雷鳴編・第十六話
雷鳴編・第十六話、更新します。
今回は筑後国と豊後国が舞台になります。
永禄八年(1566年)十二月、筑後国、妙福寺、戸次道雪――
数日前の事だった。左少将(大友宗麟)様が筑後で降伏した、との報せが武田家より届いたのは。
当然だが、家中の者達は誰一人として、その報せを信じようとはしなかった。儂も左少将様を信じていたからこそ、素直に鵜呑みにはしなかったのだが……流石に孫次郎(戸次鎮連)の態度には顔を顰めてしまったのだ。
激高の余り、その場で腰の物を抜き放ったからだ。顔は怒りと屈辱で真っ赤に染め上がり、まさに鼻の低い天狗と言って良いような有様。とは言え、使者を斬り殺すような非礼を許される訳では無い。故に、儂はすぐに動いたのだ。
『止めよ!軍使を斬り殺すような真似をしてはならぬ!太刀を納めよ!』
『で、ですが!こ奴は左少将様が降伏した、等と侮辱するような事を』
『座れ!儂の命が聞けぬと申すか!』
孫次郎はギリイッと音を立てんばかりに歯を噛み締めた後、太刀こそ静かに納めたが、事更に音を立てて腰を下ろしたのだ。いや、あれ程の音だと下ろす、よりは落した、の方が良いかもしれぬがな。
まあ、その気持ちは分からなくもない。加えて寝不足が祟っているのだ。常とは違って激昂し易くなっているのは、儂も自覚はしている。だからこそそれ以上、孫次郎を叱責する気にはなれなかったのだ。正直に申せば、儂もまた、肚に据えかねる部分が有ったのは事実だからだ。
とは言え、非礼を正さぬ訳にはいかぬ。今後の事も考えれば、過ちは正さねばならぬからだ。かと言って、儂の態度を根拠に、武田家が優位に立つような事を許す訳にもいかぬ。全く、寝不足で頭が回らぬと言うのに、面倒な事になったわ。
『孫次郎、そして皆も良く聞け。其方達の腹立ちは儂も感じておる。だが、だ。ここで怒りに任せて動けば、きっと亡き越前守(角隈石宗)殿が、情けなしと嘆かれるであろうな。一時の怒りに身を任せて、大局を見つめぬような者達であったか、と』
『も、申し訳御座いませぬ!』
『良い。繰り返すが、その怒りは儂も感じておる所なのだ。怒りを感じるな、とは言わぬ。腹の内に止めよ』
皆の前で叱責されると、人は屈辱と捉える事も有る。だが孫次郎はそのような愚か者に育てた訳でもないのだ。これで儂に恨みを抱くような事は無い。何より、儂自身も怒りを感じておるが我慢しているのだ、と知らしめたのだ。ここまで言えば、孫次郎も頭を冷やして落ち着いてくれるだろう。
そして儂は改めて軍使に目を向けた。
儂の叱咤は、武田家からすれば儂らが非を認めた、と受け取って来てもおかしくないからだ。故に、ここで立場を維持出来るように立ち回らねばならぬ。
軍使はまだ若かった。年の頃は二十を超えるかどうか、と言った所。
顔は柔和だが、これだけの事があっても顔色一つ変えず、堂々と胸を張って儂を見つめて来ていた。
……胆力は十分。そして使者に選ばれたのだから、頭の方も回るのだろうな。刀槍の腕前は分からぬが、体の肉付きは十分。余程、日々の鍛錬に余念がないのだろう。他家の若武者ではあるが、つい儂自身の手で育てたくなってしまう程だ。
『信濃目(武藤喜兵衛)殿、貴殿は左少将様が降伏された、と申された。だが、それが事実であるとは、誰にも断言出来ぬ。分かるであろう?確かに文はあるが、書き手は右筆。花押も誤魔化そうと思えば、幾らでも出来る。それだけの時は有ったのだからな』
『伯耆守(戸次道雪)殿の仰せの通りで御座いますな。確かに武田家には、左少将殿から他家に送られた文を手に入れる機会は御座いました故。御疑いになられるのは当然の事であると存じます』
『……認めるのか……』
……やり難い。ここで素直に認めてくるとは……
年若いのだから、圧してやればムキになるか慌てるか、その二択だと見ておったのだが、こ奴は柔らかく受け流すようにしてきおった。
その目的は……恐らくはこちらの敵意を刺激しない事。敵意を減らす事か?見た目とは違って、老獪さを感じるわ。
