#20 鉄砲と忍
◼︎永禄四年一月 三河国 西尾城
新年が明けた。
寒風を裂いて、西尾城に二人の男が帰還した。
清洲の信長様に対し、「戦後の鉄砲買取り」という厚かましい交渉を仕掛けた河尻与四郎。そして、甲賀の地にて透破の傭兵を募ってきた服部勘十郎である。
「二人とも、新年おめでとう。よくぞ戻ってきてくれた。……して、顔を見るに、首尾はあまり芳しくなかったかな?」
二人は正月気分の抜けた真剣な顔つきに戻った。その生真面目さが、私には少しおかしく、頼もしかった。
「まずは私からご報告いたします。
清洲に行き、信長様に木下家で揃える種子島百丁のうち、八十丁を戦の後に買い取ってほしい、と。――『美濃攻めには、一丁でも多くの種子島が必要ではございませぬか』と付け加えて。」
「うむ。私の指示通りだな。して、如何だった。」
与四郎の顔に、苦い色が滲む。
「信長様は『弥右衛門はいつも面白いことを考えおる』と鼻で笑われ、買取り自体には応じてくださいました。……ですが、価格は提示した金額の半値にまで買い叩かれました。」
弥右衛門は思わず頭を掻いた。
「なるほど……。一度の戦でしか使わぬ、新品に近い品だと念を押したのだな?」
「もちろんにございます。」
「まあ、良い。少しは足しになる。それに、あのお方の前で『否』と言えぬのは、私もよく分かっているからな。」
申し訳なさに肩を落とす与四郎を、弥右衛門はにこやかに受け流した。その横から、空気を察した勘十郎が身を乗り出す。
「……殿、それで肝心の種子島百丁、手配の方は大丈夫なのでしょうか?」
「案ずるな。勘定寄合の折に、津島屋へ依頼を済ませてある。種子島百丁に、鉛玉、硝石。すべて用意させる。国友や堺、場合によっては海を越えてかき集めるそうだ。織田と木下の両方に貸しが作れると、惣右衛門は鼻息を荒くしておったぞ。」
弥右衛門はニヤリと口角を上げた。
「……ああ、そうそう。寄合に来ていた豪商全員に『相見積もり』をとらせてな。競い合わせて相当に値を叩いた。その面では、私も信長様と似たようなものかもしれんな!」
屋敷に三人の笑い声が響き渡った。
ひとまずは、半年後の決戦までに鉄砲を揃える算段がついた。津島屋が供給し、木下が使い、使い古しを信長様が引き取る。金銭面以外は順調である。
ひとしきり笑い終えると、勘十郎は表情を消し、懐から一通の書状を取り出した。
「……甲賀者の件にございます。結論から申し上げれば、この書状に記された三箇条を呑むのであれば、三十名の精鋭を派遣すると申しております。」
場の空気が一瞬で引き締まる。弥右衛門は無言で受け取り、その封を切った。
そこには、甲賀衆の意思決定機関「郡中惣」の筆頭、三雲対馬守定持の花押が鮮やかに据えられていた。
一、三十名の傭兵に対する前金として、百貫文を支払うこと。
一、上ノ郷攻略成った暁には、一色湊の『座株』を一株譲渡すること。
一、今後、木下家は近江守護・六角家に対し、断じて敵対せぬこと。
弥右衛門は、書状を見つめたまま微動だにしなかった。
……なるほどな。百貫文といえば、令和の感覚なら一千万というところか。安くはないが、それで済ませるつもりはないというわけだ。
座株の要求。それは、甲賀衆が座株を欲しているという以上に、他国の小領主であるはずの私の動向すらすべて筒抜けなのだという、音のない「圧力」に他ならない。
だが、この二つは許容できる。
最後に記された「六角家への不敵対」。これが最も厄介であった。
いずれ信長様は美濃を平らげ、天下のために京を目指す。その街道を塞ぐのは、他ならぬ近江の六角氏だ。
「最後の一つ……何とかならないか……」
与四郎は首を重く横に振る。
「信長様が六角と敵対せぬ保証はありませぬ。この時に木下が巻き込まれぬという保証も。」
