十四話
葵が可愛らしい「ミニ・デスボ」で全世界を悶絶させてから数か月。
1歳を迎えた葵の成長スピードは凄まじく、最近では家の中をてけてけと元気に歩き回るようになっていた。
そして、それに伴い新たな問題が発生していた。
「陸……! 葵ちゃんが……防音室のドアの開け方を覚えちゃったの……!」
「マ???」
仕事部屋兼配信部屋である防音室。
今まではドアノブに手が届かなかった葵だが、背が伸びたことでつま先立ちをしてドアノブをガチャリと下げる術を習得してしまったのだ。
「これ、配信中に乱入されたら一発アウト(※微笑ましすぎる配信事故)じゃん……」
「一応ドアロックは買ったんだけど、届くのが明日なんだよね……。今日の配信、大丈夫かな……?」
今夜予定されているのは、【夫婦対抗・ホラーゲーム耐性バトル】。
リスナーからの要望が最も多かった「ビビリな陸」対「心霊平気な結衣」のホラーゲーム実況だ。
「まあ、葵ちゃんは配信時間にはぐっすり寝てる時間だし大丈夫だろ!」
フラグという言葉を知らない男・佐藤陸は、いつものように力強く胸をたたいた。
◇
同日、21時。生配信スタート。
画面には、暗い洋館を探索するホラーゲームの画面と、画面右下に恐怖で顔を引きつらせるカナタ(陸)、余裕の笑顔を見せるルナ(結衣)のアバター。
『待ってましたホラゲ配信!』
『陸パパの叫び声助かる』
『今日は何回デスボが出るかな?』
『葵ちゃんはすやや中?』
「みんなこんカナタ〜……。あのさ、リスナーのみんな……俺、本当にホラーダメなんだって……」
声が素で震えている陸。
「こんルナ〜! 大丈夫だよ陸、私が守ってあげるからね♪」
ゲームが進行する。
暗闇から突如として現れるグロテスクなモンスター。
「ぎゃあああああああああ!?!?!?」
部屋中に響き渡る陸の絶叫。アバターの頭が激しく上下に揺れる。
『期待通りのリアクションwww』
『叫び声の声量凄すぎて草』
『ルナちゃん隣で爆笑してて草』
「落ち着いて陸! ただのCGだよ!」
「CGでも怖えもんは怖えんだよ!! あ、あそこ曲がり角……絶対なんか出る……絶対出る……!」
陸がビクビクしながらコントローラーを操作し、暗い廊下の角を曲がった——その瞬間!
画面全体にモンスターのアップが飛び出し、爆音が鳴り響いた!
「ヴォイイイイイイイイイ(恐怖の極限ガチ叫びデスボ)!!」
あまりの恐怖に、陸はコントローラーを投げ捨て、椅子の上で頭を抱えてガチフリーズした。
コメント欄が『wwwwww』で埋め尽くされる中——
ガチャリ。
防音室のドアが静かに開き、パジャマ姿の葵が「てけてけ」と部屋に入ってきた。
大きな叫び声(父親のいつものデスボ)を聞きつけて、心配して見に来たのだ。
「あ、葵ちゃん!?」
結衣が焦ってヘッドセットをずらす。
しかし、恐怖で魂が抜けかけている陸は、足元に葵が忍び寄っていることに全く気づいていなかった。
葵は、白目をむいてフリーズしている陸の足元まで歩いていくと、その太ももをペシペシと叩き、心配そうに陸の顔を見上げた。
そして——
「……パパ、だいじの?」
……静寂。
あまりにも舌足らずで、あまりにも優しい、初めての「パパ」という言葉。
ゲームの恐怖音すら吹き飛ばす、天使のささやき。
フリーズしていた陸の思考回路が、一瞬で再起動した。
「……え?」
陸はゆっくりと足元を見下ろした。
そこには、自分を心配そうに見つめる愛娘の姿。
「あ……あおい……? 今……なんて……?」
「パパ! だいじの〜?(パパ、大丈夫?)」
葵は小さな両手を広げ、陸の膝にぽてんと抱きついてきた。
画面越しにマイクが拾った、完璧すぎる親子愛の音声。
コメント欄の動きが、完全停止した。
『……え?』
『今「パパ」って言った……?』
『「パパ、だいじの?」って言った……!?』
『うわあああああああああああ(全全全私が号泣)』
『尊さで心臓止まった』
『ホラー配信から一転して世界一尊い空間へ』
「あ、葵ちゃん……っ!!」
ホラーの恐怖など一瞬でどこかへ吹き飛んだ陸は、目から滝のような涙をポロポロとこぼしながら、葵を力いっぱい抱きしめた。
「パパ……! パパだよ葵ぃぃぃぃ!! だいじょうぶだよ! パパ全然怖くないよぉぉぉ!!(ボロ泣き)」
「ふふっ、葵ちゃん、パパのこと心配して来てくれたんだね」
隣で結衣も目元を拭いながら、優しく葵の頭を撫でた。
画面上のカナタのアバターは、泣き顔のモーションのまま葵を抱っこする動き(※トラッキングの奇跡)になり、画面全体が温かい光で包み込まれた。
「リスナーのみんな……すまん……今日のホラー実況はここまでだ……。俺は今から、娘を全力で寝かしつける……!」
涙でボロボロの顔で、マイクに向かって宣言する陸。
コメント欄は、祝福と涙のコメントで溢れかえった。
『打ち切り大歓迎!!』
『最高の配信だった……!』
『葵ちゃん、「パパ」言えておめでとう!!』
『陸、最高のパパだな!!』
『全人類が泣いた神回決定』
ゲームオーバーの画面を放置したまま、陸は葵を愛おしそうに抱っこして防音室を後にした。
14話連続(?)となるデスボイスは、恐怖から感動の涙声へと変わり、最高の「ハプニング」として伝説に刻まれたのだった。
◇
配信終了後。
葵を無事にベッドへ連れて行き、トントンと背中を叩くと、葵は満足そうに「パパ……」と小さく呟いて、すやすやと眠りに落ちた。
リビングに戻ってきた陸は、ソファに座るなり顔を両手で覆った。
「……ダメだ、思い出しただけで泣けてくる」
「ふふっ、陸、ずっと鼻すすってるよ」
結衣が温かい茶葉の入ったマグカップを渡してくれる。
「だって……あんなの反則だろ……。『パパ』って……俺を心配して……っ」
「よかったね、陸。毎日一生懸命パパやってるの、葵ちゃんにちゃんと伝わってるんだよ」
結衣は陸の隣に座り、その背中を優しく撫でた。
「……ああ。俺、世界一幸せなパパだわ」
陸は涙を拭き、結衣の手を握りしめた。
配信事故から始まった二人の物語。
それは今、小さな「パパ」という一言で、これ以上ないほどの幸せに満たされていた。
ドタバタで、涙脆くて、でも温かい佐藤家の日常は、これからもずっと続いていく。




