第二十一話
「セニョール・ロレンソ! お話はわかりました!」
シオはサクラの口調で話しかけた。岩陰からわざと身を乗り出し、ロレンソの注意を引き付けようとする。
「大使の身柄とジープを交換しましょう!」
……よし。ロボットが取引に応じるようだ。
「ジープはどこにある?」
ロレンソは訊ねた。
「わたしの左手後方の茂みの中です!」
サクラの答が返って来る。
ロレンソは、茂みに眼を凝らした。透かし見ることはできないが、シープ一台くらいなら余裕で隠せるほどの茂みだ。近くにジープを隠せそうな場所はそこしか無いし、もちろん放置してあるジープも見当たらない。……サクラの言葉に嘘は無いだろう。
ロレンソは思案した。サクラをジープに近づけるのはまずい。何か細工をするくらいの知恵はあるはずだ。さて、どうやってジープを手に入れるか。
ここで日本大使を解放する気は、ロレンソにはさらさらなかった。目的は大使を伴って安全圏まで逃亡することなのだ。大使はフレンテ再建の鍵を握る重要な金蔓である。おんぼろジープ一台との交換など、あり得ない。ランドクルーザーの新車百台とならば、考えてやってもいいが。
「サクラ! お前の武器はなんだ?」
「サブマシンガンです! 腕に取り付けてあります!」
岩の陰から、サクラが右腕を突き出した。なるほど、右腕に銃のような物が装着されているのが見えた。射程その他は、通常のサブマシンガンと大差はないだろう。
「よし、その岩から右の方に三百メートルほど離れろ! 俺は大使を伴ってジープまで行く! 安全を確認したら、そこで大使を置いてジープで走り去る! これでどうだ?」
「と、ロレンソは言ってますが」
シオはロレンソの発言内容を無線でベルに伝えた。
「もう少しごねて時間を稼いでくださいぃ~」
相変わらずの口調で、ベルが返事を寄こす。
「セニョール・ロレンソ! それではあなたが約束を守るという保障がありません! 大井大使をその場に残し、あなただけがジープまで移動してください!」
少し思案したシオは、そう提案した。
「馬鹿を言うな。大使と切り離された途端、撃つ気だろう!」
ロレンソが、怒気を含む声で応じる。
両者はしばらくのあいだ交渉を続けた。シオはもちろん大井大使の身柄確保を優先し、ロレンソは自分の安全を最重要視する。大井大使が人質である以上、ロレンソの最大の安全保障は当然大井大使の存在に左右される。妥協点は、なかなか見出せなかった。
「んもー。一か八かロレンソを狙撃した方が、いいような気がしてきたのです」
シオは交渉の合間に独り言を呟いた。むろん、本心ではない。ローリスクで大井大使を奪還できる可能性がある以上、ハイリスクな行動は慎むべきというのが、ロボットらしい論理的な考え方である。
そうこうしているうちに、ベルから準備完了の通信が入った。シオは時刻をチェックした。予定の十五分より、四分ほど早い。
「シオちゃん、ロレンソにこう提案してくださいぃ~。シオちゃんが、AI‐10専用銃を外し、その場に留まる。ロレンソは大井大使を連れて、ジープまで移動。大使を乗せ、百メートル走行。そこで大使を解放。そのあとは、ロレンソの自由。追跡は行わない。こんなところでどうでしょうかぁ~」
「了解なのです!」
シオは、ベルに言われた通りの提案をロレンソに対して行った。ロレンソがしばし考えてから、質問を放ってくる。
「サクラ! お前の武装はそのサブマシンガンだけなのだろうな?」
「火器はこれだけです! お約束します!」
……怪しいものだ。
ロレンソはサクラの言葉を信用しなかった。だが、何か武器を内蔵ないし隠し持っていたとしても、その威力や射程はせいぜい拳銃並みであろう。サブマシンガンよりも強力な武器ならば目立つはずだし、持っているのであればとっくに使っているはずだ。
……このあたりで妥協すべきか。
ロレンソは西を見やった。日の光はすでに薄れつつある。熱帯雨林地帯の宵闇は、いきなり訪れる。夜になれば、圧倒的に不利になる。サクラは、暗視能力があるのだ。それに、これ以上ここでもたついていると、根拠地を制圧した特殊部隊が追いついてくるおそれがある。
「よし判った。お前の提案を受け入れよう。武器を置け!」
