#19 勘定寄合(後編)
◼︎永禄三年十二月 三河国 西尾 一色湊 西尾天王社
「それでは、差配計画書……ご説明いたしまする」
その場に満ちた空気は、さながら現代の役員会で中堅社員が抜擢を受け、社命を賭したプレゼンに挑むかのようであった。
この男に銭を預けておく価値があるか否か。豪商たちの品定めするような冷徹な視線が、座主・津島屋宗左衛門へと注がれる。
「来年は、三つの重点投資を行いまする」
宗左衛門が手を挙げると、三人の若者が現れた。いずれかの商人の子息であろう、その顔ぶれを見て、わずかに眉を動かす株主もいた。
彼らが掲げた巻物の端をさらりと落とすと、そこには力強い文字で来期の指針が記されていた。
「一つ目は、〝棟貸の拡大〟にございます」
宗左衛門の声が拝殿に響く。
「現在は、私が昵懇の仲である津島や熱田の商人に説き、出店の意志あれば建物を築くという流れ。
なれど、それでは遅い。まずは、他国の商人へ出店を説く専属の『勧誘衆』を十名ほど雇い入れ、広く各地に放ちまする。尾張以外の血を入れることで、ここを京のような、天下の諸品が集まる湊にしてみせましょう」
さらに、宗左衛門は言葉を継いだ。
「併せて、出店者が決まる前に、まずは三十店舗分の建物を先行して建設いたします。承諾あらば即座に暖簾を掲げられるよう、予め場を整えておくのでございます」
株主の一人、松阪屋の店主が厳しい口調で割り込んだ。
「……何故それほどまで、成果を急ぐ。着実に一歩ずつ進めれば済むことではないか。無駄な空き家を作る火種になりかねんぞ」
「岡崎や大浜といった近隣の町に、先んずるためでございます。先の戦の影響で、三河はいまだ混迷の只中。戦後、どの町が三河の心臓となるか。新興の我らが名乗りを上げるには、一刻の猶予もありませぬ」
弥右衛門が説いた「集積の経済」という理を、彼は自らの血肉として咀嚼していた。
父である津島屋惣右衛門も、あえて試すように口を挟む。
「……他国の商人が、津島の利を易々と許すかの。よそ者が首を縦に振るとは思えぬが」
「戦に左右される不安定な『地』を離れ、商いにのみ専心できる『避難場所』としてここを売り込みます。ここは座株楽座が統治する町。大名の気まぐれに脅かされぬ、商人のための城郭なのです」
「回答としては及第点よな。津島の背後に織田を意識する者は多かろう。その説得には苦労するはずだ
だが、理はある。……さらに盤石な屁理屈を用意しておくことを条件に、この件は進めればよい。反対意見のある者は?」
静寂が返ってきた。反対はない。
「ありがとうございまする。……では、進めてまいります」
後ろに待機する小一郎もほっと一息という表情をしている。
「続いて、ニつ目は、〝湊の整備〟にございます」
宗左衛門は懐から、三河湾の入り組んだ海岸線が描かれた地図を広げた。
「三河湾には未だ、津島や熱田のような整えられた湊がございませぬ。
大浜は通過点に過ぎず、統率者なきまま無秩序に町が広がる湊。
吉田は水深浅く、大型の荷船は入れぬ湊。
我らがここに津島のような港湾を築けば、商人たちの選択肢はただ一つとなりましょう。それゆえ、護岸の強化、船着場の新設、さらには巨大な共同倉の増築を行いまする。」
恰幅のよい山川屋が、低い声で問いを投げた。
「……それほどの大規模な普請、我らの配分を削るだけで銭が足りるのか?」
「足りませぬ。
なればこそ、第一段階の整備を終えたのち、一時的に関銭を引き上げ、その増収分を工事に充当いたしまする。値上げはあくまで『整備の対価』。吉田で小舟へ積み替える手間や、大浜の足りぬ倉を探す難儀を思えば、一色を使うことこそが最も『利』があると、彼らに了解を取り付ける腹づもりにございます」
拝殿に沈黙が降りた。異論はない。商人の「不便」を「利益」へと転換するその論理に、誰もが納得せざるを得なかったのだ。
だが、弥右衛門は脳内で、静かにその先を否定していた。
(……いや。それだけでは、まだ大浜には勝てん)
