第十九話
「大使を連れてゆくとは、どういうことですか?」
ロレンソは、詰め寄った。
「文字通りだよ。オオイはサンタ・アナ国内の拠点に移す。そこで、裁判に掛ける。政治部門の決定事項だ」
細面に眼鏡といういかにもインテリ、といった風情の中年男が、慇懃に告げる。マウロ・ウガルテ。政治部門ナンバー2の男だ。
二人は壁も床も天井も荒い仕上げの板張りという粗末な部屋にいた。『在サンタ・アナ日本大使救出準備情報収集班』がゴールド、と名付けた建物の中ほどにある一室である。マウロの後ろには、メスティーソとアフリカ系の二人の護衛が控えている。
「裁判? 何ですか、それは?」
ロレンソは、不信感を覚えつつ訊ねた。
「人民裁判だ。ノゲイラ政権に対する単なる懲罰としての処刑では、体裁が悪いからな。いずれにしても、日本はノゲイラ政権を支持し、多額の援助を行っている。日本企業が閣僚や各省庁に賄賂を贈っていることも事実だ。人民裁判に掛ければ、死刑判決を出すことは難しくないだろう」
「ちょ……待ってください。日本はオオイを返せば多額の身代金を払うつもりでいるようです。ここで殺してしまうのは、勿体ない」
「多数の同志を無慈悲に殺害したノゲイラ政権に対し、何らの懲罰も行わないつもりかね、君は?」
マウロが、神経質そうなしぐさで眼鏡の位置を直しながら、ロレンソを見上げる。……身長は、ロレンソの方が十五センチばかり高い。
「我々とは交渉しない、と明言しているノゲイラ政権の頭越しに、英日両国に身代金を払わせるのですから、懲罰にはなるでしょう。作戦の失敗をカバーし、組織の建て直しを図るには、資金が必要です。二人の大使の代価であれば、数百万ドルは手に入れられるでしょう」
ロレンソは必死に説いた。
「まだ知らないと思うので教えておくが」
マウロが、少しばかり尊大に見えるような笑みを浮かべて、続ける。
「ニカラグア国軍内の同調者から、連絡があった。ニカラグア政府は、近日中に我々との協力関係を打ち切るつもりのようだ。今回の作戦の強行と失敗は、彼らを相当怒らせたらしい。したがって、我がフレンテはニカラグア国内の拠点をすべて放棄し、サンタ・アナ領内に移動する。この拠点も、明日中に放棄する。ロレンソ、君が指揮を執れ。あまり価値の無い物は置いていっても構わん」
「ニカラグア国内に居られないとなれば、なおさら資金が必要ではないですか」
「わたしも金の重要さはわかっているよ」
マウロが、宥めるかのようにロレンソの腕に手を触れた。
「しかしだね、よく考えてみてくれ。二人の大使は爆弾だよ。サンタ・アナ国内で長期に渡って抑えておけると思うかね? 居場所が漏れたら、イギリスやアメリカの特殊部隊がすっ飛んでくるぞ。早めに処分するのが、一番安全だ。もちろん、政治的に良い効果をもたらしてくれる方法でね。それが、人民裁判だ。イギリスも日本も、サンタ・アナ以外の発展途上国でも多くの貧しい人民を食い物にし、肥え太ってきた。処刑は、他の革命勢力への連帯表明にも繋がるだろう」
「おっしゃることはわかりますが……」
ロレンソは唇を噛んだ。
元々、ロレンソはそれほどの野心家ではなかった。ゲリラ戦士としては優秀であることを自覚していたし、リーダーとしての素質もあると自負していたが、エミディオのような人を引き付ける力を、持っていなかったのだ。それゆえ、彼はごく軽度ではあるがカリスマ性の持ち主である年下男、エミディオをパートナーに選び、その補佐役に徹することによって、いわば二人三脚状態でフレンテ内での地位を上げてきたのである。
そのエミディオが、死んだ。いずれは、自分の力で軍事部門トップの座まで押し上げてやろう思っていた、男が。
エミディオの遺志は継がねばならない。彼を代替する男を見つけるか、あるいは自分が代わりとなるかはまだわからないが。
そのためには、多額の金が必要となる。そして今のところ、金蔓と言えるのは二人の大使だけだ。
だめだ。人民裁判だろうと何だろうと、オオイとヤングを殺されるわけにはいかない。
……早急にイネスと連絡を取らねば。
彼女にヤング大使の命を守らせる。自分はオオイ大使の命を守る。なんとしても、殺させるわけにはいかない。人民裁判となれば、政治部門の連中が集まるだろう。そこで、説得を行うのだ。大使処刑など、愚の骨頂だと。
「わたしも同行します。この拠点では客人同然ですからね。撤収は、トニオに任せればいいでしょう」
ロレンソはそう言った。思惑を悟られないように、無理に笑顔を作る。
マウロが、疑わしげな視線をロレンソに浴びせた。ロレンソは、ぐっと耐えた。つくり笑顔を維持し、マウロを見下ろす。
