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サイファの告白、リュミエルの誓い

 マークインの死から二日後の夜。大聖堂の礼拝堂は静寂に包まれていた。


 天井近くに並ぶステンドグラスは、月光を浴びて淡い青と紅を床へ落とす。空気中に漂う塵が光を受けて舞い、まるで水中に沈んだ聖域のような幻想を作り出していた。


 この二日間、リュミエルは表面上は普段通りだった。

 仕事も護衛任務も滞りなくこなし、朝の報告も昼の巡回もいつもと変わらない。

 けれど、彼女の視線は変わった。まるで俺の呼吸ひとつ、歩幅ひとつ、指先の動きをも観察しているかのように、沈黙の中で問いを抱いていた。


 今朝の行事、大聖堂での聖典朗読の際も、彼女は俺の隣に立ち、聖騎士として完璧な立ち姿を貫いていた。

 その横顔は鋼鉄のように冷静で、それでいて不安の色が見え隠れしていた。

 何を考え、何を恐れ、何を確かめようとしているのか。

 心の奥底までは覗けない。


 礼拝堂の扉がきしむ音が響き、静寂が揺れた。

 コツ、コツ……と靴音が近づいてくる。そのリズムには迷いと、同時に覚悟が混じっていた。


「ソルフィーユ様……お呼び立てして申し訳ございません」


 リュミエルの声は僅かに震えていた。だが、その瞳はいつものように逃げていなかった。


「構いません。リュミエルなら、何だって話を聞いてあげますよ」


 俺はゆっくり振り返る。

 月明かりが彼女の銀髪を照らし、揺れを帯びた光の輪郭が、ひどく不安定に見えた。


 いよいよだ。

 問いを口にする覚悟を決めて、俺はここに立っている。


「この二日間、私なりに調べて……考えてきました」


 静かな礼拝堂に、リュミエルの言葉が落ちた。俺はあえて返事をせず、続く言葉を待つ。


「金鎖の騎士団が訓練と称しておこなっていた私への暴力行為……あれは、彼ら自身が隠ぺいしていた内容でした。さらに私に脅迫して口止めをしていました。銀翼の団長も知らなかったと思います。……それでも、加害者たちが死んだと聞いたとき、私は……『天罰が下ったのだ』と、そう思ったんです」


 胸元に添えられた両手に力がこもる。震えてはいない。揺れているのは、心の奥底の方だ。


「それから……リオル=マークイン戒律補佐官。転落する直前に彼が言った言葉……あれを聞いて、色々と資料を探しました」


 リュミエルは一歩、俺に近づく。その瞳は揺れも恐れも混じっていたが、それ以上に、知りたいという意思が強かった。


「酒場の店主の証言、生き残りの金鎖の騎士の話……暗殺者の服装。あれ、私が用意したものですよね。特徴まで一致していました」


 俺は、微笑んだ。責めるでも否定するでもなく、ただ確かめるように。


「そして……マークインを殺したのも、ソルフィーユ様……いえ、『ソルフィーユ様の姿をした誰か』なのだと思いました。急に図書室で本を読み始め、毒や薬に興味を示し、温室で何かを作り……そして、マークインの急変。あれは毒でしょう?」


 ゆっくりと言い切った。恐怖に飲まれた者の声ではない。真実を求める者の声だ。


「……ここまで、全て正解です。とても賢いですね、リュミエル」


 俺が告げると、リュミエルは息を呑んだ。けれど後退らなかった。むしろ、さらに一歩踏み込んでくる。


 ステンドグラスの月光が、青い影を床に落とす。その光の上で、二人だけの世界が閉じた。


「……嬉しいような、悲しいような気持ちです」


 声は震えていなかった。それが彼女の強さだ。


「でも、一つだけ……どうしても聞きたいことがあります」


「言ってみてください」


「ソルフィーユ様は……あのソルフィーユ様なんですか? 私が初めてお見かけした、泣き虫で優しくて……何度も謝ってばかりいた、あの聖女様なんですか? それとも……別の誰かが、その身体を使っているんですか?」


 切り裂くような静けさが落ちた。これは避けて通れない。そして、受け止め方次第で彼女は敵にもなる。


 俺はゆっくりと息を吸った。リュミエルはただ、真実だけを求めて俺を見つめていた。


「……そうですね。少し昔話をしましょうか」


 俺は空いている席に腰を下ろし、ステンドグラス越しの月光を眺めながら、リュミエルにも理解できるよう言葉を選んだ。

 