『某、武田家筆頭軍師を務めておられる太宰大弐(武田信親)様には、幼い頃から目にかけて戴きました。故にこそ、太宰大弐様から伯耆守殿の為人については色々と聞かされております。伯耆守殿は知恵ある剛の者。曲がった事を嫌う為人である、と。ならば、謀る事なく素直に当たるべきであると考えました』
『……真か?……いや、虚言を申しておるようには見えぬな……』
『真で御座います。こちらも御改め願いたく存じます』
信濃目殿はここへ持参してきていた白絹に包まれた、棒状の物を儂に差し出してきた。それを孫次郎が儂の代わりに受け取り、儂に差し出してきた。
……それにしても、まさか太宰大弐殿の弟子であったとはな。かの御仁に目にかけられたのであれば、年に見合わぬ老獪さにも納得がゆくわ。
そんな事を思いながら、棒状の物を受け取る。重さからして、これは脇差であろうな。絹を払ってみれば、やはり出てきたのは脇差……これは!
『信濃目殿、失礼する。改めさせて戴きたく存ずる』
『心得ました』
『……』
脇差を念入りに改める。見目だけなら、間違いなく左少将様の脇差に間違いない。
だが、これだけで信じるのは愚の骨頂。
左少将様の物に勝手に手を出すのは無礼極まりない事ではあるが、今は仕方がない。目釘を抜き、柄を茎から外す。刀身の柄に刻み込まれているであろう、刀鍛冶の名を確認する為に……
『……分かり申した。降伏致そう』
『父上!?』
『孫次郎、間違いないわ。この脇差は、左少将様の物だ。それに……』
腹を切ったのあれば、拭ったとしても僅かな汚れや曇りは残っておる筈だ。
しかし刀身に映る儂の顔に小さな歪みも無い。
となれば、この脇差は腹を切っておらぬと見て良かろう。それに、こちらを謀らずとも、力攻めで鎧ヶ岳城を攻め落とす事も出来るであろうしな。将はともかく、兵はもう寝不足で役立たずなのだ。
『信濃目殿、左少将様はいずこにおられる?御無事をこの目で確認したいのだ』
『筑後国の妙福寺におられるとの事で御座います。此度の戦で命を落とされた家中の方を弔っておられるようで御座いますが』
『そうか……忝い。今から城を明け渡すとしよう』
一度、決めてしまえば後はアッサリと済んでしまった。兵達はやっと眠れる、と至る所で横になって貪るように眠りだす。将はそれでも起きていたが、武田の将兵が無体な事をしないと悟ると、将達も柱にもたれて眠りに就いたのだ。
儂も含めて皆が心労でやつれていた。仕方あるまいな、と思いながら儂も久方ぶりに一眠りする事が出来た。目を覚ました後、儂はすぐに筑後へと赴いた。早く、左少将様の御無事をこの目で確認したかったからだ。
音攻めから解放された儂は、移動の間も十分な睡眠を得る事が出来た。幸い、飢える事だけは無かった為に、睡眠さえ取れれば体調を回復させるのは難しい事でも無かった。
そして月が変わり、十二月に入った所で左少将様がおられる妙福寺へと到着し、御目通りを願い出たのだが――
「今更、何のつもりで来たのだ、道雪」
そこにいたのは、激怒した表情の左少将様であらせられた。誰も引き連れず、只一人で、だ。
腰の物こそ外しておられるが、御召しになられている衣装は大友家当主に相応しい代物である。顔色も良く、武田家が左少将様に対して礼儀を守っている事も一目で理解出来た。
ただ、問題なのは御怒りであらせられる事。そして、その矛先は間違いなく、儂へと向けられていたのだ……当然の事であるな。儂は武田家を食い止める事が出来なかったのだから。故に、儂は素直に非を認めて御詫び申しあげたのだ。
「道雪、其方、西には兵を進ませぬと申しておったな?」
「申し訳御座いませぬ。某の実力不足に御座いました」
「ふざけるな!儂はな、其方の事を信じておった!其方の諫言は厳しくはあるが、それも儂を思っての事!それが理解出来ぬほど、儂は愚かではない!だから其方の言にも耳を傾けてきた!」
左少将様?