たとえ湊が整ったとて、岡崎へと至る大河の利便性には叶わぬ。ならば、なすべきは一つ。西尾の各所に注がれる細かな川の流れを束ね、岡崎まで直通する一本の巨大な水路へと作り替えることだ。
そうなれば、一色湊は岡崎への単なる入り口ではなく、岡崎の富と人を吸い上げる巨大な「吸い口」へと変貌するだろう。
来年には間に合わぬが、木下家の財政が整い次第、大規模な河川普請を断行せねばならん。……木下家という『公』、そして座株楽座天王という『私』。この両輪を回し、三河の物流を独占するのだ。
弥右衛門は、頼もしく成長した宗左衛門を見つめながら、その壮大な未来図に武者震いするのを感じていた。
(……おっと、いかん。思考の海に沈んでいる間に、三つ目の投資に話が移っていたか)
慌てて意識を現実に戻すと、宗左衛門の力強い声が拝殿を満たしていた。
「三つ目は、〝塩田の独占と拡大〟にございます。」
後ろに控えていた小一郎が、雪のように白い塩が山盛りに入った枡を、一同の前に恭しく置いた。
「三河湾は、日の本屈指の塩の名産地にございます。
波は穏やかで浜は広く、晴天に恵まれ、冬の風は強く乾いている。他国よりも遥かに効率よく、良質な塩が手に入りまする。
……この地の塩の採取を一手に引き受ける者を雇い入れ、西尾・一色で産まれる塩のすべてを、我らが独占いたします。いわゆる『座』による統制でございます」
それまで黙って聞いていた堀田屋が、薄い目をさらに細め、枡の中の塩を指先で弄りながら口を開いた。
「……宗左衛門殿。楽座を標榜しておきながら、塩には『座』を設けるというのか。それは、矛盾しておらぬか」
商人の本質を突く問いに、宗左衛門は不敵な笑みを浮かべて応じた。
「その矛盾を飲み込んでなお、塩を独占し、名産化する必要があると考えております。
どれほど一色の湊が発展しようとも、単なる湊である限り、その経済圏は海中心――横への広がりに留まりましょう。陸は精々、岡崎まで。
……ですが、塩があれば話は別でございます」
宗左衛門は、遠く北の山々を指さすように手を挙げた。
「塩は内陸の民にとっての生命線。これさえ握れば、我らの商いは岡崎を越え、信濃、美濃、果ては甲斐の奥深くまで浸透いたしまする。塩を運ぶ道は、そのまま我らの品を運ぶ道となり、どこまでも遠くの商いを可能にしましょう。
……足元を独占し、塩田を広げるのは、三河を越えた『商いの版図』を描くための第一歩にございます」
拝殿は、誰も反論できぬほどの沈黙に支配されていた。
理を積み上げ、未来を説いた座株楽座「天王」の方針に対し、百戦錬磨の商人たちは唸るしかなかったのだ。
「以上……。これら三つの投資を断行するため、今期の皆様への配分は、最小限に留めさせていただきたい」
宗左衛門の宣言に、中には未だ苦虫を噛み潰したような顔をする者もいた。
それを見かねたように、弥右衛門は静かに、だが重みのある動作で立ち上がった。
「……私は、この提案を全面的に支持いたそう。もし、この差配を不服とし、受け入れぬ方がおられるのであれば――その方の持つ座株、この私がすべて買い取らせていただきたい」
一同の視線が弥右衛門に集中する。
「むろん、二ヶ月前の買い値よりは高くつこう。受け入れぬ方は、此度の提案以上の利を、自らの才覚で生み出せるはずの御仁だ。ならば、ここで配分を待つより、手元の銭を増やして他で商いをする方がよほど合理的ではないか? いかがかな」
弥右衛門の不敵な誘いに、商人たちは顔を見合わせた。
株を売れば即座に利益が出るが、それは「一色湊の未来」を放棄することを意味する。弥右衛門の自信を目の当たりにした彼らは、結局、誰一人として名乗りを上げる者はいなかった。
「……異論なし、か。賢明な判断だ」
弥右衛門に続き、他の商人たちも次々と賛同の意を示した。
戦国史上初といえる、組織的な事業計画書はここに承認されたのである。
座主、若座主含め、座株楽座天王の面々が一堂に頭を下げる。
