謀略編・第十八話
謀略編・第十八話更新します。
今回は十七話の騒動の余波(前編)になります。
舞台は山城国と因幡国です。
永禄四年(1561年)十二月、山城国、京、土御門洞院殿、山科言継――
「……以上が、臣が調べて参りました、此度の騒動についての報告でおじゃります」
主上から命じられた、洛中の騒動についての調査。その中心人物がお気に入りの婿殿であると知った主上は、大層、お気にかけておられた。
御簾の向こうにおられる主上は……崩れ落ちておられた。
やはり笑いが止まらなくなられたのであろう。こうなる事は分かってはいたが。
周囲を見回してみれば、同席されていた殿上人達は、皆揃って顔を隠していた。
皆、笑いを堪えるのに必死なのであろう。それでも漏れ落ちる笑い声が聞こえてくる。
「此度の件につきましては、加賀守(武田信親)殿の祖父である左京大夫(武田信虎)殿を始めとして、二条御所の太閤(近衛稙家)殿下、慶寿院殿、兵部大輔(細川藤孝)殿にも確認を取っておじゃります。報告内容に間違いはおじゃりませぬ」
「ご、権大納言(山科言継)……よく笑わずに……いられるな……」
「臣も牛車の中で散々笑いました。おかげで二条、いえ、等持院で殿下や慶寿院殿に不快な思いをさせずにすみました」
面と向かって笑った日には、間違いなく御二方は不愉快さを感じられるはず。
仮にも公方は殿下にとっては娘婿であり、慶寿院殿にとっては実の息子なのだから。
その公方が結果として笑い者になっては、不愉快になるのは人として当然。それを咎めるつもりは、儂には無い。
「二条御所の修繕が終わるまで、公方は近臣達と等持院で寝起きするとの事でおじゃります。兵部大輔殿が政所執事である伊勢守(伊勢貞孝)殿の屋敷に一時的に避難できぬか相談したそうですが、あまり芳しくはないとの事でおじゃります」
「政所執事も、今の公方とは距離を置きたがっておるようだな……権大納言。此度の騒動が、どのように日ノ本に影響を与えると見ておる?」
「足利の権威は失墜致します。また武田と足利の間に、亀裂が生じた事は明らかでおじゃります。今後、日ノ本の者達は武田と三好につくか、あるいは公方を神輿として両家に敵対する事を選ぶか。そのどちらかを選択する事になる。臣はそう判断いたしておじゃります」
あの公方の事だ。今は静かだが、春になれば動き出そう。
そうなれば武田・三好を討て!と日ノ本中に文を出すのは明らか。その有力候補となるのが、越後の長尾、摂津の本願寺、九州の大友、山陰の尼子になる。
ただ越後の長尾については、太閤殿下が関白殿下を通じて、事実を報せると仰せになられていた。となれば、長尾がいきなり動くという事は無いと思うのだが。
「そもそも、事の始まりである能登の件に関しても、公方の勇み足でおじゃりました。本願寺からの報せによれば、能登の治政の悪化は加賀守殿の策謀の疑いがある。故に公方から能登畠山に対して、善政を敷くように伝えてほしい、という内容であったとの事」
「あくまでも疑いであるという事か」
「仰せの通りにおじゃります。そして此度の騒動において、公方が武田家に喧嘩を売った事になります。対して加賀守殿は公方に対して『誰が御身をお守りしたのか。それを良く考えられよ』と言い残して去ったとの事。臣はこの言を『警告』と捉えておじゃります」
周囲がざわつき始める。恐らく、武田が足利討伐に動き出すと判断したのであろう。
だが儂の考えは違う。
「武田が足利を、公方を討伐するのか?権大納言」
「いえ、それは無いと臣は考えておじゃります。加賀守殿は知恵者であり暴君。もし足利を取り除くと判断したのなら、警告などせずに問答無用で攻めます。しかし、わざわざ警告した。それは加賀守殿には公方を弑する気が無いという事。だが率先して自ら助けるつもりも無いという事でおじゃります。であれば、公方の身に危険が迫っている、という最後の忠告ではなかったのか?加賀守殿はその危険を悟ってしまったのでは?臣はそう感じました」
「では三好が動くと?だが今まで公方を見過ごしてきた修理大夫(三好長慶)が、この時になって動くとは、朕には考えられぬな」
それは儂も同感だ。
修理大夫殿は温厚な御仁。敵対者であっても殺しはしない。人によっては甘いと断じるだろうが、そういう御仁だからこそ動く事は無い。
加賀守殿は敵対者には冷酷非情。だが大義名分もなしで、公方を討ったりはしない。それをすれば、日ノ本中の親・足利の大名達を同時に敵に回すからだ。長尾が率先して加賀へ攻め込み、関東の北条もこれ幸いと駿河に攻め込む事も考えられる。
そんな危険を冒すほどの価値を、加賀守殿は公方の首に見出してはおらぬ筈。
「臣にも分かりませぬ。これが単に『身を慎んで謙虚になれ』という、純粋な忠告であれば、何も心配は要らぬのでおじゃりますが」