左少将様が御怒りになられているのは間違いない。その声の端々にも、怒りが感じられる程なのだ。
ただ気になるのは、その両目。眦から、止めどなく流れる落ちる雫――
「何故裏切った!伊予守(吉弘鑑理)はな、最後まで其方の事を信じておった!必ず、必ず道雪が来てくれる、と!民部大輔(田原親賢)はなあ!儂を守る為に、殿を、殿を務めて、儂の代わりに!お、おおおおおおおっ!」
「御待ち下さいませ!某は裏切ってなどおりませぬ!」
「ならば!どうして其方と武田勢はほとんど戦っておらんのだ!儂が知らぬとでも思っておるのか!神屋が其方の鎧ヶ岳城に兵糧を入れる事を、武田が認めておった事を!矢合わせばかりで、まともに戦っておらぬ事を!」
それは……思いもかけない叱責ではあったが、確かに仰せになられた事は事実に間違いない。敢えて申し上げるなら、矢合わせばかり、という言葉だけは違う。失敗に終わりはしたが、奇襲攻撃を仕掛けた事も有ったのだから。
だが、それは言い訳に過ぎぬ。そもそも武田家の足を止める事を左少将様に誓ったにも関わらず、儂は結果を出せなかったのだ。
ならば、儂は非を認めねばならぬ。武田家に対して、もっと早い内に攻め手に回るべきであったのだろうな。例え、数の差でこちらが全滅したとしても、だ……
「それだけではない!儂が隈本城を追われて以降、儂らは飢えと戦いながら交戦し続けてきた!だが、其方はしっかり飯を食らっていたのであろう!儂らのように、飢えに苦しんでいたのか!」
「左少将様……」
「其方どう見ても、壮健その物ではないか!違うというのなら申してみよ!」
その言葉に、儂はハッとした。
これが武田家の目論見だったのか?まさか左少将様と儂に対する離間の計!?不眠は暫し眠れば解消できるが、飢えてやつれた体は簡単には回復しない。どうしても時を要する。故に鎧ヶ岳城に対しては、兵糧攻めはせずに音攻めを……いや、だが一年半もかけてまで?あれ程の兵を鎧ヶ岳城包囲の為に遊ばせ、その為にどれだけの兵糧を使い続けてきたと言うのだ……
正直、信じられぬ。だが、そうとしか考えられぬ!
「考えてみれば、最初からおかしかった!其方は所領を削り続けて抗戦を主張してきた!それを鵜呑みにした、儂が愚かであった!武田勢は其方を殺さぬように戦っておった!大友家当主として、もっと誇り高く戦うべきであったのだ!そうしておれば……いや、これ以上はもう何も言うまい。御家を滅ぼした愚かな男には、似合いの末路よ」
「違います、左少将様!」
「下がれ、道雪。二度と儂の前に姿を見せるな。儂は一万石の領地で出直す事を決めた。だがそこに、其方の居場所は無い。豊後守(武田信之)殿も其方の領地には手を着けるつもりは無いと申しておる。良かったな、道雪」
左少将様が冷たい目で儂を見下ろし、無言のまま、足早に去ってしまわれた。
儂は裏切ってはおらぬ。だが武田の思惑を読み切れなかった愚か者ではあった。
