雷鳴編・第六話
雷雲編・第六話、更新します。
章タイトル変更させて戴きました。
今回は摂津国が舞台になります。
永禄九年(1566年)七月、摂津国、芥川山城、三好長逸――
芥川山城。この城は儂の亡き主である聚光院(三好長慶)様が天文二十二年(1553年)に落とされて以来、三好本家の拠点として使われてきた城である。
その芥川山城も、今は儂が主。この城に相応しい主が途絶えてしまった為に、儂が預かっているのだ。この事に対して、三好一族の誰からも不満の声が上がった事は無い。誰もが、儂がこの城を預かるに足る者として、認めておるからであろうな。
……ただ……昔が懐かしい。少し前まで、この城は上座に聚光院様がお座りになられ、誰もがその差配を仰いだものだ。そして儂も聚光院様の大叔父として支え、献策し、日々三好家を大きくしようと励んだものだ。
改めて、上座から下座に目を向ける。
……ついさっきまで目通りを願い出ていた者が立ち去った今、ここには誰もおらぬ。ここには儂一人。ただ、蝉の音だけが友。
当然と言えば当然。儂がここに近づかぬよう命じたからだ。我が家臣は忠義者揃い。儂の命に疑いを持つ事無く、素直に儂を一人にしてくれた。
……儂が露骨な程に、顔に怒りを浮かべておったからかもしれぬがな。そして、以前に儂が怒りを面に出した時の事を思い出したのだろうな。故に、素直に儂の命に従ったのだ。
改めて知らされた内容を思い浮かべる。
神屋紹策――正確には大友家家老、戸次伯耆守道雪殿からの忠告らしいのだが――の言は、儂にとってあまりにも信じられぬ事であったのだ。
『新しい船には罠が仕掛けられている。海に出せば沈むであろう』
新しい船、すぐに気が付いた。
人払いした後に神屋に詳しい事情を問い質したのだ。初め、神屋はとても言い難そうにしていたのだが、儂が『決して其方を咎めるような真似はせぬ』と約した事で、やっと重い口を開いたのだ。
……信じられなかった。まさか?と思った。そして用意周到な奴ならあり得る、と思い直して怒りが儂を支配した。
だが、責める事は出来なかった。
当たり前だ。船の絵図面は儂が取り上げた代物だ。そして神屋が儂に伝えてきたのだ。あの船の絵図面。あれは加賀の太宰大弐(武田信親)様より、決して開けてはならぬ。船が欲しければ、武田家より買うように命じられていた、と。それを破れば、店が潰れる事になるぞ、という警告まで受けていた、とも。
全ては奴の掌の上だった。まんまと踊らされてしまったのだ!
『正直に申し上げます。あの絵図面を渡された際、十中八九、毒入り饅頭であるとは気づいておりました。ただ、天王寺屋(津田宗久)さんはまだまだ青二才でしたから、そこまで気づく事は出来なかったのでしょう。あの絵図面は真である、と思っていたに違いありません』
『何故、そう言える?』
『頭を丸めて、加賀に死を賜りに向かっておりました故』
すぐに気づいた。天王寺屋から絵図面を取り上げた後、天王寺屋が店を留守にして加賀に向かった事を。
あれは天王寺屋が、あの絵図面が真であると思い込んでいたからこそ、本気で死を覚悟していたのだ。もし罠だと気付いていれば、頭を丸める必要すらない。それとなく加賀にこっそり伝えるだけで済んでいただろう。
……失態を犯してしまった。儂も納屋(今井宗久)も天王寺屋を青二才と軽んじていた。それは間違いない。事実、天王寺屋は甘すぎる男なのだ。問題は、そこまで読み切って策を仕掛けてくる男の存在を、完全に見過ごしてしまった事なのだ!
『神屋。正直に申せ。其方に伝言を託した、伯耆守(戸次道雪)殿の狙いだ。大友家と敵対している武田家は、当家とは同盟中。にも拘らず、だ……儂は馬鹿ではないぞ?』
『恐れながら申し上げます。大友家が生き延びる為には、頭を潰す必要がある。頭が消えれば混乱が生じ、手足が緩まるやもしれぬ、と仰せに御座いました。そして三好家にとっても、武田家の勢力拡大は……これ以上は御寛恕願います』
『……分かった。伯耆守殿には儂が礼を申していた、そう伝えてくれ。儂はちと考えたい、下がって良いぞ』
静かに立ち去っていく見慣れぬ背中。
大友家の狙いは分かった。三好家にとっても大きな利ではある。これ以上の武田家の勢力拡大は望む所ではない。ここいらで、頭を叩いておく必要は確かにあるだろう。
それにしても、このような策を仕掛けてきたのだ。大友家の窮状は、こちらの想像以上であったと判断すべきだろう。下手をすれば大友家が滅びる事も考えておかねばならぬだろう。そうなれば、九州全てが武田家にとっての草刈り場となるからだ。
そこまで絵図面を描いたであろう、盲の顔が儂の脳裏に浮かぶ。
儂の内を焦がす情念。憤怒、屈辱、羞恥。そして微かな……恐怖。
脇の脇息を掴み上げ、全力で投げつける!板戸に当たって大きな音を立てるが、そんな事は気にすらならぬ!
