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雷鳴編・第七話

 雷鳴智編・第七話、更新します。


 今回は加賀が舞台になります。


 前半はお笑い回になります。それにしても、どうして加賀の女性陣は肉食系の割合が多いのかw

永禄九年(1566年)八月、加賀国、宇喜多直家邸、井伊直親――



 止めどなく、そして幾ら手拭いで拭ったとしても、尽きる事の無い汗はまさに滝のようだ。傍らに置かれていた湯呑に注がれた井戸水は、まさに甘露の如し。再度、その甘露を味わうべく、湯呑を口に運ぶ……残念ながら、飲み干してしまっていたようである。そういえば甘露という言葉は、旨い飲み物を意味する言葉であるが、本来は天から降って来る甘い液体の事を意味するのだとか、聞いた憶えがあるな。

 「……あのう……宜しいでしょうか?……」

 ……ガスッ……ゴスッ……


 至る所から聞こえてくる蝉の大合唱も、夏には欠かせぬ恒例行事。これなくして『夏だ!』とは語れぬわ。確かに蝉の音は大きい故に午睡の邪魔ではある。それは否定せぬ。だが、だ。よく考えてみろ。蝉は短い命しか持っておらぬのだ。その短い命を精一杯使って、子を残そうと励んでいるのだ。それを知っていて、どうして蝉を責められようか?俺には出来ぬ。口にこそ出さぬが、心の中では『悔いを残さぬようにな?』と励ましている程だ。

 「……藤吉郎(井伊直親)様……聞こえておられますか?」

 ……ゴフッ……ビシャッ……


 そっと板敷きに触れる。指先に伝わってくる、ヒンヤリとした冷たさ。何という心地良さであろうか?この心地良さは、暑ければ暑い程に味わえる至福の瞬間なのだ。正直に言おう。俺は今すぐ、この板敷きの上で俯せになって午睡を楽しみたい。頬に伝わってくる気持ち良さに、身も心も全て委ねて、何もかも忘れて浸りたい。あの真っ暗で、だと言うのに恐怖を感じるどころか、逆に安堵を感じる不思議な暗闇に。

 「……父上?」

 ドスッ……ゲシッ……

 「良いか、石松丸。其方の役目は、その子らを慰める事だ。それ以外は考えなくて良いからのう?」

 ゴキッ……ボキッ……

 「と、藤吉郎様!?後生で御座います!どうか、どうか御助け下され!」


 俺の前に飛び込むなり、土下座して頼み込んできたのは宇喜多家家臣である平助(富川秀安)殿。俺の一つ年下になる男。そういう意味では気軽に話の出来る男の一人でもある。一方で平助殿はなかなかの剛の者でもあり、槍働きは宇喜多家でも一目置かれている程。そんな男が俺に頭を下げているのだ。

 「……俺にどうしろと?」

 ミシイッ……ブチッ……

 「で、ですから止めて下され!奥方(井伊虎)殿を!」

 ガフウッ……『と、殿をっ!』

 「……俺に討ち死にして来いと?自慢する訳では無いが、俺は虎に勝てんぞ?腕っぷしで嫁に勝てない武士なんて、日ノ本中探しても俺一人だろうな」

 

 ……平内(岡家利)殿と又三郎(長船貞親)殿の悲鳴の如き叫びを思い出し、心が重くなってくるのを自覚する。本音を言えば逃げ出したい。とは言っても、流石に止めに入らざるを得ないか。虎の機嫌取りは、夫である俺の役目としても、まあ八郎(宇喜多直家)殿も流石に懲りたであろうしな。

 小さく溜息を吐きながら、惨劇の場に進み出る。本当にやりたくない、というか近寄りたくないのだが、八郎殿に何かあっては太宰大弐(武田信親)様が御困りになられるからな。

 何より、宇喜多家の姫君二人の事を考えるとな……特に上の子はいずれ石松丸の嫁となり、俺の事を義父上と呼んでくれる事になる娘なのだ。その娘が『自分のせいで』と、見当違いの罪悪感を抱いてしまう前に……そう自分に言い聞かせ、俺は前に進んだ。


