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オヤジ太閤記  作者: 芭音


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#10 西尾・東条の戦い 其の四

◼︎永禄三年九月 三河国 西尾 湿地帯


 藤吉郎は、思いついた策を孫四郎に手短に伝えた。

 孫四郎は一度だけ顎に手をやり、すぐに頷く。


「よい。全面的に採ろう」


 藤吉郎が囮となり、

 孫四郎が吉良義昭の首を取る。

 大雑把に言えば、それだけの話である。


 本当にこの策でよいのか――、

 藤吉郎は、頭の中で手持ちの駒を一つずつ並べ直した。


 ――まず、おいら自身。


 武辺者としては並。

 槍も刀も人並みに扱えるが、剛の者を力でねじ伏せるほどではない。

 囮として敵を引きつけ、場を乱す役目が限度だ。


 ――次に、遁尾衆五十名。


 数はあるが、腕の立つ者は別の隊に回っている。

 この場にいるのは、潜入と撹乱を本分とする者ばかり。

 正面切っての斬り合いでは、正直、頭数に過ぎぬ。


 ――浪人二十名。


 これも同様だ。

 覚悟と度胸はあるが、統率を欠く。

 勢いに乗れば使えるが、戦の趨勢を覆す力はない。


 そして――


 藤吉郎は、静かに視線を孫四郎へ移した。


 孫四郎率いる、かぶきもの五名。

 武具は派手、立ち居振る舞いは常軌を逸している。

 だが、その内に秘めた剣の冴えは本物だ。


 この五人だけは違う。

 戦の盤面そのものを叩き壊す力を持つ、異物。

 敵陣に投げ込めば、流れを一気に歪める刃となる。


 ――やはり、勝ち筋は彼らだ。


 おいらが騒ぎ立て、場をかき乱す。

 そして、最も良い機を見て孫四郎を突っ込ませる。


 そのために、隊を二つに割った。

 おいらには遁尾衆五十名を付け、

 孫四郎には、かぶきもの五名と浪人二十名を預ける。


 

 お互いに肩を叩き合い、そして強く拳を打ち合わせる。



「じゃあ、行ってくるわ。正直、怖いのう。

 だが――、猿らしく騒いでくるわ。」



「いいねぇ。

 では、ここで犬らしく待っているとしよう。

 だが、合図ひとつあれば、いつでも首を噛み切ってやる。」



 それだけ言葉を交わすと、二人は同時に背を向けた。

 互いを信じ、戦いの場へと繰り出した。


 


◼︎永禄三年九月 三河国 西尾 湿地帯・矢作川


 ――どうにか、間に合いそうだな。

 吉良義昭は、胸中でひと息ついた。


 東条城の方角に立ちのぼっていた黒煙はすでに勢いを失い、城郭の上には見慣れた吉良の旗が、なおも風を受けて翻っている。少なくとも、城は落ちてはいない。周囲にも、敵勢が迫る気配は見えなかった。


 ――一体、何だったのだ。


 こちらの動きがあまりに早く、敵が手を引いたのなら、それでよい。

 だが、胸の奥に残るざらつきは消えない。今日はあまりにも急報が続きすぎたのだ、無理はない。

 


 まずは東条城だ。


 妻と倅に合流し、城を固める。

 そのうえで、情報を集め、状況を見極める。

 反撃は、それからでよい。


 そう心を定めた、そのときだった。


 川向こうで、微かなざわめきが立った。

 水鳥が一斉に羽ばたき、人の声が混じる。


 側近の一人が、訝しげに川の向こうを指さした。


「川の反対側で、何やら騒ぎがございます」


「何事だ!」


 義昭は馬上から声を張り上げた。


 偵察に出ていた者が、慌てた様子で戻ってくる。


「敵がおりまする!

 三つ葉葵紋の旗――松平の手勢かと!

 我らを見るや、すぐに退いていきました!」


「……松平、だと」


 一瞬、義昭の目が細まる。


 だが次の瞬間、その口元に冷たい笑みが浮かんだ。


「よい」


 短く、断を下す。


「逃げるということは、数が知れておる。

 好機だ。追え」


 命が伝わるや、川向こうの湿地で動きが走った。

 騎馬が先に立ち、足軽がそれに続く。北へ――逃げる敵の背を追って、一気に距離を詰めていく。


 やがて、騎馬が敵の最後尾に追いついた。

 刃が振るわれ、血が飛ぶ。

 赤に染まった刀が、朝の光を鈍く返した。


「よし……」


 義昭は、思わず声を漏らした。


 これでよい。

 これで一泡吹かせた。


 敵兵の足取りは次第に重くなり、散り、数が目に見えて減っていく。

 その様子を見て、義昭はようやく勝ちを確信した。


 そこへ、信頼を寄せる最側近の一人が馬を寄せる。


「殿。

 我らは川を渡らず、この場で待つのがよろしいかと。

 もはや形勢は決しておりますが、万が一に備えてくだされ」


 義昭は、足元の地形をあらためて見渡した。


 確かに、ここは二本の川に挟まれた場所だ。

 一見すれば、逃げ場のない地に見える。

 だが、大人数で渡河できる浅瀬は目の前だけだ。


 出入口を押さえているも同然。

 川は堀となり、この地は即席の城となる。


「……そうだな」


 義昭はゆっくりと頷いた。

 手綱を緩め、川を見下ろした。


 湿地に広がる水は、秋の空を映して澄んでいる。

 その水面が、わずかに揺れた。


 それを風のせいだと思った。


 


