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オヤジ太閤記  作者: 芭音
永禄四年(1561)

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#21 実相寺

◼︎永禄四年ニ月 三河国 西尾 実相寺跡


 上ノ郷城攻略に向けた軍備が佳境を迎える中、弥右衛門と河尻与四郎は領内にある古寺、実相寺の跡地を訪れていた。


 目的は「茶」である。西尾を支える名産品を育てるべく茶に詳しい者を探させていたところ、数ヶ月前、勘十郎からこの寺の名が挙がったのだ。

 それもそのはず、ここは宋より茶の種をもたらしたとされる聖一国師が開山した寺であり、この地の茶生産を束ねる宗家とも言える存在であった。

 

 だが、重大な問題があった。


「これは酷いな。」


 思わず嘆息が漏れた。視界にあるのは、焼け朽ち、雑草に埋もれた無残な廃墟だ。

 桶狭間の戦いが迫る混迷の中、今川方の拠点と目されたこの寺は織田の手勢によって焼き討ちされた。弥右衛門がこの地の領主となる頃には、住職たちは再建の寄付を求めて京や諸国へと流浪の旅に出ていたのである。


 その住職たちが、ようやく西尾へ戻ってきた――。

 その一報を受け、弥右衛門は馬を急かせてやってきたのである。

 

 焦げ茶色の柱が無数に転がる境内。その奥で、旅の汚れもそのままに、呆然と焼け跡を見つめる二人の僧の背中が見えた。


「宗円様、やはり諦めるしかありませぬ。どこへ頭を下げても、助けてはくれなかった。……この寺は畳み、他の臨済の寺に身を寄せましょう。」


「円澄や、それはできん。聖一国師様や、吉良様からお預かりしているこの寺を絶やすわけにはいかぬのだ。……諦めたら、何もかも無くなってしまうのだぞ」


 三十代ほどの僧が貫禄のある髭を持つ老僧に決断を求めているようだ。弥右衛門は彼等が気づくようにわざと音を立てながら近づいた。


「そこのお二人。……この寺の僧で、相違ないかな?」


 二人がびくりと肩を揺らし、振り返る。


「……はい。この寺の住職の宗円様と、私が弟子の円澄。失礼ながらお侍様は……。」


 住職の宗円が、縋るような目を弥右衛門に向けた。その瞳には、一縷の望みさえ枯れ果てた絶望が宿っている。


「お侍様、不躾ながら、どうか……。どうか、この実相寺の再建に、お力添えをいただけませぬか。」


「よいぞ」


 一拍の躊躇もなかった。


「宗円様、無茶を仰っては……。通りすがりのお侍様が、そう易々と――え、今、よいとおっしゃいました……!?」


 円澄の顔が驚愕で固まった。弥右衛門は不敵に笑い、腰を据えて焼け跡を見渡した。


「はい。私は木下弥右衛門吉成と申します。

 吉良様に代わり、この一帯の領主にございます。

 領内随一の名寺であった実相寺の惨状、予てより心に掛けており、再建の機を伺っておりました」


“木下”という名を発した瞬間、宗円の瞳に冷徹な火が灯った。それは、恩人を奪った仇敵を見る目であった。

 

「……実相寺が吉良家の菩提寺であることは、ご存知かな? 吉良を滅ぼし、その座を奪った其方が、今さら再建を口にするとは。……我らを弄んでおられるのか」


 低く、地を這うような声。宗円の背後にいる円澄も、怯えながらも敵意を隠そうとはしなかった。


「吉良家とこの寺の深い縁、知らぬはずはございませぬ」


「では、何故。」


「乱世ゆえにござる。成り上がり、取って代わるのはこの世の理。木下もまた、その荒波を生き抜くために牙を剥いたまで。……私には、吉良様への恨みなど微塵もございませぬ。なればこそ、吉良の妻子を救えなかったことは、今なお私の胸に深く突き刺さる悔恨にございます。」


 弥右衛門の吐露に、宗円の眉がわずかに動いた。僧の瞳に宿る硬い氷のような色が、一瞬、揺らぐ。


「私は、吉良の奥方と約束したのです。

 この領内を、民が穏やかに暮らせる地にすると。

 そのために、貴方たちには聖一国師様が遺した、この三河の至宝たる『茶の種』を守り抜いてもらわねばならん。必要とあらば寺も再建しよう。睨み合い憎しみ合うのではなく、手を取り合う事が最善だと思っておるのでな。

 宗円殿。私を睨み続けることが、貴公の、そしてこの実相寺の果たして成すべきことなのかな?」


 宗円は言葉を失い、弥右衛門の瞳の奥にある、嘘のない「熱」に飲み込まれていくようだった。


「我々に、何をさせるおつもりですか。……具体的に教えていただきたい」


 宗円の背後で、円澄がいまだに鋭い、射抜くような目線を弥右衛門へ向けていた。

 

「木下家の庇護下で西尾の茶のすべてを統括してほしい。ただの茶ではないぞ。宇治に劣らぬ、天下一の茶を仕立てるのだ。それを世に届ける役目は我らが担おう。得られた利は、この地の民を潤すために使う」