覚悟を決めたロレンソは、そう怒鳴った。
シオは腕に装着してあったAI‐10専用銃を外した。そしてそれを、ロレンソに見えるように高々と掲げてから、隠れていた岩の前にぽいと放り投げる。
「武装解除しました!」
なおもサクラの真似を続けながら、ロレンソに告げる。
ロレンソが、横転したジープの陰から姿を現した。AIM突撃銃は肩に掛け、代わりにM74自動拳銃を大井大使の顎下に突き付けている。
ロレンソが、視線をシオに固定したまま、大井大使を伴ってゆっくりと歩む。シオは岩陰から頭を覗かせた状態で、それを見守った。
無事にジープにたどり着いた時には、さしものロレンソもほっと安堵の息をついた。
とりあえず、サクラは約束を守ったようだ。ロレンソは視線でサクラを牽制しつつ、日本大使をジープの助手席に押し込んだ。なおも拳銃を日本大使に突き付けたまま、エンジンを始動する。
……悪く思うな、サクラ。これも、フレンテ再建の為だ。
ロレンソは運転席に収まると、左手でハンドルを握った。
ロレンソがジープの状態を詳しくチェックすれば、すぐに車体の下から一本のパラ・コードが延びていたことに気付いただろう。だが、今の彼にとっての最優先事項は、サクラが有しているかもしれない武器の射程外に速やかに逃れることにあった。
ジープが走り出す。タイヤが回ったことにより、左側後輪にビス止めしてあった針金が引っ張られ、ベルが仕掛けた電気回路ふたつに、それぞれ絶縁体として噛ませてあったゴムの小片が外れた。
ひとつの回路はすぐに作動し、毎秒一センチで燃焼するタイム・ヒューズを着火させた。もうひとつの回路は、待機状態に入った。
ベルがジープに設置した罠が、作動を開始する。
シオの視界に、生い茂る草の間からごそごそと這い出すベルの姿が入った。
「おや、ベルちゃん。そんなところにいたのですか」
シオは主たる視線を走り去るジープに据えたまま、無線でベルに話しかけた。
「ロレンソは約束を守るでしょうかぁ~」
「どうでしょうか? あと五十メートルほどですが」
走り出してから百メートル離れたところで、大井大使を解放する。それが、ロレンソと交わした条件である。
ロレンソのジープは、速度を上げつつあった。あっという間にシオが想定していた百メートル地点を通過し、なおも走り続ける。停車する気配は、微塵もない。
「やっぱり裏切ったのです!」
シオは拳を振り上げて抗議の意を表した。
ベルの足元には、パラ・コードがとぐろを巻いていた。ジープが遠ざかるに連れ、それが繰り出されてどんどんと小さくなってゆく。その終端は、ベルの手にしっかりと握られていた。
「予測通りでしたねぇ~。では、おしおきだべぇ~」
ベルは独り言を言いつつ、手にしたパラ・コードを手放した。二百メートルのパラ・コードがすべて繰り出され、終端が草のあいだに飛び込むようにして消える。
ベルが手にしていたパラ・コードの先端は、ジープに仕掛けられていたタイム・ヒューズに繋がっていた。ベルがそのまま終端を握っていたのであれば、タイム・ヒューズは引っ張られてジープから落ちたはずである。だが、ベルが手放したことにより、タイム・ヒューズはその場で燃焼を続け、約二十秒後に仕掛けてあった発火剤に着火した。それが別の長短二本のタイム・ヒューズを着火させる。
短い方のタイム・ヒューズは、すぐに燃焼を終え、取り付けられていた信管を起爆させた。信管の起爆に伴い、ごく少量のC4が起爆する。点火プラグに電流を供給していたイグニッション・コイルが破壊され、ジープのエンジンが停止する。
長い方のタイム・ヒューズは、その五秒後に結び付けられていたパラ・コードを焼き切った。これにより、最後の電気回路が作動を開始した。ただしこちらは、絶縁体として一部にゴム片を接着してある板発条が、上から荷重を掛けられて押さえつけられている状態なので、信管に電流が供給されず、発火はしていない。
「な……」
エンジンがぼんという音と共に止まった事に気付いたロレンソは、絶句した。
いくらおんぼろジープとは言え、こんなタイミングでエンジントラブルが起こるとは思えない。
……サクラの細工か。しかし、どうやって?
