41話 新たなステージ
まだ時折、肌寒い風が吹き抜ける今日この頃。
それでも太陽の光が差し込む場所は温かい。
「ふふっ、大和、似合ってるよ」
雫がスーツ姿の俺を褒めてくれた。
「雫もな」
俺と同じようにリクルートスーツの雫は随分と大人っぽく見えた。
「そろそろ電車の時間だな」
アパートの向かいには大きな桜の木があって、満開に咲いている。
「なあ、大和。もう一枚だけ写真撮ろうよ」
「もう何枚も撮っただろう?」
さっきから雫は俺の姿をスマホで撮影してくる。
まあ、今日はそういう気分になるよな。
「だからさ……一緒に撮ろうよ」
「あ、あぁ……いいけど」
俺の手を引いて雫は満開の桜の木の下で足を止めた。
そしてスマホのカメラアプリを起動させて自撮りの姿勢に入る。
「大和、大学入学おめでとう」
「雫も、短大入学おめでとう」
俺たちは先月無事高校を卒業した。
そして今日、俺は大学の、雫は短大の、入学式当日だ。
「うん、きれいに撮れてる。あとで大和にも送っておくから」
写真を撮った雫は満足げにそう言った。
俺がこの地に引っ越してきた時は、互いに心の傷を抱えていて、前に進むことができていなかった。
「じゃあ、行くか」
「うん、行こう」
進学先は違えど、俺と雫は自分の意思で進路を決めて、自分の力で前に進むんだ。
そのことが、ただ嬉しかった。
♢
緊張していた。
これから始まる大学生活に。
大学からの最寄り駅。
そのトイレの鏡の前でネクタイを引き締め直して、俺は大きく息を吐いた。
「よし……」
駅を出て大学へ向かう。
徒歩数分で目的地だ。
その道には俺と同じようにスーツを身に纏ったこれから入学式に臨む学生であろう人たちが大勢次々と大学へと入っていく。
友人や保護者らしき人たちと共にやってきた学生も多々いる様子だ。
母さんが俺の入学式のために有給を使うと言ってくれたが、それを断った。
雫も真知子さんに同じようなことを言ったらしい。
自分の好きな時に休みを使ってほしいと思ったから。
しかし今思うと、母さんも、それに真知子さんも、もしかしたら我が子の新たな門出を間近で見たいと思っていたのかもしれない。
入学式に向かう学生と一緒にやってきた大人たちの笑顔を見ていると、そんなふうに思った。
大学の正門を潜って、学部ごとに指定された大講義室へ向かうと、そこで今日の流れについて説明があった。
教授たちの自己紹介に耳を傾けている沢山の学生たち。
俺は彼らと足並みを揃えて、このスタートラインに立てている。
本当に大学生になることができたのだと、初めて実感した瞬間だった。
♢
「あ、あの、もしかして……牧野くんか?」
これから入学式が行われる学内ホールへ学部ごとに一斉に移動している最中、俺にそう声を掛けてきた二人の学生。
俺と同じ学部の新入生だろう。
「あぁ、うん……そうだけど」
「やっぱり、そうだよね。牧野くんだ」
二人は俺のことを『牧野』と呼んだ。
現在の苗字である相沢ではなく、牧野と呼んだということは……。
「あー……たしか、きみたちは……」
この二人には見覚えがあった。
転校前に通っていた海明学園高校で同じクラスだったと思う。
申し訳ないが、名前までは覚えていない。
「同じ高校だったよな。俺が転校する前……名前は……」
「うん。私は中野で、こっちは坂井くんね」
中野さんと坂井くん、か。
名前を言われて、たしかにそんなクラスメイトがいたなという記憶が薄っすらと蘇ってきた。
「実はさ、入試の時に牧野くんのことを見かけたから……もしかしたら同じ大学になるかもしれないって思ってたんだ」
なぜか後ろめたそうに中野さんは言葉を発していた。
隣にいる坂井くんも似たような表情をしている。
「そっか……それで声を掛けてきてくれたのか」
「あの……私、牧野くんにずっと謝りたいと思っていたの」
俺に謝りたい?
