謀略編・第三十八話
謀略編・第三十八話、更新します。
今回は加賀と備前が舞台になります。
永禄五年(1562年)七月、加賀国、金沢城、武田信親――
ブオン!
暑い。本当に暑い。まだ朝食すら食べてない時間。もう少しぐらい涼しくても良いだろうに、と心の中でボヤいてしまう。
ブオン!
ただ暑いのは当たり前。この時間、寝起き直後は素振りを行う鍛錬の時間なのだから。
木刀に重りを巻き付けた鍛錬用の木刀。重さ三貫。加賀へ来た時にこの重さにしたんだが、大分慣れてきたし、もう少し重さを増やしてみようか。
ブオン!
日に二百回。ただし姿勢が崩れない事が条件。
俺が太刀を抜く事なんてないとは思うが、それでも以前のように馬鹿が襲ってくる事は考えられる。そうなると、やっぱり鍛錬をサボる訳にはいかないんだよな。
ブオン!
……いかん、今、体が揺らいだ。考え事をしていたせいだろう。
気を引き締めなおして、もう一度やり直しだ。
ブオン!
……二百。今日の鍛錬は終わりだ。
それにしても暑いな。この時間でこの暑さ、昼間の暑さを想像するとウンザリしてくる。
「二郎様。体をお拭き致します」
「ああ、頼んだぞ、ゆき」
堅く絞った濡れ手拭いで、汗が拭われていく。
ヒンヤリとした感覚が気持ちが良い。冷房を効かせた部屋に入った時を思い出す。ただ手拭いのヒンヤリ加減は自然の物。すぐに暑さに晒されて消えていく。
一瞬の冷たさに未練を感じつつ、脱いでいた衣服を纏う。
お洒落になんて興味はないが、身嗜みは必須だ。
俺は目に問題があるから、以前は出来た事でも出来なくなってしまった事がたくさんある。
その一つが髭剃り、だ。
この時代の常識としては、髭は剃るのではなく抜く物だという。ただ俺にはマゾヒストな趣味は無いので、坊主が頭を剃るのに使っているカミソリを取り寄せた。
ちなみにカミソリは、髪剃りと書くのが正しいそうだ。
「では頼むぞ」
「はい、動かないで下さいね」
髭剃りはゆきの役目だ。
この事に対して、周りには反対意見もあった。
と言うのも、主である俺を傷つけたら腹を切るのは当然の事。ゆき様は女子故、切腹はできないが、それでも死を賜る事を免れる事は叶いませぬ、と。
正直に言おう。俺はこれを聞いた時、頭が痛くなった。
言いたい事は分かるんだが、少しぐらい融通利かせろよ、と言うんだ。肌が切れない安全カミソリでも、切れる時は切れるんだから。
だから、俺はこう言い返してやった。
『俺にとっては貴重な夫婦の時間だ。それを其方達は近くで見届けたいと申すのか?』と。
これには家臣達も何も言えなくなったらしい。
遠回しに『俺が髭剃って貰ってる所を、誰も見ていなければ問題ないだろう?』と言ってやったんだが、ちゃんと理解して貰えたようで何よりだ。
護衛役も、ちゃんと襖の向こうで待機中。髭を剃る所を見てはならぬ、と言い含められているらしい。
「そういえば二郎様。何でも畿内の武士は常に月代を剃るそうですが、二郎様は月代を剃られないのですね?」
「月代か……必要なら剃っても構わんが……そもそも似合うのか?俺に?今まで通り、適当に頭の後ろで束ねておけば十分だと思うんだが……」
「似合う似合わないで月代を剃るかどうかお決めになられるのは、二郎様だけで御座いましょう」
そういえば虎盛から聞いた事があるな。
月代を剃るのは、兜を被った時に蒸れない為だ、と。
俺はあまり戦場に出ないからな。戦場で激しく戦う訳でもないし。だから月代を剃る必要性を感じなかったんだが。
「頭が蒸れるのは、気分が良くないな。だがそれならいっそ、全部剃ってしまった方が楽ではあるんだが」
「それだけはお止め下さい!」
「そ、そうか?ならスキンヘ……じゃなかった、坊主頭は止めておこうか」
バリカンとかあれば、スポーツ刈りとか角刈りとかという手段もあるんだが。
でも床屋さんだと、ハサミでやってくれるよな?バリカンも使いはするけど、ハサミだけでもかなり綺麗に仕上げてくれる。
髪の毛を、指の第一関節の長さを残して切りそろえてくれ、と頼んでみるか?
