謎の事件簿
ここから、新章スタートです。
聖女ソルフィーユの秘密を打ち明けてから、一週間が過ぎた。
嘘のように静かで、嘘のように穏やかな日々が続いている。
リュミエルはというと、覚悟を決めたあの日以来、何かとソルフィーユの身の回りを世話してくれるようになった。
中身が男である私としては、正直むず痒い。
だが、彼女は頑として言い張る。
「ソルフィーユ様は、常に聖女らしくあらねばなりません。ですから私は、ソルフィーユ様をサイファとしてではなく、ソルフィーユ様として見ます」
その強い意志は、否定できるものではなかった。
同時に、リュミエルは暗殺者サイファとしての私の協力者にもなった。
聖王国の内情から聖庁の動き。
警備の情報と戒律院の噂。
彼女は彼女なりの網を張り、集められるものを集めてきてくれる。
リュミエルが考え、悩み、選んだ道だ。
私はその決断を尊重すると決めていた。
「ソルフィーユ様、毎朝こうして大聖堂の周辺を走っていたのですね?」
「ええ。朝の空気は気持ちが良いですし、走ると身体が整って、一日の始まりを実感できます」
「確かに……こうして走るのは新鮮です。訓練以外で走るのは、初めてかもしれません」
朝に弱いリュミエルが、今では私より早く起きてランニングに参加している。
正直、少し驚いていた。
こうして共に汗をかく時間も、信頼を積み上げるには悪くない。
「そういえば、ガルド殿には先日ご挨拶しましたが……もう一人、ソルフィーユ様のお仲間であるアルスさ殿は、まだ姿を見せていませんね」
「そうですね。アルス老は高齢ですから……体調でも崩していなければよいのですが。居場所が分かれば、治療に行くのですが」
マークイン暗殺後、ソルフィーユは神力による治療行為を再開していた。
教皇へのアピールでもあり、情報網を広げる手段でもある。
そして何より、聖女ソルフィーユとして自然な行動だった。
魔力を神力へ変換できる今の私なら、よほど大きな奇跡を起こさない限り、器そのものを削る必要はない。
リュミエルと神力の話をしていると、ものすごい速さで近づいてくる人物がいた。
「おっす、ソル。ずいぶん走れるようになったじゃねぇか」
「おはようございます、ガルド。あの子の体調はいかがですか?」
「ああ、お前のおかげでよ。今じゃ外で元気に走り回ってるぜ。本当に助かった」
「それは良かったです。何かあれば、いつでも声をかけてください」
「悪いな、ソル」
ガルドが暮らす地区は、スラムに近い。
そこで、何日も高熱にうなされていた獣人の子供がいた。獣人特有の風土病で、特殊な薬が必要らしい。薬がなければ、生存率は三割ほどだという。
その話を聞いた私は、すぐにスラムへ向かい、神力で熱を取り、病を取り除いた。
ソルフィーユなら、間違いなくそうしただろう。
私は暗殺者だが、快楽で人を殺すわけではない。
必要だから殺す。ただ、それだけのことだ。
そして、助けられる命なら助ける。
ソルフィーユという少女が遺した願いを、踏みにじるつもりはなかった。
「午前は図書室で読書。昼過ぎは、ミレニア南東部外壁近くの商業区にあるグランデル商会へ顔を出してみようかと思います」
「グランデル商会ですか? 外壁近くは治安が悪く、危険では?」
「安心してください。遅れを取るつもりはありません。それに、そろそろ動きがあっても良い頃だと思うのですよね」
「……?」
リュミエルが小首を傾げる。
意味もなく治安の悪い場所を歩き回っているわけではない。
小さな綻びが一つあれば、そこから芋づる式にこの国の闇を引きずり出せるかもしれない。
「さあ、リュミエル、ガルド。競争です。大聖堂の大門に先に辿り着いた人が勝ち」
「人族に負ける気はしねぇぞ」
「……ソルフィーユ様。私もこれでも騎士ですから、負ける気はありません」
「お喋りしていると置いていきますよ」
ソルフィーユは地面を蹴り、走る速度を上げた。
筋力の無駄を削り、神経の伝達だけで全身を最適化する。
暗殺者として培った、音も気配も残さない走り方。