 六歳の誕生日。家族で小さなホームパーティーを開いた日だ。

 テーブルには手作りの料理が並び、部屋には食欲を唆る匂いが満ちていた。


「お誕生日、おめでとう」

「良い一年になりますように」

「ありがとう、パパ。ママ」


 どこにでもある普通の家族。普通の職に就く父と母。普通の六歳児。

 何千、何万という家庭と同じように“普通の幸せ”がそこにあった。


 ――その普通の幸せは、終わりが訪れるまでは、一瞬だった。


 テロ。ニュースで流れる単語が、その日だけは身近な現実となり、両親は爆炎の中に消えた。

 残された少年は保護され、いくつもの施設をたらい回しにされた末、とある場所に行き着く。


 『組織』


 名を持たず、目的を秘匿し、身寄りのない子供を集めて英才教育を施す集団。


 英才教育。聞こえは良いが、実態は国家のために、駒を作るための洗脳と鍛錬のプログラムだ。

 心に深い傷を負った少年は、評価されることに救われ、褒められることで存在意義を得た。

 そのうち父母の顔も声も霞み、痛みすら薄れ、心は静かに麻痺していった。


 時が過ぎる。五十年。

 少年はコードネーム『サイファ』となり、暗殺者として超一流になっていた。


 そんなある日――、組織の一員が裏切った。

 粛清のために家族兄弟親戚から子供まで皆殺しにした。よくあることだ。

 だが、その裏切り者の残した資料の中に、一枚の紙片が挟まっていた。


 五十年前の“テロ事件”の調書。


 そこには政府高官の署名と、作戦内容が記されていた。不要な人物を消すための爆破作戦。

 罪をかぶせるための偽装テロ。その犠牲者リストの中に、忘れていた父と母の名があった。


 被災した遺児として、六歳の少年の写真が貼られていた。


 自分自身だった。


 組織の前身は、その作戦の実行部隊。

 自分を拾い育てた者たちは、両親を殺した当人たちだった。


 その瞬間、胸の奥で何かが音を立てて切れた。靄が晴れ、長年凍りついていた感情が歪みながら蘇った。


 そこからは、ただの復讐だ。

 資料をもとに幹部を一人ひとり殺し、追手を返り討ちにし、裏に潜む影を狩り尽くした。


 最後には自身の命が燃え尽きるまで、殺し続けた男の救いようのない話だ。

 


 話を終えると、リュミエルは息を呑んだまま固まり、感情を押し殺した表情を浮かべていた。

 

 誰かの不幸にここまで心を痛められる――、その感受性は羨ましい。俺にはとうに失われたものだ。


「……聖女ソルフィーユは、聖王国ディオールと聖レイディア教のための使い潰しが効く道具でした」


「そ、それは……」


「そして、あの日。ソルフィーユの寝所に侵入した賊によって……聖女ソルフィーユは、命を落とした」


「え……それでは……」


「目の前にいるのは誰か? ふふ。間違いなく『聖女ソルフィーユの肉体』ですよ」


 その一言で、リュミエルは反射的に腰の剣へ手を伸ばした。絆と警戒が揺れ動いている。


「運命のいたずらか。ソルフィーユは『生きたい』と願い、そこに私が入り込んだ」


「……貴方は、何者ですか?」


「俺の名はサイファ。血も涙も捨ててきた元暗殺者だ。理由は分からないが……もし神という存在がいるのなら、奴の趣味でソルフィーユを蘇らせた……のだろう。ただし魂は違う形で」


「そんな……そんな嘘……」


「リュミエルも知っているでしょう? 神力を行使する聖女は短命。死ねば新たな聖女が生まれる。あの仕組みを」


「神託院の……神託の書が、新たな聖女を使命する、という……」


「ええ。その仕組みが、どうにも鼻につきます。聖女が生まれ、消費され、また次が生まれる。……その度に、利益を得るのは誰なのか」


「……同じ、なんですね」


「そう。同じなんですよ。サイファも、ソルフィーユも。システムに使い潰された存在という点でね。だから決めたんです。この世界の価値観ごと……全部、壊してやろうと」


 嘘のような真実を前に、リュミエルの喉が小さく鳴った。

 胸を圧迫するような痛みに呼吸が乱れ、それでも視線だけは逸らさなかった。長く信じてきた価値観が、音を立てて揺らいでいくのを自覚しているからこそだ。


 聖女という存在に疑問を抱いたことは、彼女にも何度かあった。それでも伝統だから、神が定めたものだからと、自分に言い聞かせて押し込めてきた。

 

