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オヤジ太閤記〜天下人の父に転生した男、株式会社を作って、表裏比興の者として生き抜く。〜  作者: 芭音
永禄三年(1560)

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#9 西尾・東条の戦い 其の三

◼︎永禄三年九月 三河国 西尾城


 大手門を、河尻与四郎は悠然とくぐった。


 城内にはすでに遁尾衆十名が忍び込んでいる。それだけではない。門番をはじめ、城の内には内応者も相当数いると聞いていた。


 服部勘十郎の話では、城を守るのは銭で雇われた地元の商人や百姓の三男、四男であったという。身を立てる機会を持たぬ者たちに、銭や土地といった確かな褒美を示せば、心は容易くこちらへ傾く。


 目標である城代が詰めているのは、本丸の屋敷に違いない。今いる曲輪を抜け、さらに一つ門を越えれば、そこへ至る。


 門に辿り着くまでの間に、三度ほど敵と鉢合わせた。

 いずれも少数であったのが幸いし、騎乗のまま手早く斬り伏せる。返り血をわずかに浴びながらも、足を止めることはない。


 矢狭間の奥からも、かすかな物音が聞こえてきた。

 だが、それも程なく消えた。そちらもまた、着実に始末されているのだろう。


「河尻殿、ここを右手にございます。そうすれば、まもなくかと」


「相分かった。皆の者、遅れるでないぞ」


「はっ……」


 短い応答とともに、兵たちの気配が引き締まる。

 そしてついに――本丸の入口となる門が姿を現した。



 

 門は、閉ざされていた。


 本来なら、内応者が閂を外しているはずだったが――失敗か。


「申し訳ございませぬ。どうやら……」


 勘十郎が歯噛みするように言葉を濁す。


 ここまでが順調すぎた。

 一つや二つ、狂いが出ても不思議はない。


 ――いや。


 与四郎の視線が、門の下へと走った。

 ほんのわずか、木戸と地面の間に残された隙。


 見逃せばそれまでの隙だ。

 だが、修羅場をくぐってきた武士の目は、それを違和感として捉えた。


「……皆の者、我につづけ!」


 叫ぶと同時に、馬腹を蹴る。


 閂は外されている。

 弥右衛門殿の計略は、まだ生きている。


 制止の声が背後で上がったが、振り返らない。

 与四郎と寄騎五名が、馬を並べて駆ける。


 門の向こうから、切羽詰まった怒声が漏れ聞こえてきた。


「この裏切り者め!」

「口を叩くな、門を抑えろ!」

「敵はすぐそこだ、急げ!」

「閂を持って来い!」


 やはり、内応は成っている。

 ならば――かけられる前に、こじ開けるのみ。


「お主たち、馬の目を隠せ!」


 一声で意を悟り、寄騎たちが布で馬の目を覆う。


「すまぬな……」


 与四郎は愛馬の首を一撫でし、低く呟いた。

 次の瞬間、力いっぱい腹を蹴る。


 門へ激突する刹那、足に力を込めて宙に舞う。

 馬だけが、その勢いのまま木戸に叩きつけられた。


 鈍い衝撃音。

 木戸が軋み――押し開かれた。


 着地と同時に、与四郎は踏み込んだ。

 一太刀。門内にいた兵が、声もなく崩れ落ちる。


 続いて、無事に着地した二人が続き、

 さらに――遁尾衆が雪崩れ込んだ。


 戦列は、もはや形を保てない。


 勝利は、その瞬間に定まった。


 ほどなくして、西尾城の天に、

 沢瀉紋(おもだかもん)が、静かに、しかし確かに翻った。


 


◼︎永禄三年九月 三河国 東条城


「若殿、なりませぬ! 我らが火を消しますゆえ、どうかお下がりを!」


 老臣の制止を振り切り、若者は桶を掴んで燃え盛る米倉へ水を浴びせた。


「黙れ。この倉を失えば、父上に申し訳が立たぬ」


「されど若殿は、まだ城代ではございませぬ。責を負われるお立場では——」


「そういう話ではない。いいから、爺も手を動かせ」


 必死に火と向き合う若者の背を横目に、

 弥右衛門は、吉良兵に扮したまま城外へと視線を向けていた。


 城と西尾城とを隔てる、川の入り乱れる湿地帯。

 その向こうに、確かに見える。


 吉良義昭の隊列が、こちらへ向かって進んでくるのが。


(——想定通りだ)


 胸中でそう呟く。

 作戦は、狂いなく進んでいる。


⸻


 数日前。

 勘十郎とともに西尾を見分した帰途、弥右衛門は豪商・津島屋と密かに会っていた。

 ――そして、全面協力を取り付けた。


 代価は、銭ではない。

 町である。


 西尾を領した暁には、町を海側へと拡張し、新たな港町を築く。

 その差配を、すべて津島屋に任せる。


 伊勢湾を経済で支配する津島商人にとって、三河湾は次なる狩場。

 西尾に確かな拠点を得られれば、現時点で三河湾を押さえる吉田商人とも拮抗できる。


 数年もすれば、税で元は取れる。

 長期の投資だ。

 吉田商人との争いにも力を貸し、回収の確度をさらに高める算段であった。



 そして昨夜。

 勘十郎より、噂の浸透具合を確認した。


 十二分。

 町の隅々にまで行き渡っているという。


 頭領となって初仕事、張り切りすぎたかと思えば、どうやら違う。

 清洲で噂を聞いた織田信長が、それを“真”にするかのように兵を集め始めたのだ。


(……察したか)


 やはり、有能な男だ。


 