 「虎。そろそろ止めてやってくれぬか?」

 「貴方様?まだまだ甘う御座いますよ?」

 「いや、だからな?其方が八郎殿に怒っているのは重々承知している。それは俺にも分かる。だがな?八郎殿を壊されてしまっては、太宰大弐様が御困りになられてしまうのだ」

 俺の前には二人の姿。

 一人は俺の妻である虎。既に子を二人産んでいるが、今は腹に三人目を抱えている。虎によれば年明け頃には顔を見られるでしょう、と嬉しそうに微笑んでいた妻。武家の事に疎い俺を懸命に支えてくれる、俺には勿体ない程に良く出来た妻。百姓である俺のおっ母を始めとした、俺の家族にも優しく親切に対応してくれる慈悲に溢れた妻。まさに観音菩薩様の化身かと思う程の妻の顔は、柔らかい慈母の如き笑みを浮かべていた……どこまでも澄み切った、濁りなき、そして視線を捉えて離さない、真紅の化粧を施して。

 一人は親友と称して良い八郎殿。俺とは妙に気の合う男であると同時に、俺とは違った意味での苦労人でもあり、太宰大弐様から八郎殿でなければ出来ない御役目を託された知恵者。その智謀は軍配者である十兵衛(明智光秀)殿や半兵衛(竹中重親)殿ですら一目置く程の実力者。更に、その肝の太さは『鋼の肝』と称される太宰大弐様に匹敵するとまで言われる程でもある。そんな八郎殿は……恐怖で顔を……いや、これは武士の情けだ。俺のような武士らしくない武士が生意気言うなと言われるかもしれんが、ここは見て見ぬフリ。何せ八郎殿はあまりにも酷すぎる姿だからだ……何というか、医師が目を逸らす、的な意味合いで。寧ろ気を失っていて当然と言う有様。そうなっていないのは、虎がそれを赦さなかったからである。その方法は唯一つ、力業。


 「それにな、俺は虎には優しい妻であり、子らにとっては優しい母で居て欲しい。今は石松丸や拾丸とともに、姫君二人を慰めてあげるべきだと思うのだ」

 「……仕方御座いませぬ。そうまで言われてしまっては、これ以上、躾を続ける事は出来ませぬ」

 「ああ、分かってくれたか」

 ……返り血で染め上がった虎は、文字通りの虎。顔も小袖も、至る所に深紅の水飛沫が飛び散っているかのようだ。そして軽く手を振ると、ヒュバッという風を切る音とともに、傍の板戸にビシャッと音を立てて、赤い雫が叩きつけられた。

 ちなみに八郎殿を沈めたのは、まさかの素手である。最初、宇喜多邸に殴り込みに向かおうと息巻いた時に薙刀を持ち出そうとしていたので止めたのだが、虎は薙刀を抱き抱えた俺を完全無視して、裸馬に飛び乗ってあっと言う間に屋敷から消えてしまったのだ。

 ここまで言えば、もう分かるだろう。虎は薙刀なんて必要とはしていないのだ。虎は獣。その身に肉を割き、獲物を掴んで離さぬ牙と爪を持っている生き物。武器なんていらない、という事に気づかなかった、俺が愚かだったのだ。


 「さ、こちらにおいでなさい。もう大丈夫ですからね?御父上も二度と、二人の名前を忘れるような事は致しませぬから」

 「「う、うう……」」

 「我慢しなくて良いのですよ。思う存分、御泣きなさい。これまで、良く頑張りましたね」

 姫君二人の大合唱。蝉が可愛く思えてくる程の大音量だ。

 ……まあ、この子達の気持ちは分からんでもない。実の父親が自分達の名前を失念していた、なんて辛くて当然だ。こればかりは八郎殿に非があるわ。俺もこの点を擁護してあげようとは、流石に思えぬ程に。

 御家の繁栄を願っての名。長い時を経ても尚、今に残るのは詩と音曲。故に詩と奏。実に良き名だ。それは認める。だが、だ。それを忘れてしまっていては問題過ぎるだろう。挙句の果てに口に出した名前は鶴と亀。二人が泣き叫びながら、俺の屋敷に駆け込んできて虎に訴えたのも仕方なき事だ。


 「さて、この子達が落ち着いたら、私は金沢館に向かいます。ゆき様を通じて事の次第を説明して参ります。この子達は一晩、井伊の屋敷で御預り致しましょう。今日だけは、遊び疲れてしまうまで、起きていても良いですからね?」

 「「はい!」」

 「では行って参ります。それから貴方様、言わずとも分っておりますね?」

 背筋に走るゾクッとした寒気。それは小さく舌なめずりした、虎の笑みが理由。

 ……血を見て昂ったのかもしれんな。戦場でも兵達が昂った気を静める為に、遊女に相手を務めて貰う事位は俺も知っている。それを考えれば……まあ、これも夫の務めか。

 腹の子に障りがないよう、気を使わんとなあ……


 「ところで八郎殿、大丈夫か?」

 「……頼む、医師を呼んでくれ……」

 「分かっておる。誰か医師を呼んでやってくれ。戦場の惨い有様に慣れているような、古強者と言って良いような医師をな……」

 あとはせめて応急処置位はしてやろうか。焼酎やサラシなら屋敷においてあるだろうし、その程度の事なら俺にも出来る。

 八郎殿、頼むから死ぬなよ?八郎殿に死なれたら、折角できた親友を俺は失う事になってしまう。そんな辛い思いはしたくないのだからな?