「……どうして?」
「牧野くんが転校した後、そのことがしばらく学校で話題になっていて。……その理由が成績不振だったからだろうとか、なにか悪いことでもしたんじゃないかとか。色々噂になっていて……」
まあ……そうなっていても不思議ではないか。
実際俺の成績が落ちていたのはクラスメイト達も周知の事実だっただろうし。
俺の普段の立ち振る舞いもクラスメイトから見れば目障りだったかもしれない。
悪く言われても仕方がない。
「でも、その後、牧野くんが家庭の事情でやむを得ず転校したって話を聞いて」
えっ……?
「それにアルバイトをして毎日大変だったなんて噂もあったから……」
それは想定外だった。
俺は学校の連中には何も告げずに転校したから。
そんなことになっていたなんて……。
「それは……まあ、そうなんだけど」
「や、やっぱり……そうだったんだ」
中野さんと坂井くんは顔を見合わせてから、申し訳なさそうに口を開いた。
「牧野くん、ごめんなさい」
「な、なんで二人が俺に謝るんだよ?」
「牧野くん、覚えてないかもしれないけど学校行事の時とか、何度も高圧的な態度で嫌味を言ってしまって……」
そういえば、そんなことがあった気がする。
文化祭や体育祭の前なんかは準備や練習に非協力的な俺に対して、文句や悪口を言ってくる奴がいたような……。
それが中野さんだったのか……。
「い、いや、あれは俺が悪いんだよ。家庭の事情はたしかにあったけど、きみたちには関係ない話だったし」
「それだけじゃないんだ」
今度は坂井くんが口を開いた。
「日頃から……俺を含めた同学年の奴らは、牧野くんのことを陰で悪く言っていたし……」
それは知っている。
廊下を歩くだけで、色々と俺を揶揄する声が聞こえたものだった。
「それも俺の努力不足で、成績が悪かったから」
「そうじゃないんだ。牧野くんが首席が合格したって聞いた時から、嫉妬で悪く言っている奴もいたし」
成績が悪くなったらで、尚のこと悪く言いやすいもんな。
「私たちもそんな人たちと一緒に……悪口言ってたことも、あったから……」
悲痛な顔だった。
同じ大学になったとしても、俺に関わらないようにすることも出来たはずなのに。
この二人は自分の非を認めて、勇気を出して話しかけてきてくれたんだ。
「そっか……ありがとう、中野さん、坂井くん」
俺がそう言うと、二人は目を丸くしていた。
「過去のことはもういいんだ。誰にどう思われても構わない、そんな態度を取っていたのも俺自身なんだし」
バイトや勉強、それに家庭的なストレスから周囲のことに目を向ける余裕がなかったというのが事実ではあるけど。
「だから、この話はもう終わり。声を掛けてきてくれてありがとう」
俺の言葉に坂井くんは涙ぐんでいるように見えた。
中野さんは俯いていた顔を上げて、『ありがとう』と小声で呟いた。
♢
「それにしても、牧野くんって本当に凄いよ。転校先の学校は難関大学へ進学する人はいないんだろう?」
「もう修二。牧野くんの今の苗字は相沢くんだよ」
修二というのは坂井くんの名前らしい。
「あっ! そっか、ごめん! 今は相沢くん、だよな」
「ははっ、べつにどっちでもいいよ。ややこしいから今まで通り牧野でも良いよ」
こう返答したが、名前呼びで良いと言った方がよかっただろうか?
いや、この二人は俺に対して少し態度がぎこちない。
まだ罪悪感があるのかもしれない。
そんな相手に『大和って呼んでくれ』なんて言えないよな。
「さっきの話だけど、俺が通っていた学校は偏差値はそこまで高くはないけど、頑張って有名私立の大学へ進学した人も少なくないし」
「そうなんだ。尚更俺はやっぱり牧野くんは凄い奴だと思うぜ」
そうなのかな?