「ゆき。坊主頭は駄目なのだな?なら爪先から最初の関節までの長さで、髪を切りそろえるというのはどうだ?」
「……それは坊主頭と何か違うので御座いますか?何と言いますか……頭を剃る事すら出来ないほど、窮乏している坊主を想像してしまったのですが」
「妙案だと思ったんだがな……」
どうやら戦国時代を生きる人には、スポーツ刈りや角刈りは受け入れては貰えないようだ。
あれ、楽なんだけどな。頭洗った後、すぐに乾くし。
とはいえ、周りの評価が厳しいのであれば、素直に取り下げるか。どうしても必要な訳じゃないしな。
そんな事を考えていると、耳に届いてくる固有の音。この季節になると、耳元で安眠妨害してくる、小さな騒音。
「やれやれ、蚊が出て来たか。この季節には付き物だが、いい加減、うっとうしくもあるな。刺されると痒いし」
「二郎様の御知恵で、何とかならないのでしょうか?」
「蚊、対策か」
一番最初に思いつくのは、やっぱり蚊取り線香だろうな。
次が蚊帳。
蚊はマラリアを媒介する害虫でもある。マラリアから身を守る為にも、蚊対策を講じるのは悪い事ではない。
「作ってみるか?蚊取り線香」
「あるのですね?きっと皆が喜びましょう!」
「そうだな。材料も山ほどある筈だしな。除虫菊と言うんだが」
……あれ?ゆきの反応が鈍い?
さっきはあんなに喜んでいたのに、何かあったのか?
「二郎様。除虫菊、とはどのような花なのでしょうか?菊、というからにはその辺りに咲いているとは思うのですが」
「花の大きさは、指で輪を作った程度。白い花びらが二十前後、中央は黄色い。至る所に咲いている、珍しくもない花なんだが?」
「申し訳御座いません。心当たりが……」
マジか?
あんな珍しくもない、空き地とかに勝手に咲いている花だぞ?
なのにゆきが見た事も無い?どういう事だ?
だが、それが事実なら蚊取り線香は作れない事になる。そうなると、他の方法を考えないとな。
「代案は……虫除けスプ、じゃなかった。虫除けの薬を作るか。そうなると、必要な道具を考案しないといかんな。明日には能登へ出陣しなければならんから、留守の間に作っておいてもらうか」
「新しい物が作れると分かれば、山が喜びましょう」
「そうだな。ん?」
今、脳裏に浮かんだアイデア。
何度か検討して、いけるかもしれんな、という結論に至る。
皆がマラリアから身を守り、そして武田家は潤う事になる。まさにウィンウィンの関係という奴だ。
「だが、その前にまずは食事だ。月に文若丸、花とも触れ合わねばならん。昼は暑くて執務にならんから、その時に考えるとするか」
「何かありましたら、お気軽にお申し付けください」
「ああ、そうさせて貰おうか」
永禄五年(1562年)七月、備前国、砥石城、宇喜多直家――
梅雨が明け、暑い季節がやってきた。
だが梅雨による雨と、肌を灼く陽射し。この二つがなければ、秋の豊作は期待できないのもまた事実。何より、この戦乱の世において、米は何よりも重要な代物である。
支配者たる者。常に国の事を考えねばならぬ。
民や家臣を飢えさせず、そして侵されず。この両立が重要なのだ。
「……所領が増えたおかげで、少しは余裕が出てきたようだが、安堵は出来んな」
「武田家の流儀、で御座いますな?」
「そう言う事だ。所領が増えたからと言って油断は出来ん」
下座にいる者達の中で、俺の悩みに気づいてくれたのは阿部善定。祖父(宇喜多能家)が討たれて一度は御家が滅んだ時以来、宇喜多家復興の為に支援をしてくれてきた商人。
銭勘定において、宇喜多家で最も優れていると言っても過言ではない。
「常備兵に人頭税。所領は増えても、台所事情は苦しい」
「ですが、武田家から離反は出来ぬでしょう」
「そう言う事だ。従来のやり方に拘って、武田家に滅ぼされるのは御免被る。それに常備兵の有用性は理解出来ている。百姓兵では足元にも及ばんわ」