永禄九年(1566年)八月、加賀国、金沢館、武田ゆき――



 「……という次第に御座います」

 その御報告に伺った後、二郎(武田信親)様は崩れ落ちました。明らかに報告を聞いて、笑いが止まらなくなってしまわれたので御座いましょう。

 こんな事も有ろうかと、と用意しておいた麦湯を差し出します。

 二郎様は必至で右手だけで『ありがとう』という意思表示をなされると、一息で麦湯を飲み干してしまわれました。余程に苦しかったので御座いましょうね。


 「子細は分かった。八郎(宇喜多直家)から何も言ってこない限り、虎(井伊虎)殿は無罪放免という事にしておくようにな。もし虎殿の言に過ちが有ったなら、それはその時に判断させて貰おう」

 「はい、心得ました。後ほど、虎殿に使いを出します」

 「ああ、頼んだ。とは言え、八郎もなあ……子供を御家の道具とする。その気持ちは分からんでもないが、程度と言う物はあるのだ。俺とて月を能登畠山家に、花を三好家に、と決断した男だ。偉そうな事は言えぬが、その分、二人には愛情を籠めて育てているつもりだ。八郎も、その辺りの匙加減を学んでくれれば良いのだがな」

 二郎様は申し訳なさそうに、僅かに御顔を俯き加減に為されました。

 二郎様の御立場を考慮すれば、月や花が裳着を済ませる前に嫁ぎ先を決めているのはおかしな事では御座いませぬ。寧ろ、それが当たり前。実の母である私も、それに対して不満に思う事も御座いませぬ。

 それでも二郎様は、思う所が御有りなので御座いましょう。以前、二郎様は自分には前世の記憶が有る事を打ち明けて下さった事が御座いました。その時の記憶が、二郎様を苦しめているのかもしれませぬ。それを思うと、私は複雑な思いに囚われてしまいます。二郎様を苦しめる前世の記憶という存在を疎ましく思うのと同時に、その記憶があるからこそ、月や花にここまで愛情を注いで下さるのですから。


 二郎様は私に微笑んで下さった後、気を取り直して御政務に戻られました。

 報告の書かれた文に目を通していかれます。本日、確認すべき文は計五通。

 すぐに終わるのだろうと考えていたのですが、最後の一通に目を通された後、腕を組まれて何やら考えこまれたのです。


 邪魔をせぬ様、私は沈黙を保ったまま、二郎様が御言葉を発して下さるのを只管、待つ事に致しました。

 二郎様は両腕を組まれ、眉間に皺を寄せておられます。そして小刻みに震える膝。余程の事が書かれていたのでしょうね。

 今の内に麦湯を用意し直すべきか?そう考えていると、二郎様が口を開かれたのです。


 「……京の一条権大納言(一条内基)様より良き報せと面倒な報せが届いた。良き報せについては何も問題無いのだが、面倒な方がなあ……」

 「如何なる問題が生じたので御座いましょうか?」

 「この前、比叡山で狗追物をやっただろう?あの件で俺を吊し上げしようと息巻いてる殿上人がいるらしい。万里小路家を中心にな。これを機に、朝廷内における武田家の勢力を削ろうと目論んでおるのだろう」

 やれやれ、と肩を竦められた二郎様。『暇を持て余した馬鹿をどうしてやろうか?』と少々、物騒な事を口に出されました。

 それにしても、どうしてこのような時期にそのような事を言い出されたのでしょうか?