「そうだな。何とか最後の要求を書き換え納得させれぬか……」
誰も何も浮かばなかったのだろう。沈黙が空間を支配する。そんなかボソリと勘十郎が声漏らす。
「甲賀は、なぜ六角家に敵対せぬことを要求するのでしょう……」
純朴な疑問に与四郎が教科書通りに答える。
「それは、甲賀が六角家寄りの透破だからであろう。六角が無ければ、奴らも生きてはいけぬ」
「……そこです。その点が気になったのです。奴らは、六角家という『家』を守りたいのか。それとも、甲賀という『自分たち』を守るために、六角が必要だと言っているのか」
弥右衛門の脳内に、鮮烈な雷光が走った。
そうだ。彼らの本質が「自らの生存」にあるならば、こちらが提示すべきは六角の生存ではなく、甲賀の生存の保証だ。
「そうか……。勘十郎、よくぞ言ってくれた。甲賀の『命脈』を守ることを念頭に、最後の一箇条を書き換えよう。もし、それでも彼らが六角という名門に固執するのであれば、それは根っからの家臣ということだ。その時は初めから交渉の余地はなかったと思えば良い。」
弥右衛門は迷いなく筆を執り、書状の末尾を、墨痕鮮やかに書き直した。
一、三十名の傭兵に対する前金として、百貫文を支払う。
一、上ノ郷攻略成った暁には、一色湊の『座株』を一株譲渡する。
一、今後、木下家は近江守護・六角家に対し、自らの意志にて敵対しない。
一、非常事態において、甲賀の者を木下領内にて受け入れる。そのための隠れ里を用意いたす。
書き終え、弥右衛門はふうと息を吐いて筆を置いた。
「……これでどうだ。三箇条目、『自らの意志にて』という一文が肝だ。いずれ我らが正式に織田家に臣従した際、主命によって戦場に立つことは、この約定を破ることにはならぬという逃げ道よ」
弥右衛門の言葉に、与四郎が唸るように頷いた。
「三箇条目の条件を緩める代わりにの四箇条目……。
これは金銭以上の報酬にございますな。もし六角が崩れ、甲賀が戦火に焼かれるようなことがあっても、三河に『予備の領地』がある。……三雲殿にとって、これほど魅力的な提案はありますまい」
勘十郎は、書き直された書状を恭しく掲げた。
「……殿。この書状はもはや単なる雇い入れの文ではございませぬ。木下と甲賀、二つの組織が共に生き残るための『同盟状』にございます。これならば、三雲様も必ずや、最良の三十人を差し向けてくれましょう」
今回を皮切りに、座株の配当や領地の上がりを使って定期的な発注を繰り返せば、甲賀との絆は盤石なものとなる。諜報・流言に特化した遁尾衆の他に、隠密行動と破壊工作に長けたプロ集団を確保することは、木下家にとって計り知れない価値がある。
……投資と考えれば、安いものだ
「ああ、百貫文も持っていけ。精一杯の誠意を示すのだ。……繰り返しになるが、これでも首を縦に振らぬなら、奴らは根っからの六角の家臣ということだ。その時は潔く諦め、即座に帰って参れ」
種子島の購入費用、甲賀への百貫文……、
信長様の買取保証料や座株の配当、そして遁尾衆の活動で積み上げてきた軍資金は、これでほぼ底を突く。
まさに自転車操業だ。
だが、この「攻めの投資」なくして、三河という激戦区で生き残る道はない。
勘十郎は力強く頷き、弥右衛門の書状を懐に収めると、自信に満ちた面持ちで席を立った。西尾に帰着したばかりのその足で、彼は再び鈴鹿の山を越え、近江へと旅立っていった。
それから一ヶ月後――。
勘十郎が再び西尾城の門をくぐった。
その手には、甲賀郡中惣・筆頭、三雲対馬守定持の「承諾」を記した重厚な書状が握られていた。
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