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反省はしない

「今は刑場のないところで働いてるし、聞けるわけないです」

 私の覚えている限り死刑囚監房のあるところにパパが勤務していたのはその頃だけだ。首に目がいくことなく安心して彼らの顔を見ていられると、初めての単身赴任から一時帰宅したときに言っていた。そんなことを言うくらいならパパだってきっと貧乏クジだったと思ってるはずだから。

「死刑なんてなくなればいいのにって思います」

「大嫌いな人権屋と同じじゃないか」

「違いますよ。別に悪党の命とかどうでもいいです。自業自得だから。パパが関係する死刑だけ、なくなれば他はどうでもいいです」

 脳裏に浮かぶあの頃のパパはいつも少し疲れていた気がする。今だってすり減らしながら働いているけれど、あの頃は明らかに緩み溶けたような顔をすることがあった。

 本当に関わっていたのかは分からない。夏休みの時だって、もしかしたら立ち会っていなかったかもしれない。たまたまよく世話をしていた人が、他の刑務官によって成されたのかもしれない。でも絶対にあの頃のパパは違っていたし、夏休みのパパはまるで異邦人にすら感じられたのもよく覚えている。


「刑務官が全員、それに関わるわけじゃない。大半が関係ないまま定年退職ですよ。パパの働いていたところなんか、職員ですら刑場のある位置を知らない人の方が多いくらい。同じ敷地内なのに、知らない職員もわざわざ自分から探ろうとはしないでしょうね。自分にお鉢が回ってきて欲しくないから」

「へえ。それなのに任命されたなんて大当たりじゃない」

 ニヤニヤとした顔を見せられ腸が煮えくり返りそうになる。当事者ではないからそんな馬鹿げたことを宣えるのだ。

「ツカサさんだって、なければそれに越したことはないんじゃないですか。もしかしたら自分が死刑囚になってたかもしれないんだから!」

「大いに結構。上等だ」

「例え自分が死ぬことになっても、死刑があっていいんですか」

「死ななきゃ治んねえ馬鹿っているからさ」

 それもまた自虐なのかと思ったのにまるで他人ごとのような話しぶりだ。自分の過ちを後悔していないと言い切ったときもこんな口調だった。

「三人はヤバいから二人でやめといたとか言ってるような殺人犯を何人も見てきたよ。死刑があるおかげで三人目の被害者が出なくて良かったんじゃない」

「そんな人間いるんですか」

「刑務所なんてそんな馬鹿ばかりだ。こんなの生かしておく方が国の沽券に関わるだろ」

「それじゃ反対しない方がいいとでも?」

「ソノカちゃんやお父さんみたいな立場の人は、好きに言ってもいいんじゃない。浅右衛門になりたくて刑務官志した人たちばかりでもないでしょ?」

 その言葉に後頭部をガツンと殴られた衝撃が走った。心の奥底にしまっておいた気持ちを見透かされてしまったような。みんなみんな、ただただ門の前に突っ立っているだけだと思っている。ただの牢屋番だろうと思っている。命ぜられるまま首吊り台のスイッチを押しているロボットだと思っている。本当は違うのに。パパの仕事は、本当はそんな簡単なことじゃあないのに。好き放題言えないブラックボックスの世界はいつだって外野の方がうるさいのだ。

「なんだか悔しくなってきました。ツカサさんの方がパパのことを理解してそうで」

「間近で見てきたからねえ。あんなきつい仕事こなすなんて、頭下がるね」

「だったらちょっとは反省しようとか更生しようとか思わないんですか。出所してもこんなことしてる人ばかりなら苦労してるパパが馬鹿みたい」

「あはは、俺は二度もムショの世話になるつもりないから」

「何しても逮捕されない自信があるとでも?」

 パパは何百人とも数えられないほど「二度と来るなよ」とサヨナラしてきた。でも何人かにひとりはまたコンニチハしてしまうと嘆いていたことがある。中にはのっぴきならない事情で確信犯的に戻る者もいるらしいけれど、大半は「次こそ上手くやれると思ってた」なんて言うのだそうだ。裁判などは無難にこなした挙句に再びの刑務所暮らしで、ホロリ緩んだ時に零れる言葉だから限りなく本心に近いのだろう。