「……いいだろう。では、オオイを連れて来てくれ」
「了解しました。ハイメ!」
ロレンソは部下を呼ばわった。
シオは、ごそごそと匍匐前進を続けていた。目隠しとなるなるべく丈の高い草が茂っている場所の背後を選びつつ進む。
二十メートルほど進んだところで、草地が切れた。そこから先は、芝草がまばらに生えているだけなので、これ以上の前進は無理である。
後からやってきたベルが、腹這いになっているシオの横に並んだ。
「車列までは五十メートルほどですねぇ~。ぎりぎり有効範囲内ですぅ~」
ベルが言う。
「では、さっそく仕掛けるのです」
M18A1『クレイモア』対人地雷は指向性対人地雷である。発火すれば内部に仕込まれた七百個の鋼球が、水平面において約六十度の角度で撒布され、人員を殺傷する。殺傷距離は五十メートル、有効距離は百メートル。
シオはクレイモア本体……一般的な郵便用の長封筒をとてつもなく分厚くした程度の大きさ……を、車列に向けセットすると、上部に電気信管を接続し、爆破コードのリールをベルに渡した。ベルがコードを繰り出しながら、少し離れた位置まで匍匐で移動する。シオも再チェックを済ませると、ベルの位置まで移動した。ベルが発火プラグを発火具に差し込み、爆破準備を済ませる。
「シオちゃん、これを押すのはわたくしに任せてほしいのですぅ~」
うきうきとした口調で、ベルが頼んでくる。
「ベルちゃんは本当に爆破が好きなのですね! いいでしょう、お任せします!」
「出てきたぞ」
長浜一佐が、目に当てていた双眼鏡を握り直す。
「やはりロレンソがいましたわ」
スカディが、ハイメを従えて出てきたロレンソを、素早く識別した。
「ミスター・オオイだ」
デニスが、ぼそりと言った。
ゴールドから出てきたのは、七名だった。車列から降りた三人……眼鏡男性とM3短機関銃使いと、アフロヘア。ロレンソと、ハイメ。『スモーキー』の名を付与されている男。そして、大井修二駐サンタ・アナ日本大使。
「まずいわねー。目隠し無しだわー」
装填済みのM‐67無反動砲をいったん三鬼士長に預け、石野二曹から奪い取った双眼鏡を覗きながら、畑中二尉が苦々しげに言う。
大井大使は、そのぎこちない歩き方からして後ろ手に縛られているか手錠を掛けられているように見えたが、目隠しの類は一切されていなかった。この拠点の様子も、新たにやってきたフレンテ構成員の顔も、見放題、覚え放題状態である。目隠しをしない、というのは、生きて帰すつもりがないことの、証左とも取れる。
先頭を歩んでいるのは、アフロヘアだった。眼鏡男性と『スモーキー』が肩を並べるようにして続き、その後ろにM3短機関銃使いに腕を掴まれた大井大使。最後に、ロレンソとハイメが続いている。
歩きながら、『スモーキー』は眼鏡男性に盛んに話しかけていた。だが、眼鏡男性は視線を『スモーキー』に向けようとしていない。
「わたしの命令あるまで、発砲を控えろ」
双眼鏡から目を離し、自分のM‐16A1が即座に発砲できる状態であることを確かめながら、長浜一佐が命じた。最優先されるべきは、大井大使の生命である。ここはいったん見送って、サンタ・アナ領内への移送を許し、アメリカの偵察衛星かサンタ・アナ当局の捜査によって再発見されるのを待つしかない。長浜一佐はこの時点では、そう判断していた。
「セニョール・ウガルテ。考え直してください! 日本大使を処刑するのは、まずいです」
トニオ……シオたちから、『スモーキー』のあだ名を頂戴しているゲリラ戦士が、マウロに喰い下がる。
「くどいぞ、君は。人民裁判は政治部門の決定だ。いまさら覆りはしない」
視線をトニオに向けぬまま、マウロが面倒くさそうに応じる。
後に続きながら、ロレンソは内心で喜んでいた。他の者も、ロレンソ同様人質はもっと有意義に使うべきだと考えているのだ。これならば、政治部門の説得も容易であろう。オオイを……そしてヤングを殺させるわけにはいかない。
マウロが、何かに気付いた風情で、唐突に足を止めた。後を付いて歩いていたロレンソらの足も、止まる。
「おっと、忘れていた。ジョアン、目隠しだ」
大井大使の腕を掴んでいた護衛に対し、マウロが指示を出す。うなずいたM3短機関銃使いの男がうなずき、ポケットから布切れを出した。それを無造作に大井大使の頭部に巻きつける。
その間にも、マウロとトニオの話し合いは続いていた。お互い興奮してきたのか、声が大きく、かつ言葉使いも荒くなっている。
「何をしているのでしょうか?」
スカディが、首を傾げる。
「眼鏡は絶対幹部クラスねー。武器を持っていないところからすると、政治部門の幹部かもー。大井大使を引き取りに来たんだけど、『スモーキー』がそれに文句つけている、ってとこかなー」