……この愚か者に出来る事は、一つしかない。それをもって御詫びとさせて頂く。左少将様への御目通りは二度と叶わぬが、それは儂への罰として受け止める。
幾分、気落ちしながら儂は部屋を出た。
そして縁側を歩いていると、儂を呼ぶ声。
そこにおったのは、左少将様に共に御仕えしていた同輩。皆、少々痩せこけていたが、壮健そうなのは不幸中の幸いか。そして声をかけて来られたのは、一番前にいた越中守(臼杵鑑速)殿であった。
「御久しゅう御座る、各々方。まずは御詫びさせて戴く。某の非力さ故に、大友家を御守り出来なんだ。全て某の責だ」
「伯耆守殿。これから如何なされる御積りか?」
「……恥を濯ぎに参る所存。某は二度と左少将様に御目通りが叶わぬ。だが、左少将様への忠義に変わりは無い。故に、最後の御奉公に参る」
儂に出来る事が一つだけある。
それは我が所領を左少将様に御返しする事だ。
これは儂の無能さという罪を償う行為であると同時に、大友家を再興させる為の最初の一手。それが叶えば儂は……腹を切ろう。
「御待ち頂きたい。亡き越前守殿も、亡き伊予守殿も、亡き民部大輔殿も、伯耆守殿を信じておられた。そして伯耆守殿は、言い訳せずに左少将様の叱責を受け容れておられた。某は御三方の目を信じる。この場にいる者達、全てが同じ思いなのだ」
「……忝い、各々方。だが、今の某に出来る事は一つだけ。故にこそ、恥を忍んで御願い致す。某の分まで、左少将様を御守り願いたい。その為に某は大友家再興の為の礎となろう」
「伯耆守殿!」
これ以上は堪えられぬ。儂を信じてくれる同輩の眼差し、そして儂を気遣ってくれる優しさは、今の儂にとっては刃でしかなかったのだ。
今ほど、儂は他人に顔を見られたくないと思った事は無かった。
だが、思い直す。それも腹を切るまでの辛抱なのだ。そう思えば、少しは気が楽になった気がする。
寺を出た儂は、すぐに馬に乗った。向かう先は豊後国、丹生島城。二年前まで左少将様が居城とされた地。
ひたすらに馬を駆けさせる。丹生島城までの距離、およそ二十五里。それも山道だ。だが成し遂げねばならぬ。それこそ儂にできる最後の忠義。
喉の渇きも、腹の虫も、今の儂には何も齎さぬ。寧ろ、不甲斐なき儂に対する罰と思えば、心地良さすら感じる程。
道中、刀を寺に預けたままだった事に気づいたが、今から取りに戻る手間も惜しい。そのままひたすら、夜を徹して馬を走らせる。
途中で馬が潰れかけた為、やむを得ずに休憩を取らざるを得なくなった。一刻ほど休み、再び馬を走らせる。
残り五里といった辺りで、馬が泡を吹いて倒れてしまった。仕方ない、覚悟を決めて己の足で走る。儂は左足が不自由だが、動かせぬ訳では無い。それに走れぬのなら歩き、歩けぬのなら這ってでも向かうだけだ。
丹生島城についたのは、妙福寺を出て三日目の早朝だった。
「頼む、太宰少弐様に御目通りを!」
恐らくはズタボロになった儂を見て、門番は目を丸くしていたのだろう。だが、そんな事はどうでも良い。儂の事などどうでも良いのだ!
