2章 ②
「女の子に対してあんまりだと思う」
「悪かったって」
頬を膨らませた琴絵の機嫌は直る気配が見られない。
事情を説明しながら支部を出たものの、琴絵は先ほどからこの調子だった。
「俺としても言いたいことがある」
「なんでしょう」
「お前、嬉々として俺が幼女を誘拐したとか言ってたよな。誤った情報だとわかってた上でからかうつもりだっただろう」
スッと明後日の方向を見る。明らかなる確信犯である。
無言で自分を見続ける空奏に何も言えなくなったらしい琴絵は、やがて観念したように空奏を見た。
眩しいほどの笑顔を向けて朗らかに言う。
「じゃ、お仕事頑張ろうか!」
からかうためだけに廊下を疾走してきた琴絵には悪いが、空奏もこれ以上時間を浪費するわけにはいかない。基本的には他人を気遣える優しい子なんだけどなあと遠い目をしてしまう。
そんな想いは他所にお互いに手打ちとすることにして本格的に動き始めることにした。交渉役を装っていた昨日と違い、今日は初めからハウンドとしての仕事だ。
ハウンドの装備は個人に合わせてそれぞれ作られている。デザインは軍服を基調としてあるものの、空奏は軽く動きやすいもの、琴絵はポケットなど収納が多くできるものなど、機能性は各異能に合わせて個々人の要望の元製作されている。インカムが標準装備となっているため、昨晩のように別端末を持つ必要もない。
「でもどうするの? 闇雲に探しても見つからないと思うけど」
「ルウが匂いで追えるからその心配はない。まずは病院に行って、匂いを覚えてもらう」
「あ、そうか。よし、行こう!」
少女が搬送された管理局付属の病院はすぐ近くにある。受付で事情を説明し、少女のいた病室へ。
情報漏洩を防ぐためか個室に入っていた少女の病室へ辿り着くと、中には一人の女性が沈痛な面持ちで椅子に座っていた。
「失礼します。異能事案管理局の科戸空奏と申します。失踪した女の子の捜索に必要な情報を得るために、少し入らせて頂きます」
身分証である手帳を見せて中へ入らせてもらう。
足元に現れたルウが早速匂いを覚えるためにベッドに近づいた。
その間に空奏と琴絵は女性と改めて挨拶交わす。施設の職員だというその女性が零した「彩那ちゃん、どこに行っちゃったんだろう」という声に、少女の名前を聞いてくるのを忘れていたことに気づいた。
ベッドの上にあるプレートを見ると、振り仮名と共に書いてある。
「北野彩那」
心の中で名前を反芻し、字面共々忘れないように頭に刻む。名前を確認し忘れるほど焦っていた自分を叩いてやりたいところだが、今は我慢だ。
空奏が自身を落ち着かせようとして密かに深呼吸をしていると、ルウが匂いを覚えたようで近づいて来た。そしてこちらを見て頷くと空奏の中に戻る。病院の中なので気を使ったのだろう。
「必ず見つけます」
深々と頭を下げる女性に約束をし、空奏たちは病室を後にした。
病院の外へ出ると再び実体化したルウの先導の元、彩那の匂いを辿って走り出す。
琴絵はローラーのついた靴を描いて実体化し、それを履くことで強化された空奏の速さについてきている。
「相変わらず便利だなそれ」
「うん。でも人混みだとこの速さは出せないから、人気の少ないところ通ってくれてて助かった」
彩那は人気を避けて逃げているようだ。ということは今現在もまた追われている可能性が高い。バルドが飛び上がり、空奏は琴絵に追い風を吹かせるようにして後押ししながら自身も速度を上げた。
「バランス崩すなよ!」
「大丈夫、琴絵ちゃんの体幹見せてあげるよ!」
軽口を叩きながらも真剣な表情の琴絵と共に駆ける。
彩那の行った方向には彼女が所属している施設があるはずだ。しかし近くまで来たものの施設には向かわず、そのまま通り過ぎている。人を撒くように何度も角を曲がっていることからも彼女が追われていることは確実。
先ほど抑えたはずの焦りが再び這い上がって来る。
空奏の焦りに呼応するかのように、ルウは速度を緩める素振りは無い。
そのまま走り続け、やがて河原にやってきた。
例年よりも遅い開花を迎えた桜の木が立ち並ぶ川沿いを走りながらルウが叫ぶ。
「あれだ、橋の上にいる!」
「誰か一緒にいるよ」
橋の手すりの上に少女が立っているのが見える。
