第1話:棺桶の中で目が覚めた
「お姉様! まだできていないの!?」
妹の甲高い声に、マリアはびくりと肩を震わせた。
「ご、ごめんなさい……あと少しで……」
「あと少しって、昨日もそう言っていたじゃない!」
「す、すみません……」
マリアは慌てて針を動かした。
目の前にあるのは、妹イザベラの夜会用のドレスだ。
薄桃色の絹地に、銀糸で花の刺繍を施している。仕立て屋に頼んだが無茶な仕様を断られたため、イザベラが姉に押しつけたものだった。
次の夜会で、レオン様と踊るためのドレス。
レオン・ヴァルデン。
ヴァルデン子爵家の嫡男で、ひと月前まで、マリアの婚約者だった人だ。
『イザベラのほうが華やかで、伯爵家の顔にふさわしい』
父のその一言で、婚約者は妹のものになった。
マリアは何も言わなかった。
言えなかった、というほうが正しい。
昨夜は、屋敷じゅうの蓄魔石に魔力を詰めていた。
『しばらく来客が続く。お前に手を割かせる暇はない。ありったけ、溜めておけ』
父にそう命じられたのだ。
屋敷の結界。
照明の魔道具。
厨房の冷却装置。
温室の温度管理。
すべての蓄魔石を満たし終えたのは、夜明け前だった。ほとんど眠っていない。
しかし、そんなことを言ってはいけない。
父はいつも言っていた。
『お前は何をやらせても駄目な欠陥品だ。だから、せめて家族の役に立て』
マリアは魔法が苦手だった。
魔力量は多いらしいのだが、魔法を使おうとすると、いつも失敗してしまう。
だから、魔力を流し込むだけの仕事を任されていた。
どれも難しい仕事ではない。
自分にできるのは、それくらいなのだから。
「お姉様! 聞いているの!?」
「は、はいっ!」
「まったく、役立たずなんだから!」
「ご、ごめんなさい……」
イザベラが姉の手元をのぞき込んだ。
「何よ、これ! 花の形が違うじゃない!」
「え……? で、でも、見本どおりに……」
「口答えしないで!」
イザベラがマリアの肩を突き飛ばした。
「あっ……!」
椅子が倒れる。
身体が後ろに傾く。
何かにつかまろうとしたが、マリアの手は空を切った。
ごつん。
後頭部に、ひどく硬いものが当たった。
暖炉の石の角だった。
マリアの身体が床に崩れ落ちる。
「……お姉様?」
イザベラが眉をひそめた。
「ちょっと。何を寝ているのよ」
返事はない。
「お姉様! 早く起きなさいよ!」
それでも、マリアは動かなかった。
苛立ちながら近づいたイザベラは、床に広がる赤いものを見た。
「……え?」
血だった。
マリアの後頭部から、赤い血が流れ出していた。
「お、お姉様……?」
肩を揺する。
反応はない。
「いや……嘘でしょう……?」
床に転がった刺繍枠には、銀糸の花が半分だけ咲いたまま残されていた。
「だ、誰か! 誰か来てえええっ!」
悲鳴が屋敷に響き渡った。
医師が駆けつけたときには、すでに手遅れだった。
マリア・リヒトハイム。
享年十八。
◇
暗い。
狭い。
それに、息苦しい。
マリアは目を開けた。
何も見えない。
「……なんだ、ここは」
手を伸ばす。
すぐ上に、硬い板があった。
横にも板。足元にも板。
「……棺桶?」
なぜ自分は、そんなものに入っているのか。
その瞬間、記憶が一気に流れ込んできた。
日本。
大学の実験室。
白衣と、試薬瓶の並んだ棚。
さらに場面は変わる。
自分の部屋の机に置かれている、コンビニのおにぎり。
そして……。
おにぎりの横に置かれた、一冊のライトノベル。
『捨てられた聖女、宮廷魔術師に拾われてスローライフを送ります③』
著者、結城晶。
三巻までは出た。
四巻は……出なかった。
「……ああ」
思い出した。
それが、前世の自分だった。
同時に、もう一つの人生も思い出した。
伯爵家の長女として生まれ、十八年間、家族に虐げられてきた記憶。
父の叱責。
妹のわがまま。
奪われた婚約者。
そして、最後に見た暖炉の石。
「虐げられた令嬢が死んで、前世を思い出す……か」
マリアは暗闇の中で眉を寄せた。
「ベタだな。担当に出したら、冒頭三行で突き返されるやつだ」
しかも、自分が書いていたのは、捨てられた聖女の幸せな第二の人生だった。
「それにしても第二の人生……棺桶スタートかよ」
自分の人生に駄目出しをしても仕方がないのだが。
頭に手をやる。
痛みはない。
「一度死んで、蘇ったのか?」
原理はわからない。
そもそも、前世の記憶が戻っている時点で、科学的な説明を求めるのは難しそうだった。
ただ、一つだけはっきりしている。
今、目覚めている人格は結城晶だ。
マリアとしての記憶は残っている。何をされてきたのかも、どうして死んだのかも覚えている。
しかし、家族に逆らうことを恐れていたマリアの心は、もうどこにもなかった。
「……さて」
蓋を押す。
「……重いな」
厚い木の蓋は、びくともしない。
困ったものだ。このままでは、また死んでしまう。
いや、一度死んでいるのだから、二度目というべきか。
そんなことを考えていると、身体の奥に妙な感覚があった。
温かいものが、ゆっくりと流れている。
血液とは違う。もっと自由に動かせそうな、何か。
「……魔力か」
試しに、その温かいものを両腕へ集めてみる。
思ったより簡単に動いた。
もう一度、蓋を押す。
ばきっ!
「おっ?」
蓋が跳ね上がった。
いや、跳ね上がったというより、吹き飛んだ。
木片が派手な音を立てて落ちる。
同時に、悲鳴が上がった。
「きゃあああああっ!」
「し、死体が!」
「神よ!」
マリアは棺桶の中から上半身を起こした。
広い礼拝堂だった。
石造りの壁には聖人を描いた織物が掛けられ、祭壇には太陽を象った円環の聖印が掲げられている。
棺の周囲には白い花が飾られ、背の高い蝋燭が何本も燃えていた。
黒や濃紺の喪服をまとった人々が、こちらを見ている。
マリア自身は、足首まで届く白い亜麻布の埋葬衣を着せられていた。
髪は白い布で覆われ、胸の上で組まれていたらしい両手には、祈祷用の飾り紐が絡まっている。
「……ああ、私の葬式か」
なるほど。それなら棺桶に入っていた理由もわかる。
「お、お姉様……!?」
聞き覚えのある声がした。
イザベラだった。
顔を真っ青にして、床にへたり込んでいる。
「ち、違うの! わざとじゃないの! ちょっと押しただけで……!」
誰も、何も訊いていない。
参列者の視線が、一斉にイザベラへ向いた。
「…………」
マリアは何も言わず、埋葬衣の裾を持ち上げた。
歩きにくそうだった。
「……水、あるか?」
誰も答えない。
「喉が渇いたんだが」
参列者が後ずさった。
仕方がない。
マリアは棺桶の縁をまたぎ、床に降りた。素足が冷たい。
「お、お前……!」
父が震える指でマリアを指した。
「生きていたのか!?」
「見ての通りだ」
「……!?」
「水が欲しい。あと、何か食べるもの」
父は口を開けたまま固まった。
どうやら、会話が成立しないらしい。
マリアは小さくため息をついた。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
こちらの作品、15話(第一章)分の草稿は出来ていますので、準備出来次第、順次公開いたします。
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第2章(第16話)以降を書くモチベーションになります。