「我が名は戸次伯耆守道雪!主、左少将宗麟様の為に、御目通りをお願い致す!」
永禄八年(1566年)十二月、豊後国、丹生島城、武田信繁――
「しかし、本当に来るとはな。休むように申しておいたが、それよりも早く御目通りを御願いしたい、左少将様を御助けしたいのだ、と」
「二郎(武田信親)兄上が高く評価される理由が、分かったような気がします。叔父上(武田信繁)もそうですが、この場にいる者全て、道雪殿に対して悪い感情を持ってはおらぬでしょうし」
裏の無い、真っ直ぐな笑みで返してきた三郎(武田信之)。その顔からは、僅か足りと言えども道雪殿を見下すような物は見受けられない。その事に、内心でホッと安堵の溜息を吐いた。
それはともかくとして、三郎の言葉には、皆が大きく頷きあっていた。あの道雪殿の有様を見れば、彼が主の為に忠義を尽くす忠臣であると誰もが納得するだろう。
その姿に、誰もが思う所があったのは間違いない。あのような男は、信じるに足る男、背中を任せるに値する男だ、と。
「では通すが、決して辱めてはならぬぞ。二郎兄上は、道雪殿を武田家に取り込みたいのだ。悪い印象を持たせてはならぬ」
「「「はは!」」」
「よし、では連れて参れ!」
少し後、近習に案内されて道雪殿が入ってきた。
顔だけは濡れ手拭いで綺麗にしていたが、衣服は相も変わらず土埃に塗れたまま。その姿に道雪殿の覚悟を感じ取れるわ。
小さく頷きながら、内心で『御見事』と褒め称える。そんな儂の気持ちを察してくれたのだろう、甲斐時代から苦労を共にしてきた武田家古参の臣達が重々しく頷いていた。その顔に浮かんでいるのは、僅かな笑み。それは三郎と同じく、純粋に道雪殿を褒め称えている物であった。
「よく参られた、戸次伯耆守道雪殿。私が武田太宰少弐信之だ。其方の事は二郎兄上より良く聞いておる」
「お初に御目にかかります、太宰少弐(武田信之)様。まずは先触が無いにも関わらず、御目通りを御許し下さった事に、感謝申し上げます。改めて某は、大友家家臣戸次伯耆守道雪と申します。本日、恥を忍んで参りましたのは、我が主、左少将(大友宗麟)様の為に御願い申し上げたき儀が御座います。どうか我が所領を、左少将様に与えて戴きたい!どうか、どうか御願い申し上げます!」
床に額を叩きつけるようにして、頭を垂れる道雪殿。その光景を、皆がますます讃えるような表情で見ている。道雪殿の覚悟と行動は、儂から見ても素晴らしい物だと思う。
あの甥っ子(武田信親)が名将と評価するのも当然だな。
武田家に取りこみたい。その言葉の理由が、今なら良く理解出来る。もし文句を言う輩がおったなら、儂が直接、怒鳴りつけてやるわ!
「道雪殿、其方の覚悟と行動、私にも感じ入る物がある。其方は間違いなく、名将と称えられるに相応しい御仁だ。だが、その申し出は受け入れる事は出来ぬ」
「何故にで御座いましょうか?」
「宗麟殿に一万石。これは本家の決定であるからだ。私は九州攻めの総大将ではあるが、その決定を覆す権限は持っておらぬ」
道雪殿は一度は上げた顔を、額を床に激しく打ち付け『どうか、どうか、御願い申し上げます!』と絶叫してまで頼み込んできた。
これほどの男、二郎でなくても欲しいと思うは当然の事だな。
もし二郎が唾をつけていなかったのなら、儂が召し抱えようと考えておったわ。全くあの甥っ子は、相変わらず人を見る目が有り過ぎる。ああいう所は、兄上(武田信玄)に良く似ておるわ。
「道雪殿、頭を上げられよ。其方がそこまで申すのであれば、己の覚悟を見せるべきだ」
「覚悟なら如何様にでも!腹を切れと仰せなら、切ってみせましょう!」
「死んではならぬ。道雪殿、其方には近江へ向かって貰う」
咄嗟に顔を上げる道雪殿。その目は僅かな希望を見つけた喜びが浮かんでいた。。
改めて『近江』と呟かれる道雪殿。近江には武田家の本拠である今浜館がある。
その事には道雪殿もすぐに気づかれたのだろう。そこで自分が何をすべきなのかも。
「近江の今浜館には、新年の評定の為に加賀から二郎兄上がいらしている。そして大友家に一万石という条件は、二郎兄上の差配による物なのだ」
「某が太宰大弐殿を説得すれば宜しいのですな!」
「そういう事だ。船の準備が済み次第、私も今浜館へ向かう予定が有るのだ。其方が希望するのなら同行を許そう」
