左右する。

 目の前の百姓は、この部隊をいち早く西尾へ戻すため、弥右衛門が選んで雇った人物だった。


「よしっ! では、西尾に戻るぞ!」


 藤吉郎は高らかに宣言した。




 

◼︎永禄三年九月 三河国 西尾城


 ――同時刻。


 吉良義昭は、西尾城にて部下へ命じ、城内にある銭という銭を掻き集めさせていた。

 津島屋との約束を果たすためである。


 使いの者が戻り、求められた金額を告げた瞬間、義昭の胸中に怒りが込み上げ、思わず拳を握りしめた。

 足元を見おって――そう吐き捨てたくもなったが、ここで城下がさらに混乱すれば、事は取り返しのつかぬ方向へ転ぶ。


 歯を食いしばり、義昭は耐えた。

 これで町が落ち着くならば、払うほかあるまい。


 蔵から蔵へと銭を集め、ついに最後の箱にまで手を付ける。その底が空になったのを確かめると、義昭は短く息を吐き、再び使いを走らせた。


 これでよい。

 あの銭が津島屋の手に渡れば、こちらの責任は果たされた。これで、城下は何とかなる。あとは北から来るであろう敵に備えるのみよ。


 ばたばたと、落ち着きのない足音が廊下を駆けてくる。


「殿っ……殿! 急報にございます!」


「……次は何事だ」


 今日はどうにも、事が重なりすぎる。

 義昭はそう思いながらも平静を装ったが、背にじっとりと悪い汗が滲むのを止められなかった。


「東条に、三つ葉葵紋の部隊が現れたとのこと――松平勢にございます。

 城代の指示で数名、偵察に出しましたが……戻りませぬ。全滅したものと思われます。

 兵数を含め、仔細は不明にございます」


 義昭の目が、わずかに細まった。


 やはり来たか――松平元康。

 事前に掴んでいた情報どおり、松平は動き出していた。


 しかも、この速さ。思いつきの動きではない。

 相当前より周到に備え、機を窺っていたと見るべきであろう。


 ――三河は、もはや嵐の只中にある。


「物見櫓へ行くぞ。

 この目で見て、次の一手を決める」


「はっ。では、こちらへ」


 敵の兵数はいまだ知れぬ。

 できることなら西尾に留まりたい。東条は守りの堅い城である。持ちこたえてくれさえすれば、西尾を拠点に遊撃をかけ、囲む敵を削ることができる。

 それこそが、相手にとって最も厭う一手のはずであった。


 ぎし、ぎし、と不吉な音を立てる梯子を上り、義昭は櫓の上から周囲を見渡した。

 眼下に広がる西尾の町。

 川が入り乱れる湿地帯。

 そして――東条城のある山。


 その光景を目にした瞬間、義昭は思わず息を呑んだ。


 城の中心部から、もくもくと黒煙が立ち上っている。


 ――早すぎる。


 理屈ではなく、直感が告げていた。

 東条は、すでに奥深くまで踏み込まれている。


「……出るぞ。東条を助けに行く」


 他に選択肢はなかった。

 西尾城は守りが薄い。東条を失えば、吉良はじわじわと追い詰められ、いずれ滅びる。


「ですが……!

 仔細が分かりませぬ。まずは状況を探る者を出し、それからでも――」


「遅い!」


 義昭は遮った。


「行かずとも、この目で見えとる。

 この場面、一瞬の迷いが命取りだ。すぐに出るぞ」


 義昭は小さく、息を吐いた。


 ――津島屋へ送った銭も、これでは無駄金か。

 自ら兵を率いて動けば、噂が真であったと世に示すことになる。


 何もかもが、思い通りには運ばぬ。


 それでも、今は進むほかない。

 義昭はそう己に言い聞かせ、城を出る覚悟を固めた。


 

 

◼︎永禄三年九月 三河国 西尾の町


 ドドドドッ――。

 建物の奥深くにまで、外から響く振動が伝わってきた。

 人と馬が、まとまって東へ急行している――その音であった。

 

「河尻殿……準備は整ったかと。」


 西尾の町に新しく店を構えた駿河屋。その奥座敷には、複数の男たちが息を潜めていた。

 河尻与四郎秀隆率いる武士五名。

 そして、服部勘十郎が率いる透破二十名である。


「見事だな、勘十郎」


「滅相もございません。我らは、命ぜられた通りに動いただけ。駒でございますれば……」


「ふむ。ならば凄いのは、弥右衛門殿ということか。ずいぶんと謙虚なものだ」


 そう言いつつも、与四郎の胸中には感嘆があった。

 机上の想定を、寸分違わず現実にした遁尾衆の働き――それを率いた手腕は、疑いようがない。


「では……参ろうか」


 与四郎の低い一言を合図に、二十五名が静かに動き出す。

 全員が身に着けているのは、沢瀉紋(おもだかもん)――木下家を示す紋をあしらった甲冑であった。


 通りに出ると、町は――

 巣を失った蜂のようであった。


 その光景が、すべてを物語っていた。

 勘十郎たちは、完璧に役目を果たしたのだ。


 ここからは、己の出番。


 与四郎は拳を握り、身体を翻すと、背後に従う者たちを見渡して声を張り上げた。


「さて。

 これよりは、木下の名を――初めて世に示しに参る。

 皆の者…………気張れよ。」


 その一声に応え、兵たちが低く鬨の声を返す。

 足並みを揃え、西尾城の城門へと進み、門前に陣取った。


 ――その時である。


 誰一人、手を触れていないにもかかわらず、

 城門が、ぎ……ぎ……と音を立てて、ゆっくりと開き始めた。



 それを誰が成したか――

 勘十郎の口元に浮かんだ、かすかな笑みが答えであった。



ご拝読いただきありがとうございます。


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