 ただでさえ、今は御春の方様の初産が近づいており、不安を掻き立てるような事は御耳に入れるべきではない時なので御座います。しかも朝廷には、御春の方様の御父君であらせられる主上がおられます。少し考えれば、御不興を買うだけに終わるだろう、程度の事は言われずと分かりそうな物で御座いますが。


 「……向こうには向こうなりの大義名分がある。それが通るかどうかは別としてな」

 「……面倒な事で御座います。まさか首を斬る訳にもいきませぬし」

 「そうだな。やれぬ事はないが、やれば武田家に味方してくれている殿上人の数が減ってしまうのは分かり切った事。正直、第二の陶晴賢になる利は無い。となれば、別のやり方で意趣返しを行うべきだろうな……盤面……朝廷内部に反武田家勢力……武力解決は不可……」

 暫く、時がかかりそうですね。では今の内に麦湯を用意し直させて戴くと致しましょうか。

 部屋の外に待機していた侍女に命じた後、やる事が無くなった私は只管、二郎様の邪魔にならぬよう静かにしておりました。そのせいか、小さな声や音にまで気づく事が出来ました。

 ……あの子達は……御春の方様に御迷惑をお掛けして居らねば良いのですが……


 「……ゆき、後で山の喜八郎(土田康義)に来るように伝えてくれ。作って貰いたい物がある、とな。それから加賀の蔵に金の在庫がどれだけあるかも確認を頼む」

 「はい、心得ました」

 「馬鹿どもの度肝を抜いてやるぞ?俺の仕事を増やしてくれた、その報いを受けて貰おうか。それと今浜の兄上(武田義信)と、駿河の父上(武田信玄)にも御協力を願い出るか。これを機に、朝廷内の反武田家勢力の面目を潰してやる」


 今回もお読み下さり、ありがとうございます。


 まずは加賀国。井伊直親視点より。


 【良いか、石松丸~】

 冒頭からここまで、藤吉郎による現実逃避シーンになります。

 まあ自分の奥さんが、親友に馬乗りになって人体破壊に勤しんでいたら、まあそうなりますよね?そもそも腕力で勝てないし。


 【俺一人】

 そうかな?と言う声が河田家・大宮家・荒岩家に加えて、上野国からも聞こえてきそうですw


 【石松丸の嫁】

 これについては藤吉郎と直家さんの間で了承済み。

 ただ直家さんが史実のように後妻を取らない限り跡取りがいないので、このままだと婿養子という形で宇喜多家存続になると思います。そうなると候補としては井伊家の子をとなりそうですが、拾丸は成長したら遠江の井伊谷に入る予定なので、その次になりそうですね。要は虎のお腹の子。


 【真紅の化粧】

 どう考えても静脈じゃなくて動脈ですねwお疲れさまでした。


 【力業】

 気絶したら目を覚ますまで痛みと衝撃で……以下エンドレス。


 【ヒュバッ】

 きっと虎さんの背中には、鬼の貌が浮かんでいると思うのですよ。今の状態の虎さんなら、慶次でも勝てるかどうか……


 【詩と奏】

 命名者は意外な事に直家さん。ただ問題は、その名前をど忘れした事。

 そして鶴と亀だと思い込み……子供達は悪くありません。


 次も加賀国が舞台。ゆき視点より。


 【匙加減】

 大分、乱世に染まって来た主人公。それでも、どうしても現代人メンタルが表に出てきてしまう時は有ります。特に小さい子に対しては。

 それでも御家の当主・筆頭軍師として決断はしています。

 だからこそ、その分、娘達は可愛がってやらないと……という感じですね。

 ちなみに一向衆や比叡山絡みでも、現代人メンタル覗かせてもいます。それでも必要だからやるしかない、という覚悟を貫いてますが。


 【一条権大納言】

 すっかり仲良くなってしまった権大納言様。御春の方の降嫁以来、完全に武田家寄りとなってます。

 今回も朝廷内での面倒事の報告を報せてくれました。ちなみに目々典侍様からの文も遅れて到着の予定です。こちらは帝から話を聞いて、とワンクッション置く事になる為ですね。


 【万里小路家】

 こちらはこちらで、今頃、悲鳴を上げている筈。何でそこまでしないといけないんや!という感じで。

 理由は前話の長逸さん。


 【土田康義】

 遠江時代に山で木工担当していた方。久しぶりの登場。

 主人公が何を目論んだのか?これは作中年末頃になります。でも勘の良い方は気づくかと。

 ヒントは金。


 【面目を潰す】

 失脚まではいかない予定。

 ここで失脚させちゃうと、ボンバーマンに授けた策が無意味に揺らいでしまう為です。万里小路家には、まだ残っていて貰う必要があるので。


 それでは、また次回も宜しくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
>挙句の果てに口に出した名前は鶴と亀。 279話の最後だと、 >……思い出した!上が千、下が万であったな。鶴は千年、亀は万年。 と言うモノローグがあったけど、その後また娘の名前を忘れて由来(思い違い…
藤吉郎が直親になってました。直家の死因が薙刀とかでなくて良かったです
稀代の某将をズタボロにするって・・・さすが井伊直虎さま
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