「ありがとうございます。……それでは、此度の決議事項、牛頭天王の御前にて宣誓いたします。私に続き、本殿へご移動を」
拝殿から本殿へと場を移し、西尾津島社の神主による厳かな儀式が執り行われた。
神水を引き、起請文を捧げ、商人の誓いは神との契約へと変わる。
第一回「勘定寄合」。
それは、一色湊がただの港町から、巨大な「経済の城塞」へと変貌を遂げる、歴史的な幕開けとなった。
◼︎永禄三年十二月 三河国 西尾城 屋敷
その日の夜。大役を終えた津島屋宗左衛門と木下小一郎を招き、私は労いの酒を酌み交わしていた。
城外から吹き込む風は冷たいが、熱い酒が三人の腹を温めていた。
「……なにもかも、弥右衛門殿のおかげにございます。二月前に授けていただいた『西洋の理』。あれがなければ、我らは考えをまとめることすら叶わなかったでしょう。」
「案を形にしたのは其方たちだ。西洋の知恵を、この戦国の土壌に合うよう咀嚼し、実務に落とし込んだ……。予想を遥かに超える出来であったぞ。」
遡ること二ヶ月、土地を座株楽座天王に託す際に差配を任される二人を屋敷へと呼び出した。
そこで西洋の経済学と称して、令和で学んだ知識を伝えていた。それは、大学やコンサル会社で学ぶ様な論理だが、この時代の者にとっては天啓に等しかったはずだ。
その際に、塩という代替不可能な生活必需品を独占することで商圏を広げるという提案も併せて初期仮説として伝えておいたのだ。
弥右衛門は、いわば「戦国の影のコンサルタント」として彼らを導いた。だが――。
「して、小一郎。あの『棟貸』という発案は、誰のものだ? 私の想像を最も超えたのは、あの提案であった」
小一郎が、どこか複雑な表情で応じた。
「……おっ父。あれを思いついたのは、茶屋四郎次郎にございます。京の茶屋より参った見習いですが、座主も認めるキレ者。差配計画書の立案でも、核となる部分は彼が詰めました。」
弥右衛門が未来の知識を伝えたこの二人の考えを即座に理解し、独自の応用を加えてみせたというのか。
商人にしておくのは惜しい逸材かもしれんな。
「小一郎、四郎次郎の動向を常に知らせよ。その才、木下家で召し抱えることも考えたい」
「…………かしこまりました。」
一瞬、小一郎の顔に暗い影が差すのを、見逃さなかった。
「いかがした。何か、思うところがあったか。」
「……なんでもございませぬ。宗左衛門殿も、四郎次郎も……おっ父の認める才の持ち主。私は、彼らの足元にも及ばぬと、そう思ったまでです。」
小一郎の膝の上で、拳が白くなるほど強く握りしめられていた。
「そんなことはない。二人は生まれた時からの商人だ。其方は、まだ始めて数ヶ月であろう。比肩できると思う方がおかしいのだ」
「……ですが、私はおっ父を支えねばならぬのです! 追いつかねばならぬのです!」
弥右衛門は、その震える肩に、優しく手を置いた。
「小一郎。
私は、其方に商人になってほしいわけではない。
私の後を継ぐのは、其方だ。
藤吉郎は放っておいても、自らの腕一本で雲を掴むだろう。あ奴には、私の地位など要らぬ。
……だが、木下家という組織を束ね、民を養い、この世を導く者が必要なのだ。それはそなたでなくてはならん。」
「私がおっ父の跡を継ぐ……」
「百姓にうまれ、足軽として戦場を駆け、今は商いを学んでいる。世の中のすべてを知る者でなければ、真の為政者にはなれぬ。……いずれは私の元へ戻し、城を、そして大名を任せる。そのために、今はその『商人』という研鑽を、最後までやり遂げてみせよ」
小一郎は言葉を失い、ただ俯いた。隣の宗左衛門が、その背を静かにさする。
「弥右衛門殿、しかと承りました。この小一郎、一流の差配ができる男に鍛え上げ、必ずやお返しいたしまする」
「……私は、さらに励みます。おっ父の背に、手が届くその日まで。」
屋敷から見える月は、凍てつく冬空に凛と輝き、未来の天下の右腕を祝福するように照らしていた。
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