<第一部 マンハッタン島編 第五章『ラフ・メンバーズ』シーン4-1>
シーン4-1)
午後3時30分00秒。
午後1時00分から始まった地理の講義は順調だった。
ヨーロッパ、ロシア、アラブ、アフリカ。ウィルソン大統領の十四か条演説が言及する範囲の海岸線・山・川・砂漠・そして大都市の特色や人口等々。
この3週間、毎晩1時間かけて、つまり単語帳を作るのとは別に21時間かけて20ページの地図帳を作った。国境線などの状況もできるだけ最新の情報を反映した。もっとも、最新とは言っても、正確性が保証できるのは3か月前の情報までだ。フランスとドイツの激戦がマルヌで7月から8月にかけてあったが、その後の両国の支配領域の変動はロッジ議員の情報網でもつかみ切れていない。ロシアやアフリカなどは情報自体が乏しく、地図帳には空白が多く残っている。
(コロンビア大のマニング博士が後方担当としての協力を開始してくれれば、ロシア方面の情報を書き足せるはずだが…)
できるだけ1人でやりきれ、とロッジからは指示されている。陸軍情報部でもあるクラレンス・A・マニング博士は十四か条調査団の一員ということにもなるので秘密の共有も問題ないはずだが、まだ先方からの情報提供はない。
マニング博士以外でも、できれば、独自の情報源が欲しい。
(それに、ラガーディア議員だ。イタリア・スイス・オーストリア・ハンガリーあたりの詳しい情報を持っているだろうし、“アメリカのためだ”と言えば、彼なら見返りなく教えてくれるはずだ。帰国してくれさえすれば、だが)
下院議員のフィオレロ・ラガーディアは36歳でバーナビーと同年齢。小さい身体に活力をみなぎらせたタフガイであり、昨年からイタリア戦線にて航空隊パイロットとして従軍している。国会議員が在任期間中に外国の戦地で従軍する例は史上空前だが、そもそも世界大戦という状況自体が空前なので、誰にも引き止められなかった。
11月の選挙では、ニューヨーク州選出議員の現職としての出馬がすでに決まっている。さすがに10月のうちにはイタリアからマンハッタンへ帰ってくるだろう。9月29日にバーナビーと調査団はヨーロッパへ向かうので、すれ違いになる公算が大きい。
最新情報としては不十分な地図帳。しかし、この調査団計画のために編集された地図帳は、唯一無二の価値がある。単語帳と違って秘匿必要性も高いが、1冊しか作っていないので、オグデン・ミルズ・リードに予備を盗み見される心配はない。
だから、講義は順調だった。
予定外のことは別にある。本来の予定では午後3時00分までに到着する予定だったマサチューセッツ組の3人がまだ来ていない。グランドセントラル駅への到着時刻が本来は午後2時20分であり、このビルまでは徒歩10分。汽車の遅れは推定できないが、午後4時までなら想定内だ。
午後3時40分23秒。
扉をノックされた。
想定内だ。
「遅くなってすみません…、トラブルがありました」
「ようこそ、ミスター・デモス。OK、想定内です」
ギリシャ系アメリカ人の哲学研究者、ラファエロ・デモス。バーナビーにとってはハーバード大学の後輩であり、会ったこともある。
アーロン、エリスも、立ち上がって迎える。
「実は、ほかの2人とはぐれてしまって…」
午後3時41分00秒。
想定外だ。バーナビーは、いったん地図帳を閉じた。