風が頬を切り、大聖堂へ続く石畳の道を三つの影が一直線に駆け抜けていく。
「ふう。負けてしまいましたね」
「ソルの走りは、まあまあだな」
「……負けました」
結果は、ガルドが一位。
ソルフィーユが二位。
リュミエルが最下位だった。
獣人族の身体能力には敵わない。
だが、もう少し鍛えれば食らいつける手応えはある。
リュミエルは重い装備を身につけているため、仕方がないだろう。
ガルドと別れ、朝食と紅茶で身体を整えたあと、ソルフィーユは図書室へ向かった。
ノワレ司書長が、本の山の向こうから顔を覗かせる。
「ノワレ司書長、こんにちは」
「こんにちは、聖女ソルフィーユ様」
今日の目的は、先日アルス老から聞いた、暗黒魔法の研究書の写しと未解決事件の記録簿を確認することだった。
「暗黒魔法と、過去の未解決事件について調べたいのですが」
「暗黒魔法は、F棚の一番右下に一冊だけあります。未解決事件の記録簿は、Z棚すべてですね」
即答だった。
まるで、脳が本棚と直結しているようだ。
「ソルフィーユ様、また随分と珍しいジャンルを……」
「少し気になることがあって。それを確認するだけです」
棚の前に立つと、Z棚には分厚い本がぎっしりと詰まっていた。
年代を見る限り、二百年以上分の事件記録があるらしい。
一番古い本を開こうとしたが、インクが紙に張りつき、まともに読むことはできなかった。
仕方なく、一番新しい記録簿を手に取る。
そして、ソルフィーユは思わず息を呑んだ。
「これは驚きましたね」
「どうかされましたか?」
「リュミエル、これを」
手渡された本を開いたリュミエルの表情が、みるみる強張っていく。
「これ……酒場で起きた騎士殺人事件と、マークイン補佐官の転落死まで記録されています……」
「ええ。マークインの事件に関しては、他殺の可能性あり、と記載されています。何者かが、事件をすべて記録しているようです」
ページをめくるほど、奇妙な記述が現れた。
不審死。
誘拐。
暴行。
毒殺疑惑。
事件記録というより、観察記録に近いものも多い。
その中で、特に目を引く内容があった。
『子供失踪事件 三の月十八日。夕刻、親と歩行中に子供のみ消失。痕跡なし』
『子供失踪事件 四の月二十日。明け方、水瓶に水を飲みに出たまま消失』
『子供失踪事件 七の月三日。スラム街で獣人・人族含む数名が行方不明。人身売買の可能性あり』
ソルフィーユはページをめくると、胸の奥に冷たい違和感が残る。
「定期的に子供が消えていますね。こちらの記録だと、一か月ごとに一人か二人」
「そんな重大事件、もっと話題になっていてもおかしくありませんよね……」
「私は全く聞いたことがありません」
「……やはり、何か裏がありますね。単純な誘拐では説明がつきません」
ソルフィーユは記録簿を閉じ、指先で背表紙を軽く叩いた。
「いずれにせよ、表向きには存在していない事件ということです。誰かが記録しているのに、誰も知らない。……つまり、隠す者がいる」
「隠す……?」
「はい。事件を無かったことにできる権限を持つ者です」
リュミエルが息を呑む。
図書室の静寂の中、ステンドグラスの光が床へ細く散り、二人の影を淡く揺らしていた。
「ソルフィーユ様……まさか、この記録自体が……」
「内部の誰かの置き土産かもしれませんね。真相は分かりませんが」
ソルフィーユは、まるで雑談の続きのようにさらりと言った。
「これを書いている人物も気になりますが、今は行方不明者の共通点が子供であること以外、分かりません」
「そうですね。他に手がかりがあるとよいのですが……」
「ええ。まずは、子供が集まりそうな場所を回ってみようかと思います」
記録簿の最終ページ。
最新の一行が、脳裏をかすめる。
『国外から聖王国内に特殊な薬物を大量に持ち込む事件が発覚。スラム街で流通』
「リュミエル」
「……はい」
「調査が必要かもしれませんね」
リュミエルは小さく喉を鳴らした。
だが、その瞳の奥には、恐れだけでなく、確かな意志の色が宿っていた。
カクヨムで数話先行して投稿しております。