 作戦の開始前、

 西尾の町外れに集まった戦力は、三隊に分けた。


 前田隊。

 又左衛門率いる五名のかぶき者に、遁尾衆五十名、浪人二十名余、そして藤吉郎。

 八十名弱の陽動部隊である。


 河尻隊。

 与四郎の寄騎五名に、勘十郎率いる遁尾衆三十名。

 四十名弱。そのうち十名は、すでに城内へ潜ませた。


 木下隊。

 俺と、腕の立つ遁尾衆二名。三名のみ。


 残る遁尾衆は、女子供や老人など、戦に向かぬ者たちであった。



 夜明けとともに作戦が開始され――

 

 仕込んだ西尾の町の混乱。

 前田隊による偽の敵襲。

 そして、木下隊による東条城の炎上。


 それらをもって、吉良義昭を西尾から引きずり出す。

 城主不在となった西尾城を、河尻隊が制圧する。


 それが、この戦の全容である。


 事が成れば、西尾へ戻り、城を固める。

 数刻耐え忍べば、小一郎の部隊――戦に巻き込まぬ約束で募った尾張の百姓二百がやってくる。仮初の守備とする算段だった。




「——頭領、西尾より狼煙が上がっております。作戦、成功かと」


 古くからの付き合いである腕の立つ遁尾衆の一人が弥右衛門に声をかける。


「もう“頭領”ではない」


「……失礼。今の頭領は勘十郎殿でしたな」


「ああ。何はともあれ、西尾へ戻ろう」


「はっ」


 すべては、怖いほどに想定通り。

 胸中に小さな達成感を抱きつつ、城を後にしようとした——その時。


 視界の端に、湿地帯が映った。


 ——違和感。


 見間違いかと目を擦る。

 だが、違わない。


 本来なら、隠れるように西尾へ戻っているはずの藤吉郎たちが、吉良義昭の隊を目がけて、堂々と進軍している。


(……何をしている)


 胸の奥が、ひやりと冷えた。


 想定外。

 それだけは、間違いなかった。


 


◼︎永禄三年九月 三河国・西尾 湿地帯


 少し刻を遡る。


 藤吉郎ら一行は、地の利に通じた百姓の案内で、川筋の入り乱れる西尾の湿地帯を進んでいた。浅瀬を選び、足音を殺し、慎重に歩を運ぶ。


 前田又左衛門も馬を下り、手綱を引いて泥濘に足を取られぬよう進んでいる。武具の金具が鳴らぬよう、皆が無言で呼吸を合わせていた。


「……あれが義昭の部隊だ」


 背丈ほどもある草をそっと押し分け、又左衛門が南を覗いて低く告げる。


 藤吉郎は眉をひそめた。


「おい、見つかるなよ。そんな目立つ格好で首を出しおって。これでは策が台無しだがね」


「心配いらん。ほら、ちょうど大きな川を渡っとる最中だ」


 ――何が心配いらん、理由になっとらん。

 だが、目を凝らせば確かにその通りだった。


 この湿地帯には無数の水路が走っているが、その中でも二筋の川はひときわ流れが太い。義昭の隊は、西尾側の川をすでに渡り終え、いま東条へ向かうもう一つの川を横断しているところだった。


 水に脚を取られ、隊列は自然と伸び切っている。


 そのとき、ふと横を見ると、又左衛門が口元に不敵な笑みを浮かべていた。


 ――いかん。これは、また何かを思いついた顔だ。


「なあ藤吉郎。この状況、吉良義昭を討ち取る好機だと思わんか」


 戯れ言として聞き流すつもりだった。

 だが、その一言が、藤吉郎の胸の奥にねっとりと絡みつく。


 川を渡る最中の兵は、半ば分断されているも同然だ。幼いころから川遊びで身につけた感覚が、即座に危険を教えてくる。濡れた衣は重く、足場は不安定。思うように槍も振るえぬ。


 義昭らしき人物は後方――まだ川に入っておらず、二つの川に挟まれた中洲のような位置にいる。


 川上(ここ)から攻め込めば、逃げ場はない。


「おい、藤吉郎。返事をせい! また涎を垂らして考え込んどるぞ」


 はっとして口を閉じる。

 考え事に没頭すると、周りの声が聞こえなくなり、口が開いたままになる――昔からの悪い癖だ。


「すまん、すまん。だがな、おいらの役目は西尾に戻って、吉良の反攻を防ぐことだ。道草は食っとれん」


「義昭を討てば、反攻そのものが消える。お主なら、その意味が分かるだろう」


 藤吉郎は歯を噛みしめた。


 おいらの役割は、西尾へ戻ること。

 それを決めたのは、おっ父だ。


 確かに好機ではある。だが、これは一か八かの賭けだ。

 この手勢の質と数で、吉良義昭を討ち取れる保証などどこにもない。


 ここは退くべきだ。

 それが――賢(・)い(・)選択だ。



 

 そう言って又左衛門を退けようとした、そのとき。

 胸の奥に、もやりとした違和感が残った。


 

 藤吉郎は、自分が出した結論に、どうしようもない“しこり”を覚えたのだ。


 ――おいらは、賢く生きたいんじゃない。


 争いの尽きぬこの世で、

 信長さまと一緒に、誰も見たことのない景色を見る。

 それが、どんな修羅の道であろうとも。

 命を懸けるに値する道だ。


 西尾城を取るだけの戦果。

 それに加えて、吉良義昭の首。


 信長さまが――いや、自分が

 本当に欲しているのは、どちらか。

 

 考えるまでもなかった。


「……又左衛門。やるか」


 藤吉郎は、ゆっくりと顔を上げた。


「義昭を討つぞ」


「ははっ。さすがだ、藤吉郎。そう言うと思っておったわ」




 藤吉郎は、心の中でそっと頭を下げた。


 ――すまん、おっ父。

 だが、この気持ちだけは、どうしても抑えきれんのだ



ご拝読いただきありがとうございます。


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