勉強は昔からできるほうだった。
でも、転校した学校で色々と学べた気がする。
新しい学校のクラスメイトたちは勉強だけではなくて、趣味や部活、友人関係を大事にしている人が多かった。
勉強せずに遊んでいるだけ……と思われるかもしれないけど、彼らは彼らなりに将来を考えて進路を選択していた。
「あの……海明学園からこの大学に進学したのは、坂井くんと中野さんだけ?」
俺は勇気を出した。
過去のことはいいんだ。
この二人に言った言葉を自分自身にも言い聞かせながら、問いかけた。
「村瀬って覚えてるよな? あいつもここを受かったから。だから俺たち合わせて3人だな」
村瀬……。
徹も、この大学に……。
「……そっか、そうなんだ」
ゆっくりと呼吸を整えた。
あいつの……葵の名前が出てこなかった。
あいつはこの大学を受けなかったのだろう。
どこか別の大学……国立だろうか……。
いや、考えるのはやめよう。
「徹は……村瀬は……もしかして、医学部?」
「ああ、たしかそうだったはずだ。……あいつ、頭良かったけど……」
「けど?」
口を紡いだ坂井くんは明後日の方向を見て答えた。
「あー……村瀬って国立も受験したみたいだけど……ダメだったみたいだから」
国立を受けたけど、落ちてしまったのか……。
「もしかしたら、受験当日体調でも悪かったのかな」
「えっ? いや、それはないんじゃないか? よっぽどのことがない限り、体調管理なんてできるだろう」
「でも、それだとなんでだ?」
「普通に学力が足りなかったんだろう? それしかないじゃんか」
「あ、そ、そうか……」
「んー……でも考えてみればそうなのかもな。あいつ全国模試でもいつもトップクラスだったから。これから始まる入学式の新入生代表挨拶は村瀬だろうし」
新入生代表挨拶が徹?
「な、なんで……村瀬だと?」
「だって、ここの代表挨拶は入試トップの成績の奴がするって有名な話だし」
し、知らなかった……。
「へー……そう、なんだ」
釈然としなかった俺を坂井くんと中野さんは不思議そうに見つめてくる。
「牧野くんってここ以外にどこの大学を受けた?」
「あぁ。俺はここと国立を受けたよ」
「さすがだな、国立も受けるなんて。国立落ちてもこの大学に入れたんだから、十分優秀だよな!」
「いやぁ、俺は……国立も受かったけど」
「へっ? ……ま、まじで?」
「うん、まじで」
なにをそんなに驚いているのかよくわからなかったけど、話をしているうちに入学式が行われる学内ホールに到着した。
大学職員の人に誘導され、俺たちは開いている座席へと腰かけた。
会場は凄く静かな空間で、これから始まる入学式に……いや、大学生活に新入生たちは心を躍らせているに違いない。
かくいう俺も、その一人なんだ。
入学式が始まり、最初に壇上に上がったのは塾長で、かなり長めの話が続いていた。
「あの学長、話長いよね」
俺の右隣に座る中野さんがボソッとそう呟いた。
左隣に座っている坂井くんは退屈なのか欠伸をしている始末である。
そんな二人とは対照的に俺は緊張していた。
なぜなら……。
「おっ、やっと終わったよ」
塾長の話が終わり、新入生たちの拍手でこの場を華やかな雰囲気となった。
俺は大きく息を吐いてから、顔を上げた。
そろそろだろう。
『では、新入生代表挨拶に入ります。』
俺の名前が……。
『新入生代表……』
……呼ばれる。
『相沢大和』
「はい!」
静かに立ち上がった俺は声を張り上げて返事をした。
席を立ち、壇上に向かう刹那、坂井くんと中野さんの顔を横目で確認すると目を丸くして硬直していた。
不甲斐ない俺だけど、転校してから今日まで毎日頑張ってきた努力だけは唯一誇れるものだった。
背筋を伸ばし、堂々とした態度で新入生や大学職員たちに注目されながら、俺は舞台に上がった。