 弥右衛門は、焼け朽ちた地面を力強く踏みしめた。


「理想ではなく、実利をもって民を救う。それが木下の掲げる統治だ。貴公らには、その『心臓』となってほしい」


「……寺は、本当に再建いただけるのですな?」


 縋るような円澄の問いに、弥右衛門は不敵に笑った。


「貴公らが、私に利を見せれば、な。……まずは今年の茶作りを任せる。その出来、その味をもって、再建の是非を判断させてもらう」


「確約はいただけぬと……! そんな無体な……!」


「よいのだ……、円澄」


 宗円が震える声で弟子を制した。


「……考えてもみよ。この半年、我らは各地で頭を下げ続けてきた。権力者の顔色を窺い、足を舐めてでも……と。だが、そんな真似、一向に慣れなんだ。不得手なことだった。……だが、目の前のこの男は違う。聖一国師様の遺された茶そのものを認め、我らの得意なことで成果を出せと言っておるのだ。

 それが寺の再建だけでなく、吉良様が遺された民を救う道に繋がる……。左様ですな、木下殿。」


 弥右衛門は深く、重く頷いた。そして、(すす)に汚れた宗円と円澄の手を、自らの両手で強く包み込んだ。


「今はまだ、私を憎んだままでよい。だが、民のためにその力を貸してくれ。……数年後、もし木下家の統治が民を苦しめているのであれば、その時は貴公らにこの首を差し出そう」


 二人は顔を見合わせ、真剣な眼差しで弥右衛門をみつめた。


「……ご協力いたしましょう。実相寺渾身の『西尾の茶』、楽しみにしていてくだされ。」


 宗円が深く頭を下げた。その声には、先ほどまでの絶望ではなく、職人としての、そして一寺を預かる者としての静かな矜持が宿っていた。


「あぁ、期待しておるぞ。」


 弥右衛門は短く応じると、愛馬の腹を蹴り、西尾城へと踵を返した。風を切りながら駆ける馬上で、目の端には、焼け跡の中で深々と頭を下げる二人の僧の姿が焼き付いていた。


 ――実相寺は大事にせねばならん。

 吉良を慕う領民の心の拠り所であり、茶という価値を生み出す工場でもある。西尾の統治を盤石にするには、この場所の価値を最大化せねばならん


 その時、弥右衛門の脳内に一つの「設計図」が浮かび上がった。


 そうだ。城の本丸に残されたままの吉良の屋敷……。主を失い、朽ちるのを待つだけのあの巨材を、実相寺の再建に使おう。部材を移築し、吉良の面影を寺の随所に残すのだ。


 吉良家の栄華を支えた木材が、新たな時代の「茶の聖地」を支える柱となる。

 それは領民に対し、木下家が吉良の歴史を尊び、共に未来へ進むことを示すことになるはずだ。


 

◼︎永禄四年三月 三河国 西尾城


「殿。……甲賀衆三十名、到着いたしました」


 勘十郎の低い声が響く。弥右衛門は静かに頷いた。


「ついに来たか。予定通り、本丸の吉良屋敷に案内してくれ。そこで会おう」


 弥右衛門は曲輪にある住まいから、本丸へと足を運んだ。春の陽光に包まれた日本庭園は、戦の気配を忘れさせるほどに穏やかだが、その静寂を破るように、音もなく三十の影が近づいてきた。

 先頭を行く勘十郎に続く男たちは、一様に引き締まった体躯をもち、その眼光には野犬のような鋭さが宿っている。


「殿……お連れいたしました。」


 一団が足を止め、先頭の男がゆっくりと頭を下げた。


「木下様、お初にお目にかかります。

 甲賀郡中惣・筆頭、三雲対馬守定持の息子、三雲新左衛門尉(しんさえもんのじょう)賢持にございます。

 此度の隊、私が率います。……我らが力を上ノ郷で示し、約した功、しかと頂戴いたしますぞ。」


「もちろんだ。既に渡した百貫文に加え、座株と隠れ里も用意しておこう。……そなたたちを招いたからには、失敗など万に一つも考えてはおらんのでな」


 弥右衛門はあえて鷹揚に笑ってみせた。新左衛門尉は、苦く口角を上げた。


「して、我らはどこに潜めばよい? 我らは、存在を秘匿してこそ光るもの。……隠れ里の用意はまだ先とお見受けしたが」


「臨時の隠れ里として、この本丸を使ってほしい。寝泊まりから作戦会議、演習まで……すべてここで完結させてくれ。城の者には既に立ち入り禁止の触れを出してある。私も従来から曲輪の屋敷に住んでおるので問題ない。ここは、そなたたち専用の『城』だ。」


 その言葉に、甲賀衆の間に微かな動揺が走った。城の本丸とは、統治の象徴であり、城主の命そのものだ。それを余所者の傭兵に明け渡すなど、戦国の常識では考えられない。


「……忝い。木下殿が変わり者だという噂は、どうやら誠であったようですな。」


「私が変わり者? ……心外だな。そんなことはないと思うが」


 弥右衛門が問いかけるように視線を送ると、勘十郎は静かに目を逸らした。


「何はともあれ、此度の城攻め、粉骨砕身役目を果たしてみせまする。木下殿との約束は、今の甲賀にとって重い意味を持っておりますゆえ」


「であろうな。……我らにとっても同じだ。上ノ郷攻略には、不退転の覚悟で大金を投じている。負ければ木下は終わり、そなたたちの里も露と消える。……一蓮托生で参ろうぞ。」


 新左衛門尉を筆頭に、三十人の影が一斉に平伏した。

 盤石の布陣が整った。三河の空気が、いよいよ決戦の熱を帯びて動き出そうとしていた。

 


 

ご拝読いただきありがとうございます。

内政パートが長くなりましたが、次回からはいよいよ上ノ郷攻めが始まります。



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