「朕には全く分からぬな。権大納言、加賀守と連絡を密にして、武田家の動向を探るように。武田が足利を滅ぼすとは思えぬが、念には念を、だ」
「御意におじゃります」
永禄四年(1561年)十二月、因幡国、鳥取城、武田信繁――
雪が静かに降り積もり、屋根や木を白一色に染め上げていく。
この光景が春まで続くのか。二郎(武田信親)が四月までの分の兵糧を運び込ませてくれたおかげで飢え死にする心配は欠片も無い。三月から再び、補給が始まる事になっているからだ。
だがこの地で年を越すにあたって、兵達にも何か特別な物を振舞ってやりたくもある。
年に一度の正月なのだ。少しぐらい贅沢をしても、罰は当たるまい。
そんな事を考えながら甥であり、御屋形様でもある太郎(武田義信)の所に向かうと、そこには太郎の守役である兵部少輔(飯富虎昌)殿と、村雲党党首である光三郎(満興)が集まっていた。
三人とも腕を組んで考え込んでいるようだな。
「如何なされました?」
「叔父上(武田信繁)!京の御祖父様(武田信虎)から、叔父上宛てに急使が来たのです」
「父上から?中身を見ておられないのかな?」
それでか。このような時季に急使とは、余程の事が起きたと判断すべき。すぐに確認せねばならんな。
「叔父上宛てですから」
「然様で御座いますか、では失礼ながら確認を」
文を受け取り、板敷に腰を下ろしながら内容に目を通す。そして俺は、勢いよく額を板敷に打ち付けていた。
……痛い。何をしておるのだ、あの甥っ子は!
「お、叔父上!?よほどの凶報か!?」
「きょ、凶報では無い。いや、ある意味、凶報と言えなくも無いか?いや、今更公方様に睨まれたところで、痛くも痒くもないが」
百聞は一見に如かず。その言葉に従い、俺は文を太郎に手渡した。
太郎は天を仰いでいた。
兵部少輔殿はあんぐりと口を開けて、放心していた。
光三郎は小さく噴き出した後、無理矢理真面目な表情を取り繕った。だがな、光三郎。太腿を抓っていてはバレバレだ。
「誰か!ほうじ茶を四人分、持ってきてくれ!」
少し話をしなければならんだろうな。茶で暖を取りながら話をするとしよう。
その間に考えを纏めておくとしようか。
文は父上からだが、文自体をここへ届けるように指示をしたのは二郎だという。ならばそこに意味がある筈だ。
運ばれてきたほうじ茶で一息つく。やはり寒い日には、ほうじ茶は最高の御馳走だ。
「さて、少々真面目な話を致しましょうか。この文を二郎が届けさせた思惑についてで御座います」
「叔父上には、理由が分かっているのですか?」
「ある程度はな。目的は尼子領内に流す事だろう」
我らのいる因幡国。そこに接する美作国と伯耆国。更に西には出雲国と石見国。全て尼子領になる。
そこに此度の騒動の報せが届けばどうなるか?
「支配者の尼子がどれだけ声高に叫ぼうが、武田と矢面になって戦う民にとっては迷惑以外の何物でもないでしょうな。天神様の加護を持つ皆殺しの信親が相手なのか?と」
「しかし叔父上、二郎はおらぬ、ああ、そうか。旗だけ使うのか」
「然り。春になったら使いを出して、三郎に鏖の旗を掲げてから、こちらに来るように伝えておくのだ。そうすれば尼子勢は皆殺しの信親が出陣してきた、と判断するだろう。これにより、敵を揺さぶる事が可能になる。越前の兄上から報せのあった浦上の策。これと此度の流言を組み合わせれば、分かるな?」
実際に攻め込むのは、我らと交代でやってくる三郎(武田信之)の駿河勢を中心とした軍勢になる事も聞いている。そこに鏖の旗が翻っていたとしても、二郎が攻めてくるのはおかしいと思われる要素は無い。より遠くの駿河勢が来たのに、加賀勢が来られない理由はないからだ。
そして備前・浦上の策通りに備前の兵が逃げ出せば、尼子と美作の浦上勢も気が気でなくなる。臆病風に吹かれて、尼子・浦上の百姓兵が率先して逃げ出す事は十分に考えられる。
「ただ三郎率いる駿河勢がここに来るまで、移動だけでも最悪、一月はかかると見ておいた方が良い。兄上からの文によれば、三月下旬に越前を出立できるように兵を集めるという事であったが、途中で何も起こらぬとは断言できぬ。鳥取城に到着するのは四月半ばを過ぎるという最悪の事態もありうる。故に美作に攻め込むのは四月から五月にかけてと見ておくのだ。光三郎、流言を仕掛けるにしても、この時季では厳しかろう?」
「はは、仰せの通りで御座います。今でも出来なくは御座いませぬが、流言の効果を四月から五月にかけて求めるのであれば、雪解け後に仕掛けるべきかと存じます」
「であろうな。あとは時をいかにして稼ぐか?だ。こちらが攻め込むのを最悪の五月と仮定すると、尼子が種まきを終えた百姓兵を集めて、美作に結集。五月までまだ一月はあると見ておいた方が良い。その時を上手く稼がねば、逆に因幡に攻め込んでくるであろう。分かるな?」
そうなると面倒な事になる。ならば、どうするか?