双眼鏡で観察しながら、畑中二尉がそう分析する。
「お、目隠し出したで」
雛菊が言って、わずかに身を乗り出す。
「ここで目隠し……まさか!」
長浜一佐が、少しばかり大きすぎる声で呟く。
マウロとトニオの会話は、いつの間にか罵りあいにまで発展していた。お互い、口角泡を飛ばす、と言った感じで顔を突き合わせ、怒鳴りあっている。
……まずいな。
ロレンソは二人を宥めようと、足を踏み出した。ここでマウロに臍を曲げられるのは困る。人民裁判の場所まで連れて行ってもらえないと、ロレンソの計画は破綻してしまうのだ。
「なんならここで処刑しても構わんのだぞ!」
マウロが、喚いた。右手を、背中の方に伸ばす。
「会話内容が解らないのは歯がゆいですね」
三鬼士長が、酸っぱいものを口に含んだような顔で言う。
「案外、大使と関係ない話だったりするかもねー。飯が不味いのを改善してくれ、とか」
畑中二尉が、とぼけたことを言う。
「お、ロレンソが動いたで」
雛菊が、声をあげた。後ろで控えていたロレンソが、笑みを浮かべて前に出てくる。
「いやな笑みだな」
双眼鏡を覗き続けながら、デニスが言う。
と、眼鏡男が手を背中の方に廻した。その手に、すかさずアフロヘアが自分の拳銃を握らせる。
「アストラのチューブ・ピストルですわね。遠すぎてどのタイプかは判別できませんけど」
すかさず、スカディが拳銃を識別した。
眼鏡男が、慣れた手つきでアストラのスライドを引いた。『スモーキー』を睨みつけながら、銃口を大井大使の頭部に向ける。
「ま、まずいぞ!」
長浜一佐が、慌てた。
「眼鏡を狙います!」
石野二曹が小さいが鋭い声で言って、M‐16を肩付けした。デニスも双眼鏡を手放し、M60に取り付く。
……たぶんハッタリだろうが、ここは止めに入らないとまずい。
ロレンソは激昂する二人を宥めるために、微笑を浮かべて歩み寄った。
「いい加減黙れ! 幹部でもないくせに! わたしには、彼をこの場で処刑する権限くらいあるのだぞ!」
なおも自動拳銃を大井大使に向けながら、マウロが喚く。銃口は、微動だにしていない。
「やめてください、セニョール・ウガルテ!」
トニオが、青ざめた顔で半歩前に出た。大井大使を守るかのように、銃口の前に立ち、マウロを押し止めるかのように腕を振る。
「まあまあ。二人とも落ち着いてください」
笑みを絶やさないまま、ロレンソは近付いた。とりあえず、マウロの味方であることをアピールしようと、トニオの肩に手を掛ける。
「トニオ。少し出しゃばりすぎではないかね?」
「しかし……」
「いいからここは、わたしに任せたまえ」
ロレンソは不満顔のトニオの腕を引っ張った。引き摺られるように数歩移動したトニオの耳に、ロレンソは囁いた。
「大丈夫。オオイは殺させないよ。わたしが守る」
一瞬驚いた表情を浮かべたトニオが、大きくうなずいた。
「そうでしたか。ならば、お任せします」
「よし」
ロレンソは、トニオの肩を親しみを込めてぽんと叩いた。くるりと振り返り、笑顔でマウロに視線を送る。
「トニオは納得しましたよ。早く行きましょう、セニョール・ウガルテ」
同時に、前進を促すかのようなゼスチュアをする。
「なんだか、『スモーキー』が大使を庇ってるように見えますわね」
スカディが、困り顔で言う。
「あー、ロレンソがー」
畑中二尉が、困惑しているせいか棒読み口調で言った。
眼鏡男に拳銃を突きつけられた大井大使を庇っていた『スモーキー』が、ロレンソによって引っ張られてゆく。そのままロレンソと何事か言葉を交わした『スモーキー』がうなずき、振り返ったロレンソが笑顔を見せる。その様子は、見守っていた長浜一佐らには、処刑に反対していた『スモーキー』がロレンソによって丸め込まれたように見えた。
「ロレンソが、処刑に同意したで!」
雛菊が、急いた口調で言った。
右手を挙げ、指を軽く開いたまま前の方に振るというロレンソの動作……。それは、長浜一佐の目にも、眼鏡男に対しその行動に許可を与え、次のステップに進めと指示したものに見えた。
つまりは、処刑に対する同意だ。
「二曹、撃て!」
ためらわずに、長浜一佐は射撃を命じた。他の者にも射撃開始を指示すると共に、自らもM‐16を持ち上げる。
いきなり、マウロの側頭部から赤い霧が噴き出した。
ロレンソの身体が、自動的に反応を見せた。身体を沈み込ませながら、肩のAIMを外し、構える。指が、勝手にセレクターを連射に叩き込んだ。
マシンガンの連射音が聞こえる。
敵襲か! 馬鹿な、ニカラグア領内だというのに!
