第1話 おい駄犬、荷物を持て
「おい駄犬。荷物を持て」
命令だった。
しかも、空気ごと従わせる種類の。
アルレンは振り向く。
そこにいたのは、銀髪の女――旅装のローブを纏いながら、纏い方だけが異様に雑で、顔だけが異様に整っている。
目元は冷たく、口元は愉快そうだ。
そして足元には、規格外の荷物が山になっていた。
大きな鞄が三つ。箱が二つ。巻物入れが一本。ガラス瓶が四本。
最後に、毛布みたいな何かが丸めて括られている。
「……全部か」
「見りゃ分かるでしょ。全部よ」
「量の話じゃなくて――」
「量の話よ、駄犬。全部持て」
エリスは、勝ちを確信した顔で笑った。
微笑みというより、“相手の抵抗を最初から数に入れていない”笑いだ。
アルレンは、黙って荷物を担ぐ。
鞄三つ、箱二つ、巻物、瓶、毛布もどき。
肩紐が一斉に食い込み、普通の人間なら膝から崩れる重量が背に乗った。
だが、アルレンは立っていた。
顔色も呼吸も変わらない。変える必要がないからだ。
「……持てる」
「うん。まあ駄犬はそれが取り柄だものね」
反論はしなかった。
反論したところで、相手が折れないのは分かっている。
この女は魔女だ。しかも性格が最悪だ。少なくとも、アルレンの前では。
「で? どこへ行く」
エリスは顎を上げた。
「“終の棲家”」
その言葉だけで、アルレンの脳裏に光が差す。
終の棲家。静かで、誰にも追われず、余計な仕事も降ってこない場所。
寝床が柔らかくて、飯がまともで――
「風呂があるとこ」
「そう。温泉でもいい。とにかく私はもう、“国のため”とかいう地獄には戻らない」
地獄。
その単語が、二人の間に薄い影を落とした。
アルレンが追放された日。
王国の城門の前で、彼は“英雄”から“厄災”に変わった。
理由は単純だ。
聖剣を折ったから。
折るつもりはなかった。
だがアルレンの魔力は“魔法”にならない。すべてが肉体の力へ変換される。
握れば、鋼も骨も耐えられない。神具だろうと例外じゃない。
「神を冒涜した!」
「王国の象徴を破壊した!」
「危険だ!」
叫んだ連中の声は、よく通った。
責任を押し付ける時だけは、誰もが雄弁になる。
――そして追放。
それだけなら、まだ良かった。
王国はすぐ次の“象徴”を用意した。
見た目が良く、口が上手い。聖剣を掲げて笑える。
新勇者カイル。
彼は城下で叫ぶだろう。
“私がこの国を守る!”と。
その裏で、結界が崩れ始めていることも知らずに。
「……結界、どうする」
アルレンが言うと、エリスは鼻で笑った。
「知らない。自業自得よ」
「お前がいないと――」
「はいストップ。説教タイムは終了。私はもう無給残業しない」
無給残業。
魔女が吐くには、やけに現実的な言葉だった。
「国のため、民のため、聖女様ありがとう。で、私はいつ寝るの。いつ風呂に入るの。いつ人間扱いされるの」
エリスの声から、笑みが消えた。
ほんの一瞬だけ。ほんの僅かな隙。
アルレンはそこに、理由を見た。
この女が“最悪”なのは、最悪な扱いを受け続けた結果でもある。
「……俺も戻る気はない」
「当たり前でしょ。あなたは追放されたんだから」
言いながら、エリスは指先で空を撫でる。
小さな光が舞い、アルレンの肩紐の位置が微調整された。
重さがわずかに分散される。
助けたのだ。
「駄犬」扱いしながら。
アルレンは何も言わなかった。
言えば、次は荷物が増える。
「行くわよ。終の棲家へ。追手が来ても、魔物が来ても、全部あんたが処理しなさい」
「了解」
二人は歩き出す。
王都から離れる街道へ。静かな余生を求める旅へ。
――そのはずだった。
「止まれ! そこの二人!」