 女神レイディアの奇跡。

 未来を記す神託の書。

 この二つは聖王国ディオール、そして聖レイディア教の根幹。

 揺らぐことなど許されない真実のはずだった。


 だが今、その中心にいるはずの聖女本人が、静かに、強く、それらを否定している。揺るぎのない眼差しで。本心で。


 ――では、目の前に立つこの人は誰なのか。

 肉体は間違いなく聖女ソルフィーユ。けれど魂は別人。

 それを認めることに、正義はあるのだろうか……?


「ソルフィーユ様……いえ、サイファ。ひとつ……聞かせてください」


 声が震え、祈るように胸元で指が絡み合う。


「聖女ソルフィーユ様は……幸せだったのでしょうか?」


 リュミエルは知っていた。遠くから眺めることしかできなかったが、ソルフィーユという少女は、不幸そのものではなかったと。

 ただ、自分に課せられた使命を守ろうと、必死に、愚直に、前だけを見る子だったのだと。

 それでもどうしても、聞かずにいられなかった。


「……聖女ソルフィーユが幸せを理解していたかは私にも分かりません。ですが……やり残したことは、沢山あるようです」


 その言葉に、リュミエルの心臓が大きく跳ねた。胸が苦しく、息が詰まりそうになる。


「……やり残したこと?」


「ええ。それは時に、私にとって足枷であり、楔にもなっています」


「それは……いったい……?」


「恋バナがしたいとか、夜遅くまで友達と同じベッドで喋りたいとか、図書室の本を全部読みたいとか。普通の女の子に望むことですよ」


 その言葉が落ちた瞬間、リュミエルの中でせき止めていた感情が決壊した。

 堪えていた涙が、頬をつたって零れ落ちる。


 ――あまりにも、普通で。

 ――あまりにも、ささやかで。

 ――あまりにも、叶えられることなく終わってしまった願いだったから。


「ソルフィーユの願いを叶えれば、私がなぜこの体に入ったのか……その理由が見える気がするんですよね。まあ、希望的観測ですが。けれど問題はそこじゃない。私は根っから人殺しの道具として育てられたので、普通というものがまるで分からない。友達の作り方なんて、なおさらです」


「――がっ……!」


 嗚咽をこらえきれず、リュミエルの声が揺れた。


「私が……お友達にっ、なります!」


 涙で濡れた瞳のまま、真正面から言い切った。


「……聖騎士の友達が暗殺者なんて、真逆にもほどがありますよ。異端審問にかけられても文句言えません」


「それでも……それでも! ソルフィーユ様の願いなら……!」


 そのままリュミエルは膝をつき、俺の前で片膝を折った。

 胸元に手を当て、剣を差し出すその姿は、聖騎士の誓いそのものだった。


「聖女ソルフィーユ様……未熟者ではありますが、誠心誠意、聖女様の剣と盾を務めさせていただきます。これは嘘偽りではありません。女神レイディア様に誓って!」


 差し出された剣を、俺はゆっくりと受け取った。金属の冷たさが手のひらに乗り、リュミエルの覚悟の重みが伝わる。


「リュミエル」


「……はい」


「私が進むのは、聖女としての道ではありません。修羅の道です。国が、神が、信仰が……敵に回るかもしれない。それでも、私に付いてきますか?」


 リュミエルは迷いなく顔を上げた。


「はい。最後まで、お供いたします」


 その瞳は、揺らぎも恐れもなく、ただ真っ直ぐに俺を映していた。


「その誓い、覚悟……確かに受け取りました。聖騎士リュミエル。私、聖女ソルフィーユの剣と盾となり、私がその使命を終える時まで、どうか私を護ってください」


 リュミエルは剣を受け取ると、強い意志を宿した眼差しを返した。


 ……さて。ここからが本番だ。

 この国を、本当に変える時が来た。

 

 

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