武田家の常備兵の質の高さ。
大抵、百姓兵の強さは生まれ故郷によって左右されるものだ。武田家の出身地である甲斐国の精強さは、この日ノ本でも一・二を争うだろう。
だが常備兵は、様々な国の出身であるのに一様に強かったのだ。
これが普段からの練兵の成果であるというのだ。上からの指示にも従うし、形勢が不利になっても持ち堪えようとする。大将と言う立場から見れば、これほど頼りになる兵は存在しない。
「宇喜多家は武田家に従う。当面は支援を必要とするだろうが」
「そこはお任せ下さい。しかし、支援にも限界が御座います。何とかして、領内を富ませる必要が御座いますが」
「それが問題なのだ。さすがに失食を再開しようとは考えておらぬがな」
俺の言葉に、乙子城時代から俺に付き従ってくれて来た者達が、豪快に笑い声をあげた。
失食は、あの時には生き延びる為には必要な事であった。だが、家臣達にあのような惨めな思いはさせたくない。
だからこそ、俺は考えたのだ。
「まず阿部から借り受ける銭は、大半を内政に回す。油菜と木綿栽培を奨励し、阿部はそれを買い取って他国へ売りつけ、利益を上げるのだ。半分を借入金の返済に充てる」
「それは構いませぬが、軍備はどのようにされる御積りですか?常備兵は銭がかかりますが」
「我が宇喜多家の所領は、三千石程度。兵の数なら百といった所。そこで頭を使うのだ。皆にも協力してもらうぞ?」
知恵を使えば、この窮地は脱する事が出来る。
俺の自信に気づいたのだろう。平内(岡家利)、又三郎(長船貞親)、又左衛門(花房正幸)、平助(富川正利)達が期待に満ちた目を向けてきた。
ああ、お前達の期待には必ず応えるとも!
「まず常備兵は五十とする。足りない分は、攻められた時のみ百姓兵を集める。さて、ここで重要なのは攻め手だ」
「確かに殿の仰る通りですな」
「これについては又左衛門、其方に美作の三郎信之様の下へ使者として赴いてもらう。備前国内にある、亡き浦上政宗の所領。これを武田家に献上する代わりに、種子島を百丁戴きたく願います、と」
只でさえ少ない兵を、戦で減らすなど愚か者の所業。
これを解決するにはどうしたら良いのか?俺の答えは種子島だ。
ただ今の宇喜多家で種子島を購入するには、負担が大きすぎる。玉薬の事も考えれば、無理難題とすら言えるだろう。
「浦上政宗の旧領全てと種子島百丁。どう考えても種子島の方が安上がりよ。故に此度の策において、宇喜多家は所領追加を望まぬ代わりに、種子島百丁を希望するのだ」
「殿。種子島百丁を望めば、危険視されませぬか?」
「問題ない。種子島はいかに強力でも、百丁程度で三郎信之様が率いる兵二万を何とか出来ると思うか?数に物を言わせて踏み潰されるだけよ。故に百丁なら十分通る。もし駄目なら五十でも構わぬ」
浦上領を献上する事で、宇喜多家は更なる飛躍の為の力を蓄えるのだ。
武田家が浦上家を潰すのは可能だが、それをやれば兵に損耗が生じる。何より刻がかかるし、伏兵に背後を衝かれる、という不測の事態も考えられぬ訳でも無い。
ならば兵を損なう事無く浦上領を入手できるのなら、武田家にとってそれは最上と言えるのだ。
「平内、其方には重要な役目を任せる。其方には件の浦上家へ使者として赴いてもらう。針の筵ではあるが、それは堪えて貰いたい」
「構いませぬとも。それで、某は何を伝えれば?」
「此度の宇喜多家への本領安堵の件についてだ。まず本領安堵に関わらず、宇喜多家の所領が増えたのは、こちらとしても理解の範疇外である。しかし、亡き遠江守(浦上宗景)様に献策した策が成就しなかったのは、提案者である私に罪がある。故に、三つの事をお伝えしたい、と」
兵を用いず、策で浦上家を物にする。
この策、見抜けるか?