背後から怒声。
金属鎧が擦れる音。馬蹄。隊列。
王国騎士団。追手だ。
エリスは振り向きもしない。
ため息だけが、やけに綺麗に響いた。
「ほら来た。仕事よ、駄犬」
アルレンは背の荷物を地面に降ろす。
瓶が割れないよう、置き方だけは丁寧だった。
そして腰に吊るした布包みを解く。
中から出てきたのは剣ではない。
折れた聖剣の欠片――オリハルコンの塊だった。
剣としての形は死んでいるのに、金属はまだ神の光を宿している。
隊長格の騎士が、それを見て青ざめた。
「……やはり貴様か! 聖剣を折った、追放者アルレン!」
アルレンは答えない。
一歩前に出て、欠片を肩に担ぐ。
騎士たちが一斉に剣を抜いた。
「抵抗すれば斬る! 大人しく――」
「抵抗する」
アルレンが言った。淡々と、事実だけを言う声だった。
次の瞬間。
アルレンの足が地面を蹴る。
踏み込み――というより、地面が置き去りにされた。
騎士の剣が振り下ろされる前に、鎧ごと吹き飛んだ。
欠片が叩き込まれた音は、金属と骨が同時に悲鳴を上げる音だった。
「ぐっ――!?」
二人目、三人目。
斬撃は届かない。届く前に、距離そのものが消される。
隊列が乱れる。
恐怖が伝染する。
“勇者”でも“英雄”でもなく、ただの“災害”がそこにいた。
「ひ、怯むな! 数で押せ!」
隊長が叫ぶ。
その声が震えていた。さっきの宰相と同じ震え方だ。
――責任を取らない人間は、危険の前で声だけ大きくなる。
エリスが、楽しそうに言った。
「ねえ隊長さん。あなた、私が誰か分かってる?」
騎士団が一瞬だけ、動きを止めた。
エリスはローブのフードを指先で軽くずらし、笑みを整える。
“外面”の方の笑みだ。慈愛、優雅、神々しさ。
「聖女エリスです。国の結界を維持していた――って言えば、分かる?」
隊長の顔色が真っ白になる。
「せ、聖女……!? なぜ追放者と――」
「追放者? ああ、駄犬のこと? それ、誰が決めたの。宰相? 王? それとも――新勇者カイル?」
騎士たちの視線が揺れる。
“聖女”がここにいる事実だけで、王国の宣伝が崩れ始める。
エリスはさらに、柔らかく言った。
「私、いま国を辞めたの。無給残業が嫌で」
「……は?」
「だから結界、止まってるわよ。今ごろ魔物が入り放題。あなたたち、ここで私を拘束してる暇、ある?」
隊長の喉が鳴った。
理解したのだ。状況を。
この場で“聖女”に手を出せば、騎士団そのものが反逆者になる。
出さなければ、帰って報告しなきゃならない。
だが報告すれば、王国は“聖女が辞めた”事実を隠しきれない。
詰みだ。
アルレンが欠片を肩に乗せたまま、隊長を見た。
無表情のまま、言う。
「……どっちにする」
隊長は歯を噛み、拳を握り、最後に――視線を逸らした。
「……撤収! 王都へ戻る!」
騎士団が引いていく。
背中で、誰かが小さく呟いた。
「……あれが、本物の英雄……?」
アルレンは荷物を背負い直す。
エリスは外面の笑みを消し、いつもの顔に戻った。
「ふふ。良い顔してたわね、駄犬」
「……お前も」
「当然。私は可愛いからね。さ、行くわよ。温泉」
「今度こそ、邪魔が入らないといいな」
「入るに決まってるでしょ。ほら、駄犬。さっさと歩け」
二人は歩き出す。
終の棲家へ。
――その旅が、世界の“結界の終わり”へ向かう旅だとも知らずに。
はじめまして。初投稿です。
掛け合いの楽しさとテンポの良さを大事にして書いています。
毒舌ヒロインと無表情主人公の「面倒だけど悪くない」旅をお楽しみください。
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