「……許さん!許さんぞ!」
拳を叩きつける!何度も何度も繰り返す!だが、痛みは気にならない!
ただ、此度の件は完全に儂の失態だ!絵図面を取り上げたのは儂!天王寺屋は儂の命に従っただけ。納屋は儂に新しい船の絵図面の入手について相談を持ち掛け、対価として大筒の提供という取引を行ってきただけ。
つまりは、誰も悪くない。悪いのは儂一人。これがどうでるか?
「……儂に資格無し、そう烙印を押されかねぬ……」
当然だ。新しい船は三好水軍でも使われているからだ。
不幸中の幸いは、そこまで多く作られていなかった事だけ。正確に何隻かまでは分からぬが、流石に十隻にすら届かぬだろう。
もし、この策の露見が一年、遅れていたら……ゾッとする。下手をすれば三好水軍の船がどれだけガラクタになっていたか……そして、何よりも大きな問題がある。
「……如何にして、この件を収めるか?だ」
右手で顔を覆い、天を仰ぐ。
建造中止は当然だ。嵐に堪えられぬ戦船を用意しても、全く意味が無い。だが、その理由を用意しなければならぬ。儂の失態が表にならぬような理由を。
三好家存続に必要な儂が、今、失脚する訳にはいかぬ。儂が失脚すれば、あの役立たず(三好義重)が武田家と対峙しなければならぬ。あの役立たずと盲では、全く勝負にならぬ。確実に三好家は滅ぶ事になるだろう。
「……大筒の運用については、安宅船を使うしかあるまいな。これについては問題あるまい。大筒の搭載についても、武田の戦船が参考に出来よう……」
ふと、気が付いてしまった。儂が逃げに走っていた事に。今は理由を考えねばならぬのに、大筒の運用を誤魔化す事で安堵しようとしてしまっていたのだ。
再度、拳を叩きつける!
考えろ!儂には三好家を守る義務があるのだ!今こそ、知恵を絞るべき時なのだ!
「……絵図面に罠が仕掛けられていた……そうだな、絵図面に誤りがあったとしよう。そのせいで船は嵐に堪えられなかった。あの図面を用意した者は、嵐で船とともに沈んだ事にすれば……」
無意識のうちに爪を噛んでいた儂だったが、思い浮かんだ妙案にはつい、笑いたくなってしまった。
これならば、誰にも文句は言えぬ。図面を用意した者は『既に死んでいる』のなら、責めようが無いからだ。
そして一からやり直す必要がある為、図面を再度、用意するのにも時が必要と言えば、急かす者はおるまい。新たな絵図面をどうやって用意するか?それはまた別の問題だが、最悪、南蛮船の絵図面を使う、と言う手も有るのだ。
傍らに置かれていた湯呑に手を伸ばし、グイッと一息に呷る。
冷たい井戸水が喉を流れ落ちていく……実に心地良い。熱い茶も良いが、澄み切った井戸水もまた、格別よな。
幾分か心が落ち着いてくる。とりあえず問題は解決したが、それだけでは駄目だ。ケジメはつけねば、な?
