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鏡よ鏡、鏡さん。


「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で一番美しくて、優秀で、可憐(かれん)で、聡明(そうめい)で、誰からも(うらや)まれて、男性陣が放っておかなくて、どこもかしこも完璧で非の打ち所のない、この世に生まれ落ちた奇跡の聖女はだぁれ? そう、それは――もちろん、私! アステリーゼ・ルゼンティアにきまっているじゃない」


 大きな窓から差し込む陽光が、ピンクと金で彩られた豪華な部屋の中を照らしている。


 天蓋(てんがい)付きのベッドに敷かれたシーツには繊細で見事な刺繍(ししゅう)が施され、大きな一枚鏡の姿見の横にあるドレッサーの上には高価な香水瓶や宝飾品が乱雑に並べられていた。


 部屋の中心に立つアステリーゼは、昨日新調したばかりの濃いピンク色のドレスの(すそ)を軽やかに(ひるがえ)しながら、満足げに微笑んだ。光を受けて艶めく金の髪がふわりと広がり、彼女の美貌をさらに引き立てている。


「もちろん私よね。誰がどう見ても」


 鏡の中に映る自分の姿に陶然とした表情を浮かべ、彼女はくるくると回り続ける。その様子はまるで自分自身に酔いしれているかのようだ。


 そんな娘の様子を、彼女の後ろに離れて立つカレットが眉尻を下げて困ったように見つめていた。赤く塗られた唇がわずかに歪み、ため息交じりの声が漏れる。


「私の可愛いたった一人の娘。アステリーゼ。……あぁ、聖女候補なんて選ばれなければ、皇太子殿下の妃候補になれたのに」


 金糸がふんだんに織り込まれた濃紅色(のうこうしょく)のドレスに身を包んだカレットは、胸元に輝く大粒の宝石を軽く指で触れながら、どこか(うれ)いを含んだ表情を見せた。耳元には揺れるたびに鈍い光を放つ大ぶりのイヤリングが飾られ、(きら)びやかなその装いは部屋の装飾にも劣らない華やかさを漂わせている。


 その一言に、アステリーゼは動きを止め、鏡越しに母を振りかえった。


「お母さま、それはどういう意味?」

「――聖女候補に選ばれたということは、二年の修行期間があるということよ。その間は修行に専念するため、妃候補にはなれないの。皇太子妃になれるチャンスを逃してしまったということなのよ、アステリーゼ。あなたほどの美貌が一介の聖女に収まるにはもったいないわ」


 しかし、アステリーゼは特に気にする様子もなく、再び姿見に向き直った。


「でも、皇太子妃は華やかで素敵だけど、聖女も悪くないわ。何より私はどちらにしても選ばれるに値する存在だもの」


 その自信に満ちた言葉に、カレットはやや呆れたように肩をすくめる。


「それはそうだけれど、アステリーゼ。花の期間は短いのよ?」

「大丈夫よ。それにお母様、よく考えてみて。聖女候補に選ばれるのはとても名誉なことよ。候補に選ばれただけでうちに届いた婚約を打診する手紙の山を見た? とっても素敵な贈り物の山だったわよね。それに、二年の修行期間なんてすぐに過ぎてしまうわ。その間に皇太子殿下の婚約者が決まらない可能性だってある。気を落とす必要なんてないわ」


 アステリーゼが華やかに笑うのを見やり、カレットは残念がるようにふぅ、と息を吐いた。


「そうね。あなたの言うとおりだわ、アステリーゼ。他にも国王陛下には第三王子や第四王子がいらっしゃるし。彼らも将来的には妃を迎えることになるでしょうから」

「第三王子や第四王子?」


 アステリーゼは再び振り返り、小さく鼻を鳴らした。


「えぇー。だって、一番(うるわ)しいのは皇太子陛下でしょう? それに、第三王子妃や第四王子妃なんて地味じゃない。皇太子妃になって、国母として君臨するほうがずっと素敵だもの」


 どこまでも贅沢で、どこまでも自信に満ちた娘の言葉に、カレットは再びため息をついた。


「欲張りすぎてすべてを失わないようにね、アステリーゼ」

「大丈夫よ。私にはそのすべてを手に入れる資格があるわ。だって、私は特別で選ばれた存在なんだもの」


 カレットは愛娘の言葉に嘆息しつつも、その頬を後ろから優しく撫でた。


 そんなやり取りの中、部屋の扉をノックする音が響いた。「入りなさい」と機嫌よく告げると、新しく仕え始めた執事ケンウッドが姿を現し、一通の手紙を差し出す。


 一通の手紙の宛名には、「ルゼンティア伯爵夫人カレット殿」と見慣れない筆跡で記されていた。


 カレットは眉をひそめたが、裏をひっくり返した瞬間、彼女の双眸には怒りの色が宿った。


 封蝋の刻印は、忌々しいあの娘が嫁いだはずの「ライグリッサ辺境伯」の紋章。


 手紙を握りしめ、鋭い視線をケンウッドに向ける。


「おかあさま?」


 背後から聞こえるアステリーゼの声には、どこか心配と好奇心が混ざっていた。しかし、カレットはすぐに表情を引き締め、なんとか笑顔を浮かべて娘に向き直る。


「どうかしたの?」

「い、いいえ。何でもないのよ、アステリーゼ。お母様、少しお返事を書かなければならないから、もう行くわね」


 そう言うと、手紙を持ったまま優雅に部屋を出ていった。その背中を見送りながら、アステリーゼは小首をかしげた。


「ふぅん……?」


 再び姿見の前に向かうと、使用人に向かって指を鳴らす。


「次のドレスを持ってきて。もっと華やかなやつを」


 命じる声には、すっかり元気を取り戻した調子が宿っている。美しい顔を鏡越しにじっくりと見つめ、うっとりと微笑む。艶やかな花の(かんばせ)と夜会で称される自分の磨き上げられた容貌は、どこまでも美しい。


 肌の調子を確かめるように、鏡の方に顔を寄せた時だった。


「きぃえぇえええええええええええええええええ!!!!」


 隣室の母の私室から突然響き渡る金切り声が、彼女の動きを止めた。


 母親の怒声は壁を貫き、アステリーゼの耳を(つんざ)いた。驚いて左手の壁の方を見やり、その場に固まる。


「……おかあさま?」


 一瞬だけ静まり返った壁の向こうでは、さらに激しい怒声が続いていた。アステリーゼは使用人たちと目を合わせ、状況を問おうとしたが、誰もが困惑の表情を浮かべるばかりだった。





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