道雪殿は笑みを浮かべて『宜しく御願い致します!』と応じられ、直後、崩れ落ちた。
予想もしなかった光景に、皆が咄嗟に立ち上がる!何が起きた、何があった、と口に出す中、儂は咄嗟に駆け寄った。
崩れ落ちた道雪殿を抱きかかえて、様子を見る。息はしている、鼓動もやや早いが異常と言う程ではない。額から血が流れているが、これは先程、床板に額を打ち付けた時に皮膚が切れた為だろうな……
「道雪殿!」
「落ち着け、三郎。安堵で緊張の糸が切れて、疲労も限界に達したのだろう。誰か、道雪殿に寝床の用意を。まずは休ませねばな」
運ばれていく道雪殿。その姿が視界から消えた所で、皆が大きくため息を吐かれた。
互いに顔を見合わせながら、和やかに笑いあう。
今後、あの男が武田家に名を連ねて、戦場で肩を並べ合う光景を想像しておるのだろう。何せ、ここから先は武田家随一の知恵者と名高い甥っ子が、総仕上げに取り掛かるからだ。間違いなく、あの甥っ子なら道雪殿を口説き落してくれるだろう。
「失うには、惜しい御仁ですな」
「美濃守(馬場信春)殿もそう思われましたか。九州随一の名将に相応しい男ですな」
「真。伯耆守(秋山虎繁)殿の申す通り」
皆が頷きあう。大友家には有能な家臣は数多いが、それでも道雪殿は頭一つ抜きんでているだろう。一年以上にわたる籠城の間、反乱者も脱落者も出さず、民からも恨まれぬ。どれだけ人を惹きつけるのか、恐ろしさすら感じるわ。
だが、それ程の男がこれからは味方になるのだ。
東の軍神(上杉輝虎)、北条家、佐竹に里見、そして奥羽に住む鎌倉以来の御家、それら全てを平らげる為に……ただ気になるのは、あの甥っ子がどうしてここまで追い求めるのか、だな。何か理由が有るとは思うのだが……
「ところで叔父上、私の留守中の事ですが」
「春先に九鬼水軍の砲撃を再開、同時に三月の田植え時期を狙って侵攻の準備を整えておく」
「分かりました、その旨、二郎兄上にも伝えておきます」
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
まずは筑後国。雷神様視点より。
【数日前の事だった】
最初はちょっとした回想シーンから。
【知らしめた】
人目のある所での説教は、人間関係に罅を入れます。でもこの場で席を立って説教は出来ないし、かと言って後にしても説教相手は養子以外にも多数いる。
なので亡くなった角隈さんの名前を出したり、自分も我慢しているのだ、と教える事で『落ち着け』と説教している感じです。
【武藤喜兵衛】
喜兵衛君は勝頼君付き。勝頼君の軍勢は鎧ヶ岳城を包囲していたので、軍使として選ばれた感じです。
信濃目の官位は狡智編・第四十七話で主人公が義信兄ちゃんにおねだりした結果、授けられた官位ですね。
【脇差】
宗麟さんが降伏してきた時に、降伏の使者に持たせる為に信之君が借りた奴です。
【武田家の目論見】
正解に辿り着いた雷神様。
【同輩】
宗麟さんの命令により、目通りの場には居合わせる事を禁じられていました。
彼らとしても雷神様の事は信じているので、宗麟さんに害を為すような真似は無い、と言い切れるので宗麟さんの命令を是としました。
ただ、その結果は……気まずい再会となってしまいました。
【馬】
史実の雷神様は戦場では輿を使っていたのは有名な話です。
よく下半身不随と言われておりますが、実際には左足に難を抱えていたようです。なので拙作では、足を引きずるような感じで移動とかはしている、としてます。
馬への騎乗も時代劇みたいに鐙に力を籠めて走らせる事は出来ないので、作中では手綱だけで走らせているような感じです。
次は豊後国が舞台。武田信繁視点より。
【褒め称えている】
この時の雷神様を見て、素直に認められないような人は、信之君の周りにはいません。
みんな揃って、良い意味で受け容れています。
【今浜館】
信之君は、今浜館にいるもんだと思ってます。だってずっと九州にいたからね。
実際には黄金の磔台と、信玄パパや義信兄ちゃんと一緒に上洛している訳ですが。
知らないって、幸せですねw
【何か理由】
これについては、京での騒動終了後に書く予定です。
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