伏せ撃ちの姿勢で、ロレンソは状況を把握しようとした。敵は、北側の樹林に潜んでいるようだ。銃火のきらめきが見て取れる。
アメリカの特殊部隊か? あるいはイギリスか? まさか、ニカラグア国軍か?
どおん、という轟音とともに、トラックの一台が爆発した。炎を纏わり付かせた破片が飛び散り、ゲリラ戦士たちの悲鳴が上がる。
石野二曹に続いて射撃を開始したのはデニスであった。先頭のニッサン・ピックアップに対して一連射を浴びせ、荷台のDShK重機関銃射手を真っ先に射殺する。次いでデニスは前席に連射を浴びせた。フルロードの7.62×51弾は強力である。ピックアップトラックのドアでは、盾代わりにはならない。シートに座っていた二人のゲリラが、あっさりと死んだ。
一拍遅れて、スカディがM79グレネードランチャーを放った。曲射弾道を描く40ミリ擲弾を追い抜いて、畑中二尉が発射したM371A1/90ミリ無反動砲弾がタトラ・トラック目掛け突っ込んでゆく。シャーシを狙った砲弾は、狙い通り命中した。近距離ならば350ミリ鋼板を撃ち抜く威力を持つHEAT弾頭が炸裂し、キャンバストップのT111トラックは真っ二つに引き裂かれた。すぐ後ろのフォードのピックアップトラックにも、スカディが放った40ミリ擲弾が命中する。直前に車体の陰に逃げ込んだ運転手は難を逃れたが、逃げ遅れた助手席の男と、果敢にDShKに取り付いて反撃しようとした男が、弾殻の雨に晒されて絶命する。
雛菊が狙ったのはランドクルーザーだった。窓ガラス越しにAI‐10専用銃の9ミリ弾を浴びせ、車内のゲリラを殺傷する。長浜一佐もランドクルーザーを狙った。ガラス片が飛び散り、前席ドアにいくつもの貫通口が生ずる。
石野二曹は単射で狙撃を続けていた。今のところ、一発も外していない。
「クレイモアが使えないのですぅ~」
ベルが、嘆く。この状況で起爆させると、大井大使が巻き込まれるおそれがある。
「仕方ないのです!」
シオは伏せ撃ちでAI‐10専用銃を撃った。奇襲でうろたえているフレンテのゲリラたちに、短い連射を浴びせてゆく。ベルも、撃ち始めた。
……勝てない。
ロレンソは悟った。
こちらが人質を握っているにもかかわらず攻撃を仕掛けてきたということは、短時間で制圧できるだけの自信がある……つまりは充分な人数と火力の優越を見越してのことであろう。場所がニカラグア領内ということを踏まえれば、敵は間違いなく精鋭特殊部隊だ。能無し士官に率いられた度胸不足の徴集兵からなるサンタ・アナ陸軍のパトロール隊とは、比べ物にならない。まともに戦ったら、こちらに勝ち目はない。
となれば、打つ手はひとつしかない。
逃亡。
守るべきものが少ない、というのが、ゲリラの強みのひとつである。優勢な敵に出会ったら、とにかく逃げる。存在し、活動を継続することが、すなわち敵への打撃であるのだ。生きて抵抗活動を続ける一人は、全滅した千人よりもはるかに脅威となるのだから。
ロレンソは身を起こした。
「ハイメ! ジープだ!」
上官に命じられたハイメが、すぐにその意を察し、南に向け走り出した。ロレンソは、頭部に貫通銃創を負って倒れているM3使いの傍らでうずくまっている日本大使の腕を乱暴に掴んだ。
「来い!」
第十九話をお届けします。