二郎はその点も考えて、此度の騒動を報せたのだろう。
「国境に牽制の兵を出して、攻め込むぞ?と圧をかけるのも手ですな」
「兵部少輔殿の案にも一理ある。睨み合いに持ち込み、時間を稼ぐのは常套手段。ただ俺は他の手も打つ。光三郎の流言工作を更に一歩進めて、百姓を山へ逃げ込むように仕向け、兵の徴発が上手くいかぬようにしてやるのだ。そうなれば尼子も馬鹿では無い。周辺諸国の兵が十分に集まるのを選択するだろう。自分達の方が劣勢の状態で攻め込んでくるほど馬鹿ではあるまい」
「であるのならば、周辺諸国にも流言工作を仕掛けるべきでは?叔父上」
確かに太郎の申した通りではある。まずは尼子領全て。浦上のいる備前。動向がいまだに不明瞭な備中・播磨。
この辺りは必須になるだろう。特に備前の浦上は、多くの兵を引きつれて尼子に合流するという建前だ。
それが遅れれば、尼子としても血気に逸って攻め込もうとは考えんだろう。加えて、こちらがすぐに動かぬと物見から報告があれば、これ幸いと待ちに徹するだろうな。
「叔父上。念の為に確認を。万が一、尼子勢に攻め込まれた場合についてです」
「その時は籠城する。三月になれば、二郎が手配した補給網によって、兵糧が運び込まれるからな。すぐに飢えるという事は無い。加えて、三郎が来れば城を取り囲む尼子勢を挟み打ちに出来る。兵数もこちらが上。慌てる事無く潰せばよい。何も心配はいらん」
「そうなると、こちらが用心すべきは中途半端に兵を引きずり出される事になりますか?敵も馬鹿ではありません。城に籠れば、何とかして引っ張り出そうと目論むはず」
太郎の言には頷けるものがあるな。
兵の練度と質において負けるつもりは全くない。だが、それに油断していては、痛い目を見る事になるだろう。
今更ではあるが、籠城中に自分達で食料を確保しておくというのも良かったかもしれんな。自分達で収穫できずとも、応援で来た兵が食せるのであれば、それは武田家全体に利する事になる。越前に帰ったら、二郎に話をしてみるか。
何か良き案が出てくるかもしれん。
「攻め込まれた場合については、とりあえずはその方針で良いだろう。話を戻すぞ。まず尼子以外では最優先で備前に流す。これは備前の浦上が持ち掛けてきた此度の策が、武田家を謀る為の物であった場合、その謀りを食い止める事にも使えるからだ。人というのは、誰もが二郎のように神仏を信じぬ訳ではない。寧ろ、大半が神仏を信じているものだ。であれば、天神様の加護を受けた二郎相手に、裏切りを仕掛けて良いのか?と考えるだろう」
「叔父上も二郎のように神仏を信じておられぬのですか?」
「いや、俺は信じておるぞ。朝夕と仏様に祈っておる。武田家で神仏を信じておらぬのは二郎と直属の者達ぐらいであろう。他には強いて挙げれば道鬼斎(山本勘助)殿ぐらいではないかな?詳しく聞いた事は無いが」
よく、二郎は平気でいられるものだ。
俺もそうだが、兄上ですら出陣前には神仏に祈りを捧げて御加護を願うのが当たり前。兵の士気向上にも繋がるのだ。やらぬのは損と言える。
だが二郎はそれをしないと聞く。
『神仏がいない事を公言している私が御加護を願えば、指を指して笑われましょうな』
『勝つために全ての手は打ち終えている。勝利を拾いに行くぞ』
これで長島と加賀を奪い取っているのだから大したものだわ。直属の者達が二郎を崇めるようになる日がやってくるのも、そう遠くはないかもしれん。
「二郎は神仏がおらぬという考えを、他人に押し付ける事はせんからな。加賀にも御仏の教えに熱心な者はいると聞く。戦の前に御加護を願う者もな。ただ二郎はその者達を咎めたりはせぬ。やる事さえやりきれば、あとは好きにせよ、という事なのだろう」
「家臣の身としては有難い限りですな。御本家でも美濃守(原虎胤)殿の一件が御座いました故」
「兄上が改宗を迫って、美濃守殿が二郎の与力となった時だな。あの時は、兄上もさすがに失敗した、と後悔しておられた」
信仰というのは、実に厄介な物だ。良い面もあれば悪い面もある。
それをどう利用するか?二郎はその点を冷静に見極めているのかもしれんな。