ジープに近付いていないのだから、何か仕掛けを施せたはずは無いのだが。まさか、こちらから交渉を持ちかけるまえに、ジープの譲渡を予測して、細工を施していたのだろうか。
動力供給を失ったジープは、ごとごとと揺れながらみるみる速度を落としてゆく。
「くそっ」
ロレンソは、腹立ち紛れに今だ手にしているM74自動拳銃の台尻を、ハンドルに叩き付けた。ほどなく、ウィリス・ジープは草地のど真ん中で完全に停止してしまった。なおも毒づきながら、ロレンソはとりあえずエンジンルームをチェックしようと、ジープの運転席から腰を浮かせた。
ロレンソの尻によって押さえつけられていた板発条が解放され、金属部分が別の金属片と接触した。電気回路が形成され、信管に電流が流れる。
運転席のシートに仕掛けられていた少量のC4が起爆した。指向性を持たされて成型されていた爆薬が、大き目の梅干しくらいの石ころひとつを、上に向けて打ち出す。
石が、ロレンソの臀部に喰い込んだ。
シオとベルは、肩を並べて草地のあいだを走った。ちなみに、シオは投げ捨てたAI‐10専用銃を拾い上げ、元通りに装着している。
ウィリス・ジープが見えてきた。そのタイヤにもたれかかるようにして座っていた人物が、ゆるゆると立ち上がる。……大井大使だ。
「やあ、やはり君たちだったのか。おかげで助かったよ」
ジープまでたどり着いた二体に、大井大使が声を掛ける。声に疲労が現れていたが、表情は穏やかだった。
「ロレンソはどこですか?」
AI‐10専用銃の銃口をあちこちに向けながら、シオは尋ねた。
「そこだよ。死んでいる」
大井大使が、まだ手錠が嵌ったままの腕を上げて、ジープの左側を指す。
シオはAI‐10専用銃を前に突き出したまま、ジープの前部を回りこんで、左側に出た。草を押しつぶすようにして、ロレンソが倒れていた。大量の血液が、下半身を赤黒く染めている。念のため、シオは銃口で突いて死んでいることを確かめた。
「シオちゃん、スカディちゃんと連絡が取れましたぁ~。もう撤収を開始しているそうですぅ~。わたくしたちは直接リンクスでピックアップしたいので、近くにランディング・ゾーンを設定し、座標を教えて欲しいとのことですぅ~」
ジープの上によじ登ったベルが、そう告げる。
「了解なのであります! みんな無事なのですか?」
「負傷者はないそうですぅ~。何人かゲリラには逃げられたそうですが、追跡はしなかったとのことですぅ~」
「それは当然ですね! では、あたいはランディング・ゾーンを探してくるのです! ベルちゃん、大使閣下をお願いできますか?」
「了解いたしましたぁ~」
リンクス・ヘリコプターが若干の機首上げ姿勢で高度を落としてゆく。
すでに、日は完全に暮れ、あたりは闇に包まれていた。だが、待ち受けているシオとベルは光量増幅装置内蔵だし、パイロットの方もナイトヴィジョン・ゴーグルを装着している。着陸と撤収に問題はなかった。
ヘリが接地し、サイドドアが開く。降り立ったのは、長身の三鬼士長だった。M‐16を構えた石野二曹が、ドア脇で膝射の姿勢で援護している。
ベルが、大井大使の手を引いてリンクスに駆け寄った。シオは、後方を警戒しながら続いた。周囲に敵が居ないことは確認済みだが、念のためである。