「悪いこと繰り返す人って反省しないから、絶対に自分だけは捕まらないと勘違いしてるだけなんですよ!」

「それは違うな。反省するから馬鹿は繰り返すんだ」

「言ってること矛盾してません?」

「……それじゃあソノカちゃん、明日傘をパクってみろ。夕方から雨が降るみたいだから、盗る傘は選び放題だ」

 藪から棒に何を言い出すのか。間抜けたように喉から空気が抜ける音だけの相槌しか出てこない。

「ソノカちゃんだって一度くらい悪さしたことあるだろう」

「やめてください、ないですよ」

「信号無視も? 友だちの漫画を借りパクとかは? 拾った小銭をガメたことくらいあるんじゃないの」

「まあ、信号無視くらいは……でも車来てないし誰にも迷惑かからないし!」

「じゃあ借りパクは? そんなつもりなくても、間違えて人の物を持ち帰ったりとかさあ」

 そう言われると全くしたことがないと断言はできない。間違えてのことならあるかもしれない、そんな気がして背中がむず痒くなる。

「もしあったとしても、間違いだったらすぐ持ち主に返しますし謝るに決まってます」

「よーく思い出してみて。会社の文房具を自分のペンケースにうっかりしまっちゃったとかさ、ありがちでしょ。でもそれだって立派な窃盗罪だ」


 うっかりしまう。それにはたと記憶が呼び起こされた。確か中学の時だ。


「思い出したかも……消しゴムです、中学生の頃です。筆箱取りに戻るのが面倒で、友だちの机に転がってた消しゴム借りたんです。でも直後に先生に呼ばれて、無意識にポケットに入れちゃったみたいで家に帰ってから気付きました」

「それでどうしたの?」

「次の日返そうと思ってカバンにしまったはずなんです。なのに学校着いたらどこかいってしまって」

「持ち主には何て言ったの?」

「もちろんすぐ謝りました。チビてた消しゴムだから気にしないでって許してくれましたよ?」

「それは何月何日の出来事だ」

 まるで子どものような問いに面を食らってしまった。何時何分、地球が何回まわった時かと投げかけられるに等しい気分で答えに窮する。

 すると間髪入れずに凄まじい勢いで質問を重ねられた。


 なくした消しゴムはどんな色でどんな大きさ?

 持ち主のフルネームは?

 前から何列目の席に座っていた?

 謝った時、どんな表情をしていた?

 すぐに許してくれたのか。それとも少し悩んでから許したか?


 責め立てるかのように押し並べられた質問にひとつも答えることが出来なかった。

 もう十年も前のことで、学校でもあまり話をしたことなくクラスメートだったのもその一年限りのあの子、みんなフーちゃんと呼んでいて本名を覚えていない。物静かでおっとりした女の子だった。いじめの対象にはならないけれど構われるタイプでもなく、休み時間に誰かとはしゃぎ遊ぶより一人で読書に耽る地味な女の子。そんな彼女が、ファイナル・クエストというRPGを発売翌日に攻略したことが知れ渡り、学年中の男子から鉄人扱いされた時だけ猛烈に目立っていた。そのゲームをプレイしたことはないけれど、とにかく一日で攻略するのは鉄人の仕業らしい。隠れゲーマーなフーちゃんの印象はそれしかなくなっていた。

「ごめんなさいしたことしか覚えてないんだ」

「随分昔のことですし……」

「盗られた方はお前の面、忘れてねえぞ」

 身体を前後に揺さぶられ、車が急発進させられたことに気がついた。どうしてと私はパニックになる。今のでツカサさんのスイッチを入れてしまったようだ。

 消しゴムのこと、そんなに悪かったの?

 百円ショップでパック売りされているような消しゴムだったよ?

 盗んだなんて大袈裟な、そんなつもりなかったのに。ていうか、あなたにだけは怒られる筋合いない!

「反省すりゃそりゃあ気楽だよな。それですっきりするもんな。だから簡単に忘れちまうんだ。だから、だから繰り返すんだ」

 譫言のように吐き出された毒がベトリと私に絡みつく。蝕まれて、なんだか取り返しのつかないようなことをした錯覚に陥った。フーちゃんは気にしないでと言ってくれた。そのはずなんだ。そのはずなのに。

「その時、だけですよ。本当ですよ。ちゃんと謝りましたし、反省もしてるし!」

「どうだかね。今の今まで忘れてたんだから、他にもやったこと、忘れてんじゃねえの」

「そんなこと、ない、です……」


 ない、ない、きっとない。いや、もしかして。ちょっとずつ自信が無くなっていく。でも間違いが起きていたとしても必ず謝っているはずだと不安をねじ伏せた。そんな私にツカサさんは怖い顔で一瞥をくれた。


「まあ俺の言うとおり傘をパクってみろよ。そして反省なんかすんなよ。絶対にするなよ。そうすれば反省なんかに意味がないと分かるから」

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