「これで雪解け後の基本方針は決まったか。三郎が来るまでに仕込みを済ませておく。あとは来たら交代して帰国すると」
「三郎達が来ても、少しは留まっておいた方が良いとは思うがな。伯耆から留守を突こうとして、軍勢が来ないとも限らぬ」
「それも御座いますな。であれば帰国は五月から六月という所。園の婚儀には余裕で間に合うか」
さすがに愛娘の婚儀に参加ぐらいはしたいだろうな。一人の父親として、その気持ちはよく分かる。
浅井勢が参戦したとしても、夏には帰国を許可されるであろう。
ならば一緒に帰国したとしても問題は無い。舅と婿として、関係を構築するのは悪い話ではないしな。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは山城国、山科言継視点より。
【主上悶絶】
御所巻もどきの一件の報告を受けて、笑い死に寸前です。そりゃ自分が買っている娘婿(婚約中)がこんな事を仕出かしたら笑うしかないw
【牛車の中で笑い死】
前話の最後で牛車に呼ばれた信虎御祖父ちゃんから聞き出して、笑い死にしかけております。もし何も聞かずに二条御所or等持院へ向かっていたら面倒な事になっていたでしょうね。
【伊勢邸お断り】
応仁の乱の頃?室町邸が焼けおちた時に、当時の伊勢邸に公方が避難してきた事があったそうなので、その前例を頼って、という感じで藤孝さんがお願いしに向かったんですが、貞孝さんは公方と関わりたくないのでノラリクラリと言った感じ。
だって公方の命を狙って伊勢邸に攻め込まれたら、貞孝さんまで殺されかねないですからね。
【日本二極化】
武田・三好陣営と足利将軍家陣営。
それでも少し地方に行けば、足利将軍家に忠誠を誓う、或いは利用価値を見出す者達は、意外に多い時代。特に軍神様と石山が足利陣営に着く以上、そちらに着こうと考える者達もおります。
【警告】
言継さんは色々考えておりますが、正解は最後の謙虚になれよ、です。
実は主人公、永禄の変を知りませんwだから藤孝さんしかいない、裸の王様のままで大丈夫なの?とりあえず慶寿院の顔立てて今日は退くけど、裸の王様のままなら家臣に見放されて野垂れ死ぬだろう、と言うのが主人公の考え。
なので武田の看板に傷がつかないのなら、公方を見殺しにする事も視野に入れてます。絶対にバレない自信があれば、動くかもしれませんが。メリットないんだよな。
【武田が足利を討てば】
長尾が越中・加賀へ攻め込み、北条は火事場泥棒的発想で駿河侵攻かな?という感じ。
大義名分は利用できる限りは、利用し尽すべき物です。
次は因幡国、信繁叔父さん視点より。
【額ごっつん】
鳥取城でも被害発生w
【尼子領に流す】
今回の御所巻もどきについて噂を流せば、上が幾ら煽動しようが、下は動きたくないというのが本音と言う状態で戦場に立ちます。そこに天神様によって守られたという噂の皆殺しの信親がいたら?
普通の百姓兵なら逃げ出しますね。
【時間稼ぎ】
作中の十一月(一乗谷に宇喜多さんが来た時)の時点で、信玄パパが指示を出してます。三月下旬に越前を出立できるように準備をさせておく、と言う物。要は三月頭の時点で駿河出発。遠江や尾張兵も合流。飛騨経由で越前へ。そこで信之君が合流して、そのまま山陰へという流れ。
でも距離もあるし、何があるかも分からんので、信繁叔父さんは最悪の事態も考えて時間稼ぎの策も考えてます。
【備前・浦上家の合流を遅らせる】
時間稼ぎとしては有効ですね。大軍を引き連れていくのが前提なのに、集まらないから待って、となれば美作勢も足を止めるしかないですから。
【籠城中に食料確保】
次の内政ネタw既に腹案はありますが、意外に歴史が浅い事に驚いた。
実は作者、この食べ物美味しくて好きなんです。
【神の加護】
戦国時代だと常識ですからね。それをガン無視している主人公が異常。
信長ですら出陣前に加護を願ったり、ゲン担ぎをしたりしてるんですから。
【園の婚儀】
そりゃ出席したいでしょうね。当たり前です。
そんな単身赴任中の義信お兄ちゃん。