昨日見た少女と同じ、彩那で間違いない。
彼女は水面に背を向けており、琴絵の言う通り橋の上にいる誰かと話しているようだ。表情はまだ判別できないが、楽しく世間話というわけでもないだろう。
背を向けている話し相手の顔は見えない。
こちらを見た少女の様子から、その人物が振り向いた。
追い風を消して琴絵自身に調整を任せる。
空奏は跳び、曲がる行程をカットして彩那と話している人物の近くまで躍り出る。少し遅れて琴絵が後ろに辿り着いた。
「……昨日のワンちゃん?」
彩那がルウを見て驚いている。
外傷は見受けられないが、顔色が悪い。まだ逃げ回るような体力は回復していないのだ。
掴まる場所もない橋の上に立っている彼女はいつバランスを崩してもおかしくはない。
「チッ、ハウンドか」
「そう言うそっちは友魂同盟のメンバーだな。小さい女の子追い回して何企んでる」
「異能を目覚めさせるんだよ。国の犬のくせにそんなことも知らないのか」
「本気だったのか。何かの冗談かと思ってたよ。友魂同盟に関わるのは今回が初めてなんだ。悪いな」
国の犬。ハウンドを揶揄して言われるその単語に空奏は苦笑する。わざわざ蔑称を使うということは、意識はしてくれているようだ。
ともかく、今の状態では彩那とこの男の距離が近すぎる。なんとかこちらに近づけるか、意識を逸らしている間に保護を優先させたい。しかし下手に彩那の感覚を刺激してバランスを崩すことになるのは避けなければならなかった。
バルドは既に上空で待機しているが、彩那を先に逃がす手を取れるかどうかは判断しかねるところだ。バルドの足に掴まれば河原まで運ぶことはできるだろう。しかし彼女がほぼ初対面である自分たちを信用してくれているとは限らない。
「てめぇ、俺らのことバカにしてんのか?」
「いや。それならそれで俺らの仕事仲間も増えるかもしれないからな。手が足りなくて困ってるんだよ」
「……その茶化したような態度。お前、科戸とかいうやつだな。その犬の他にもう一体幻獣がいるはずだ」
どうやら空奏のことを知っているようだ。これでは昨日のようなバルドの奇襲は難しいだろう。
今のところ彼がイクシスかアニマかすら判明していない。先んじて動こうにも彩那に手が届く位置にいられるとさすがに手が出せなかった。
「嫌な覚えられ方してるな」
「日頃の行いだろう。この機に改めるといいのではないか。それにしても先ほどから犬呼ばわり。私は犬ではなく狼だ!」
「大丈夫。ルウは狼って私知ってるよ。かっこいいよ!」
琴絵が後ろから謎の声援を送っている。
そしてルウを覗き込むようにステップしながら男に向かって一枚の紙を投げた。同時に空奏が橋の手すりに飛び乗り彩那に向かって走る。
「爆弾!」
「なっ!」
琴絵の言葉を聞いて慌てて払おうとした男の前で紙から現れた爆弾が破裂。周囲に白い煙を撒き散らす。
当然空奏にも彩那の姿が確認できなくなるが、この先にいることはわかっている。
「させるわけ、ってぇ!!」
琴絵が投げたナイフが吸い込まれるように男に刺さる。特製の物を使っているとはいえ紙という風に煽られやすいものを飛ばす琴絵にとって、ナイフのような重さのあるものであれば尚のこと、その命中精度はハウンドの中でもトップクラスに値する。
男が怯んでいる隙に彩那を抱いて煙幕から脱した空奏はそのまま端まで後退した。
すぐに煙幕が消え、腕に怪我をした男が憤怒の形相で琴絵を睨んでいる。
「やってくれるじゃねえか、ババア!!」
「……ババア?」
あ、こいつ死んだな。空奏とルウは同時にそう思った。
上空から新手が来ないか見張っているバルドはゲラゲラと笑っている。
男としては煽り文句のつもりだったのかもしれない。
しかし、女性にとっての禁句を口にした彼にこの先起こる出来事を想像して空奏は男の顔から視線を逸らす。
煙幕が晴れるのを大人しく待っていた時点であの付近は琴絵の領域だ。この先起こり得る惨状を小学生に見せるのは忍びない。空奏はそっとその場を離れることにした。
少し歩いた先で河原に備え付けられていたベンチに彩那を降ろし、自分も座る。
もちろん川、もとい橋の方に背を向けて。
不安そうな彩那に少し待ってようかと笑いかけると、空奏はルウと共に琴絵を待つことにした。