◼︎永禄三年九月 三河国 西尾 湿地帯


 藤吉郎は必死に走りながら、肩越しに振り返った。

 背後では、次々と仲間が倒れていく。

 湿地の水は赤く濁り、その中に遁尾衆の姿が沈んでいた。


 ――すまん。


 胸の奥で、幾度となく詫びる。

 おっ父の部下を、多く失った。


 だが――

 目的は、果たした。


 川の向こう岸に残った敵は、百ほど。

 こちら側へは、三百近くを引きずり出した。


 そして今も、その三百が血眼になって藤吉郎を追っている。


 ――もう、十分だ。


 藤吉郎は背負っていた三つ葉葵の旗を引き抜き、躊躇なく地へ投げ捨てた。


 それが、合図だった。


 川の向こう岸――

 草叢が裂け、槍を構えた孫四郎が獣のような勢いで躍り出る。

 馬上、低い姿勢のまま一気に加速していった。


 ――あとは、任せたぞ。


 藤吉郎は前を向き、周囲に残った者たちへ声を張り上げた。


「役目は果たした!

 ここから先は、生き延びることが務めじゃ!

 東でも西でも、南でも北でもよい。

 とにかく散れ、逃げ切れ!」


「はっ……!」


 短い応えとともに、隊列は完全に解かれた。

 人影は四方へ弾け、湿地の草むらと水路へと溶け込んでいく。


 追うべき標的を失ったこの状況は、

 敵にとって、何より厄介な一手となるはずだった。



 …………だが。

 ――やっぱ、あかんわ。


 藤吉郎は歯を食いしばった。

 おいらが隊長だと、完全にばれとる。


 あれだけ大声で指示を飛ばしたのだ。

 隊列を解いた判断は、皆の生存率を高めた。

 だがその代償として、おいら自身が囮のまま取り残された。


 馬上の敵が、みるみる距離を詰めてくる。


 ――いかん、いかん、いかん。

 湿地を蹴り、甲冑を鳴らしながら必死に走る。

 だが、どれほど足を回そうと、馬には敵わぬ。


 右から回り込まれた。

 次の瞬間、馬上より突き出された槍が、藤吉郎の脇腹へと迫る。


 ――ああ。

 時間が、奇妙なほどゆっくりと流れた。

 頭の中は冴え渡り、恐怖よりも静けさが勝る。


 遠くで、歓声のようなものが聞こえた。

 ……孫四郎が、やったか。

 さすがは、槍の又左じゃ。


 できることなら、

 勝鬨を一緒に上げたかったが――

 どうやら、その前に浄土行きらしい。


 すまんな、皆。

 せっかく、また会えたのにな……おっ父。

 信長さまは、褒めてくれるかの。


 藤吉郎は、ぎゅっと目を閉じた。

 右より迫る槍――その衝撃を覚悟したが、


 来ない。


 代わりに、体がふわりと浮いた。

 足が地を離れ、風を切る。


 ……死んだ、わけじゃなさそうじゃ。


 おそるおそる目を開けると、馬上の若い男に抱え上げられていた。

 孫四郎の率いていた、かぶき者の一人である。


「孫四郎に言われてな。川を渡って助けに来た」


「そうか! 孫四郎はどうだ、討ち取ったか?」


 命拾いした安堵よりも、口をついたのはそれだった。

 馬を飛ばし、戦場を離脱しつつ、男は首を振る。


「すまん、後ろは見とらん。

 そなたを拾うので精一杯でな。

 ……自分の目で見てみるか?」


 藤吉郎は馬の後ろへ回されると、肩を借りて立ち上がった。

 

 少し遠かったが確かに見えた。

 孫四郎の槍の先に吉良義昭の首がかかげられている。

 

 勝鬨も上げず、数を減らした仲間とともに、

 静かに離脱を始めていた。


「……やったな。孫四郎が討ち取ったぞ」


「そうか。なら上出来だ。

 これで、信長様のお叱りも和らぐと良いがな」


 藤吉郎は腰を落とし、体をひねって男にしがみついた。


「そうだとええがの。

 ……ところで、命の恩人。

 名を聞いておらなんだ」


「大した名じゃねぇ。

 前田慶次郎だ。孫四郎の親類――養子だがな」


「いや、良き名じゃ。

 それに、良き馬乗りよ。

 おいらが出世したら、家臣にしてやるわ」


 慶次郎は腹を抱えて笑った。

 藤吉郎も、つられて声を上げる。


 二人は馬首を返し、西尾へと駆けていった。


 



◼︎永禄三年九月 三河国 東条城


 弥右衛門は、眼下の戦の成り行きを、固唾を飲んで見つめていた。


 藤吉郎の生死への案じ。

 長年、使ってきた部下たちを失った悲しみ。

 そして――想定を超える成果を得たという、静かな手応え。


 幾重にも重なった感情が、胸の内で渦を巻く。


 だが弥右衛門は、それらすべてを心の底へ押し沈めた。

 今は嘆く時でも、喜ぶ時でもない。

 冷静に、やるべきことを為すのみ。


 義昭を討ち取ったことで、

 此度の戦は、西尾城攻略ではなく――吉良家攻略へと転じた。


 次に打つべき手は明白だ。

 もはや相手は、飛車角を失ったも同然。

 あとは詰ませるだけ。


 淡々と、確実に、手を進めよ。

 感情は殺せ。

 ――それが大将の務めだ。


「お呼びで?」


 共に城に忍び込んだ二人が、膝をついて後方に控える。


「うむ。いつもの如く、頼めるか?」


「もちろんでございます。」


この三人で、東条城を開城させる――。

想定外を、最大の成果に繋げるのだ。



ご拝読いただきありがとうございます。

次回で、ついにこの戦いも閉幕です。


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