北を睨む。
既に相模の北条とは話をつけ終えている。向こうも武田の勢いには、身の危険を感じておるからだ。武田家には悟られぬ様に、というのは向こうとしては当然の言い分。こちらとしても、それを拒むつもりは無い。
越後の上杉。北条とは敵対しているが、三好家にとってはそうではない。特に向こうとしては、越中国を武田家に獲られている現状は面白くないだろう。故に国境の上杉家重臣、越後の留守居役に使いを送っているのだ。とある策とともに。使者からは、割と良い反応を得られたという報告がある一方、兵の数に差がある故に、好機を待つ必要もある、との事。まあ、それは仕方なき事。無理に動いて失敗した、では目も当てられぬからな。
「……この際だ。あの盲の首を獲るか……」
奴の首を獲る事が叶えば、三好家にとっても良き事であるからな。大友家の伯耆守殿の存念通り、武田家の勢力拡大を食い止める事にも繋がるのだ。
故に、三好家の為にも必要な事。ならば躊躇う事は無い。
そして、儂が直接、手を下す必要は無い。全ては京で動いて貰う。ただ、手を貸す必要位は有るだろうな。
無言のまま、視線を僅かに逸らす。視線の先に有るのは比叡山。
国家鎮護の要たる地。本来なら青々とした木々に埋もれ、つい見とれてしまいそうな程に美しい山なのだろうが、今は焼け野原と聞く。
実に心が痛い。あの御山で、どれほどの命が日ノ本の為に、日夜、祈りを捧げていたのだろうか。
「出来る事なら天台座主様の御遺体、或いは形見の品辺りを手に入れたいものだが」
そこに天台座主様がおられた事が証明できれば、あの盲も何も言えまい。帝も死を御命じになられるだろう。
天台座主様を殺める、と言うのはそれ程の大罪であるからだ。
何より信賞必罰は、あの盲が普段からやっている事。奴の物言いが、奴の首を落す事になるのだ。誰も文句は言えぬわ!
「……それはそうと、納屋にもケジメは必要ではあるな」
ギリイッと歯軋り。口の中に、僅かに血が滲んだのを感じる。
納屋には絵図面に関する非は無い。それは認めてやろう。だが、船が沈んだ事を何故に報告しに来ぬのだ!神屋が訪れていなかったら、三好水軍の船が、全て罠の船に置き換わっていたのかもしれんのだぞ!
故に、その点だけは咎めねばならぬ!こればかりは大目に見る事など出来ぬわ!
後で詰問の使者を堺に送り、厳しく、問い質さねばならぬだろうな。
確かに納屋は商人として優れている。儂もそれは認めてやっても構わぬ。だが、だからと言って好き放題して良い訳では無い!
言い訳位は聞いてやるが、それ次第では厳しい罰をくれてやらぬとな。
「……大筒が終わったら、出入り差し止めも考えるべきか……」
ただ、そうなると矢銭で困る事になるのが悩み所でもある。
堺の会合衆は二つに割れている。天王寺屋陣営はあの役立たずに接近し、納屋陣営は儂に与したのだ。
今更、天王寺屋が儂に擦り寄ってくる事も有るまい。有るとすれば、それは儂が完全に三好家の実権を握った時のみ。であるのなら、やはり三好家を儂の下に一枚岩としなければならぬな……
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
摂津国。三好長逸視点より。
【頭を叩いておく】
雷神様の策により、主人公排除を考え出した長逸さん。これまでは『邪魔だなあ』程度でしたが、そろそろ本格的に敵視し始めた感じです。
【恐怖】
主人公の策に恐怖を感じた長逸さん。それを認めたくなくて、脇息が犠牲に……もし家臣がいたら、どうなっていた事やら。
【資格無し】
露見したら、間違いなく三好家全てから総スカン食らいかねない大失態ですからね。切腹は免れられないかと。なので言い訳用意に知恵を絞る事に。
【安宅船を使う】
当面の代替案としては、これしかないんですよねえ。ただ、勘の良い方は気づく筈。加えて長逸さんは船戦を熟知しているか?となると……
【北を睨む】
武田家の勢力拡大については、雷神様に指摘されるよりも前から危機感は感じていたので、色々と裏で動いていました。
上杉ー三好ー北条という感じで。ただし北条と上杉は不倶戴天なので、長逸さんが何食わぬ顔で動いてる感じです。知らぬは北条と上杉だけ。
上杉に対しては、策を提案済。これについては、その内に書きます。
【比叡山】
雷鳴編・第一話で万里小路権大納言が、朝廷でギャーギャー言っていた件です。
これを更に後押しする感じですね。詫びではなく、切腹にまで持っていけ、と言う感じで。
……迷惑なのは万里小路家ではありますが。主上のお気に入りに死を与えたら、主上の怒りがどこに向かうのか?って奴ですね。この辺り、長逸さん自分のストレス解消重視で、政治的な結果にまで知恵が及ばなくなっている感じです。
【納屋にもケジメ】
報連相を怠った納屋にも責任は有ります。それは事実ですが、やはりこちらもストレス解消重視。
長逸さん、怒りが限界突破した為に、人の心という物を忘れてしまった感じです。
納屋は悪党ですからねえ……
それでは、また次回も宜しくお願い致します。