三鬼士長の手を借りて、大井大使がリンクスに乗り込む。ベルが、続いた。シオも乗り込む。最後に三鬼士長が乗り込んで、サイドドアを閉めた。
ゆらりと揺れながら、リンクスが地面を離れる。
「大使閣下。情報本部の長浜と申します。お迎えにあがりました」
暗い機内で、長浜一佐が自己紹介した。
「よろしかったら、どーぞー」
畑中二尉が、ミネラルウォーターのボトルを、大井大使の手に押し付ける。
「ありがとう」
大井大使が、ボトルの中身をごくごくと飲み下した。ちなみに、手錠はジープにあった工具箱の中身を利用して、鎖の部分だけを切断してある。
「長浜君か。君が、救出部隊を率いてくれたのかね?」
「……そのあたり、かなり事情が複雑でして」
歯切れ悪く、長浜一佐が答える。
「しかし、自衛隊が特殊部隊を派遣してくれるとは思わなかったな。政府も、思い切ったことをしたものだ」
「……えー。我々は本来は情報収集のために送り込まれた臨時の部隊……いえ、特殊編成班でありまして……」
長浜一佐が、苦しい弁明を始める。
「見事なご活躍でした、大佐」
ホーン大尉が、笑顔で敬礼する。
「ありがとう、大尉」
真面目な表情で答礼した長浜一佐が、腕を下ろして苦笑する。
大井大使救出の翌日である。今日もいい天気で、強い日差しがアスセナス空軍基地のエプロンに降り注いでいた。
ヤング大使の救出作戦は予定通り、今日の明け方にSASの手によって行われ、完璧な成功を収めていた。ヤング大使は無事。SASの死傷者はゼロ。フレンテのゲリラは八名を全員射殺。ゲリラの中に女性は含まれていなかったそうなので、女性幹部イネスと彼女が連れて行ったルシアは、どこかで生き延びているようだ。
エプロンには、アメリカ空軍のC‐37輸送機が待機していた。大井大使を除く日本勢を帰国させるための便である。目的である大井大使奪還に成功した以上、サンタ・アナに留まる必要はないし、下手に長居すると様々な偽装や隠蔽策にほころびが生じかねない。
「これでお別れだな、諸君」
デニス・シップマンが、AI‐10一体ずつと握手を交わした。
「大井大使を頼みますよ、デニス」
長浜一佐が、言う。
「ご安心を、大佐。隠蔽工作は得意ですからな。サンタ・アナ内務省とも、充分に打ち合わせを行いました。自衛隊の介入も、AI‐10の活躍もすべて揉み消しておきますよ」
「イギリスとSAS、それにSISには大きな借りを作ってしまいましたねー」
感心なさそうにぽりぽりと頭を掻きながら、畑中二尉がぼそっと言う。
「そうですな。近々返してもらいに伺うかもしれませんが……その時はよろしくお願いしますよ」
笑顔で、デニスが返した。
「皆さん、そろそろご搭乗願います」
慎み深く、会話が聞こえない位置に立っていたC‐37のスチュワード役の空軍軍曹が、注意喚起の咳払いをしてから、そう告げた。
日本勢の面々は、見送りの人々に別れを告げた。デニス。ホーン大尉と、その部下たち。クレスポ大尉。
「ベル! 今度会ったら、PE4で戦車をやっつける方法を教えてやるからな!」
バンクス軍曹が、笑って手を振る。
「ぜひお願いするのですぅ~」
ベルが笑顔で手を振り返す。
四人の自衛隊員と四体のAI‐10は、ぞろぞろとC‐37に乗り込んだ。
第二十一話をお届けします。