「一つ、宇喜多家当主八郎直家は出家して、二度と宇喜多家に関わらぬ事。二つ、妹を浦上家当主、与次郎(浦上宗辰)様の側室として浦上家に差し出す事。三つ、宇喜多家所領は浦上家に全て委ねる事。ただ家臣には罪が無い為、慈悲を乞う、とお伝えするのだ」
「殿!?」
「浦上家を武田家から守る事は叶わぬだろう。某も武田家の三郎信之様に何度も遠江守様の無実を訴えているのだが、未だに理解を得られておらぬ。これは某の実力不足が原因。某は浦上家を守る事が出来なかった。恥じ入る他は無い、某のような役立たずでは浦上家を守れぬのだと痛感せざるをえなかった、と」
あとは平内の演技次第。
この役目に平内を選んだのも、その齢が理由。齢を経ていれば、それだけ交渉ごとにも長じるし、騙す術にも長けるものだ。
「平内。重要なのは、私が三郎信之様に目通りが叶う立場である事。そして、その立場を放棄して出家しようとしている事を浦上家に悟らせる事にある。狙いは分かるな?」
「殿に武田家に対する仲介役を任せる為、出家を思いとどまらせるように仕向けるのですな?」
「そういう事だ。そうなれば、自然と与次郎様への目通りが叶う事になる。名目上だけでも、手打ちは必須となろう」
浦上家としても、武田家に『敵対』している現状は何としても解決しなければならない大問題。
その為の伝手として私を使う事が出来ると気付けば、何としても手元に引き込もうと考えるだろう。
何せ、宇喜多家は本領安堵で所領が増えた御家だからな。どう考えても武田家の覚えが目出度いと思われている。だからこそ、私の利用価値に信憑性が増すのだ。
「ここが踏ん張りどころだ。皆で堪えるぞ!」
「「「ははっ!」」」
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは加賀国。主人公視点より。
【髭剃り】
戦国時代は髭は『抜く』のが常識、との事。なので無精髭生やしているのは、普通だったそうです。全部抜くなんて無理ですから。
【月代】
月代を日常的に剃るようになったのは、戦国時代からとの事。
それまでは『抜いて』いたそうです。狂気の沙汰w頭髪ぬいて炎症起して、兜被ったら痛かった、という話があったそうです。
月代を剃るのは、普通は戦の時だけ。
それが日常になった場合、流行の発信地は?と考えたら、まあ畿内かな?と。
【マラリア】
戦国時代は瘧、という名称で知られていました。
ただ主人公はマラリアだけを気にしてますが、日本脳炎とかもあるんですよ。
【除虫菊】
れっきとした外来種。史実では19世紀後半に日本へ入って来たそうです。
戦国時代に見かけられないのは当たり前ですw
ちなみに原産地は東欧w
次は備前国が舞台。宇喜多直家視点より。
【所領の増加】
1000石→3000石になりましたが、まだまだ厳しいのが現実。
【阿部善定】
宇喜多家復興を支えた商人。この人の娘?が直家の父親の側室になったりしてます。
時系列的には、夫婦息子揃って阿部家に匿われ、夫がその家の娘を側室にして……嫁さんは肩身が狭いというか、何というか……
【失食】
宇喜多家黎明期に、直家さん主導でお金を捻出する為に、定期的に丸一日、食事をしなかったイベントの事です。
これを一緒にやったのが、宇喜多家古参の臣。
【種子島百丁】
直家さん、色々考えてます。
この人、家臣に対しては面倒見が良いんですね。
【浦上家への策】
色々考えてますw
兵が足りないなた策で。恨まれているだろうから、そこを何とかしつつ、と言う所。
ちなみに宗景さんが討たれてから、まだ2ヶ月ぐらいです。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




